火の海を取り戻す作戦はナイトメアモードに突入しました
5人失った。
もとより定数の少ない自警団の過半を占める人数だ。
燃え盛る火の熱に羽が焼けそうな程の熱を感じながら、ジークは自力で舞い戻ってきた団員の数が危惧した通りであったことに、強く手を握り締めた。爪が己の肌に刺さるが、それすらも感覚は鈍い。
本当に、ほんの一瞬のことだった。
町の外で、怪我人の運び出しと、壊れた導火線から木材を拾い集める作業は急ピッチで進んでいた。
導火線の修復は諦め、あるだけの薪を、町から離れた一か所に積み上げていく。町の周辺の雲の動きを確認しに飛んだ団員が一人、帰ってこない時点で、次の嵐は覚悟をしていた。次は雹か、吹雪か。
だが、遠目に薄くたなびいている程度の雲が脅威とは思わなかった。明るさも増しており、寒さが厳しくなってきたとしても、それが前兆だとは思わなかった。
おかしい、と気づいたときには、もう薄い雲の形をした冷気の塊は町のすぐそばまで来ていたのである。
薄い雲の形をしてみえたのは、触手を伸ばすかのように白い帯を地上へと伸ばしていたからだった。地上に広がった冷気は薄く白い色の壁となり、圧倒的な暴力としてせり出してくる。だが、その前進は酷く静かで、また遠目にはそこが明るく見えるだけで、脅威を感じさせない。
まさに忍び寄る冬将軍であった。
まだ、怪我人を運び出している途中だった。
だが、選択肢もなかった。
「急いで引き上げてくれ!」
怪我人を運び出す人々に声をかけつつ、ジークは研究所へ飛んだ。
研究所の奥へと走り、長い木の先端に火を移す。
ジークもこちらの世界の人だ。手から1メートルの距離の熱さに、恐怖が全くわかないわけではない。しかし、赤々と燃える火のついた松明を、ジークは掲げると、急いで仕掛けを作った壁際へと向かった。
町を守る反射板の塀には、一定の距離ごとにのぞき穴がある。
怪我人の運び出しとは少し離れたその場所で、自警団の団員たちが乾いた蔓を張り、町のすぐ近くの砂浜にたき火の木を組んでいた。町の内側にある導火線がわりの蔓の先端に松明で火を点ければ、町の外に火を持ち出すことができる。それを実直に実行したジークは、持ってきた松明をその場に投げ捨てると、すぐに助走をつけて飛び上がり、町の外に降り立った。火への耐性が強い団員だが、それでも松明の先っぽを持つ距離まで火に近づくのは、抵抗があって、たき火から後ずさりしている。
「総員退避!」
後先を考えている暇はなかった。
薪を置いた場所まで3km程。
飛べばほぼ一瞬だが、火を持ったまま走るとなると、20分はかかる。眼前に迫った冬将軍から逃げる術はない。目的地まで到達できずとも、一歩でも進んで――という覚悟だった。
白い靄がジークの視界を塞ぐ。
しかし、冷気は覚悟したほどではなく、掲げた松明の光に負けて消えていった。視界が悪い中、足を氷にとられながらも、ジークは積み上げた薪までたどり着いた。薪の山に松明を投げ捨て、己は飛び上がる。
松明の火は燃えていた。
だが、その下の薪に着火しない。
誤算に焦ったジークの胸を、冷気が刺した。冬将軍の白い靄をまともに吸えば、上空の薄く冷たい空気でも何の問題もなく飛べるはずの鳥人間でさえ無事では済まない。
痛みに飛行がぶれて、ジークは墜落するように町の中に入り込んだ。本能的に光のある暖かい場所――先ほど投げ捨てた松明の近くを選んでいたのが幸いし、ゼイゼイと息を吐く。冬将軍をほんのひと吸いしただけなのに、胸の痛みはなかなか引かなかった。
ようやく地に手を突き、起き上がる。松明は白い靄を退け、ジークのいる場所を守っているようだ。
(なぜ――)
半ばまで火の回った松明を何とか手に取り、反射板の窓から外を見る。
松明の火は未だ燃えており、白い靄を通してもぼんやりと明るい。
