誘拐
状況がまるで理解できない。
ここがどこなのか、なぜ自分はこんなところにいるのか。なぜいかにも悪人面した男たちにジロジロとみられているのか……。
もしかしたらバンビなら事情を分かっているかもしれないと、一緒に転移してきたであろうバンビの顔を覗き込むと、どうやら彼女も想定外の事態だったようで、額に血管が浮き出ている。
「これは一体どういうことなの!? あんた達は何者、ユウソクの使者じゃないわよね?」
「残念ながら私はバンビ様があてにしている人物じゃあございません。名はドヌル。ウーテ王国領の外れで盗みを生業にしております。今日はとある方のご依頼で王女様を誘拐させていただきました」
眼帯をした男はニヤニヤと下卑た笑い声をあげていた。
これはどうやら危機的な状況であると察したサイは、どこかに逃げられる隙はないかと部屋中を確認する。
建物自体は作りが古い木造で、どこからか湿った隙間風が入ってきている。灯りも梁にかけられた蝋燭のみで、時間的にはまだ日が出ている頃だが、全体的に仄暗い。
おそらく森の中、盗賊の多くが根城にしているというハナナサケの森だと推察する。
――それならば、工場からそこまで時間はかからない。
ニニエロに渡された而力が込められた紐のおかげで、この場所は特定しているはずで、王女が誘拐されたとなれば、現在迎賓館を警護している第壱分団も天鷹に乗って救出に来るだろう。
そう考えれば遅くとも二時間以内にはこの場所に来れるはず。
……時間さえ稼げれば問題ない。
「というか七光り、なんでここにいるわけ? もしかして転移の途中で私に触った?」
「触ってないですよ。僕も何が何だかわからないうちにここに転移してしまって……」
「あっそう、じゃあ転移の術式にミスがあったのか、それともその薄汚い底辺どもが何か而術を使って邪魔したのか……」
そういってバンビは眼帯の男と太った男を一瞥すると、
「いや、アンタコソ泥にそんな高度な而術使えるわけないか。この恵まれたウーテ王国領で盗賊やるなんてよっぽど教養と道徳のない底辺ゴミカスだものね」
「あぁぁ! なんて口をききやがるこのクソガキがぁぁ! あまり調子にのるんじゃねぇぞ!」
太った男を圧に負けることなく、バンビ様は強気に口を開いた。
「……別に調子に乗ってるわけではなく事実を言ってるだけ、どうやって私を誘拐したかは知らないけど、さっさと開放しないとすぐに王国騎士団がここに来るわよ。残念ながらすでに救難信号はだしてあるから」
いつの間そんなことをしたのか気づかなかったが、仮に嘘だったとしてもこの場所がニニエロには伝わっている。
現況はこちら側が圧倒的に不利だが、時間さえ稼げればなんとかなるはずだ。
「へぇ……なかなかの胆力だ。さすが一国の王女様、ガキとはいえ油断ならねぇな……でも――」
突如、ドヌルは短刀を取り出し、バンビ様の眼前に突き立てた。
「あんまり大人を舐めるなよ。このまま殺しちまってもいいんだぜ?」
「……言っとくけど、指一本でも触れた時点でアンタは万死確定よ。それでいいならやってみなさいよ」
バンビはドヌルをにらみ返すが、ドヌルは依然として笑みを崩さない。
「なぁマルタ、今回のご依頼主様からは、誘拐した後どうしろって言われてたんだっけか、俺は忘れちまったよ」
マルタと呼ばれた太った男もまた下卑た笑みを浮かべた。
「へへへ……ダマスカス開発の坊ちゃんについては、身代金と引き換えに可能な限り無傷で返すこと。で、バンビ王女様については『合図があり次第、何を置いても必ず殺せ』とのご依頼だぁ」
バンビの顔が一瞬にして青ざめた。
シンプルな言葉ゆえに、依頼者の圧倒的な殺意を感じる。
「俺たちは依頼主のご希望だけは必ず遂行する真面目な盗賊なんでね。いくら金を積まれても、泣いて謝っても、もうバンビ様が死ぬことは決定事項。でも俺たちだって鬼じゃあない。大人しくしてくれたらできる限り痛くしないように殺して差し上げますよ」
言いたいことはわかるよな、といった風にドヌルはバンビの首を右手で掴む。
「だからちょっとだけ大人しくしてもらえねぇかな。じゃないと俺も短気だからよ。つい右手にもっと力が入っちまうんだ……よっ!」
「――がっ」
ドヌルが右手に力を込め、バンビの首を絞めながらそのまま宙にあげる。
「おい、やめ――」
サイが思わず声をあげた瞬間、腹部に鋭い痛みが走り、その勢いで壁まで飛ばされた。
「坊っちゃんも急に動いたら危ねぇぞぉ。可能な限り無傷って言われてるけど、反抗されたらびっくりして蹴り飛ばしちまうかもしれないしなぁ」
足をさすりながら笑うマルタはゆっくりとサイに近づいた。
腹を抱えながら床に伏せるサイは、近づいてきた目の前の太った男を見上げる。
随分と息が荒い。どうやらこのまま何もされないというのは無理だろう。
「……随分と反抗的な目だなぁ坊ちゃん。めちゃくちゃ反抗してきそうだぁ……なぁ兄貴ぃ」
「確かに反抗的な目だ。おっかねぇから、動けなくなるまで殴るしかねぇな。可能な限り無傷って話だけど、正当防衛じゃ仕方ねぇ」
何が正当防衛だ、このクズ野郎。
声に出してののしりたい気分だが、もう声すら上げられない。
バンビもまだ首を絞められたままで苦しそうにもがいている。
時間を稼ぐどころではない。
このままだと本当に――
「やめろ」
すると突然目の前にいたマルタが、床に倒れた。その丸みを帯びた巨体の上に、大きなマントで身を包んだ何者かがマルタの頭を踏みつけている。
ドヌルもまた似たようなマントで身を包んだ者に右手首をつかまれていた。
バンビはやっと呼吸ができるようになったのか床に手をついて大きく咳をしている。
「子ども相手にやりすぎだ。殺すぞ」
「わ。わかったよ。依頼主様には逆らわねぇから離してくれ」
「……貴様らは小屋の外で見張っていろ」
そう言われるとドヌルとマルタは、すごすごと小屋の外へ出て行った。
助けが来たのか、でも依頼者様と言っていたような……。
サイは混乱する頭の中を整理しようと、突如現れた者の顔を覗き込んだ。
麻でできた大きなマントで全身を包んだその者たちの顔は、白い仮面で隠されており表情が全く読めなかった。