女子高生の日常は突然に
佐々木優奈はごく平均的な女子高生である。
見た目でいうと、黒髪を肩より少し長いくらいまで伸ばしたよくあるスタイル。クラスで言うと身長も真ん中の155cmで、ギャルでも優等生でもおタクでもないスポーツ少女でもお嬢様でもない、普通の子というタイプだ。
地元で一番入学者の多い普通の公立高校に通い、その中で成績もごく普通。好みの別れる部活は帰宅部で、カフェでのバイトに勤しむ高校三年生。欲しいものはポーチと化粧品と……素敵な彼氏。可愛くなりたくて悩みは尽きないが、とりあえず目下最大の悩みといえば、進路である。
大学進学するのか、専門学校に行くのか、就職するのか。40人のクラスで言うと、20人が大学進学、15人が専門学校、5人が就職というのが優奈の通う高校での実績だ。
学校で受けた模試の結果をみて、優奈は頭を抱えた。
クラスはすでに、歓喜と動揺と「どうだった~?」の見せあいでカオス。席など皆好き勝手に他人のイスを引き寄せて座っている。
「どうだった~?」
の洗礼は、もちろん優奈にも。
志望校は軒並みE判定。「知名度の低いFランクの大学に行くくらいなら、専門学校に行って手に職を付けろ」というのが佐々木家の方針であるため、少し背伸びをした志望校にしたのが祟ったのだ。もちろん、同じクラスで、目の前にB判定を叩き出せている秀才もいるので、背伸びであって高望みではない、はずだ。
「さっちゃん頑張ったんだね」
さっちゃんこと鈴木幸子は、黒縁メガネのクラス委員長。前回は優奈と同じE判定だったスコアを見事に上げてきた。
「うん、ほっとしたよー」
という幸子の表情は明るい。
夏で部活も引退し、勉強に集中すると言っていた。季節は過ぎて、少し太陽に陰りの出てきた10月。これは幸子の1か月の成果だ。
「すごいなぁ、私の方が時間あるはずなのに…」
と優奈は眉根を下げた。1年生の時から帰宅部だった優奈は、部活のような忙しさはない。
「でも優奈ちゃん、バイト続けてるんでしょ、偉いよ」
「週3日だけだからね」
時間が短いので、定期代やスマホの通信費に使ってしまうと、そんなには残らない。もっとポーチや化粧品、流行りの服も欲しいなぁと思うこの頃である。
「えー、でもすごいって。それにまだ10月だよ。Eから合格に持ち込む人もいるっていうし」
幸子と優奈は同じ大学を志望している。
一緒に通えたらいいね、と話したのは最近のことだが、その時に意気投合する話があったのだ。
『なんかさ、Fランの大学行くぐらいなら、専門学校に行けっていうの。そんなさ、いい大学いく意味ある? そんなに差がある?』
とぼやいた優奈に、幸子はうーんと首を傾げて見せた。
『まあ、就職するときは、いい大学のほうがいいんじゃないかな』
優奈からみれば、幸子は真面目なしっかり者だ。
『鈴木さんは、なんかキャリアウーマンって感じ、似合うもんね。バリバリ仕事しそう。私はなぁ…結婚して子供出来たらパートかなって思うんだよねえ。専門学校だとなんか違うっていうか…』
ああ、と幸子が頷いた。
『佐々木さん、子供好きなんだ』
『好きっていうか、普通じゃない?』
『普通かぁ』
意外にも、幸子は何度も頷いた。
『わかる。大学で見つけたいよね、彼氏』
『え、わかる?』
『わかる』
『え、鈴木さん結婚したい派?』
『そりゃしたいよ』
さっちゃんと呼ばせていただきます! 優奈ちゃんって呼ぶからね、と二人が手を取り合ったのはこの時である。
『でもさ、いい大学の方がいい結婚ができるよ、ってこれ、うちでずーっと言われてることなんだけどね。いい大学の男の方が就職もいいし、出世もしやすいから、自分がいい大学にはいってそこでいい男と出会うのが一番だって。男の方が多いから、進学さえできればモテるらしいよ』
まあ、確かにそうだよね。と苦笑して見せた幸子に、目から鱗が落ちた気分の優奈は食いついた。
『そっか、確かに。それなら勉強する』
