役に立ちそうで役に立たない?
研究所の近くに行くと、気温が上がっていくのを感じる。
とっくにそこは下火になっているのだが、この世界の光の特性なのか、火があるとやはりそこだけ明るい。
「なんだ?」
と雑な声かけをしてきたのは、たぶんまだ若い鳥人間だった。鳥の顔なので年齢や表情など優奈には察しようもないが、服装がだるっとした感じで、日本の大学生と言っても、服だけなら絶対通じる。あと、これは鳥の種類のせいかもしれないのだが、身体も小さく見えた。
「こんな時に肝試しとか馬鹿じゃねぇの」
といきなり喧嘩腰だった。
実際、研究所はどこまで火に近づけるか! とよく若者の肝試しの場にしているので、火が見えていたらさもありなん。
廃墟に不法侵入する迷惑youtuberあたりを追い払うようなていである。万が一にも火が飛び火しないようにと、研究所の敷地で見張りをやっているこの若き鳥人間たちも、ジークの自警団に憧れ、自分が火に耐えられる! というのを見せたいという意味では似たようなものであるが。
「肝試しじゃないです、ライオネル博士に話があって」
と優奈は答えた。
「博士なら詰め所の方にいるよ。でも、入り――」
「ありがとうございます」
優奈は礼を言うと、鳥人間の話も聞かず、敷地に踏み入った。
確かにまだ火は燃えているが、はっきり言って下火になっているのだ。熱さは感じたが、普通にそばを通って、敷地の中央にある研究所へと向かう。
「なっ」
と驚く鳥人間たちに、
「あいつ、”火を怖がらない人”なんだ」
と言いおいて、レオは思いっきり迂回をして優奈を追いかけた。
優奈はと言うと、雹で凹んだ玄関を遠慮なく開き、右の部屋がもぬけの殻で、左の部屋に踏み込むところだった。
「博士ー、大事な話」
という。侵入者に顔を上げ、
「すこし、あとにできんかね」
という猿博士は疲労した様子だった。
が、優奈は構わず、バッグから使い捨てのライターを取り出した。
「火を点ける道具、持ってました」
「…なんじゃと?」
目が覚めたらしい。
流石、火の研究をしているだけあり、熱くもないライターを慎重さこそ見せたものの、猿博士は取り落としもしなかったし、おびえた様子も見せずにつかみ取り、目の前に翳してみた。
「軽いの」
鳥人間が身に着けて飛ぶのに、何の支障もない大きさだ。
「これは、どうやって使うんじゃ?」
「そこのボタンを、勢いよく押すと、そっち側の穴から火が出てきます」
優奈はライターを受け取り、
「ここって、火を点けて大丈夫ですか? これぐらいの大きさですけど」
実演しようとして、ここが元の世界ではないと、思いとどまった。
「…外に出よう」
と言われるがまま、猿博士の後に続く。
何歩も博士とレオから遠ざかり、この距離で手元が見えているのかと少々不安に思いながらも、ライターを握る指先に力を込めた。
ボッ
「うわっ!」
レオ、全速力で逃げる。
一応彼の名誉のために言っておくと、この世界では最も一般的な反応である。
すぐに火を消した。
それでもライターの金具に熱が残る。
「ここは熱いですから」
火を消したライターをもう一度見ようと、上からわしづかみしようとする博士を優奈は止めた。下から握らせる。
博士は難しい顔をした。
指の先に火を灯すような距離に火を出す道具だ。
「扱えるものが…思い当たらんの」
自警団を目指すようなものでさえ、松明の距離でも火を扱うのは難しい。その意味で、燃え盛る状態の火を運べるのはジークだけだ。
そのジークでも、このライターの距離は難しいだろう。
さらに、ライターは小さすぎる。鳥人間の手は、猿のグループと違い爪が円錐状に伸びるワイルドなものだ。関節の付き方も違うので、優奈のような指のかけ方をまずできない。
