”世界を救う”には力不足?
なるほど。と優奈は思った。
それなら普通の優奈でも世界を救えるし、火を運べないこの世界の人たちにとって優奈は英雄になるだろう。ちょっと期待したようなレベ上げや、道具の改造や、イケメンとのロマンスがなさそうなのは残念だが、異界トリップも現実はこんなものらしい。
普通の女子高生らしく世界を救おうと優奈は決意した。
「じゃあ、さっそく松明を作って――」
「博士、正気ですか」
しかし、優奈のそんな健気な決意は一瞬で打ち砕かれた。
ジークと呼ばれた鳥人間は、もう食い殺さんばかりの勢いで猿博士を睨みつけている。
「火を恐れないとはいえ、空を飛べない”人”が火を点けに行くのは無謀だ。」
「それはそうじゃが…」
「まして、子供にそんなことをさせられるか」
喧嘩勃発。
聖火ランナーよろしく、砂浜を歩いていき、点火するは、どうもジークの怒りを買ったらしい。
「あのー、私が行かないって言ったら、誰か行くんでしょうか?」
「我々が行くに決まっているだろう」
”自警団”と先ほど称された彼らだが、通常任務の一つは”ウヒ”の観測。火への恐怖を克服し、火の近くを低空飛行する、非常にマッチョなインテリ集団でもある。
点火は高い空中から投げ落とすのがジャスティスらしい。大雑把な。
「アホなのか。自然点火は何度も見ているが、点火した瞬間に爆発する例はいくらでもある」
そういわれれば、わが身が可愛い優奈は黙るしかない。
「ジーク、落ち着いてくれ。博士も別に優奈に聖火ランナーをしてほしいわけではない」
と犬のお巡りさんことジョンが見かねた様子で割って入った。
「君たちが火種を落とすにしても、その火種作りは誰がやる? 君たちの速度で飛んで消えない火を考える人は多い方がいいじゃないか」
すでに長すぎる冬は不安視されており、ジークたちは何度か、火種の投下を試みていた。
しかし、様々な制約の下、ジークたち自身でつくれる火種は、ほとんど燃えカスのようなもので、”ウヒ“に点火する様子はない。ジークがライオネルを頼ったのは、火の海の科学・歴史的な研究を長年続けている彼ならば、他の方法を考えられるかもしれないという期待からだった。まさかの”火を怖がらない人”を召喚という手段に出るとは、発想が斜め上過ぎた。
「考えるにしても、子供の火遊びなどぞっとしない。博士がいたあの研究所の所員並にという贅沢は言わないが…まともに機材を扱えるぐらいの頭は要る。扱っているには火だ。誤れば、迷惑を被るのは周りだ」
「逆に言えば、優奈がまともに機材を扱えれば良いということじゃな」
「それが事前に証明できればだ」
事故を起こしてからでは遅い、という無理難題。優奈に視線が向くが、どうしろと言うのだ。
優奈から言葉がなかったせいだろう。ジョンが口を開いた。
「ジーク、君のところは確か、大学生を使っていたね」
自警団は非常に人気の高い仕事で、学生の内からアルバイトのような形で仕事の経験を積もうとする非常にマッチョなエリートが溢れている。正規の隊員の数は非常に少ないから、火種の作成もそういった学生たちが手伝ったはずだ。
「そうだな」
「優奈はちょうど、大学に入る年頃だ。大学に入学するような子だったら、君たちの仕事を手伝う学生と変わらないのじゃないかね」
「………それは、そうか。わかった。そう言う条件であれば受け入れよう」
優奈そっちのけで会話が交わされ、気が付けば優奈が試験を受けることになっていた。
どっさり渡された獣人世界の教科書類。10日後に定められた期日。
試験はこの世界の一般教養を測るものらしい。とはいえ、山積みの教科書を前に、優奈はだんだん腹が立ってきた。
勝手に召喚しておいて、世界を救ってと言いながら、なんだこの試験。 というわけである。
そして試験、当日。
「違う世界から来たんだから知りません。教科書読むのもだるいし」
優奈は一切、教科書を読んでいなかった。
「では、我々の作戦には参加させられない」
「それでいいと思います」
それは優奈の本心だ。
ある日突然異世界に連れてこられて、「世界を救って」と言われる一方、その作戦には参加資格が…とかもう知るか! という感じである。
今、優奈の言いたいことは一つだけだ。
