第四話 生命の源泉
1
「獅子身中の虫」
バルタザルは机の上で頬杖をつきながら眉根を寄せた。パックとパドメが死んでからひと月ほど経った後のことだ。
「はい、この目で見ました。イドが水を毒薬に変えるのを。あれはすごい毒です。ネズミで試してみましたが、ほんの一滴舐めさせるだけですぐに血を吐いて死にます。水差しのなかの水を毒に変えることもできるし、皿の上の料理を毒に変えることもできます」
「それが今わかったと」
興奮して話すクロエとは対照的に、バルタザルはあまり面白くなさそうにそれを聞いていた。
バルタザルは50歳前後の痩せ型で背が高く、黒い髪に鉤鼻の男だ。宿命的に陰鬱な表情をしていて、彫りの深いその顔立ちがその影をより濃いものにしていた。
子爵という地位を考えれば縁談も少なくない数あっただろうし、今でもその気になれば家庭を持つことだってできるのだろうが、どういうわけかこの男にはそのつもりがないらしい。
男色というのではないが、女嫌いの気があるように思う。現に今、クロエを見る目にうっすらと軽蔑の色が浮かんでいる。あるいは、身分の低い者に対しては全員にこのような視線を与えるのかもしれない。
「どういうわけか、テストにはひっかからなかったようですが、でも能力は本物です。ご覧になられますか?」
「ここでネズミを殺すと言うのかね?」
「お望みであればもっと大きな動物。犬や、猫でも」
「よしてくれ」とバルタザルは手を払うようにして嫌悪感を表現した。
「いいだろう。疑ってはいない。お前の言うことを信じよう。しかし、毒か。名誉のある能力とは言えない」
本人を目の前にずけずけ言う、と思ったが、俺は黙っていた。バルタザルは本来クロエや俺が気安く話しかけられる相手じゃない。この面談も、何日も前から約束してようやく朝の15分間だけもらったものなのだ。
どうしても面と向かって直訴したい、というクロエの言い分に執事が折れた形だ。クロエにはどうやらバルタザルを説得する自信があるようだったから、俺は全てをクロエに任せようと思っていた。
「そこなのです。騎士団が名誉を大事にするのは存じています。団にあってはイドのこの能力も持ち腐れでしょうし、そのような騎士らしからぬ能力の者がいては名折れにもなりかねません。しかし、王都ではどうでしょうか?権謀術数のはびこる王都ならイドの能力、喉から手が出る程欲しがる者もあるでしょう」
「ほう」という表情でバルタザルがクロエに視線を向けた。
「イドは無から毒薬を作り出すことができます。あらゆる身体検査を受けて、そのあとでも毒薬を相手に盛ることができるのです。もちろん正々堂々とした戦いではありませんから、旦那様がお嫌いになるのもわかります。しかし、お互いにとってこれは良い機会です。王都での審査に受かれば旦那様にとってもイドにとってもしあわせなことです。旦那様はイドを遠ざけ、王都から褒賞を、イドはその能力を活かすことができます」
「そのために路銀と馬車を貸せと言うわけか」
バルタザルが座ったままじっと黙り込んだ。
2
バルタザルは最後には折れて俺とクロエを王都に出すことを許してくれた。どちらかと言えば俺を厄介払いできる、という方に魅力を感じたのかも知れないが、それはよく分からない。
王都では毎月転生者が集められる。各領内から領主の推薦状を持ってやってくるわけだ。クロエが受け付けでバルタザルが書いた推薦状を見せると、俺たちは城門から入ることができた。
王の住む城は丘の上に建っており、石畳の螺旋状の道を進むと、城の前に広場がある。そこではさまざまな領地からやってきた転生者たちがいた。
「これが全部転生者?」と俺が呟くと、クロエは「そうみたい」と応じた。考えてみればクロエは一介の使用人に過ぎない。王都には何度か来たことがあったようだが、実際に城の前まで来るのは初めてなのだろう。
「転生は殆どの領主が領内で行うからな。通常は戦に勝ってその褒美として領地が増えるが、転生者を王都に送るだけで領地や爵位をもらえるとあれば、熱中するのもうなづける。戦争となれば多くの民が死ぬし、金もかかる」
