最後の難関が正体を現した
研究所の方角で、町に回った火は明々と燃えて、町の外にまでその光を届けていた。
上空は相変わらず冬将軍に覆われていたが、地上に近い場所は暖かさを取り戻している。靄が消えれば、火を置いた場所まで低空飛行で飛ぶことは、自警団の飛翔力では難しくない。乾いた木の枝を運び、燃え続ける松明にくべた。火に巻き込まれた新たな薪に火が移り、チラチラと揺れながらさらに炎が大きくなる。
一度に運べる量は数本だが、3人で数往復すれば、大きなたき火ぐらいにまで炎が上がった。身の丈近くまで上がる炎に、団員が歓喜の声を上げる。
氷が溶けだし、足元に濡れた感触があった。
(これで、世界に火が戻る)
爆発に巻き込まれないよう、町の縁まで戻って、ジークたちは火の様子を見守った。
火はしばらく燃え続け、白いはるか遠くの靄に白い影として映る。温かい空気が上へと昇るのか、炎は引っ張られるように上へ伸びているように見えた。
やがて、ガラリと薪が崩れた。
氷のオブジェクトと化していた下の薪の山が溶けて崩れたのである。火に炙られ、水が飛んで乾燥してくれば、炎の熱に耐えられず、下へも徐々に着火していく。炎は大きくなり、優奈を帰そうとしたときの何倍にも広がって、光が白く見えるほどだ。白くなっていた周りも、氷が緩んで、黒い燃えカスが覗く場所が見える。
後は待つだけだった。
* * *
大量に薪を置いていたとはいえ、一日も立つと次第に町の外の火にも勢いに衰えが見られていた。
「どういうことだ?」
ジークは呟いた。
町の外で薪を燃やすことには成功しているが、火の海そのものには火が点いていない。まだ何かが足りないのか。
「”ウヒ”の上がまだ氷に覆われとるということじゃ」
研究所の敷地に置いた櫓の火はすでに消えていた。それが、今は嫌な未来を予感させるようで目障りだ。
詰め所の中にも入らず、ジークはライオネルの話を聞いていた。
黒い燃えカスより水の方が軽いから雨が降れば冬の海には水が溜まる。寒さが厳しければ氷になる。氷が蓋になり、火の海の本体である燃える透明な液体――これも燃えカスより軽くて、なぜか冬を越えると”ウヒ”の奥底からしみ出してくる――が火の場所まで上がってこれないのである。
優奈が来る直前はかなり雨が降った。その前にも、珍しく雨の多い日が続いた。
無論、全世界的に氷が海を覆っているわけではない。だが、黒くなった海は高低差があるから、部分的に氷が厚い場所があってもおかしくない。通常はそういった場所は、燃え盛る火の海に飲まれ、人知れず消失するのだろう。
完全に自警団の調査不足だった。
このまま外で火を燃やし続ければ、いずれは氷が解けて引火するに至るだろう。
火を遠くに運べるのであれば、氷のない場所を探して火を燃やしてみるという選択肢もあるのだが、町を燃やした炎で冬将軍を退けて、辛うじて飛べる高度を確保しているのである。歩いて進める距離以上に、遠くに火を運ぶのは現実的ではなかった。
ライオネルは渋面を作った。
「そうすると、氷を割る方がはやいの」
時間が許すなら、待つ。一択なのだが、何しろ町の一角が燃え尽きてしまえば、再び町全体が凍り付いてしまう。
いや、この非常事態ならいっそもう一角燃やすか? という話なのだが、町は守れても、熱源の位置がずれることで、町の外の火に飛ぶことは難しくなるだろう。
火のごく近くの氷に今、穴を開ける方がまだ、現実的だ。
「やってみよう」
しかし、実際のところ、炎の極力近くまでよって猛禽類の爪を立ててみた――この世界には金属ドリルなどないので――ぐらいでは、氷はびくともしない厚さがあることがわかり、事態は膠着したのである。
