第一話 血の代償
1
すべての人間が平等だ、なんて絵そらごとにすぎない。日本でも、海外でも、異世界でも。
日本には士農工商があったし、海外には封建制度があった。人は生まれながらにして不平等だ。
なら異世界ならどうだ、と期待したが、期待した俺が馬鹿だった。人間にはその人間に与えられた天分ってやつがあるのかもしれない。
「よう、無能」
いやなやつがきた。こいつはロック。俺と同じ転生者だ。
俺が食材店から運び込まれた砂糖の大袋を抱えて歩いていると、ロックはわざわざドアの前に立って俺の仕事を邪魔してきた。
いつもは「早く荷物を運べ」と檄を飛ばしてくる古参の使用人たちもロックには何も言えない。
「おお、砂糖か。これからチェリーの砂糖漬けでも漬けるのか?無能のお前にはちょうどいい仕事だな」
「俺の名前は『無能』じゃない。イドだ」睨みつけながら言ったが、ロックはヘラヘラしながらドアのへりに身体をもたれていた。
「おいおい、俺にそんな口きいていいのかよ。俺は転生者のロック様だぞ。お前ら使用人とは身分が違う「お客様」だ。それに、転生者のくせに能力がなかったお前には無能なんてちょうどいいあだ名じゃねぇか」
「ぐっ」
俺はなにも言い返すことができなかった。なぜならこいつの言う通りだからだ。
本来転生者は何か一つ能力を持って元の世界から転生してくる。岩をも砕く剣技、炎を出す能力、人の心を読む能力。
転生して一ヶ月、いろいろなテストを受けたのだが、俺からはなんの能力も見つからなかった。その途端、俺はロックの言う「お客様」から「使用人」いや、それ以下の奴隷の下働きになりさがっちまった。
「なあ、クロエ、お前もこいつに口の聞き方についてについて教えてやれよ」
ロックは俺の肩越しにそう言った。
振り向くと廊下にメイド服を着たクロエが立っていた。
栗色の髪に青い目、白い肌にはそばかすが少しだけある。まだ年若く、表情にはあどけなさが残る。
使用人たちのあいだでは飛び抜けて可愛いので、ロックはよくクロエめあてでこの使用人たちの執務室に来ていた。
クロエは「その通りですわ、ロック様」とセリフとは裏腹に冷たい視線をロックに向けながらクロエは言った。「能力を持たない私たちはあなた方に守られる存在。人智を超えるその能力の強弱で待遇が変わるもの当然というものです。まして騎士団がいない今はロック様が一番の能力者ですもの」
ロックはクロエの言ったセリフを好意的に解釈したのか、だらしなく相好を崩した。
「へへ、そうだろ。クロエも俺の能力については認めるだろ」
「鋼の意志」とクロエがつぶやいた。それがロックの能力の名前だった。
自身の身体を硬化させて身を守る。硬化した身体には剣も魔法も通らない。しかし。
「自分の身を守るにはちょうどいい能力です。ですが、ご自身の身を守るのに夢中になるあまり、剣士としての本分をお忘れないようお願いたいものです。とくに最近は物騒ですし」
クロエは涼しい顔で言った。これがロックに対する俺たち全員の評価だった。本当に優秀な能力者なら領主付きの騎士団に入団して今ごろ王都の警備にあたっているはずだ。ロックは他の転生者と比較して一段下に見られていた。
「ちっ、つれねぇな」とロックが舌打ちし、俺たちの横を通り過ぎていった。
「ありがとな」とクロエに向かってちいさく言うが、クロエは俺に返事もせず、冷たい視線をちらりと投げるだけだった。
2
朝から晩まで肉体労働をしているせいで、この世界に来てから夜はへとへとになって眠りにつく。
今日も一日遅くまで働かされて、小さなベッドと椅子があるだけの独房のような部屋で俺はようやく横になることができた。
この世界にきてどのくらいの月日が経っただろう。最初の一ヶ月、俺はクロエの世話になりながらこの領内でお客様扱いだった。
広い客間に豪華な食事、綺麗な洋服に午後のお茶。クロエは俺を「イド様」と呼んで甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。
転生前のことを考えると、いつも朧げな記憶しか思い出せない。特に転生直前のことは覚えていない。コンビニに寄って家に帰る途中だったと思う。
その日はクリスマスで、でも家には誰が待ってるわけでもない。俺は奮発してスパークリングワインとケーキを買って帰った。
でも気がついたらこの世界にいた。
思えばきっとみんな俺がどんな能力を持っているのか分からなかったから丁重に扱っていたのだろう。あのお客様扱いの一ヶ月の間に飲んだワインの味が忘れられない。
身体は疲れていたが、眠気はやってこなかった。
今日は領主のバルタザルがいないので使用人たちもみんな早く休んでいる。
俺は厨房に酒でもないかと思って寝巻きのまま降りて行った。窓からさす月明かりを頼りに階下に降りていく。
台所は綺麗に整理整頓されていた。料理長が使う鍋やら包丁やらが並んでいるばかりで、目当ての酒はなさそうだ。
意気消沈して寝室に帰ろうとすると、ふと、地下のワインセラーはどうか、と思い直した。バルタザルの秘蔵のワインがそこにたくさんあるはずだ。
噂によれば執事がそこのワインをたまにくすねて飲んでるらしい。普段はワインセラーの鍵がしまっているが、今日はもしかしたら?
