女子高生、浪人生になることを決意する
春が来て、町の再建が始まった。
ラウレイが選んだ仮住まいは以前に比べると狭くてラウレイは不便そうにしているが、優奈的には普通である。それでもあのビッグサイズに慣れてしまうと部屋が手狭に感じるのだから、慣れとは恐ろしい。
「いってきまーす」
と優奈は一人で家を出た。
優奈の足元の影はすっかり薄くなり、輪郭のわからない薄いものが足元をさ迷うぐらいになっていた。
春の始まりからすでにふた月、この世界にきてそろそろ4か月も近い。流石に以前のように、優奈にいつも誰かしらついているということはなくなった。しかも行先は、いつも通っている研究所である。
中央の湖の近くで用事を済ませた後、仮住まいの家からもそう遠くないそこを目指して、緩い坂道を登っていく。
焼け野原になった町の一角はいま、焼け跡が綺麗に片付けられ、少しずつ家の再建が進んでいる。
ただ、家の材料となる植物は、早くても秋まで、もしくは何年もかけて切り出されてきたものなので、完全に元の形に戻るには何年もかかるそうだ。ラウレイは元の場所に戻りたいので、簡易なつくりで秋から仮家を建て、材料が集まるのを待つと言っている。その時に、優奈の使いやすい部屋も作ろうと言ってくれており、優奈はラウレイに感謝しかない。
坂を上りきると、研究所に向かうために少し白い反射板のそそり立つ道を歩く。
優奈はまだ、のぞき窓に鍵がかけられていないことを確認して、そっと窓を押し開けた。
窓からはむわっとした暖かい空気が流れ込んでくるが不快なほどではない。
窓の奥には、一年で最も美しいと言われる光景があった。
一面に、オレンジ色の炎が広がっている。炎の丈は低く、チラチラと揺らめいている。炎の熱でゆらゆらとした空気は、ピンクと水色が交互に混じる不思議な色をしていた。空高くなるにつれ、それは緑や黄色の染みのような模様がうっすらと現れたり消えたりする。はっきりした輪郭はない。だが、いつまでも見ていられる光のダンスだった。
地球にいた時、輪郭の曖昧な点描絵を見たことがある。あれはモネだったか。
その絵がそのまま現実になったような印象だった。
――もしかしたら光で、世界はずっとつながっているのかもしれない。
あまり見ていると、遅くなってしまう。
優奈は窓を閉めると、研究所に向かった。研究所の裏から薪をとると、
「博士ー! あれ、いないのかな」
と言いながら、優奈は勝手知ったるなんとやらで、祭壇のある部屋へと入り込む。
日々日々、ここで薪をくべるのが優奈のバイトになっていた。ジークは今回の後始末で忙しく、他に博士を助けられるほど火に耐性のある人も少ない。火の近くに行って薪をくべることに全く苦痛を感じない優奈に白羽の矢が立つのは、当然の流れだった。
薪を火に放り込んでお仕事終了。
これだけで、食堂で給仕を1日するのと変わらないバイト料が手に入るのだから、笑ってしまう。
火のある部屋から出ると、廊下に誰かいた。猛禽類の鳥人間であることは分かるが、まだ体がレオと変わらないくらい――つまり大学生ぐらいの若者で、ジークと違って黒い毛並みだ。ぐらいしか優奈にはわからない。
「こんにちは、ライオネル博士みませんでしたか?」
今日は猿博士に報告があるので、話しておきたかった。
詰め所にいないとすると、森の中にある物置小屋で作業中か、出かけているか。
「…森の倉庫の方でお仕事中だ。もう戻ると言っていた」
どうやら、近くにいるようだ。
「ありがとうございます」
と言って優奈は、森の倉庫――という名の物置小屋に、猿博士を迎えに行くことにした。
玄関から出て気付く。
ずっと放置されていた、櫓や松明の焼け跡がなくなっている。掃除されたのかと気づき、今の彼かな、と思う。
猿博士も自警団も、火に耐性のある学生を雇って、バイトとして手伝ってもらうことがあると言っていた。火があると知られている研究所は忌避感がある人も多い。まして、火の燃えた後には、それが1か月前の話であっても触りたくないというから、人を選ぶ仕事になるのである。
森に足を踏み入れ、優奈はふと、己の頭上を覆う梢をみた。
ここだけ光がさしているのは、人が落ちた衝撃で落ちたからだ。あの火、首に下げた灰の箱が燃えてしまって、墜落した自警団員の墜落現場である。幸い、あの時の彼は片腕の骨折だけで済んだそうで、すでに復帰しているそうだ。優奈が火を周りに置いて助けようとした人は、ダメだったと後から聞いた。他の団員も詳しくは聞いていないが、亡くなったと聞いている。
森の中を進むと、倉庫と言うには小さい物置小屋が見えた。
「博士―」
と優奈が呼びかけると、
「ん? 何じゃ、こっちまできたのか」
とライオネルが扉から顔を出し、
「もう終わるから待っとれ」
と足元の箱を、扉の中へと運び込んで積み上げた。
言う通り、ほどなく作業が終わったらしく、閂がかけられる。
「で、どうしたんじゃ。いつもなら薪を入れてすぐに帰るじゃろ」
「ええっと、報告?」
ちょっと嫌なニュースなので、一息ついてから口を開く。
「残念ながら、不合格でした大学」
あの死にそうな騒動の後、学校も復旧し、結局予定通りのタイミングで大学の入学試験が行われた。優奈もラウレイの仮住まいに落ち着いてからは、流石に真面目に勉強したのだが、付け焼き刃が過ぎたらしく、今日の合格発表に優奈の受験番号はなかった。レオは合格しているので、ちょっと気まずい思いをさせてしまった。ごめんよ。
「まあ、こちらに来てからの期間が短かったうえにあの騒動じゃからのぅ…来年に向けて頑張るのが良いかと思うが」
と、猿博士もあっさりと言う。
「それ…ラウレイさんにも言われたですが…いいんですか」
ラウレイにも来年頑張れと言われ、浪人といったら言葉が通じなかった。優奈の身の回りでも浪人はあまり聞かないが、この世界では浪人生は更に珍しいようだ。
「あの騒動の中で熱心に勉強出来んのは不思議でも何でもないわ。お前さんの人生は長い。1年くらい回り道をしても、きっと後悔はせんよ。今のお前さんなら、この世界で大学生と言われても、まあまあ想像ができるじゃろ」
と言われて、優奈は頷いた。
レオに受験の直前に学校見学に連れ出してもらったのも良かったのかもしれない。
レオやフウリー以外の同世代の友人ができる気もした。
「なら、今度は本腰入れて頑張るんじゃぞ? ああ、そうじゃ持っていけ。受験決意祝いじゃ」
猿博士は足元のカゴから、真っ赤に熟れた果実を優奈に差し出した。
「イチゴ!」
と久しぶりに見るそれを、優奈はその場で口にする。滅茶苦茶甘い!
(合格祝いにするつもりじゃったんじゃがのう…)
とライオネルは内心呟いていたのだが、まあ思ったほど優奈が落ち込んでいないのでよしとする。優奈は表情が異種族から見ても非常にわかりやすいから、ニコニコ喜んでいるのを見ると微笑ましい。
「わしはこれから仕事がある。お前さんはこれを食べたら、帰るんじゃぞ」
カゴ丸ごとイチゴを渡し、ライオネルは優奈を置いて森を出ていく。
優奈は一瞬考えたが、ラウレイは木の実もほとんど食べないグリーンサラダ派なので、遠慮なくイチゴをいただくことにした。




