プロローグ2
思い切って北海道に引っ越すことにした。ベンチに腰かけて飛行機を待っていると、コロコロと缶ジュースが転がって来た。
「すみませーん!」
怜は体を曲げて足元の缶を拾い、走って来た少女に渡そうとして――首に何かあてられた。バチバチバチッと音が鳴り、床に倒れこむ。顔を歪めて何とか目だけを動かす。健康的な太腿が見えた。少女はくすくす笑いながらかがむ。ロングヘアの片側を耳にかけて彼女は言った。
「えー?簡単すぎでしょ。イルミナさんはなんでこんな奴探してたんだろ」
「お前……」
「大人しくしててね。雑魚に無駄な時間使いたくないの」
なんて言いぐさだ。彼女の言葉から、イルミナの指示を受けて自分を迎えに来たのだと理解する。それにしては随分手荒だが。聴覚と動きの鈍い体を総動員して周囲を把握する。先程まで人がいたはずなのに、誰も居なくなっていた。代わりにスーツ姿の男女数人が現れる。少女は自慢げな声色で彼らに言う。
「ね、私一人で大丈夫って言ったでしょ。この人の輸送お願いね。私はイルミナさんに連絡してくるから」
首に再度スタンガンがあてられ、ぶつりと意識が途切れた。
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目を開けると、怜は椅子に縛り付けられていた。ダメもとでもがいてみるがガチャガチャ金属が鳴るだけだ。諦めて脱力し、顔を上げる。目の前には大きなガラス窓があり、爽やかな青空とビル群が見えた。後ろの方でドアの開く音が聞こえ、ハイヒールの足音が近づいてくる。怜はその人物の顔を見る前に話しかけた。
「早すぎません?まだ四日しか経ってませんよ」
「ふふ。うちは優秀だもの。あなたに頼まれた動画の解析も済んでるわよ」
四日前に電話したイルミナはそう言って怜の前に立った。
「結果は」
「出演していた男3人の素性が分かったわ。3人とも犯罪歴ありで一人はヤクザと繋がってる。おそらくそこの組のしのぎで作られた動画ね。それと映り込んでいたのは鳴璃の可能性が高いそうよ。何故あの場に彼女がいたのかは分からないけど」
よくあんなわずかな情報で彼女に気づけたわね、と褒められて怜は微妙な表情をする。
「撮影された場所は分かりましたか」
「大阪の繁華街のどこかってことくらいね。警察に捜査を任せたから、あの男たちが捕まれば分かるはずよ」
容疑は薬物使用だ。早く捕まって詳しいことが分かればいいのだが。
「大阪……何かの取引のために居たんですかね。俺の居所がバレたわけではないのか」
ほっとして肩の力を抜く。ふと目の前が暗くなった。顔を上げるとイルミナの美麗な顔がぎょっとするほど近くにある。思わず身を引くが背もたれに阻まれて下がることはできなかった。怜を見下ろしながら、彼女は尋ねる。
「ねえ、いい加減教えてくれてもいいんじゃない?あなたと鳴璃の関係。彼女があなたに執着するのは何故?」
「執着って。別に普通の関係でしたよ」
鳴璃から隠れて生活しているのは、マフィアから抜けるときに許しを貰わずに逃げ出したからだ。鳴璃だってそんな本気で探している訳ではないだろう。もし見つかったら、他の裏切り者同様に十中八九殺される。イルミナはふうんと腕を組んで含みのある目を向けていたが諦めたのか残念そうな顔をした。
「そう。言えるようになったらいつでも教えて。それと、仕事は明日からお願いして大丈夫かしら」
ごく当たり前の口調で言われて、流されそうになるがいや待てと首を振る。
「働きませんよ。俺は北海道でのんびり新生活をスタートする予定なんですから」
喧噪から遠く離れた美しい自然に囲まれて過ごすのだ。新しい趣味を始めてみるのもいいかもしれない。前から水彩画に興味があったのだ。青々とした山や煌めく星空を描きたい。そんな怜の願望を、イルミナは一言でたたき切った。
「イエスと言うまでここからは出られないわよ」
「横暴だ……。警察に通報しますよ」
「携帯を取り上げているのにどうやってするつもり?一応言っておくけれど、ここにはトイレもお風呂もあるわ。何か月だって居ていいのよ」
怜が断ることを想定していたかのように用意がいい。悪魔のような笑みを向けられて背筋が寒くなった。
「……分かりましたよ。働きます。働けばいいんでしょう」
投げやりな言葉にイルミナはふふっと笑って怜の背中に腕をまわした。柔らかい感触を押し付けられて、怜は言葉を失う。カチャリと音がして手首が軽くなった。手錠を外したイルミナは耳元で囁く。
「復職おめでとう。怜君」
ああ、最悪だ。