そう思ってワインセラーのドアを引くと、運のいいことに予想通り鍵が空いていた。
「ラッキー」と俺は思わず小さくつぶやいた。
中はひんやりしていて暗い。ワインセラーの中まで月明かりは入らない。
面倒だが寝室まで戻って燭台と蝋燭を持ってこようとしたとき、ワインセラーの奥で光が見えたような気がした。
「なんだ、あれ?」
目を凝らして階段の下を見ようと腰をかがめたとき、つい足を滑らせて転びかけた。
「誰だ!」
物音に反応して男の声がした。男は燭台を持って近づいてくる。一体だれなんだ。蝋燭の炎に照らされてそのひょろ長くくたびれた顔が姿を表す。
「なんだ、無能か」
相手はロックだった。
3
「ま、遠慮すんなよな」
そう言いながらロックはワイングラスになみなみとワインを注いだ。もちろん言うまでもないが、ロックの酒なんかじゃない。バルタザルの酒だ。
俺が来るずいぶん前からやつはここにいて酒を飲んでいるみたいだった。秘蔵のワインはすでに2本空になって床に転がっている。
ロックは食糧庫から仕入れたばかりのチーズをくすねてきていて、それをあてにしてワインを飲んでいるようだった。
こんなやつと一緒に酒を飲むなんて気は進まなかったが、今の身分で酒を飲むチャンスなんてそう多くない。
ロックの自慢話に適当に相槌をうちながら、俺は相伴に預かることにした。
ロックは俺に酒を勧めながらしきりに怪しげな武勇伝を語った。俺の身体は誰にも切れねぇ。断頭台に乗せられて、こう刃が落ちてきたが、刃の方が刃こぼれしてぶっこわれたんだ、とか、なんとか。
相当できあがってるみたいで、適当に褒めてれば機嫌良く酒を注いだ。
「しかし、運がいい。鍵が空いてるなんてな。いつもは使用人のやつらが鍵を忘れることなんてないのに」
「こんなにワイン飲んでバレねぇかな」
「何弱気になってんだ。あっち見てみろよ」
ロックがそう言って指差すと、ワインセラーの奥には数え切れないほどのワインが保管されていた。
「たかが3本だ。こんなの数のうちに入るかよ。おい、無能、もう一本もってこいよ」
ロックが空瓶を振りながら俺に言った。パシリとして使われるのにむかついたが、それよりもっとこのワインを飲みたかった。
俺は言われるがままワインを取りに棚まで行った。
「しかしよ、ここの管理も意外とずさんなんだな」
俺がワインを選びながらロックに向かって言うと、「ばーか。今日が特別なんだよ。俺は5年この屋敷にいるが、普段はワインセラーの鍵を締め忘れるなんてねぇよ」
「へえ、そうかい。今日は特別なんだな。ま、城門の鍵も締め忘れてないといいがな」
俺が軽口を叩くと、ロックもそれに応じた。
「城門の鍵だ?そんなもん締め忘れてたら野盗にさあどうぞ、この屋敷の金目のものを盗んでくださいませ、って言ってるようなもんじゃねぇか。お前、このワインの価値わかるか?」
ロックが足元に転がってるワインの空瓶をさして言った。「クロエみたいな使用人の給料一年分だぜ?そんなワインが30分でからっぽだ。
エントランスに飾ってある絵画も、廊下の隅の異国の壺も、バルタザルの書庫にある本もそうだ。あいつらの収入の1年分や2年分。下手すりゃもっとあるかもな?