「作戦に参加しないんだから、私関係ないですよね? 元の世界に返してください。わたしは、ただの、女子高生で! 世界を救う力なんてないんで!」
* * *
変な世界に来てしまった。と優奈は思う。
10日の強制試験勉強から解放され、優奈は一人、猿博士の研究所から家路を歩いていた。ゆったりと傾斜のついた道を下っていく。
空は相変わらず曇りのようなどんよりとした色あいで、その下に木と大きな葉っぱで覆われた街並みが延々と続いていた。マンションのような高層ビルはないものの、町自体はかなり広くて、聞いたところによると十万人ぐらいの人が住んでいるのだそうだ。
町はすり鉢状になっており中央の湖が鏡のように空を映して少し明るい。
博士の研究所は、町の外がの高い位置にあって、周りに家もない。博士自身は寝泊まりすることも多いそうなのだが、優奈はグレードマザーこと、パンダの獣人の家に預けられており、街中で暮らしていた。
このグレードマザーの家、周囲に比べてワンサイズ大きい。
なにしろ、マザーことラウレイ。優奈から見ると、普通に見た目が二足歩行のパンダ。流暢に喋るけどパンダ。チャイナドレスを着ているパンダ。
立ち上がると2m近い巨体、100kg超えの重量。そんなラウレイの身体にフィットした家は、周囲より大きめの作りである。
よって、平均的な女子高生がドアを開けるだけでも、なんだが子供に戻った気になる。ドアノブの位置がやや高く、かつちょっと固いのだ。
「優奈ちゃんお帰りなさい~試験お疲れ様」
ちょっと見た目に大きなラウレイだが、声はとっても優し気な女性のものである。
娘がいるというラウレイは、突然やってきた優奈を、珍獣仲間!として歓迎してくれた。なんでも白黒珍しい毛皮は、こちらの世界でも目立つそうだ。
優奈も、猿のグループとはわかるそうだが、顔立ちや立ち姿が他の猿の獣人と異なるという。
「疲れたでしょ。ちょっと早いけどご飯食べに行きましょうか!」
優奈からは表情は分からないが、明るい声でラウレイが言う。
「行きます!」
と優奈は笑った。
ラウレイの家は人間基準では全く自炊に向いていないので、食事は近くの食堂で毎回外食だ。
パンダと言えば笹だが、ラウレイもボリュームサラダしか口にしない。つまり、料理をすることがまずない。優奈が野菜も肉も魚も食べるのをみて、「なんでも食べるのねえ」と感心していた。
獣人たちは、それぞれ食べるものが異なるらしく、種族が違うと何が好みか? がわかりにくいのだそうだ。
調理法も好みがあって、生がジャスティス! という人もいないわけではないが、発酵食品はあるし、お湯でできる調理方法、つまり蒸したり茹でたり煮たりする料理はいくらでもある。
優奈にとっては幸いなことに、ご飯も麺類も蒸しパンも、選びたい放題であり、食事についてあまり苦労はなかった。
なお、肉について味は美味しいの感じるものの、鳥や豚や牛ではない。家畜的爬虫類がいる以上のことは、食欲がなくなるといけないので聞かないことにした。世の中、知らないことがいいこともある。
(ホント、いつまでこの世界にいることになるんだろう…)
猿博士の言葉を信じるなら、いつか、帰れるのだろうが、それが10年後になるのだとしたら帰ったところで、逆に困る気もする。
(こっちも、日本と変わらないって言えば変わらないんだけどな)
気づけば異世界で大学受験することになっていたが、日本でも獣人の世界でも、高校も大学もあるという。
高校も大学も行かないで就職する人もいるというし、高卒で働く人も、専門学校に行く人もいるというから、女子高生の悩みはある意味世界を越えて共通らしい。
食事を終えて、借りた部屋にこもると、優奈はスマホの電源を入れた。
10日経ち、電源を切って温存しているもの電池のマークは確実にすり減っている。
電波が届いていないことを確認し、優奈はスマホの電源を落とした。
この世界にはInstagramもTiktokもないのが辛い。悩みを相談するどころか、誰かの投稿を見て夢を膨らませることさえできなくなってしまった。普通の女子高生なのだからSNSを使いたい。
そんなことを考えながら、優奈は眠りへと落ちていった。