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伯爵家の夜会

 スマホのアラームが鳴り、怜は目を閉じたまま手を伸ばす。そして喧しく鳴り続ける音を止めた。体がだるい。目をぼんやりと開けて天井を眺めながら呟いた。

「働きたくないな……」

 初日から出勤拒否しようかなんて、できもしないことを考えながら着替える。朝食はコンビニのおにぎりでいいや。


 マンションからほど近い場所に新しい職場はある。通勤する人々の流れに沿って歩いて行くと懐かしく感じるその建物が見えてきた。朝日を受けてきらきらと輝く巨塔は、KRGという以前怜が働いていた組織の本部だ。昨日渡されていた職員証を使ってゲートを抜け、部長室に向かう。そこにはイルミナと覚えのある姿があった。彼女は振り返ってあ、と声を漏らす。


「昨日はどうも」

「え、イルミナさん。私のバディってまさか」

「ええ。改めて紹介するわね。私の優秀な部下の怜君。今日から彼と一緒に任務にあたってちょうだい」


 昨日、怜にスタンガンをおみまいしてきた少女はあからさまに拒否反応を示した。苦笑いでなんとか回避しようと言葉を重ねる。

「いや、私新人ですし、経験豊富な人と組ませてほしいかなって思うんですけど」

「あら。彼はあなたよりずっと先輩よ。ちゃんと実績もあるわ」

「ええ……」

 イルミナは怜に少女のことを紹介する。


「彼女はエミリさん。この部署では新人だけど、アメリカ支部での経験があるから教えることは少ないと思うわ」

 ちらりとエミリを見ると、ものすごく不快そうな目でこちらを見ていた。この様子じゃいざ仕事を始めても、言うことを聞いてくれないだろう。怜はそう思って提案する。


「前みたいに一人でいいんじゃないですか?彼女、実力あるんでしょう?」

 以前、怜はバディで行動することはほとんどなかった。変にエミリとギスギスするよりは個人のほうがいいと思ったのだが、イルミナは困った子を見るような目になった。

「あなたの場合は特例だったのよ。普通は安全面から2人以上で動くようすすめられてるの。それに復帰したばかりで勘が鈍ってるでしょうし、単独は認められないわ」


 あの、とエミリが口を挟む。

「私、この人に足を引っ張られるのは嫌です。昨日私相手に手も足も出なかったんですよ!イルミナさんはどうしてこの人にそんな――」

「エミリさん。一応先輩なんだから、その態度はどうかしらね」

 するとエミリはしゅんとしてすみませんと小さく言った。一応って何だ。怜は首をかしげる。イルミナは場の雰囲気を変えるように明るい調子で言った。


「さて。あなた達に任せる最初の仕事は、第三記憶世界での回収任務よ。詳しいことは端末に送っておいたから確認してね」

 イルミナは皮張りの椅子から立ち上がった。これから会議があるらしい。怜とエミリは自身の部署に向かう。横に特殊収集部と書かれたプレートのあるドアを開けると、キーボードを打っていた職員がちらりと顔を上げた。怜と目が合うなり目を丸くして立ち上がる。


「怜さん!」

その人は満面の笑みで駆け寄って来るが、後ろにいるエミリに気づいて顔をこわばらせ、一歩後ずさる。

「どうしてエミリさんが一緒に」

「彼女とバディを組んだので」

「え!?な、なんでですか。私のバディになってくれるはずでは」

 そんなこと言った覚えがないが、傷ついた様子で大きな瞳をうるませる。相変わらず美少女だなと思っていると、エミリが口を挟む。


「好きで組んでるわけじゃないし。欲しいんだったら樹さんからイルミナさんに言ってよ」

「人をものみたいに言うな。樹さん、多分彼女の研修期間が終わったらバディは解消されると思うので、もしタイミングが合えば一緒に仕事しましょう」

 樹は花がほころぶように笑った。エミリは樹と怜の会話に疑問を持ったようだ。


「ねえ、なんで私にはタメ口なのに樹さんには敬語なの」

「当たり前だろ。樹さんは年上だぞ」

「は?」

 視線が樹と怜の顔を行ったり来たりする。そんなわけないと思うだろ?本当なんだよこれが。どう見ても同い年に見えるのに、実際は22歳だ。そしてもう一つ驚きの事実がある。樹の頭からつま先までまじまじと見ると、恥ずかしそうにもじもじする。柔らかそうなショートヘア、袖からのぞく細い指、ショートパンツからのびる足は薄く色づいている。