まったく馬鹿げてるよな。あくせく働く気になんかならねーぜ。馬鹿らしくってよ。俺が野盗だったら年に1回こういう屋敷に忍び込んで金目のもんを根こそぎ・・・」
そこまでロックが言うと、階上が騒がしかかった。悲鳴のような声が聞こえたのだ。俺とロックは顔を見合わせた。
「おい無能、お前剣くらい使えるよな?」
4
俺とロックがワインセラーから上がってくると、いきなり怪しげな男と鉢合わせした。男は興奮しているらしく、鼻息荒く剣を振りかぶってきた。
こいつ、野盗だ。
そう思うまもなく振り下ろされる剣。
殺される。目を瞑った瞬間、金属と金属が思い切りぶつかったときの音がした。
目を開くと、野党が体勢を崩して床に転がっている。
ロックの鋼の意志の効果だと気がつくのにしばらくかかった。男が振りかぶった剣はロックの腕に当たったが、腕は能力のおかげで硬質化していたので切られずに済んだらしい。
ロックはその男に近づくと、思い切り顔を踏みつけた。ぐしゃっ、というトマトを潰すみたいな嫌な音がした。振り返ったロックはそのにやけ面を青ざめさせながら言った。
「殺されたくなきゃぼやっとしてんじゃねえ」
敵が何人いるか、その正確な人数は分からなかった。野盗は金目のものを漁り、抵抗する素振りを見せた使用人を片っ端から殺しているようだった。俺が見ただけでも二人。フットマンと給仕の男が無惨に斬り殺されて倒れていた。
「誰だよ城門の鍵をかけ忘れたアホは」
ロックはいらいらしながらもすでに3人の野盗を殺していた。野盗は金目のものを物色している最中だったので、俺とロックでこっそり近づいて一撃加え、有利な状況になったあとで乱闘に突入した。ロックは鋼の意志を使って攻撃を防ぎ、野盗に思う存分自分の身体を打ち込ませた後、疲れ果てたところを攻撃して倒す、という戦法を使った。
ロックの剣技は上手くはないが、確かにこれなら相手が格上でも勝つことができる。
3人目を殺したあと、明らかにロックは疲労困憊した様子で肩で息をしていた。
「ちくしょう、俺に水をかけろ、無能」
「水?どうして?」
「集中力が切れてきたからだよ。くそ、さっきの野郎にもらった剣が身体にきてやがる」
初耳だったが、この状況だ。ロックが嘘を言っているとは思えない。鋼の意志を発動するには本人の集中力が必要になるらしい。ロックは酒をたらふく飲んでいたし、さっきの野盗の力任せの攻撃をすべて鋼の意志で受けていた。その攻撃の中の一つが集中力切れのせいでわずかにダメージを受けているのだろう。
転生者は普通、自分の能力の弱点を人に言わない。特にプライドの高いロックが俺にそんなことを言うなんて、よほど切羽詰まっているのだろう。
「わかった、待ってろ」と俺は言って食堂に駆けていき、桶に一杯の水を汲んで戻った。するとロックは野盗のボスらしき大男と対峙しているところだった。
「ロック」
そう叫んだのはクロエだった。彼女は両脇を野盗に抱えられている。
ロックの断末魔が聞こえてくる。ボスの振り上げた剣がロックの身体を引き裂き、ロックがその場に倒れるのがみえた。
俺は絶望し、呆然とその場に立ち尽くした。水を張った桶が床に転がり、靴が水で濡れるのを感じた。野盗達はこちらを睨みつけ、ゆっくりと剣を手に迫ってくる。
俺は壁に立てかけておいた剣を手にパニックに襲われた。野盗のボスらしき大男が、俺の剣を弾くと、剣は床に落ち、野盗達が耳障りな笑い声をあげた。
野盗のボスが剣を振り上げたとき、唐突に頭の中で響く声があった。
「血の代償は払われた」
斬られる。そう思って身を固くした刹那、金属と金属が思い切り弾き合うような音がした。
恐る恐る目を開けると、驚いた顔のボスが目の前にいる。それからもう一撃、剣を振り下ろす。目を瞑る。まったく同じだ。奴の剣は俺の頭に、肩に、胴体に命中したが、痛みは一切ない。ボスの顔に焦りが見え始める。
俺は混乱しながからもなんとか状況を把握した。肩で息をしながら俺に剣戟を浴びせるボスを尻目に剣を拾い上げる。奴がよろよろと剣を振り上げた時、俺はやつの喉笛目掛けて自分の剣を突き出した。
奴は血を吐き、こちらを睨みつけ、それからどう、とその場に倒れた。