だが、その下の薪にはいまだ着火していない。
雹が溶けた雨がしみこみ、それが冬将軍の冷気で凍り付いた薪は、氷のオブジェクトと化しているためなのだが、流石にジークもそこまでは思い至らない。
(とにかく――打開策を見つけなくては)
ジークはふらふらと歩き出した。
研究所のライオネル博士なら何か知恵がでるかもしれないと引き寄せられるように歩き出し、すぐに地面に倒れ伏す人々を見てしまった。
「おい…しっかり――」
最後まで言葉をかけることすらできなかった。
白い冷気の靄に巻かれて、肺が凍り付いて息絶えていた。
火の近くにいられなかった彼らの身体は、すでにカチコチになっていた。白い靄で視界が効かない。ジークは走った。町の中央を見下ろせるはずの坂道は下り坂故に白い靄が中央へと下っていくのが良く見えた。死の冷気は道に並ぶ家々を凍り付かせている。
ジークは無言で手の中の炎を見た。
この手で炎を持っていては飛べない。
ジークは炎を、一番町の外側に建てられた家に、落とした。
凍り付いた場所が溶ければ、少しして火が燃え移る。
ジークは家の戸を叩いた。
「出てきてくれ! 火を点けた!」
殺人的な雹が再び来た時の保険で、こうする可能性は警察には伝えた。最後の手段だ。この後生き残っても、自分がどうなるか分からない。だが、今は、こうすべきだと思った。
出てきたのはジョン――警察署長を務める犬の獣人だった。その家の住民はとっくに町の中央に避難させたらしい。ジョンは
「うわっ」
と火に怯んだものの、殺人的な冷気に火が有効であることを理解したのだろう。踏みとどまった。
「とにかく、火が回り始めたら、家の外に住民が出られる。避難させよう」
火が回るにつれて、白い靄は押し返され、光が昇る。
火を見て急降下してきた自警団の団員は、3人だけだった。
「他は?」
「壁際で合流できませんでしたか?」
「そうか」
あの靄の中、火の側に居らず、一緒に冷気を吸い込んだのだろう。
「町に火を点けた。住民に避難を呼びかけろ。一人はライオネル博士に状況を説明して指示を仰げ」
研究所は火がある。凍り付いてはいないだろう。
返事を残し、団員たちが飛び立つ。
(後は外の方だ)
先ほど、凍り付いた場所が溶ければ、少しして火が燃え移るのを見た。凍った薪の山の上でまだ持ち出した炎は燃えている。ならば、上から乾いた薪を持ち込めばいい。問題は、町の炎であそこまで飛べるほど、空気が和らぐか、だけだ。
ジークもまた羽ばたき、町を見下ろした。
町に火が回っていく。
悪夢のような光景だ。家から家に火が回るにつれ、炎は大きくなり、上空へ冬将軍の手を押し返していく。熱は町の外側を照らし、靄をむしばんでいく。気温が上がっているのが、よくわかった。
(もう少し火が回れば、外に出られる)
外に持ち出した火が消えてしまうことだけは避けないといけない。研究所ならいつも薪が蓄えられている。そこで薪をとって、外に出よう。
考えながら町を見下ろしていたジークは、白い冬将軍の手が、町のはるか上空を越え、燃える家々の反対側から町に下りていくのを見た。このままでは、町が凍り付いてしまう。家に閉じこもっていて、どれぐらい持つのか――
(火を届けるのに、町の中心を通れるか…?)
ジークは火を運べるが、松明を持って町の道を通り、変なところに引火したら、町のすべてが燃える大惨事になりかねない。その前に、町を歩く者たちが、パニックを起こしそうだ。かといって、何もないところを迂回している時間があるか――
己の身体一つでできることは限られる。
ジークは研究所に向かった。
外に持ち出した火が消えてしまうことだけは避けないといけない。今、彼が出来ることは、町の外で燃える火を絶やさぬよう、新たな薪を運ぶ。それだけだった。




