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第三話 獅子身中の虫

1

葡萄畑をクロエと、まだ年若い少年が連れ立って歩いている。少年の名前はパック。領内に現れたばかりの新しい転生者だ。


「あれは何をしているのですか?」とパックが聞くと、クロエは「あれは剪定しているのです。枝が伸びすぎてしまうのを防いで葡萄の果実に栄養が行くようにしているのですよ。この土地のすべてがバルタザル様の領地です」

「ではこの土地のすべての木を剪定するのですか?とても大変だ」

クロエはふふ、と笑って「それが彼らの仕事ですから」と返した。


パックは10代後半くらいだそうだが、小柄で華奢な体躯も手伝ってさらに若く見える。亜麻色の髪に同じ色の目をしていて、クロエと話しながらよく笑う。クロエのほうもパックと話し込みながら優しげに笑った。


騎士団員の興味は主にパックがどのような能力をもって転生されてきたか、ということに尽きる。まだテストを受けていないので彼がどんな能力を持っているかはわからないが、転生者は能力に合わせて処遇が決まる。


戦闘向けであれば騎士団に入隊し、そうでなければロックのように領内の警備にあたる。ただし、能力が極めて優秀だった場合、領主のバルタザルは王都に彼を送ることもできる。

領主はその褒美として新しい領地と爵位を王から賜り、転生者本人も王都の警備という名目のもと豪華な暮らし向きができる。


騎士団にとってはロックの能力がどんなものか、というのが一番の関心ごとだったが、使用人たちの間では別の関心ごとがあるらしい。


どことなくあの男は死んだ使用人のエリオットを彷彿とさせるのだそうだ。エリオットというのはクロエの弟で、クロエとエリオットはとても仲が良かった。二人が葡萄畑を歩いていると、使用人たちはまるでかつての姉弟が蘇ったようだ、というのだ。


たしかによくよく観察しているとクロエは甲斐甲斐しくパックの世話をしているように見えるが、それが本当に特別な感情から来ているのか、それとも単に職務上の義務感からそうしているのか、俺には判断がつきかねた。


「随分熱心に警護してるな、イド」

ミカエルが俺のそばに来ているのに全く気が付かなかった。葡萄畑で遠くから二人を双眼鏡で眺めていたのだが、まさか自分の方が誰かに見られているとは思わなかった。

「いや、ほら。バルタザル様がパックを警護するようにと言われたわけだし」

「うむ。わたしはイドの熱意に感心してるよ。それで、怪しげな奴は見つかったかい?」

「いや、見かけないな」

パドメという使用人の女がパックを見ているのには気がついたが、あれはただの使用人の女だ。

「そうか。熱心に警護するのはいいけど、あまり飛ばしすぎないほうがいい。奴らが動くのは日が落ちてからだろうから」

「詳しいな」

「『リィンカーネーション』には多少縁があってね。イド、君も重々注意したほうがいい」

「奴らは無能力の俺なんか拐ったりしないさ」

「いや、どうかな?君は本当に能力がないのか?」

ミカエルにまっすぐ見つめられて、俺はドキッとした。こいつ、もしかして俺の能力に気がついている?

「私の場合は剣を持った時に、頭の中で声がした。今でも覚えてるよ。「暁の光が汝の敵を焼き尽くす。汝、明けの明星、己の信念のために剣をふるえ」と。

転生する前も剣士だったんだ。私は剣のことしか分からない。だからこの能力で助かったよ」

そう言ってミカエルは笑った。

「イドもきっと自分の能力がわかる日が来る。リィンカーネーションの奴らの言うことも分からなくは無いけど、私はシンプルなのがいい。バルタザル様は心根のいい方だ。お仕えできて私は幸せだよ」

ミカエルは俺の肩をぽんぽん、と叩いて笑った。


2

リィンカーネーションの活動が活発化している。

バルタザルはミカエルと俺を呼び出して言った。彼らからパックを守るように、とバルタザルはミカエルと俺に命じたのだった。


バルタザルの書斎から出た後、ミカエルがリィンカーネーションについて教えてくれた。彼らの理念は転生者の解放。特に転生して間もない転生者を攫い、自軍に取り入れる。転生者が誰からも利用されない世界を作るというのが彼らの理念だ。


