女子高生の出番を作るにはハードモードです
ラウレイにちょっと心配はされたものの、レオと共にいたせいか、あっさり玄関から帰った優奈は、レオとリビングで勉強していた。そこは二人共、受験生である。
ふと、周囲が明るくなった気がした。
レオも顔を上げている。
「明るくなったよね」
「明るくなったな」
と言い合いながら、家の外にでる。
その瞬間から、刺すような寒さだった。
「寒くなってない?」
「寒くなってるか?」
優奈は辺りを見回した。
明るさに惹かれて他にも家から出てくる人たちがいる。
「まだだ」
とレオが言った。
「影がない」
その言葉に優奈は足元を見た。
確かに影が無かった。
うすーくある気もするが、舞台でスポットライトを様々な方向から浴びせられる時のように、影がほとんど見えない。
優奈からすると異様な光景だが、実のところこの世界では普通の話である。四方八方から巻き上がる火の海が光源なのだから、四六時中みなスポットライトを四方八方から浴びているようなものだ。むしろ、影は春の始まりにしか現れない、珍しい現象である。
影の伸びる方向と逆の方向で、炎があがったとわかるのだ。火が海全体に回れば影は消滅するが、その時はこんなに寒くない。
明るすぎて異様だった。
パキパキと辺りが凍りついて行く音が微かに聞える。
「優奈、中に入ろう」
異変を感じ、レオは優奈を促した。
「おかしいな。明るいのに」
とレオは首を傾げる。
「表面が白くなってるからじゃないかな」
雪山は焼けるというし、寒くても明るいことはおかしな話ではない。
「あぁ…でも、それなら暖かくなるのか…」
優奈は頷けなかった。
記憶は定かでないが、アニメで見たことがある気がする。
真っ白な雪は光を反射するから溶けにくい。
(世界中が一度凍っちゃうと、永久に凍ったままになっちゃうんじゃなかったっけ…)
世界中を火の海にする巨人の逆バージョンだと思ったから印象に残っていた。
はじめは窓だった。
日本に比べると透明度の低い窓だが、結露の水滴がついているのは見ればわかる。それがパキパキと音を立てて凍り付き始めた。氷の結晶が浮き上がり、それは絵にかいたような美しい模様を作った。
優奈は後ずさった。
窓だけでない。
本来、冷えにくいはずの壁にも霜が降り、建物の内側で植物が伸びるように模様を広げていく。
じわじわと寒さが広がっていくようだった。
これは、外が凍り付いて、出られなくなったりしないだろうか、と不安になる。暗くないのが救いだ。
ラウレイが光通信機を覗いた。
360度のメッセージの中には行政からの避難案内や各種連絡の項目もあるという。複数ある場合は、数十秒でメッセージが切り替わって繰り返される。
「変ねえ」
とラウレイが言った。
「家にいて、と避難準備を、が両方出ているの」
しばらくはしんとして、何も起こらなかった。勉強に手がつくはずもなく、とりあえず地球から持ち込んだいつもの鞄は足元に、寒さに顔をしかめる優奈の側に椅子を寄せ、レオが座る。優奈はありがたく寄りかかることにした。一応同世代の異性のはずだが、まあ、犬だし――という以前の問題で、命の危機的な寒さになりつつある。
ガタガタと窓がなった。風が強くなっているらしい。町の外から押し流すような風だ。
外が白く見える。
白い靄のようなものが町をゆっくりと這うように進み、家々を飲み込みつつあった。床も天井も凍りはじめ、小さなツララが室内に下がり始める。
「二人ともいらっしゃい」
とラウレイがいった。
ラウレイは寒さに強い。二人を抱きしめ冷えないようにする。
しかしそのラウレイでも、寒さを感じる気温になっていた。家のどこかでバチンと音がした、冷気に凍結した水道管が破裂したのだろう。外はもっと寒いに違いない。これは一体どうすればいいのか。
家の中で身を寄せ合うしかない3人は、じっと時が経つのを待った。
寒さが和らいだのは、1時間ほど経った時だった。真っ白だった窓の外が少しマシになり、氷が何かを押しやって壊すミシミシ音が止まる。
ほっとしてラウレイは優奈たちから手を離した。優奈は光通信機に駆け寄った。
「避難してって…」
光通信機を覗き込んだ優奈の言葉に、
「かえって危なくないか?」
とレオが外を見やる。まだ寒そうだ。しかも凍ったものが変なところから落ちてきそうな予感がする。
ガシャンっと思ったそばから何かが落ちて割れる音がした。家の上を誰かが走ってけつまづいたのだ。キイキイキイと悲鳴が上がる。これは動転している。
そんなに急いで何から逃げているのか。
優奈はマフラーで口元を押さえながら、扉を開けた。刺すような冷気が部屋に入り込む。しかし、白い靄はどんどん消えていく。気温が上がっているのだ。そして、目の間に影が伸びていた。
広い道の半ばまで出て振り返ると、街の外側に続く道の方に、まるい虹のような光が見えた。その下が明るい。きっと、燃えている。
「え」
町の中に火を付けたのだと理解して、優奈は言葉を失った。そんなことをすれば、火は当然燃え広がり、瞬く間に空を焦がす熱気に変わっていく。
ここに至って、火に気付いた人たちが大慌てで逃げ出して、辺りが急速に騒がしくなった。鳥人間たちが空から逃げろ逃げろと叫んでいる。警官もそうでない者もいる。
視線を移すと、火はまるで白い触手を押し返しているように見えた。雲から降りてくるような白い帯は絵本でみた冬将軍だ。町の外は、白い靄で埋め尽くされ、空もすべて白く塗りつぶされている。冬将軍が町をも包もうとしていた。
「逃げるぞ!」
とレオが優奈の手を引く。
片手で鞄を持った優奈は、もう片方の手をレオに引きずられるように、街の坂を降った。始めは一歩進むごとに寒くなっていったが、すぐ熱気が追いかけて来て優奈たちを包んだ。
街の道は広い。
炎に追いつかれたと言っても右側だけで、左側の町並みにまで飛び火することはなさそうだ。前方の道が広いので、混雑で進めないというほどではない。この分なら、ドーナツ状の大きな道で火も止まっているだろう。
優奈は案外冷静だった。
レオたち周囲の獣人達のほうがパニックだ。火が出ている区域を過ぎても、更に先に逃げようとする。そこで、互いにぶつかって、弾かれた者が怪我をしたりもする。
火の出ていない、町の反対側に白いものが降りていた。冬将軍は火を恐れて、上空から町を越え、反対側から冷気を下ろそうと言うのだ。
家の中さえ凍る寒さに凍るのか、町を燃やすのか――究極の選択である。
もっとも、町を燃やしたところで、それで稼げる時間は知れているように思える。
「待って…」
火が気温を上げて、今度はとにかく暑かった。
コートもマフラーも付けているのは限界である。また寒くなると嫌なので、流石にその場に置き捨てはしないが、着てはいられない。
結局、ブロックを一つ過ぎたあたりで、ようやくレオたちは止まった。
気温は寒めだが、コートなしで過ごせる程度。火を遠巻きに見ながら、焼きだされた多くの獣人たちが不安げに道にたむろしている。
影は確かに町の中央に向かって伸びていた。そこから薄くなる様子もない。もう、全然うまくいっている気がしない。空を覆う白い靄が、優奈たちに食らいつこうと手ぐすねを引いて待っているように見えた。




