女子高生を救出せよ
「署長さん…」
服を着替え直し、店の玄関に向かう廊下で立っていたのは、相変わらず青いシャツと紺のベストの犬のお巡りさんだった。
ジョンはじろり、とアイリスとエドワードを睨んだ。
「お二人が優奈をこちらに?」
「私ですわ。優奈とは以前からカフェでお話しする仲ですの。美味しいものはみんなで食べたほうがおいしいでしょう?」
とアイリスは悪びれなかった。
外形的には単にアイリスが優奈を誘って食事をし、そこにアイリスの知り合いが同席しただけなのだ。
「じゃあ優奈、また一緒にご飯でも食べに行きましょう?」
と何事もなかったように、アイリスはエドワードと共に去っていった。
何か言われるだろうかと、優奈はジョンを見上げた。
「まあ、世の中には悪い大人もいるからね…、とりあえずフウリーとレオを安心させてあげなさい」
言われるがままにレストランを出ると、道で赤いチャイナドレスのパンダ――フウリーが仁王立ちしていた。
「出てきた!」
優奈が出てくるなり、突進と言っていいスピードで駆け寄り、うろうろと周りで優奈のことを確認する。
流石にここでタックルかまさないだけの良識はフウリーにもあった。
「大丈夫? 大丈夫? 大丈夫ね?」
なぜレストランに署長やレオ、フウリーが現れたのかはわからなかったが、心配されていたことは分かった。
情けなくて涙が出てくる。
ポロポロ泣き出した優奈に、フウリーがオロオロし始めた。
「え、何、目、痛い?」
獣人世界において感情的に泣く目を持っているものはほとんどいない。
「大丈夫…」
と言うが、涙が止まらない。
「お前たち…ラウレイの家に帰りなさい…」
「ほら、帰るぞ」
オロオロしているフウリーは放置で、レオが優奈の手を引いた。
泣きながら、人影もまばらなゆっくり坂を上がっていく。
空は夕方のような陰りを見せていた。
* * *
話は少し遡る。
そろそろ優奈は、残したい絵を決めただろうか?
光通信の『今日行く』に返信はなかったが、この寒さで出かけているとも思わず、レオとフウリーはラウレイの家を目指した。
すでに異様な寒さの中で、高校は休校を続けている。レオがフウリーに時間を合わせて訪問を決めたのは、フウリーの暴走ぶりを知っているからである。優奈は押しが弱い性格なので、フウリーと二人にするのはちょっと心配である。あと、体格差的にも。
そんなわけで、フウリーとレオはほぼ同じ時間にラウレイの家に来て、優奈が「友達に会う」と出かけていることを知った。
「友達って誰?」
優奈に接触している者は限られる。
ラウレイは、レオの家にでも行ったのかと思っていたそうだ。
嫌な予感がした。
フウリーも同じらしく、ラウレイを無視して優奈の部屋に入り込んだ。
優奈の部屋に置かれた光通信には、知らない場所からのメッセージが入っている。メッセージが重なっていて、優奈はレオやフウリーからの通信を見落としたのだろう。
ともかくも通信室に寄ったはずだと、フウリーが飛び出し、レオが後を追った。
優奈は独特の要望だし、そもそもこの寒さで必要のないものは出歩かなくなっているので、通信室に来たことは容易に突き止められた。
「ここからはあんたが頑張りなさい!」
「他力本願かよ!」
レオは他の獣人に比べて鼻が利く。
犬が警察の職に就くのは、犯人を追いやすいという一面で有利だからというのは確かだ。
優奈の向かった場所が、通信室からほど近い場所のレストランだったこともあって、場所は割れた。
しかし、町でも有名な高級レストランで、ふらりと入るような場所ではない。レオやフウリーのような学生だけの立ち入りも断られるような店である。
(ぜってえ、変なのに引っかかってる…)
レオは頭を抱えながら、近くの交番に飛び込んだ。
交番同士はすべて光通信で繋がっており、簡単なメッセージのやり取りなら可能だ。
そして現場大好き署長の在任が長く、日々日々もっとも使われているメッセージがこちらである。
『署長はどこだ!』
光通信で首尾よく父親を呼び出したレオは、仁王立ちするフウリーの隣で優奈が出てくるのを待った。
優奈よりも先に出てきたのは鳥人間の男女だった。体型も、嘴の形も全然違うからパートナーと言うわけでもないだろう。
フウリーものすごい勢いで二人を睨みつけた。
