獣人の世界に異界トリップ
さて、この世界のお話しをしよう。
この世界は地球ではない。地球から見えるどこかの星の一つ、かもしれないが、どの星かはわからない。遠いのか、近いのかもわからない。
そんな場所にある、不思議な世界である。地球生まれの者にもわかりやすいように話すとしよう。
地球で言葉をしゃべる動物は猿から進化したものだけだと聞くが、この世界では様々な動物から進化した”人”がいる。収斂進化という、複数の異なるグループの生物が、同様の生態的地位についたときに、系統に関わらず類似した形質を独立に獲得する現象である。
「わしはお前さんと同じく、”猿”のグループ、そっちの署長さんは”犬”のグループの”人”じゃ」
後ろを振り返った猿博士ことライオネルの視線の先には茶色の犬――ゴールデン・レトリバーの顔を持つ、大柄な男がいた。水色のシャツに紺色のベストという格好に、思わず犬のお巡りさんという言葉を連想した優奈は悪くない。大柄な男性と言っていいだろうが、長袖から除く手が犬のようなちんまりさがあって、それで敬礼されたら普通に可愛い。
猿博士とは異なり、いかにも獣人!という要望の犬人間を見て、優奈は
(本当に異世界だ!)
と目をきらめかせた。
「他にも、地球とは大きく違うところがある。この世界には”太陽”というものはない」
その言葉に、優奈は空を見上げた。
曇り空のような薄暗い青の空が広がっている。確かに明るいのに、太陽のような光源が見当たらない。
でも明るいし、と不思議に思っていると、猿博士が言葉をつづけた。
「この世界の”太陽”は地面にあると言われて、想像できるかね?」
言いながら猿博士はひょこひょこと動いて――歩き方が妙にコミカルで笑いを誘うのだが、猿だから地面を歩くのが苦手なのかもしれない――、優奈の後ろにあった台に布をかけ、それからごそごそとその台の下を探し始めた。
(布を外してから出せばいいのに)
台の上には何かが載っていたらしく小さな膨らみがある。
それが何か思い至る前に、台の下からノートぐらいの大きさの木の板が出てきた。
板は白い塗料に覆われていて、その上に絵の具のようなもので絵が描かれている。
赤、オレンジ、黄色、白、水色の5色だけで描かれた、殴り書きのような絵だ。
炎だ。とは思った。
画面の真ん中、半分以上を立ち上る炎が埋め尽くしている。ただ、それは目の前に立ちはだかる炎の壁というより、地を覆いつくす炎の海に見えた。そう、絵の中に遠近感があるのだ。地平に向かうほど炎が小さく潰れて描かれている。遥か遠くに地平があり、それより上の空間は薄い水色の空だった。雲がある。雲は炎の色を映し、チラチラと黄色やオレンジの色が混ざっていた。
絵の下部、手前に当たる空間は、炎に炙られる砂浜だった。
「火の海?」
優奈の言葉に猿博士は頷いた。
「さよう。地球の言葉なら火の海。我々は”ウヒ”と呼ぶ。地表の8割を占める我々の光と熱の源じゃ。逆にの、”ウミ”という言葉はわしらの言葉には昔なかったんじゃ。わしらから見れば、海は”塩水のウヒ”といったところじゃな」
優奈は、地球の海がすべて火になって燃え盛っている世界を想像した。
それは、ちょっとではなく大惨事ではなかろうか。
(これは、私の手に負えることなのかな…? え、何、バトル系? 魔法とか覚えられる系?)
