第七話 次元の渇望
1
「王都でお買い物してたらばったり会ったのよ。連れてきたらきっとイドも喜ぶと思って」
無邪気な調子でフィオナが言った。
「でもイドはあまり嬉しくないみたい」
クロエに言われて「いや、そんなことない。嬉しいよ」と俺は答えた。どうやら顔に出てたらしい。
「それより、バルタザルのところに戻ったんじゃなかったのか?」
「知ってるでしょう?バルタザルがミカエルのことをどんなに寵愛してたか。あいつから見れば私とあんたがミカエルを殺したようなもんだもん、居づらくてね。あのまま王都に残って住み込みで雇ってくれる仕事をしてたの」
更に驚いたのはサリバンの言葉だった。
「クロエにはここで暮らしてもらおうと思っている。隠れ家にはイドも増えたことだし、いまのままだとフィオナの家事の負担が大きすぎる。身の回りの世話はクロエに頼んで、フィオナにはアルカナ様のケアに集中にしてもらいたい」
「なにより同年代で同性の話し相手がいるのが嬉しいわ。これからよろしくね、クロエ」
「よろしくお願いします。イドも」
そう言ってクロエは俺に笑いかけた。
こうして奇妙な四人での生活が始まった。
クロエがなにを企んでいるかはわからないが、到着初日から甲斐甲斐しくアルカナやフィオナに接していた。使用人としてバルタザルの屋敷に勤めていた経験があるから初日からテキパキと家事をこなし、家事に関する主導権はすっかりフィオナからクロエへと移っていった。
フィオナの主な役割は、アルカナのケアだと言ったが、これには理由があった。アルカナは見た目よりもずっと高齢で、年齢は100歳を超えている。普通ならとっくに足腰にガタが来ていておかしくないのにしっかりしているのはフィオナの『生命の源泉』のおかげらしい。
一日に一度、フィオナがアルカナに能力を注ぎ込むことでアルカナの老化を食い止めているらしい。この延命処置のおかけで彼は生きながらえている。もしフィオナが数日間アルカナに接触できない場合にはおそらくアルカナは老衰によって死んでしまうだろう。
アルカナは全ての転生者の始祖だ。彼が死ねば転生自体ができなくなる。その状況を知ってか知らずか、クロエはアルカナに対して丁重に接した。
「ご加減はいかがですか?」
「暑かったり寒かったりしませんか?」
「お部屋を換気しますね」
クロエのアルカナに対する態度は丁寧で優しく、転生してきたばかりの頃を思い出させた。
もとが世話好きな性分なのか、それともこっちは演技で、実際のクロエは転生者を憎み、場合によってはミカエルのような善人をも殺す冷酷な女なのか、俺には判断がつきかねた。
クロエに真意を尋ねようにも、アルカナの世話と家事をするか、それ以外の時間はほとんどずっとフィオナにべったりつきっきりだ。
フィオナがいる席でまさか「お前がミカエルを殺したのか?」と聞けるはずもない。この話題を差し向けるチャンスをうかがっていたのだが、チャンスは案外早く現れた。
2
「そろそろほとぼりも冷めたころだろう」
王都から隠れ家に来たサリバンは、俺に向かってそう言った。
「イドには王立魔導連隊でのポストを用意した。私の専属のアシスタントだ」
それに喜んだのはフィオナとクロエだった。待遇を聞いてみたら、たしかに悪くない。王都の一等地に部屋を持つこともできる。
「ただし、しばらくはこの隠れ家にいて欲しい。様子を見ながら少しずつ王都での時間を増やしていく」
それを聞いてほっとしたのは俺の方だ。フィオナとの穏やかな生活は俺にとって癒しになっている。できるだけ長くこの生活を続けたかった。
食材の買い出しをしたい、というクロエも伴って、サリバンは俺を王都に連れていった。王立魔導連隊の手続きがあるからだ。
手続き自体はすぐに終わってしまった。書類のいくつかにサインをし、別室に連れて行かれて採寸され、後日王立魔導連隊のローブが仕立てられることになった。
夕方、食材の買い出しを終えたクロエと宿屋で合流した。サリバンの用意した宿屋は以前に宿泊したところとは比較にならないほど豪華だった。
聞けば王都で一番の宿屋なのだと言う。