ミカエルが落ち着いた調子で言った。
信じられないことだが、あれほどクロエと俺を王都に送るのを渋ったバルタザルが、「王都に用事がある」というミカエルはすんなり俺たちと同じ馬車に乗るのを許した。クロエに言わせれば、ミカエルはバルタザルのお気に入りで、いつも特別扱いなのだそうだ。
「転生は安上がりってことですわね」
と冷たい調子でクロエが言うと、ミカエルは少しトーンダウンして、「ああ、そうだな」とだけ答えた。
どういう経緯なのかは分からないが、クロエは転生によって弟のエリオットを失っている。この話題が少しセンシティブだと気がついたのか、ミカエルはその後何も言わなかった。
「毒を作る能力、ね」
番号が呼ばれ、俺が前に出ると、審査官は面白くもなさそうに言った。
城の前にテーブルが2つ並べられ、審査官が3人そこに座って転生者の能力を審査する。転生者の数が多いからか、同時に二人の転生者の能力を審査するようだった。
「そうです、なんでも毒に変えることが出来ます。例えば、そのコップ。貸してくれませんか」
俺が審査員のコップを指さした。
「そのコップの水を毒に変えて、この瓶の中の蜘蛛を殺すところをご覧に入れます」
審査員は怪訝な顔をしたが、渋々コップを俺に渡した。俺は『獅子身中の虫』の力でコップの中の水を毒薬に変え、持参した蜘蛛入りの瓶の中に数滴垂らした。
審査員の前にその瓶を置くと、彼らは顔を突き合わせてことの成り行きを待った。蜘蛛は毒を舐め、やがてひっくり返って動かなくなった。
全て事前のクロエとの打ち合わせ通りだ。
クロエはその様子を後ろから保護者のように固唾を呑んで見守っている。
「死んだ」
「死んだな」
と審査員が無感動な調子で言った。
「どうでしょうか」
俺が3人の審査員に向かって言うと、突然「なんだ、ありゃ」と近くにいた誰かが口を開けて空を見上げているのがわかった。雲一つなかった青空に、暗雲が急速に集まっている。
見ると、隣の女が暗雲をあつめているのだった。
「今から私の力をお見せします。そうですね、その岩がよろしいでしょう。一瞬ですからお見逃しなく」
サービス精神旺盛なその女は、天高くあげた指をその岩に向かって打ち下ろした。その刹那、暗雲から稲妻がその岩に向かって落ちる。
『裁きの雷』
それが女の能力だった。稲妻は岩の上に落ち、岩は破片となって粉々に砕けた。
周りからはどよめきと悲鳴が上がる。威力が大きすぎて岩の欠片がそこらじゅうに飛散したからだ。
岩の近くにいた俺にもその欠片が飛んできた。
『鋼の意志』
俺は意識を集中してその岩を全て体で受けた。結構な大きさの岩もあったので、隣で審査を受けていた女は「ごめんなさい!」と俺の方を見て謝った。
「向こうみずなのが悪い癖で。怪我はないですか?」
女がそう言うので、俺は手をあげて大丈夫だ、とアピールした。
3
「天候を操る能力に、無生物を生物に変える能力。王都の魔法使いは無理だったな。相手が悪かった」
ミカエルはカラッとした調子で言った。
「他の能力と比べるとな。毒を生み出すだけじゃ、やっぱりダメか」
「気にすることはないぞ、イド。矢尻に塗れば殺傷力が高まるし、騎士団では重宝する。それにお前は毒が効かないんだろう。少なくとも毒殺はされないってことだ」
自分の毒では死ぬけどな。と返そうとして、やはりそれは言わないでおいた。どうしてそれを知っているのか、と聞かれれば、答えることができないからだ。
城からの帰り道、城下町をぶらぶらと歩きながら3人で宿に帰った。クロエは城から帰る道すがら無言だった。
城下町は初めてだ。石畳の道に連なって様々な店が軒を連ねる。洒落たレストラン、土産物屋、酒屋、高級な食材店。パンやケーキを売る店。
どことなく往来を通る人たちもバルタザルの領内で見る人たちよりも裕福そうだ。しかし、一本路地を外れると道は荒れており、浮浪者が道に座り込んでいる。
滅多に来れるところじゃないからつぶさに観察していた。ふと角を曲がったところに人だかりがあるのが見えた。
