戻った日常
レオの通う高校も卒業式が終わり、春休みに入ったという。
春の日差しはうららかで眠気を誘うが、受験生である優奈は今日も勉強である。
部屋には勉強机と本棚とベッド。壁にフウリーが描いた、日本の町並みと虹の絵があるが、優奈の勉強を妨げるようなものは何もない。鉛筆でかりかりと問題を解いては答え合わせ。正答率は6割ほどか。淡々と、正答率が上がるまで、同じ問題集を前から繰り返すだけのことである。
しんとした部屋に、カチッと小さな音がする。
時間を区切るための砂時計だ。砂が流れきると最後に大きな木の実が落ちて、音が鳴る仕組みだ。
「あれ」
思ったより、長く集中できていたらしい。
高校を模して作った時間割は50分で1コマだ。
どこから勉強していいかわからなかったので、レオに高校の時間割をもらった。この世界の物理など、受験に必要のない教科もあるのだが、優奈の一番の敵は共通的に出る一般教養。理科や数学的な問題も含まれるため、ある程度は勉強が必要になる。レオに見繕ってもらって、中学生ぐらいが使う問題集を買ってもらった。
実は、受験に関係のない本が一冊だけ、勉強机に大きな顔をして鎮座している。
レオと一緒に本屋に行ったときに見つけた、フウリーの本だ。正確に言えば、フウリーが挿絵に協力した、子供向けの昔話の絵本である。アビゲイルからの差し入れの本の中には入っていなくて、フウリーの絵が見たいと、貯めていたバイト代で買った。フウリーの勢いがあって、明るく鮮やかな色調の絵が優奈は好きだった。
今日の勉強はここまでで終わりだ。
んーっと伸びてノートを閉じる。スマホが動かないせいか、机に向かっていても何もしていない時間と言うのは減ったと思う。自分でも自分にかなり感心している。
そんな優奈のモチベーションを支えてくれているのが、この瞬間だ。
部屋の窓際に置かれた光通信機に触れて、筒の位置を合わせる。
「完了!」
メッセージの行き先は、レオのこともあれば、フウリーのこともあるし、アビゲイルにいきなり送ることもあるし、猿博士に送ってみたこともある。
毎日誰かに送り付けているのだが、なんと律儀にメッセージが返ってくるのである。人間、持つべきものは律儀な友かもしれない。
勉強時間が終わればおやつだ。
リビングに行くと、布がかけられたバスケットがテーブルに置いてある。優奈はこっそり、お楽しみバスケットと呼んでいる。優奈が出かけなくてもよいように、ラウレイがおいていってくれるものだ。布をどけると、毎日違うおやつがはいっている。
”焼く”という調理方法がないので、こちらにケーキやクッキーは存在しないのだが、果物は豊富に出回っている。今日は果物ではなく、甘いお団子だった。とりあえず”焼く”という調理方法さえ避けられれば、わりと手の込んだお菓子が手に入る、不思議な世界である。甘いものは幸せなので、優奈はいつも遠慮なくいただいている。
「よお、順調?」
お茶を入れて優奈がおやつを食べていると、レオがやってきた。
面倒見のよいレオは、自分の受験が終わった後もこうして優奈の勉強の様子を見に来る。優奈に用意されたおやつ目的という説もある。
とりあえずポットのお茶を注いであげる。白いお団子がレオの口に一つ放り込まれていく。
「E判定かな」
と優奈は答えた。
まだ目標の7割を安定して正解するのは遠い。
内容が地球と変わらない数学は、ぎりぎり6割正答で運が良ければ引っかかるかも。ぐらいには至っているが、物理法則が違いすぎる理系は全滅。世界史は消去法の選択肢ならかなり行けるが、知識が足りなくてまだ解答用紙に空欄が目立つ。
「まあ、これからだからな。お、ここ解けるようになったんだ。まえ、全滅してただろ」
レオはこういうところをよく見ている。
ゴールデンレトリーバーの顔といつもの陽気な言動ではじめは分からなかったが、かなりの優等生なのである。だから、優奈が質問すれば、結構、ちゃんと教えてくれる。
「この前、レオが教えてくれたからね」
まだ間違えている部分もあるが、全滅からはかなり前進している。
「おう」
とレオが嬉しそうに頷いた。