三人で食べた夕飯も贅を尽くしたもので、サリバンはしきりに王立魔導連隊への入隊を喜び、クロエも我がことのようにそれを祝福した。
その夜、サリバンは王都での自分の家に戻った。
朝はクロエと二人きりで宿屋の朝食を食べるチャンスがあった。この日は完全にフリーで、王都で一泊して、明日の朝にまたサリバンが俺たちを隠れ家に連れ帰る予定だった。
「イドもとうとう王立魔導連隊ね」とクロエは嬉しそうに言った。
「ああ」と俺は答えたが、頭の中ではミカエルのことについてどう切り出したらいいか考えあぐねていた。
ずっと尋ねたかったことだが、いざそのチャンスが来るとどうやって切り出したらいいのか分からなかった。
「なぁ、もう転生者に対する憎しみはないのか?」
俺がそう聞くと、クロエの表情がこわばった。
なんと返ってくるのかと思ったが、どうやらクロエは俺ではなく別のテーブルを見ているようだった。
3
彼女の視線の先には奇妙な三人連れの男がいた。二人は食堂であるにもかかわらず帯刀しており、身分も高そうだったが、もう一人の男はボロボロの格好をしていた。
ボロを着た男の前には朝食の皿がうず高く積まれている。ベーコンや卵焼き、焼き立てのパンに煮た豆。それを「美味しい、美味しい」と言いながらボロを着た男が凄い勢いで食べていく。
たしかにこの宿屋の料理は美味かったが、男の様子には何か鬼気迫るものがあった。両脇に座る帯刀した男たちはボロを着た男に話しかけるでもなく、じっと無表情で彼の様子を見ていた。
「こんな旨い食べ物を腹一杯食えるなんて」
ボロを着た男がそう言うと、クロエは耐えかねたように黙って立ち上がり、その男の前に行った。
「ねえ、幸せ?」
ボロを着た男はクロエの言葉に驚いたようだったが、絞り出すような声で、「ああ」といった。
「幸せだよ。俺はここの食事を一度でいいから3食腹一杯食べてみたかった。領主様のお陰でその夢が叶ったんだ。だから幸せでないはずがない」
「転生もそうなの?」
ボロを着た男の表情が変わった。満面の笑みが失せ暗くなった。両脇にいた二人の剣士がギロリとクロエを睨んだが、クロエは怯まなかった。
「あんた、名前は?」
「サム」
「サム。親兄弟はいる?恋人や奥さん、家族はどう?あんた本当は生きていたいんじゃないの?」
「おい、女」
剣を持った男が立っていた。
「死にたくなかったら失せろ」
サムは俯き、小さく震えていた。泣いているようにも見える。脅されたクロエは慌てる様子もなく悠然とその場を立ち去った。
サムはしばらくしてまたパンに手を伸ばし、もそもそとそれを食べ始めた。
転生者をこの世界に呼び込むためには犠牲が必要になる。その犠牲は大抵がサムのような若くて無知で身分の低い者だ。
クロエは涼しい顔で俺の前の席に戻った。俺は絶句して何も言うことが出来なかった。
「転生者を憎んでないか?って聞いたわね」
クロエはコーヒーを飲みながら言った。それから俺を睨んだ。
「心の底から憎んでいるわ。転生というシステムそのものを。そしてそれを変えようとしない奴らにも。サムってやつとは初めて会ったけど、あいつが今までどんな生活をしてきたかは分かる。この世界で何の地位もなく生まれてきたというのがどんなに過酷か、あんたにはわからないでしょうね。あのお嬢さんにも。
私たちは一杯のスープを巡って争うの。少しでも金を持っていそうな人間だと思ったらどうにかして奪おうとする。私の住んでた村では新しい靴を履いていた、という理由だけで旅人が殺されたこともある。農民は領主への年貢を納めたらギリギリの食糧しか残らない。
あんたたちにそんな世界が想像できる?」
俺は黙って首を振った。
「だからミカエルを殺したのか?」
「ミカエルを?」
クロエは驚いた顔をしたが、やがてクスクスと笑い始めた。
「あんたの能力は実際、あんたが自分で思っている以上にこの世界にとって重要よ」
「どういう意味だ?」
「『明けの明星』が手に入った。王立魔導連隊に入隊できた。そうでしょう?私たちの計画は順調に進んでいる」
クロエは立ち上がった。
「少し用事ができたから外すわ」