「なんだ。あれ」と俺が言うと、「行ってみるか」とミカエルが応じた。
人だかりの中心にいたのは若い女だった。みんなは彼女を「フィオナ様」としきりに呼んでいる。
長い金髪に、透き通るように白い肌、ほっそりとした体躯に質素な白いローブを羽織っているが、その美しい顔立ちと立居振る舞いからはどこか高貴さがうかがえた。どこかの王女がお忍びで来てるのか?ミカエルの方を見るが、フィオナのことは知らないらしく、俺と目が合うと小さく肩をすくめてみせた。
フィオナの能力は目を見張るものがあった。人だかりかと思われていたものは行列であり、行列に並んでいるのは老人や怪我人ばかりだった。服装は裕福そうなものもいるが、大抵はボロボロの服を着ている。
右手に添え木をした少年が母親に連れられてくる。フィオナは少年の右手に両方の手の平をかざした。すると、淡く優しい光が手の平から溢れた。
『生命の源泉』
フィオナの能力の名前は後から知ったことだ。この能力のお陰で人の傷を治癒することができる。
少年は右手が動くのを確認しながら歓声をあげた。
「お医者様はもう右手は動かないとおっしゃったのに」
少年の母親がフィオナに何度も何度も頭を下げて礼を言い、フィオナは幸福そうな表情でうなづいた。
「わたくしはわたくしに出来ることをしただけです。どうぞ、お元気で」
どうやらこの行列はフィオナに治療してもらいたいところがある人たちが並んでいるらしい。彼女はどこが悪いのか聞きその箇所に手を当て、治療していった。その上、彼女が患者からなんの報酬ももらっていないのにも気がついた。
「聖女だ」俺は呆然と呟いた。
「ああいうのが王都の魔法使いなんだろうな」とミカエルも感心した様子でつぶやいた。
クロエもその様子は見ていたが、何も言わなかった。その表情も暗い。
「ま、もう暗くなるし、宿に戻るか」とミカエルが行こうとしたとき、俺は「待て」と言った。
「見間違いかも知れないがさっきシャドウを見た」
4
それを聞いてミカエルの表情も変わった。
「どこだ」
「あの欄干の上、あそこで誰かと話してた」
建物と建物をつなぐ陸橋の欄干に黒いローブを着た男が何人かいた。彼らの視線の先にはフィオナがいる。
ミカエルは目を細め、剣の柄に手をやった。
「いけない、もう帰らないとサリバンに怒られてしまうわ」
そう言ってフィオナが帰り支度を始めると、見物人たちは少しずついなくなっていく。
夕日が王都の城下町を染め上げていた。あと少ししたら夜がやってくる。
「フィオナ様、後生ですからこの病を見てください。倅と私は王都に三日かけてきたのです」
見物人たちが少なくなったあと、黒いローブを着た老婆と同じく黒いロープに包まれた少年がフィオナの前に現れた。
フィオナは少し戸惑った表情を浮かべたが、「ええ、もちろん」と二人の前にひざまづいた。
「どこが痛むのですか?わたくしにお見せください」
「倅は腹が痛いと言っています」
反射的に俺とミカエルは目配せをしあった。
フィオナが少年の腹に手をかざそうとすると素早い動作で少年がフィオナの手を掴み、老婆がフィオナの手に注射針を差し込もうとした。
『鋼の意志』で手を硬化させ、老婆の注射針からフィオナの手を庇った。針は通らず、根本から折れる。
老婆の背後に回っていたミカエルが、老婆の手を取り、後ろにひねった。
「最近のご婦人は物騒なものをお持ちだ」
驚いたフィオナは少年の手を振り解こうとするが、すごい力で振り解けない。
俺はナイフを少年の手に突き立てようとすると、少年は素早く手をローブの中に戻した。
フィオナが立ち上がり、後退りする。俺は彼女を庇って一緒に後ろに退いた。
「リィンカーネーション。ついに捕まえたぞ。もうお前たちは袋の鼠だ」
ミカエルが老婆に言った。
「どちらが、袋の鼠かな」
老婆は腕をミカエルに拘束されているにもかかわらず、余裕のある口調で言った。
気がつくと路地裏には黒いローブを着た人影が殺到して出口を塞いでいた。