第二話 鋼の意志
1
「あの大男を、あんなひょろっとしたやつが?」
「噂によればかなりの剣客だとか」
「まさか。今朝の訓練見ただろ?剣の握り方すら出来ちゃいなかった」
訓練明けにバルタザルの手配した昼食を食べていると、近くにいた兵士が露骨に俺の噂をしているのが聞こえてきて居心地が悪かった。
野盗が襲ってきたあの夜、こちら側の死者はロックを含めて5人。野盗側はロックが殺した3人を含めて5人。俺が野盗のボスらしき大男を仕留めると、クロエを掴んでいた野盗たちは恐れをなして逃げていった。
もともとが金で繋がってた連中だ。忠誠心なんてない。旗色が悪くなればさっさと逃げるのが当たり前の世界なんだろう。ボスを倒せたのはまだ集中力があったからで、残った全員を相手にしてたら正直勝てたかどうかわからない。
剣で野盗を退治した男、というのが俺の評判だが、今の今まで剣なんて握ったことがない。あのときも死に物狂いでようやく勝てただけだ。
騎士団に入隊できて明らかに待遇は上がった。肉や魚の精力のつく飯にありつけるし、訓練が終われば酒も飲める。
一方で一兵卒にすぎない俺は周りのやつらの不躾な態度にうんざりしていた。騎士団というと聞こえはいいが、実際のところ、ほとんどの兵士はバルタザルの領内の若い農民どもだ。力を示さなきゃ舐められるし、そうなればまたあの奴隷のような生活に逆戻りになる。
どうやってふるまうのが正解だろう。ロックのように、俺は転生者でお客様だぞ、と主張すべきか?いや、あれは嫌われるだけだ。
飯を食いながらああでもない、こうでもないと考えていると、「お前」と突然声がして顔を上げた。
すると堂々とした体躯に長い金髪の男が俺のすぐそばに立っていた。白い肌に青い目、整った顔立ち。そして彼の着る甲冑は白地に見事な獅子の紋章があり、他の奴等とはちがって凝った意匠になっている。そいつはまるで絵画の中から出てきたような美しい青年だった。ミカエル。バルタザルの騎士団の団長だ。
「こそこそイドの陰口を言うのはやめろ。それでも騎士団の団員か?ここでは騎士らしく振る舞うんだ」
よく通る声でミカエルがそう言うと、兵士たちは水を打ったように静かになった。
「悪かったな」
ミカエルはそう言いながら俺の隣に自分の昼食の盆を置き、それから座った。
「転生者はなにかと色眼鏡で見られる。私にも覚えがあるよ」
ミカエルもまた転生者だった。クロエの話によれば、バルタザルの領内で一番強力な能力を持つ男。
「いや、あんたが謝ることじゃないさ」
「部下の教育不足は私の責任だ。剣の腕はともかく、騎士らしい振る舞いをするように、といつも教育しているんだが。とにかく私の前ではあんな振る舞いは二度とさせないよ。イド、私は君を歓迎する」
ミカエルはそう言って爽やかに笑った。
騎士らしいふるまい、と言われて俺は少し青ざめた。野盗を退治した後のクロエとの会話を思い出したからだ。
2
「嘘をつきましょう」
野盗が逃げた後、使用人たちで集まって惨状を報告しあった。全員が疲れ果てていて、とにかく今日はもう遅いから日の出を待って、それからこれからのことを決めよう、という話になった。
使用人たちが部屋に戻っていくとき、クロエだけが残って俺のもとに来た。何を言うかと思えば、そう言ったのだ。
俺は疲れていたし、何のことを言っているのかよくわからず、彼女の説明を待った。
「あんたの能力が何なのか、たぶんわかったと思う。頭の中で「血の代償は払われた」って誰かが言ったんでしょう?血の代償ってのはロックのことだと思う」
「だろうな。その後でロックの能力が使えるようになった」
「つまり、あんたの能力は『血の代償』で、きっと仲間の転生者が死亡したときにその転生者の能力を引き継ぐ能力よ」
そうかもしれない。そう考えればはじめはなんの能力もなかったことの説明はつく。
「かもな。でも、嘘をつくってのはどういうことだ?」
「あんたの能力を黙っておくの」
「どうして?」