と、期待が膨らむ。
「この”ウヒ”――火の海なのじゃが、水の海とは少々違っておっての」
来た、と優奈は身構えた。
「火が消えるんじゃ、時間が経つと」
くるり、と猿博士が板をひっくり返すと、そちらは真っ黒だった。
火の海は消えて黒い溶岩と化し、 暗くなった世界には辛うじて地平線と空の境があるが、黒く塗りつぶされたかのようにそらも黒い。
どうも、こちらの方が大惨事っぽい雰囲気が漂う。
「いつもはな、放っておけば火がまた勝手に点くんじゃ」
くるりと返された木の板はまた、赤い炎の面を見せる。
「そしてまた、時間が経つと消える。この繰り返しじゃ。普通はな」
赤、黒、赤、黒。繰り返される画面の変化は、地球でいうところの昼と夜が、夏と冬でもあることを表す。
黒い面を見せて、猿博士は手を止めた。
「普通は放って置けば火が付く――地球でいうところの春が来る、じゃ。普通はな。ところが、今年はな、いつまで待っても春が来ない」
ふと、優奈は自分が震えていることに気付いた。
雨でぬれていたのだ。10月の日本よりはるかに低い気温が気にならなかったのは、優奈が興奮していたからに過ぎなかった。一度寒さに気付いてしまうと、座り込んだまま立ち上がれないほどに、寒い。
優奈が黙って話を聞いていたのは、理解よりもまず凍えているからだと気づいたのは犬のお巡りさんだった。
その時、猿博士は炎の海――”ウヒ”が春になって自然発火するメカニズムについて事細かに熱弁していたのだが、物理オタクでもない優奈の理解できる話ではなかった以前の問題で、優奈の耳には入っていなかった。
「博士、先ほどからその子が身を丸めているのは、寒さに弱いからでは…」
「ん? って、凍えとる!」
そうだった、人間は毛が少なかったと騒ぎ出す博士。大股に近づいてきてやはり優奈の手を取り、体温が下がっていることを確認する犬のお巡りさん。
「とにかく暖めたほうが良さそうだ。あー博士じゃ無理ですよ。息子さんじゃないんだから。博士の方が小さい」
よっこいしょと犬のお巡りさんに背負われることになり、ぬくもりが前面から伝わることに優奈は安堵した。
「博士、この子のカバンを持ってください。しかし…どうしたものかな…繊細そうだし、博士に預けるのは心配なんですが」
「うー、割と面倒見は良いと言われるんじゃが」
「グレードマザーのところですかねぇ、やっぱり」
そんなこんなで、話を最後まで聞かないまま、意識を飛ばした優奈であった。
そんな凍えた初日を終えて、改めて猿博士が”この世界を救ってもらいたくて”について説明の場を設けてくれることになった。
制服は乾かしているため、今日の優奈は、グレードマザーにもらった赤いワンピースである。娘さんの昔のものらしいのだが、体格差がありすぎて超だぼだぼ。このためウエストを布ベルトで縛ってもイマイチ決まらないスタイルであることからは目を逸らす。あと、化粧品のないお家だったので、カバンに入っていた化粧品を出し惜しんでほぼすっぴん。女子高生なのに!
そんなちょっとした居心地の悪さに浸っていたら、猿博士が優奈の泊まっていた家までやってきた。
今日も犬のお巡りさんが付いてきている。さらにその後ろに続いていたのが、お巡りさんとはまたちょっと違う、 白いシャツに紺色のネクタイという紺色制服姿の鳥人間だった。犬人間も大柄な男の人という感じなのだが、顔がゴールデン・レトリバーなのと動きがそろーっという感じで優しいので、初対面からあまり怖くない。それに比べると、鳥人間は2mくらいの、大柄な男の人と並んでも大柄さを感じさせる、しかも胸板厚いタイプのマッチョでかつ、嘴のある猛禽類の厳しい顔立ち。服は袖がなく、腕がむき出しなのは、猿や犬と異なり、翼が腕にあるからだ。翼をたたんでいるとはいえ腕が膨らんで見える。うん、ちょっと怖い。
「紹介していなかったの。こっちはジョン=レトリバーといってこの町の警察の署長じゃ。こっちは――ジーク、何をむすっとしとるんじゃ――ジーク=ファルコと言って、自警団長…いや、地球の言葉じゃと何か語弊があるな…まあ、オイオイその当たりは話していこう。それより調子はどうじゃ? 元気の出るものをもってきたぞ」
完全に子ども扱いであるが、猿博士から甘い赤い木の実をもらい、優奈は顔を綻ばせた。
実際、猿博士は年配らしいので、成人前の優奈は孫の年齢らしい。
そんなわけで、少々話が脱線して和んだところで、本題に入ることになった。
「この世界では火の海が、地球でいうところの太陽の役目をしており、火が自然に点いたり消えたりすることで季節が移る。そこまではよいかな? 問題は今、待てど暮らせど、自然に点くはずの火が点かんことなんじゃ」
このままだと永遠に冬になってみんな凍えて死んでしまう。と言われて、優奈は頷いた。
「”ウヒ”に火を点けるってどうするんですか?」
「火種を投げ込む。どうも秋になると油が消えて、冬になるとまた溜まるのが”ウヒ”の正体じゃからの。火があるうちに油が戻ってこなかったことが原因で――まあ、運が悪かったということじゃ。するとほれ、そこにまた火を入れれば解決じゃ」
解決策は分かっていた。
「どこかに行かないといけないとか?」
「町を出ても、砂浜を越える必要があるからの、2-3kmというところか」
散歩クラスの近さだった。
「町の外に出るのが危ないとか? 何かが襲ってくるとか?」
「そういう伝説もあるのぅ」
何も出てこなかった。
「えと、火種がなかったり?」
「こんな事態に備えて、町には火を守る祭壇がある。火種はそこで作れるぞ」
優奈は首を傾げた。
「…火種もっていけばよくない…?」
脳裏に聖火ランナーよろしく、砂浜を歩いていき、点火する絵が浮かぶ。
「問題はそこなんじゃよ」
ちゃんと問題があったらしい。
「わしらは火が怖くて怖くてたまらん。運べる程近くに寄るのは無理じゃ。そこでの…”火を怖がらない人”を召喚することにしたんじゃ」