フウリーは母親似だ。警察署長が動き、娘が仁王立ちとくれば、優奈がラウレイの庇護下にあると理解できるだろう。ラウレイはあれで武闘派であり、グレートマザーの名は伊達ではない。
「なんでよりにもよって鳥!? 優奈この前、クジャクの衣装の話、ドン引きしてたよね!?」
というフウリーの大声はわざとだろう。
優奈はというと、フラフラとレストランから出てくるなり、泣き出した。人目がなくてよかったなぁと思いつつ、優奈の手を引く帰り道。なんであんなのについて行っちゃったの? とは聞けなかった。
ラウレイの家に帰ると、優奈は泣きつかれて眠った。泣いてばかりで何も語らなかった。
ラウレイがさっさと部屋に運んでいく。
「レオくんもお疲れねぇ」
ため息をついたところを、戻ってきたラウレイに見られていた。
「まあ疲れたけど、可哀そうで」
優奈はまだ17である。元の世界では親の庇護を受けていたというから、まだ子供だ。
「博士もなんで、子供なんて狙うかな…」
「狙ったわけではないらしいんだけどねぇ…」
「子供じゃなくても酷いよな」
自分以外、同じ種族がいない世界で暮らせと突然言われて、即座に納得される方が怖い。
「そうねぇ」
「帰してやった方がよくねえ?」
テーブルに頭を載せたレオの言葉に、
「そうねぇ、そう思うわ」
とラウレイも頷いた。
* * *
夢を見ていた。
思考の欠片が集まり、広がって作り出す優奈自身の夢だ。
優奈はハローワークに来ていた。
壁一面に貼ってある求人票を一枚一枚見ていく。
猿やウサギやネズミの獣人たちが優奈の近くにある求人票を見てははぎ取っていく。優奈が応募できる求人票は一枚もない。大学も卒業していない、高校も卒業していない、家事さえできない。どんどんと求人票は減っていき、壁には何もなくなってしまう。
否、一枚だけ残った求人票がある。条件不問のそれは光り輝いて見えた。
ただ、労働時間は制限なし、報酬は気まぐれ、雇用主の機嫌を一日でも損ねたら解雇になります。と書いてあった。
こんなひどい条件があるだろうかと優奈は求人票を持ったまま立ち尽くす。
その背後から囁く声があった。
「優奈ちゃん、ちょっと常識が足りないのよね。あれじゃね、大学は無理。試験で落ちちゃうわ。学歴もない、家事さえできないおサルさんを雇ってくれるところがあるかな? このままだと、生きていくにも困っちゃうよ? これはね、優奈ちゃんのためを思って言ってるの。優奈ちゃん可愛いんだから、今結婚しちゃった方がいいよって」
可愛い?
顔を上げた時には目の前の壁は、自宅の洗面所に変わっていた。
ラウレイの家のことではない。日本の家のそれだ。獣人の世界にはない、大きな鏡が壁にかかっている。そこには自撮りのために精一杯の化粧をし、制服を着こんだ優奈の姿が映っていた。角度を変えて見せようと、四苦八苦する。しかし、優奈の取った写真がバズることはなかった。
平々凡々。どこにでもいる女子高生。
優奈の後ろから誰かが囁く。
「戻ったら、生きていくにも困っちゃうよ? あっちでは男の人に見向きもされないでしょう?。こっちなら優奈ちゃん可愛いんだから、今結婚しちゃった方がいいよ」
涙を流しながら眠っていた。
目をこすりながら起きて、優奈は周りを見回した。早朝のような薄暗さのある、ラウレイの家の客間だ。
優奈はのそのそと起き上がると、カバンの中にスマホを取り出し、電源を入れようとして手を止めた。真っ黒な画面をみてぼんやりと思い出す。可愛いと思われたいと思って投稿した写真に可愛いというコメントが付くことが生きがいだった。可愛いコスメや小物を追い求めて、それがあればもっと可愛くなるのにと思った。
今、その慰めがあったところに何になるだろう。
今、優奈は獣人の世界で可愛いという評価を得ている。たぶん、そのおかげで親切にしてもらっていることがたくさんある。
だが、可愛いがすべての問題を解決してくれるわけでもなかった。一人の人としてなど見られていない。飼われる動物のような扱い――努力も勉強量も、それが必要なのだという意識すらなく無為に時間を過ごした結果だった。
恐ろしい。元の世界に戻ったら、飼われる価値すらなくしてしまう。
優奈はスマホを抱きしめたまま、涙を流した。