クロエはぐっと俺のほうに顔を近づけてきた。不覚にも少しドキッとしてしまった。
「いいこと。あんたの能力は転生者が周りで死ぬたびに強くなる。普通に戦って戦死しただけだとしても、戦死者が出るたびにあんたが疑われることになる。転生者が死ねば死ぬほどあんたにはメリットがあるんだからね」
「なるほど。でも、そう簡単に転生者は死なない。今回のはイレギュラーだし。ま、これからも今まで通りの生活をしてりゃバレることなんてないだろ」
「今まで通りの生活?それであんたは満足なの?そんなすごい能力を持って転生してきて」
「どういうことだよ?」
俺が聞き返すと、クロエは真剣な顔で答えた。
「これからあんたとわたしでタッグを組む。まず、領主のバルタザルにはあんたが剣で野盗を倒したって報告するわ。そうしたらきっと褒美として騎士団への入隊が認められるでしょう。騎士団に入隊した以上、団員は任務遂行中や訓練の時に生命の危険もある。たとえば転生者が命を落とすような」
「それってつまり」
クロエはにっこりと邪悪そうな笑みを浮かべた。
「俺も死んじゃうかもしれないってこと?」
「バカ。あんたには『鋼の意志』があるでしょう!あの能力があればそう簡単には死なないわ。死ぬのは周りの転生者。そしてあんたは人知れず少しずつ強くなっていく。最終的には最強の魔法使いになって王都で君臨するのも夢じゃないわ」
「最強の魔法使いか」
悪くない。どうせこの世界で燻っていた俺だ。こいつの口車に乗るのも悪くない。そのときはそう思った。
3
バルタザルの領内に身元不明の武装集団が現れたという報告があって俺たち騎士団は急行することになった。
クロエの言っていた転生者が死ぬような危険がもしかしたらこの任務にあるのかもしれない。
大槍を携えた歩兵として俺は白馬にまたがるミカエルの近くを歩いていた。「狙うならミカエルね」とクロエが言っていたのを思い出す。
ミカエルの能力は『明けの明星』。本来なら王都の魔法使いになっていてもおかしくないほど強力な能力だとクロエは話していた。戦闘に特化した能力で、一人で100人の軍勢を相手にして無傷で殲滅することができるとか。
「そんなやつがどうやって戦死するって言うんだ」と俺が尋ねると、クロエは肩をすくめてみせた。
「敵との戦闘で必要なのは十分な準備。特に武器や防具の手入れは死活問題ね。あいつの戦装束は特注品で、普段は領内の武器庫にあるのよ。
手入れを怠った武具で出陣して戦死する。決して珍しい話じゃないわ」
俺はバルタザルの領内を歩きながらクロエの話を思い出していた。あの甲冑や剣に、何かの細工がされているのだろうか。
一つ妙なことに気がついた。俺以外の騎士団の連中にあまり緊張感がないことだ。これから死ぬかも知れないというのに、まるで日帰りのピクニックにいくみたいな雰囲気なのが気になる。
近くにいたやつに聞いてみると、そいつは意味ありげな笑みを浮かべながら答えた。
「なあに、あんた乱戦になるのが怖いんだろうが、心配ないぞ。うちの騎士団はミカエル様がいるから安泰なのさ」
『明けの明星』がとんでもない能力だとクロエからも聞かされているが、具体的にどんな能力なのかはクロエも知らなかった。俺は団長のミカエルを信じてついていくしかない。
「いました。あいつらです」
伝令がミカエルのそばにきて報告する。数は100人ほどか。森の手前に武装した男たちが列を為して進行していた。馬もいれば荷馬車もある。物資を運びながら歩いていくその列は、どこかで戦争でも始めるみたいに見えた。
「よし、わかった」
ミカエルはそう言って全体の行進を止め、騎士団の先頭に立った。両脇には軍旗を掲げさせた旗持の騎兵を携え、森のそばにいる行列に判るように立たせた。
「聞け!」
よく通る声でミカエルが馬上から叫んだ。とんでもない声量だ。きっと彼らにもその声が届いたのだろう。行列が歩みを止め、こちらに注目しているのがわかった。