「私たち転生者は恨みを買いやすい。いや、むしろ転生したその瞬間から誰かの恨みを買っている」

ミカエルは俺の方を見て、それから続けた。

「イド、君も知っていると思うが、私たちはこの世界の誰かの生命を犠牲にして転生してきた。残念なことだが、これは決然たる事実だ」


転生の儀。それを見たことはないが、話なら断片的に聞いたことがあった。使用人は誰も話したがらないし、当然バルタザルと直接話す機会もほとんどない。


「転生のために必要なのは血だ。それも致死量の血。それをタペストリーに吸わせて行う。全てを取り仕切るのが執事だ。建前では犠牲になる人間はすべて納得の元で犠牲になると言われているが、実際のところはどうなのかわからない。

今回の転生でパックがこの世界に来たが、その代わりにウィルという使用人が犠牲になった。彼には身寄りがないそうだが、それでも使用人たちは思うところがあるだろう」


俺はパドメという使用人がパックを見る目つきを思い出した。冷たく、暗い目つきだ。それが何を意味するのか、なんとなく想像できる気がした。


3

警護はミカエルと俺の交代で行った。夜の屋敷でみんなが寝静まった後、不審な奴がいないか警備する。


しかし、当たり前だがテレビもスマホもない。時間を潰そうにも潰れてくれないので眠くて眠くて仕方がなかった。


ミカエルが見たら、「だから昼間に根を詰めるな、と言ったのに」ときっと呆れられることだろう。


だが、今思い出してみてもそいつが屋敷に現れた時、どうやって対策したら良かったのかわからない。


「イド、イド」

女の声が俺の名前を呼ぶ。

ぼんやりとした輪郭がやがて焦点を結ぶ。

クロエだ。

どうやら俺は椅子に座ったまま居眠りをしていたらしかった。


交代の時間だろうか?でも、それならどうしてミカエルではなくクロエがここにいる?


「イド、ああ、よかった、死んだのかと思った」


何を言っている?ちょっと居眠りしていただけなのに。


「ほら、だって、ほかのやつらはみんな死んじゃった」


クロエは笑いながら足元を指す。

ロックの血まみれの顔がこちらを見ている。野盗の死体がロックに折り重なるように積まれ、さらにその先にミカエルの死体もあった。

俺は思わず悲鳴をあげようとするが、声にならない。


「これ、みんなあなたのために殺したのよ。イド。あなたを強くするために」


俺は何も言うことができず、クロエの顔を見た。

クロエのそばにパックがぴったりと寄り添っている。


「でも、もうあなたは用済み。だって私にはパックがいるんだもの」


そう言ってクロエは手にナイフを握ってこちらににじり寄ってくる。


殺される。そう思って必死になって椅子から立ち上がろうとするが、体が鉛のように硬くなって動かない。クロエは優しげな笑みを浮かべながらナイフの切先を俺の甲冑の間に差し入れてくる。