そう、確かにあの時、勉強すると思ったし、その後のキャンパスライフに夢膨らんでいる優奈である。サークルに入れば優しい先輩がいるだろうか、OBに会う機会もあるのかも?とか。
しかし、現実は無情なE判定。このままではキャンパスライフどころか出願すらできず、専門学校に進学することになりそうだ。
どうやって親にこの模試の結果を伝えようか…と悩みながらも、駅近くのカフェでバイトをこなし、帰った時には10時半。黙々と食卓の上に残されていたスーパーの総菜を温め直して食べた優奈は、親と話さずに済んだことにほっとしながら部屋に戻った。
(ホント、どうしようかなぁ…)
やりたい仕事なんて思いつかない。
優奈は考えることをやめてスマホを取り出した。InstagramもTiktokも、眺めれば眺めるほど時間が過ぎていく幸せな世界だ。特に、自分の投稿にコメントが付いているとドキリとする。
優奈はいそいそと通知のマークのついたアイコンを押した。
一昨日、投稿した私服のコーディネートに、新しく「可愛い」のコメントが付いている。初めてのアカウントのようで、優奈はニンマリした。もちろん、顔はスタンプで隠しているから顔の話ではないけれど、私服のセンスが褒められたのは嬉しい。新しい服があまり買えなくて、手元の服を何回も組み合わせてみて、学校から帰ってから髪の毛をセットし直し、綺麗に見える角度で、夜中に何度も撮り直した。きっと撮った角度も良かったのだ。
浮かれた気持ちは、さらに続くメッセージを見て、萎んでいった。
「でも、実はちょっと太くない…?」
普通だもん、と優奈は心の内で呟いた。
気を静めようと、タイムラインをたどる。そこには憧れのコスメや小物や服、何百万ものフォロワーを抱えるインスタグラマー女子高生の写真が所狭しと並ぶ。ぼんやりと優奈はその画面を追い続けた。
* * *
その日は冷たい空気の感触で目が覚めた。
秋雨が朝から滴る木曜日は、嫌いな数学の授業もあって憂鬱だ。
「いってきまーす」
「雨だから気を付けなさいよー」
それでも、母親の声を受けて何事もなく家を出る。ひんやりした空気が、短いスカートの裾から入り込んでくる。ピシャンと足を下ろした先は水たまりで、ローファーの中にも冷たい感触があって、優奈は顔をしかめた。
今日はなんだか調子が良くない。
そう思いながら、駅に向かう。雨に濡れながら信号待ちをして、青信号になった広い交差点。視界が白くなるほどの雨ーーいや、霧が立ち込めて、青信号がぼやけて見える。駅の方から、カンカンと音がする。
ふっと、急に足元がなくなった感覚。
すべてが霧に覆われた。
(あ、あれ?)
きょろきょろと辺りを見回すが白い靄がどこまでも続き、足元がない。エスカレーターが凄い速さで落ち込んでいるような感覚とでもいうべきか。
それが、止まった。座り込んだのは道路ではなく、砂利の上。
霧が晴れると、優奈は知らない場所にいた。 学校の運動場の4-5倍はあるだろう。ぽっかりと開けていて、周りは森のように見えた。
(猿!?)
と口に出さなかったことは、優奈を褒めて良いだろう。
だって、どう見ても猿顔なのだ。小柄な男で白衣を着ているから、絶対に猿ではない。ニホンザルのように赤い顔でもない。でも、猿だ! って、人に口に出していったら流石に怒られるレベルで失礼すぎる。
しばし猿と見つめ合った優奈は、なんと声をかけて良いのかわからず沈黙していた。
猿顔の人もまた優奈を観察していたが、やがてゆっくり口を開いた。
「初めまして、お嬢さん。わしはライオネル・マーモという。お嬢さんにこの世界を救ってもらいたくてな、召喚を研究しておる者じゃ」
想定外すぎる台詞に優奈はただただ、ライオネルと名乗った猿を見返した。
だが、”この世界を救ってもらいたくて”という言葉を心の内で反芻し、だから”召喚”なのだと理解が追い付く。
(え、これ、小説でよくあるやつ!? 私が!?)
状況の意味不明さに不安を覚えるより先に、”この世界を救ってもらいたくて”の先の話を聞きたくて、優奈はテンプレ通りに口を開いた。
「あの、どういうことでしょうか…」