「ここがバルタザル子爵の領地と知っての狼藉か!我が名はミカエル。騎士としての礼儀があるならそちらも名乗りをあげろ!」
行列が誰かに統制されているのかは分からないが、ミカエルの言葉を無視して領地を進んでいくのが分かった。
また、森の奥から一本の矢が飛んできてミカエルの馬のすぐそばに落ちた。
「それが返事か、狼藉者め。止まらぬなら我が『明けの明星』の威力、身を持って知るがいい」
ミカエルはそう言うと鞘から剣を抜き、馬を数歩ほど歩かせて90度回ると、高々と剣を天にあげた。
「出るぞ、『明けの明星』だ」
俺の近くで誰かが言った。ミカエルは振り上げた剣を力強く振り下ろした。するとまず耳の奥がキーンと風圧を感じた。次いでまばゆい黄金色の閃光がほとばしり、それが稲妻のようにミカエルの前方を埋め尽くした。閃光はものすごい速度で草原を走っていき、森の木々を薙ぎ倒していく。薙ぎ払われた木は跡形もなく消失し、それから突風が閃光の後に続いた。旗持が危うく落馬しそうになるくらいの衝撃波だ。
『明けの明星』は予想していたよりもはるかに威力がある。敵はもちろん、味方すらその天災の如く凄まじい力に絶句し、周囲はぴたりと静まった。
うちにはミカエルがいるから、と兵士が言ったのもうなづける。ここまでの能力を見せつければ誰も挑みかかりはしないだろう。
しかし、相手はどうやらそうではないらしかった。
「なんであいつら向かってくるんだよ」
近くにいた兵士が混乱した様子で言った。森の奥にいた隊列はミカエルの剣技を見て怖気付くどころか、勢いを増したように思えた。
4
「転生者だ」
「転生者を殺せ」
ミカエルに向かって無数の矢が放たれた。
「愚かな」
ミカエルは吐き捨てるように言ってさらに、二度、三度と立て続けに『明けの明星』を放った。1回目は威嚇だったが、今度は敵を殲滅するために放った攻撃だ。敵兵が弾き飛ばされ、散り散りになっていく。
本当にたった一人で敵を殲滅せんばかりの勢いだった。
しかし、敵も捨て身の突進を続ける。『明けの明星』の猛攻をかいくぐった何人かの兵士が騎士団の前衛と交戦状態になった。
ミカエルの元にも何人かの兵士が到達した。単騎先行していたミカエルの元に側近の騎兵と歩兵たちが集まり、乱戦に突入した。
副官トマスの号令で槍を手に敵兵に向けた。
こうなっては腹をくくるしかないか、と槍を持つ手に力をこめた。
ミカエルは敵兵からの攻撃を受けている。歩兵の槍を剣で見事にさばいた。馬の扱いも手慣れたもので、最前線で立ち回っていた。
しかし、敵兵に斬り込まれた際、受け流した剣がけたたましい音をたてる。ミカエルの剣は刀身が切断された。刀身は回転しながら宙を舞い、地面にささった。
これにはミカエルも驚愕の表情を浮かべた。
「バルタザル様からいただいた剣が」
ミカエルを狙う敵兵たちが勢いづく。
俺はとっさにクロエのことを思い出した。ミカエルの剣の刀身に何か細工をしたに違いない。さすがのミカエルも剣が折れては戦えない。周囲の歩兵たちが絶望の声をもらした。
その矢先、「やれやれ。気に入ってたんだけどな」とミカエルが呑気そうに言いながら懐の短剣を取り出した。
それを無造作に振ると先ほどと同じように眩い閃光があり、『明けの明星』が敵兵を襲った。
そこからはミカエルの一方的な猛攻だった。短剣は長剣の時よりも威力が劣るが素早く『明けの明星』を放つことができるらしい。
乱戦ではむしろこちらのほうが仲間を傷つけるリスクが少ない。見る見るミカエルの周りの敵兵は『明けの明星』の餌食になっていく。
気がつくと俺たちは敗走していく敵兵の背中を眺めながら勝鬨をあげていた。
何人かの捕虜から明らかになった話では、あの身元不明の兵士たちは隣国からの亡命者たちで、彼らが捨て身だったのは故国に戻っても死罪を免れないからだそうだ。
剣折れて、なお『明けの明星』は輝きを失わず。クロエの策略は失敗し、ミカエルの武勲はしばらく兵士たちの間で語り草になった。