町の外から飛翔した自警団は皆、精神的にも肉体的にも疲弊していた。
その目に、町の様子が映る。真夏かと思うほど明るかった空が、次第に秋口の色にまで明るさを減じていた。燃やした町が少しずつ、下火になっているのである。少しずつ、押し返していた冷気の靄が上空からまた町を押しつぶそうとしている。
すでに町の反対側は凍り付いているだろう。
そう思いながら町を見た彼らの目に映ったのは、小さく並んだ光の道だった。
町の外側から内側に至る道の半ばまでをなぞるようにぽつぽつとした光が並んでおり、白い靄は町のすぐ近くまで下りてきてはいるものの、最後の一手を伸ばすには手をこまねているように見えた。光は町をドーナツ状に通る道をも半ばまで通っており、町が完全に凍り付くのを防いでいた。
(一体、どうやって火種を…)
灰ぐらいに火が下火になっていれば、鳥の中には火を運べる者もいる。
だが、上空は息ができないほどに凍り付き、地上を歩けば町のこちら側が燃えているのだ。町を通って研究所にやってきたとして、おかしな場所に引火もさせず、反対側に戻ることができるのか? まさか燃える町から火をとった猛者がいたのだろうか。
驚きながらも研究所に下りたジークは、研究所に待機していたライオネルに、町の反対側に見えた光のことを伝えた。
ライオネルは驚かなかった。
「優奈じゃろう。あの子は火を起こす道具を、持っておったからの。それにあの子は指先で火が燃えとっても、顔色一つ変えんかった。火を持ち歩いても動揺してふらふらとすることはないじゃろう」
火を道の真ん中に置き、あたりを燃やさずに冬将軍を防ぐとは、お手柄である。
「それなら住民は逃げおおせておるじゃろう。わしらは、早く氷を割らねばならん」
しかし、爪が立たないほど厚い氷を、木で掘ることは難しい。爪や牙以上に、物を切ったり削ったりすることに特化した物がないから、この世界に置いて爪や牙を持つものはそれだけで強い立場にあり、爪や牙を持たないものが軽んじられる一面があるのである。
しかし、ライオネルには知恵があった。
「高度を上げて、石を落とすんじゃ」
とライオネルは言った。
島の中で石は貴重だが、冬の固まり切った海から持ち込まれたり、レンズの材料として切り出してくる地盤が、木よりも重量のある材料として使われることがある。そして、一体、いつから何のためにあるのかわからないが、昔から壁際にはいくつも、子供の頭ほどの大きさ――つまり鳥人間がギリギリ持って飛べる重さと大きさの石が並んでいる。
低空で石を落としても威力はない。
だが、高度を2倍にすれば、その破壊力は4倍となる。10倍まで飛ぶことができれば、100倍だ。1-2キロの重量であっても、氷を割る威力が期待できるとライオネルは踏んだ。
高度を上げようにも、今は超低空飛行しかできない程、冬将軍が空を覆っている。しかも、その高度は時間を追うごとに町の炎が下火となり、それに合わせて下がってきているのは事実だ。しかし、ライオネルの前に立っているのは、自警団だった。
「お前さんたちなら、”火”を持って飛べるじゃろう」
普段は祭壇に近づけない程火が苦手なライオネルだが、汗だくになりながら、すでに灰は用意していた。炎に近づく熱さもあるが、恐怖からの冷や汗である。
「そうか」
とジークは頷いた。
普通の鳥人間では難しいが、灰を胸元に持った状態で飛べる彼らなら、短時間であれば、凍り付かずに冬将軍を突っ切ることができる。
「反射板を用意してくれ、レンズも頼む」
火の近くに置いて、誘導灯を空に放てば、靄で多少視界が悪かったとて、光の位置で正確に石を落とせる。
町の火が尽きるまでが勝負だ。
疲弊はしていたが、休む暇はなかった。