「どこへ?」
まだ店もやっていない時間だった。
クロエはこちらをちらりと見るが、肩をすくめるだけで何も答えなかった。
4
クロエはその日そのまま姿を見せなかった。
王都の夜は眠らない。煌々と街の灯りが光るなか、俺は一人王都の繁華街を歩いていた。
適当なパブに入ってビールを飲んだ。出入りするやつらはみんな労働者だった。パブで喧嘩するやつ、ドラッグを売ろうとするやつ、葉っぱを吸ってラリってるやつ。色々なやつが王都にはいた。
クロエが今どこで何をしているのか、俺にはわからない。あの使用人のサムについても同じことだ。今はもう転生者を呼び込む儀式のために死んでしまっただろうか。
世界は不公平だ。俺のような転生者があっという間にスターダムを駆け上がる一方で、地底の底みたいなこんなパブで一生管を巻いて終わる連中もいる。
それに、あのサム。
あいつの人生はいったいなんだったというのだろう。領主の出世のために犠牲になるなんてふざけてる。
一向に酔いは回ってこなかった。これも『獅子身中の虫』の力なのか?酔っ払ってしまうのを諦めて、俺は宿屋に帰ることにした。途中で何か騒ぎが起きているようだった。何人かの兵士とすれ違ったが、それも俺の知ったことではない。
裏路地を回って近道していると、
「おや」
と言う声がして、黒いローブ姿の人間がいた。特徴的なその仮面と、中性的な声には聞き覚えがある。
「これはずいぶんと奇遇なところで会った」
「シャドウ」
驚いて顔を上げてみると、シャドウは黒いローブを着たもう一人の人物と連れ立って歩いていた。
もしかしてクロエか?と思ったが、クロエにしてはだいぶ体格が大柄だ。
よく目を凝らしてその顔を見てみると、見覚えのある男だった。
「サム?」
俺が呟くと、サムはサッと顔を手で隠した。
「これはこれは。知り合いかね。それは異なることだ」
シャドウは実に面白そうに言った。
「では、彼の境遇も知っているね」
「何を企んでる?お前の狙いは転生者じゃないのか?」
「リィンカーネーションは転生者も誘拐するが、本来の目的は違う。転生で不幸になる人間を解放すること。さて、血の転生者」
シャドウが俺に向かって手をかざした。
俺は反射的に持っていた剣の柄に手をやった。
「君には二つの選択肢がある。どちらを選ぶか、選択は君次第だ」
俺は黙ったままシャドウが何を言い出すのか待った。
「一つは、ここで我々と事を構えること。今や君はあの『明けの明星』すら手に入れた」
「どうしてそれを」
俺が驚いて尋ねるが、シャドウはそれを無視して続けた。
「『獅子身中の虫』や『鋼の意志』と組み合わせて戦われたら、多分サムを連れて行くのは無理だ。私はサムを置いて逃げることになるだろう。その場合、サムは予定通り転生で死ぬことになる。
だが、血の転生者。君がもし我々を見咎めず、そのまま通してくれるならこの哀れなサムは生命を落とすことはないだろう」
俺は剣の柄を握りしめたまま、シャドウを睨み、ついで怯え切ったサムの表情を見た。
「血の転生者」とシャドウはまるで嘲笑うように言った。「聞こえるか?サムを追う兵士が迫ってきている。君に残された選択の猶予は少しずつ減っている」
「お願いです。俺にはまだ小さい妹と弟がいるんです。両親はいない。俺が生き残らなくちゃ露頭に迷っちまう」
俺はサムの表情を見た。
その怯えた表情を見ていると俺はどうしても剣を抜くことができなかった。
「通れ」
俺は柄から手を離して二人に背を向けた。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
サムの感謝の声が背中に浴びせられる。
路地を少し歩いたところで、シャドウが振り向いた。
「血の転生者。君の甘さはいずれ大きな代償を払うことになるだろう。君は選ばなくてはならない。我々の側につくか、それともこの世界の秩序を継続するための礎になるか」
シャドウは芝居かかった仕草でお辞儀をして「君が決心してくれるならば、我々リィンカーネーションはいつでも君を歓迎する」と言ってサムを伴って路地裏の奥の闇の中に消えていった。