「っと、時間か。今日はこの後研究所か?」
とレオが時計に気付き、優奈は首を振った。
「ううん、週3日に減らしてもらったの」
時間的に大したものではないのだが、それでも勉強とバイトが毎日続くと、他のことをやる時間を圧迫する。定期代も通信費もない今の生活で、そんなに稼いでどうすんだとハタと気づいた優奈は、バイトを減らしたいと猿博士に行ったのだ。
化粧品だって買うものがない。流行りの服は存在するが、クローゼットはすでにラウレイの好意と、フウリーのオススメでいっぱいなので、当分自分が服を買うことはない気がしている。まだ着ていない服が気づいたらクローゼットで増えている気がするのだが…
「そうか。まあ、自由にしたい時間もあるよな」
「とりあえず、アビゲイルさんからもらった本が積読すぎるから読んじゃいたいんだよね」
真面目発言に見えるが、かなり絵が多い本ばかりなので、漫画読んでダラダラしたいと言っていると思ってもらえばいい。そこまで意識高い系ではない。
のんびりレオと喋って、仕事に出ていたラウレイが帰ってきて、一緒にご飯を食べようと食堂に出かける。
「そういえば、ラウレイさんって何の仕事をしてるんですか?」
と今更ながら問いかけたりしながら食事をして、部屋に戻って宣言通りにダラダラする。気が向いたら、まだ着ていない服のコーディネートを考えるのだが、なにしろこちらの世界には鏡も自撮り用のカメラもないため、考えたところで見せる相手がいない。
(明日何着ようかなぁ…)
と考えるぐらいなのである。
結局、絵の多いフウリーの挿絵の本を抱えてベッドにもぐりこんだ。
ベッドがふかふかなのでそのまま寝落ちることもしばしば。問題は昼夜明るさが変わらないので、目が覚めた瞬間の時間経過がまったくわからないことである。気づいたらかなり寝ていて、
「優奈ちゃーん、ご飯に行きましょうー!」
というラウレイに起こされることも多い。
アラームが欲しい。アラーム時計さえあれば解決する。
しかし、この世界はアラーム時計が珍しいようだ。みんなアラーム時計要らずで起きられる、その体内時計の正確性はどういうことだ。優奈には無理だ。永遠に寝ていられる。
(今日はアラーム時計探しに行こう…)
金属がないからけたたましい音をたてるベルないが、笛は普及している。木製であれば叩けばぽくぽくなるものもある。
何かカラクリで空気を通して笛の音を立てるか、ぽくぽく叩くか、とにかく何か、砂時計と連動したアラームが欲しい。優奈の精神が削れてしまう。
ラウレイに起こされた優奈は、今日は勉強が終わったら買い物に行こうと決意するのであった。
その日もレオは優奈に会いに来て、一緒に甘い木の実を食べた。
優奈が
「今日はアラーム時計を買いに行く」
というと、
「アラーム時計…? カラクリ屋にあるかなぁ…」
と考えこみ、
「優奈はあの通りは行ったことないだろう」
と同行を申し出た。
この世界の買い物で一つだけ厄介なところが、お店の場所がわかりにくいことだ。わかりやすい看板に商品を描いておいてほしいのだが、ほとんどの店が店主の名前を冠する看板だけで、外から見て何を扱っているのかわからないことが多い。例外は本屋ぐらいか。種族が入り混じるこの世界は、食べ物ひとつとっても体に合うものが全然違う。なので、スーパーマーケットのようになんでもここで揃うという概念はなく、小さな店がいくつもある商店街で自分に合ったものを商店街スタイルなのである。
幼いころから、自分はこの店で買い物をすると覚えて生きてくるため、この世界で生まれ育った人は困らないらしいが、優奈は自分の欲しいものを扱うお店を探し出せなくて非常に困っていた。
今日のカラクリ屋は優奈たちが冬将軍から避難したときの通りからは、ドーナツ状にぐるっと半周も回った、行き馴れない場所で、店の名前すら優奈は聞いたことがない。レオがいて本当に助かる。と言いながら、優奈はレオと連れ立って緩い坂道を下った。
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