「使い道も…ないのぅ…」
「うーん、ダメですか…」
町の外に火を出すだけなら、松明で壁際まで運んで、蔓の導火線で下のたき火に点火するだけの話である。
空を飛びながらライターに火を点けるわけにもいかないし、火が点いたライターを上空高くから落とす手段も思いつかない。
つまり、使えそうで、使えなかった。
猿博士なら何か思いつくかもと思ったのだが…
「しかし、なぜ今頃持ってきたんじゃ?」
「気付かなかったんです。私のじゃなくて――誰かが勝手に鞄に入れていたので…」
小さいものだ。カバンの内ポケットに紛れていたから気付かなかった。うっかり鞄をそのまま水洗いするところだったのだ。
「なるほど…まあ、今見つかって僥倖じゃったな」
優奈は首を傾げた。
「さっきわしに聞いたじゃろう。室内で火を点けてもよいかと――お前さんの世界では、部屋の中でも気にせず火を点けるんじゃろう?」
その感覚でもし、ラウレイの家でライターをつけていたら、大火事となり大惨事だっただろう。
「確かに…」
ライターを見つけて、軽い気持ちで点くかどうか確かめたかもしれない。
猿博士が笑った。
「勉強の成果が出ておるの」
「成果ですかね?」
「はじめにゆうとったじゃろうが。火を扱うのだから、物の扱いを知らんの危ないと、ジークがな」
百倍ぐらいキツイ言い方だった気がするが、確かにそうかもしれない。
「学ぶということは武器じゃぞ。身を守ることもある――確かに多くのことはつながらんし、学んだ時にはまぁ詰まらんもんじゃ。じゃがな、実入りのよい仕事というのは必ずどこかに危険が潜んでおる。そういう仕事を任せられるものというのは、結局のところ多くを学んだ者なんじゃよ」
鳥の翼、肉食獣の牙や爪、強靭な肉体など、生まれつきの性質で危険をねじ伏せる場合ももちろんある。だが、社会の中では危険とは必ずしも物理的な話ばかりではない。商売だって悪意のあるものに騙されたりなどの危険があるわけで、知識がそれを防ぐ場合もある。
身体が小さくとも、学んでおくことで、得る信頼と言うのはあるのである。
優奈はこっくりと頷いた。
「さて、わしは仕事をせにゃならん。レオと帰るんじゃぞ」
「はぁい。じゃあ、使うとき、言ってくださいね」
そう言って、優奈は猿博士の手からライターを取り上げ、バッグのポケットにしまい込んだ。
あまり遅くなるとラウレイが心配するだろう。
「お邪魔しました」
優奈はできることがなくなったと、諦めて踵を返した。
再び優奈は火の側を通り、レオはぐるりと迂回して研究所の敷地の出入り口で合流する。優奈が指先に火があっても動じていないところをみたことで、鳥人間の若者たちは何も言わずに優奈たちを通してくれた。
* * *
町の外で、怪我人の運び出しと、壊れた導火線から木材を拾い集める作業は急ピッチで進んでいた。
導火線の修復は諦め、あるだけの薪を、町から離れた一か所に積み上げていく。
町の側に小さなたき火を起こし、そこから松明に点火して数キロの道を歩く。もしかしたら、途中で引火、爆発するかもしれない。松明を木材にくべた瞬間に爆発するかもしれない。
しかし、導火線を直す時間はなかった。
幸運にかけて、ジークは火を手に、いつ燃えるともしれない海を歩く覚悟をしていた。
嫌な予感がする。
町の周辺の雲の動きを確認しに飛んだ団員が一人、帰ってこないのだ。
(これは、嵐の前の静けさだ…)
ジークは心の内で呟き、立ち上がった。
無駄足かもしれないが、保険はかけておきたい。
警察署長である犬の獣人、ジョンに繋ぎをつけようと、ジークは光通信機に手を伸ばした。