鋭い痛みが身体に走る。ああ、俺はここで死ぬのか。絶望感が身体を駆け巡ったとき、

「起きろ、イド!」とミカエルの声がして俺は我にかえった。


「ク、クロエは?」

「クロエ?クロエならパックの寝室だ」

「俺は、クロエに殺されかけて」

「イド、それは幻だ。しっかりしろ。『不穏の影』の能力者が仕掛けてきた幻影だ。奴は厄介だぞ」

「能力者?」

「とにかく行くぞ。シャドウが逃げる」


ミカエルに肩を叩かれ、俺は頭を振った。今のは幻影だったのか。しかし、妙にリアルな幻影だ。そう思いながらミカエルの後を追って行く。


シャドウは屋敷の外、月明かりの下に一人で佇んでいた。

「おや、幻影から目覚めるのが早かったね。ミカエル君のお陰かな」

「シャドウ」とミカエルはその人影に言った。

そいつは全身黒いローブに身を包み、頭まですっぽりと覆われていた。顔には奇妙な形の面をつけており、声は甲高く、男なのか女なのか判別がつかない。


『明けの明星』

問答無用で放たれた閃光がシャドウを襲うが、閃光は僅かにシャドウを掠めるばかりで当たらない。


「おやおや、ミカエル。つれないね。お話しする時間もくれないのかい?」

「うるさい。貴様と話すことはない」

「リィンカーネーションはすべての転生に関わる者達に救済を与えたいと思っている。だから君も例外じゃないのだけどね。君は頑なな心の持ち主だし、君を説得するのは骨が折れそうだ。しかし、イド。君はどうだ?」

「耳を貸すな、イド!」

『明けの明星』がシャドウに向かって放たれるが、シャドウには当たらない。ミカエルの能力はシャドウの能力と相性が悪いのだ。シャドウの能力『不穏の影』は相手に幻影を見せる。シャドウにかかればミカエルは自分の影を追う子犬に過ぎなかった。

「この世界に好き好んで生まれてきたわけでもないのにお前を利用しようとする者たちがいる。彼らに対して怒りは沸かないか?領主バルタザルはどうだ?お前はあの男に忠誠が誓えるか?生命を掛けるに足る人物か?そもそもお前は生命をやつに預けることに同意したか?」

「戯言を」

『明けの明星』の風圧で目が開かない。

気がつくとシャドウは頭上の門の上に立っていた。

「君とは邪魔の入らないところで今度ゆっくりと話したいものだ。パックというあの青年。彼は哀れだが心が弱すぎる」

そう言ってシャドウは背中を向けた。

「ただ、あの女、誰よりも強い心を持っている。強すぎる心というのは危うさと紙一重だ」

最後の台詞はまるで独り言のようだった。それからシャドウは門から飛び降りた。

「待て、逃げるな、シャドウ!」

ミカエルがシャドウの背中に向けて叫んだ。

「イド、君はパックの様子を見てきてくれ。私はこのままシャドウを追う」


4


「ダメ、無理よ」

パックの寝室の前に立つと、ヒソヒソと話し声が聞こえてきた。

「私にはできない」

パックの寝室の窓から月明かりがさしている。ナイフを手にパドメが立っていた。そのそばにいるのはクロエだ。クロエはパドメの近くまで行き、そっと彼女の肩を抱いた。


「ウィルのことを忘れたの?あなた達、あんなに愛し合っていたじゃない。今日を逃したらこんなチャンス二度と現れない。バルタザル様にはリィンカーネーションがパックを殺したと報告すればいい。見てごらん、パドメ。子どものようにぐっすり眠っているパックを。あいつは朝まで何がおこっても起きない。今なら殺すのなんて簡単なことよ。喉を掻っ切ればいいの。柔らかい喉笛にナイフを突き立てる。力なんかいらないわ。あなた、鶏を絞めるのだって得意じゃない」

「鶏と人間は違うわ。彼は人間だもの」

「そう、思い出して。ウィルも人間だった」

クロエの顔に表情がなくなり、目は冷たく、暗くなった。

「転生者どもはみんなわたしたちの大切な人を犠牲に転生してきた。ウィルのことを思い出すのよ。ウィルとの思い出は本物だったんじゃないの?あなたたちは一生を添い遂げるつもりだったのでしょう?彼との愛を証明してみせなさい」

クロエの剣幕に押されてパドメはナイフを手にパックの近くまで歩み寄った。そしてナイフを振りかぶったが、すぐに「無理。私には無理だわ」と言った。

「ウィルはもういない。もう死んでしまったの。でもこの子はまだ生きてる。ねぇ、クロエ。あなただってそうじゃない。エリオットはもう死んでしまった。死んでしまった人は帰ってこない」