「どこからどう見ても女子に見えるだろ?」

「当たり前でしょ?」

「男なんだよ」

 エミリは絶句した。


 魂が抜けているエミリに、樹は彼女のデスクの場所を教えようとするが聞こえていない。

「放っておいて大丈夫です。俺のデスクはどこか分かりますか」

「え?忘れちゃったんですか?私の向かい側ですよ」

 そこは仕事を辞める前使っていた場所だった。戸惑うと彼は当然といった態度で言う。

「怜さんが休暇中の間、机もロッカーもそのままにしてありますよ」

「え、待ってください。休暇?」


 聞いたところ、怜は休暇中という扱いになっていたようだ。犯人はイルミナだろう。誰にも伝えずに辞めたから、皆彼女の言葉を信じたのだ。椅子に腰をおろして、怜は長いため息を吐いた。そばを通った男がおっ、と立ち止まる。


「怜君おかえりー。休暇どうだった?」

 気だるげに顔を上げて、延長したいですと返事をすると快活に笑う。

「そんなに気抜けてて大丈夫か?死なないように気をつけろよ」

 ぽんと肩を叩いて同僚の男は去って行った。彼の言ったことは冗談ではない。事実、命の危険がある仕事なのだ。もちろん今日の仕事はかなり安全な部類だ。新人をいきなり危険に放り込む程イルミナは鬼ではない。ねえ、と右後ろから呼ばれる。振り向くと真面目な顔をしたエミリがスマホを片手に言う。


「早く仕事に取り掛かりたいんだけど。ちゃんと案内してくれる?」

「はいはい。ロッカーに寄りたいからちょっと待ってくれ」


 自分のロッカーを開けると、仕事用のスマホが入っている。電源を入れると大量の着信履歴が残っていた。無言で画面を閉じ、ポーチにしまって腰につける。腕には支給品のデジタル時計をつけた。ぴっと小さく音が鳴って心電図が表示され、ホーム画面に変わる。よし、ちゃんと動く。ロッカールームを出ると、エミリは壁に寄りかかって怜を待っていた。背には大きな黒いケースが見える。あれが彼女の武器なのだろう。


「おっそ」

 一言そう言って、すたすた先を行ってしまう。態度悪いなと思いながら怜は後を追いかけた。


 スマホで呼び出した自動運転タクシーに乗り込み、目的の場所に向かう。車内で、エミリは第三記憶世界についての資料を読んでいた。怜はなあ、と話しかける。

「その武器って銃か?」

「そうだけど。あんたは持ってこなかったの?見た感じ手ぶらだけど」

「ちゃんと持ってきてる。それよりお前、間違っても撃つなよ」

「はあ?どういうこと」


 言葉通りの意味だ。第三記憶世界で暴力的な行動をとると一気に危険度が跳ね上がる。だから基本的には武器を隠して無害を装わなければいけない。

「資料にも書いてあるだろ。場の流れに合わせるのが最善だって」

「あるけど……じゃあ武器使わないってこと?冗談でしょ」

「本気。ドンパチするだけが収集のやり方じゃないだろ」

 エミリは信じられないものを見る目をした。アメリカ支部とは随分やり方が違うらしい。そのうちに白いドーム状の建物が見えてくる。スマホをかざして料金を払い、タクシーを降りる。怜は軽い調子で言った。

「さ、行くか」


 職員証を提示して扉の先に入ると、広い空間に霧が立ち込めている。ごくりとつばを飲み込む音が聞こえた。

「あんまり緊張するなよ。言ったことを守っていれば危険なことはないから」

「緊張なんてしてないけど。だいたい、記憶世界に入るの初めてじゃないし」

 そう言いつつも、エミリは落ち着きなく視線を彷徨わせていた。経験があるとは言っても、初めて入る世界は緊張するものだ。

「何か不安なことがあったらすぐ聞けよ」

 霧が濃くなり、二人を取り込んだ。

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