クロエの目に冷たくどす黒いものが浮かんだ気がした。彼女がパドメになんと返すのか固唾を飲んで待っていると、「その話は本当ですか」という少年の声がした。

パックがベッドから半身を起こしていた。

「起きていたの」

クロエは妙に冷静に言ったが、パドメはひどく動揺してナイフを背中に隠した。


「薬が効かないんです。この世界に来てから。とても不思議でした。でも、これはきっとぼくの能力なのだと思います。頭の中で声がしました。「汝、獅子身中の虫。すべてに仇為す劇薬の王。汝の触れしものは 獅子をも屠る毒となる」

パックはベッドの縁に腰掛け、水差しからコップに水を移した。

「ものを毒に変える能力。クロエさん。あなたに葡萄畑を案内してもらったときに試してみました。朝露を毒に変えて蟻に飲ませたんです。すると蟻はひっくり返って動かなくなりました」

「獅子身中の虫。すごい能力ね」

クロエは冷たく言った。

「でも、人には言いませんでした。言ってしまったら試用期間が終わってしまう。そうしたらあなたと会う機会も減ると思って」

パックはそこで少しだけ黙って、また続けた。

「すべてに仇為す、ということはきっと僕自身の生命も含まれるんでしょうね。ずっとそのことを考えていました」

パックはコップの中の水を見ながら首を傾げた。

「パドメさん」

「ひっ」

呼ばれてパドメは小さく悲鳴を上げた。

「ウィルさんのこと、とても残念に思います。こうすることが償いになるのかどうか、ぼくにはわかりませんが、あなたが安らかな人生を送ることをお祈りします」

そう言ってパックはコップの中の水を一口飲んだ。

「あっ」と言って俺が飛び出したが、パックを止めることはできなかった。

パックは咳き込み、血を吐いて、ほとんど苦しむことなく死んだ。

「血の代償は払われた」

頭の中であの声が聞こえてきた。


しばらくの間は誰も何も言わなかった。やがてパドメが持っていたナイフを床に落とし、力なくその場に泣き崩れた。

俺とクロエはパドメをしばらく眺めていたが「獅子身中の虫」と出し抜けにクロエがつぶやいた。

「あなた、引き継いだのよね?」

「ああ」と俺は何の気なしに同意した。


すると、クロエはパドメの足元にあったナイフ拾い上げ、彼女の肩に手を置いた。

「ねぇ、パドメ」そう言った次の瞬間、まるで鶏の首を切るように無造作にクロエがパドメの首を切った。

鮮血がパックの寝室を血に染める。続いてクロエはパックの死体のそばに寄り、その骸にナイフを突き立てた。


「何をしているんだ」

俺はクロエの背中に向かって尋ねた。

「すごい毒ね。もう死んでいるからなかなか血が出てこない。パドメと争って死んだことにするならもっと血が必要なんだけど」

クロエは微妙に俺の質問の答えになっていない返事を返してきた。その間もパックの死体に向かってナイフを突き立てている。


「まあ、こんなもんかしら」

作業に没頭していたクロエはようやく顔をあげた。その顔は血に染まっている。部屋も、嵐が過ぎ去ったあとのように荒れ果てていた。

「ミカエルが帰ってくるまでに着替えておかないと」

「何をしているんだって、クロエ。教えてくれよ」

俺はパニックになってきいた。

「何って、バカね。教えてあげる。今パックの能力が『獅子身中の虫』だったと知ってるのはあなたと私の二人だけ。この能力はすごい能力よ。だからあなたはバルタザルに、自分の能力は『獅子身中の虫』だ、今わかった、と言うの。そうしたら王都の魔法使いの審査に行けるように私がバルタザルを説得する。うまくいけば王都ですごい能力を引き継げるかも」

「なんでパドメを殺した?」

「なんでって」とクロエはきょとんとした顔で言った。「だってパドメがパックを殺したってことにしないと、『獅子身中の虫』の自家中毒で死んだって説明しないといけなくなるでしょ。そうしたら計画はパーよ」

クロエはこともなげに肩をすくめてみせた。


シャドウの言葉を思い出しながら俺は背中が冷たくなるのを感じた。

「あの女、誰よりも強い心を持っている。強すぎる心というのは危うさと紙一重だ」





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