女帝
いつになったら終わるのか……。
土をパンパンに詰め込んだ麻袋を担ぎながら、休憩もなくハクバはひたすら走り続けていた。
周りの連中も同様の麻袋を担いだまま、ただひたすら足を動かしている。
そしてそのうちの一人が、今にも倒れそうなほど足元がふらつき、目の焦点が合っていない。
「おい、大丈夫か――」
隣でハクバが声をかけた瞬間。その男は気絶したかのように受け身も取らずに倒れこんだ。
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4限目の講義が終わった後、ハクバはハァト帝国の学生たちに囲まれ、抵抗すらできないまま半ば強引に連れ去られた。
場所はナハト研究都市から離れて約二〇キロほどの人里離れた名前すら知らない森の中。
何の説明もなく戸案を余儀なくされ、歩き始めて30分すると草木があまり生えていない広がりが現れる。
そこに一人の女性とが腕を組みながら仁王立ちしている。
「5分遅いッッ! 全員その場で腕立て百回ッ!」
その声にハクバは呆然と立ち尽くしたが、近くにいたハァト帝国の学生たちは迷いなく地面に付して腕立て伏せを始めた。
「何をしている貴様もだッ!」
あまりの剣幕にハクバは抵抗することなく、その場で腕立てを始めた。
腕立てを終えると、これまたすさまじい剣幕で女は声を上げる。
「そこに麻袋があるだろう! それぞれ一ミリも隙間ができないようにギチギチに土を詰めろッ!」
文句すら言わせない圧迫感で、ハクバは唾をのむ。
その隙に残るハァト帝国の学生たちは今の状況に何の疑問も持たずすぐさま地面を掘り返し、麻袋に土を詰め込み始める。
「あ、あの説明を――」
「――しゃべるなこのウジムシが、口を動かす前にまず手を動かせ!」
あまりに傲慢な態度の女に、ハクバはとうとう声を上げようとしたが、
「ハクバ君! 申し訳ないけどとにかく従ってください。悪いようにはしないから」
と隣にいた小柄な学生が間に入って止めた。
「貴様も何をしゃべっている。ここで一番の無能のゴミカスが口を開くなッ!」
「す、すみませんアグニ様!」
そう言ってその学生は再び手を動かし始める。
ハクバも仕方なく女の言う通りに黙って手を動かすことにした。
指示通りに土を詰め終えると、今度はそれを担ぎながら、隊列を維持しつつ行軍するように指示され、そして早一時間以上ずっと動き続けていた。
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「また貴様かッ! 早く立ち上がって隊列に戻れッ!」
「は、はい!」
小柄の学生は立ち上がるも、足ががくがくと震えており、この状態で土が詰まった袋などを持ち上げることは不可能だった。
必死に持ち上げようとするが、一向に動かせない。
「何をしているッ! 貴様のようなゴミカスのせいで隊列が乱れているぞッ! ここが戦場だったなら隊に迷惑をかけている分、死人以下のクソヘドロだッ! 動けないならこの場で自害しろッ!」
あまりの発言にハクバは立ったまま、女を睨みつけ、そして担いでいた麻袋を投げつける。
勢いよく投げられた麻袋は一直線に女の上半身に飛んで行ったが、女はあえてそれを避けることはしなかった。
30キロは超えている麻袋を体に受けたが、女は仁王立ちしたたま微動だにせずハクバを睨みつける。
「どういうつもりだ貴様……上官に危害を加えるなど、本来であればその場で処刑だぞ」
「なにが上官だ……訓練を強制させるのはまだ許せるが、動けない人間医罵声を浴びせた上に、さらには自害しろだと……あまりにも非道徳的で許しがたい!」
「何が非道徳的だ……? 道徳やら倫理やらには言葉が通じる人間同士で共有できる概念だ。しかしこいつはゴミカスのクソヘドロ……いっちょ前に人権やらを主張できる立場じゃないんだよ」
「……なんだと」
ハクバは怒りに震えた。
これほどまでの怒りはかつて経験したことがなかった。
ウーテ王国の王族として、生まれながらにして高い而力を持つ選ばれた強者として生まれたハクバは、弱者はすべからく救うもの、守るものと教わってきた。
しかし目の前の女は、迷惑をかけるなら死ねという自身の信条とは正反対の言葉を口にした。
あまりにも横暴。
あまりにも非道。
ハクバにとっては許せるものではなかった。
「ああああああっ!」
ハクバは感情の赴くままに駆け出した。
女性に手を出すなどハクバの中ではありえないことであったが、その理性すら吹き飛ぶほどの怒り。
自身の爪が突き刺さり血がにじみ出るほど強く握りしめた拳は、女の顔を捉えていた。
しかし――、
「……遅い」
その拳が振り下ろされるより前に、ハクバの顎に女の掌底がぶつかる。
視界がゆがみ、そのまま糸が切れたように体の力が抜け、ハクバは倒れこんだ。
「……興が醒めた。現時点をもって訓練は終了。この口だけのウジムシを連れて全員私の視界から消えろッ!」
サーイエッサーという低い声が山にこだました。
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目を覚ますと見覚えのない天井があった。
すぐさま体を動かそうとするが、全身に痛みが走り思うように動かせない。
「あ……目を覚ましたんだねよかったぁ」
声のしたほうに目を向けると、先ほど皆の足を引っ張っていた小柄の学生がいる。
「……ここは?」
「あ、ここはこの訓練場にあるベースキャンプ……の医務室。ハクバ君は一時間ぐらい気を失ってたんだよ」
「そうか……えーと」
「自己紹介がまだだったね。僕はコルト。コルト=ドクホリデイ。ゴミカスでもクソヘドロでも好きなように呼んでくれていいから」
満面の笑顔でそう答えるコルトに、ハクバは一瞬だけ軽蔑の眼差しを向けた。
「……コルト。俺はあの後…………」
「あぁそうだねいろいろ説明不足だった。えと、あの後訓練は終了して皆で君を抱えて帰ってきたよ。それでもまだ意識が戻らなかったから、僕が介抱してたってわけさ。ほら君がこんな目に遭ったのは僕のせいだしね。ほんとにごめんね」
「いや、それはいいが……あの女はどこに――」
ハクバがそう聞こうとした時に、コルトの後方から圧迫的なオーラが飛んでくるのが分かった。
そこに視線を送ると、またしても腕を組んで睨みつける女がいた。
「あの程度の攻撃で小一時間も気を失うとは……まだまだ鍛錬が足らんなウジムシめ」
「おまえ……またしてもそんな言葉を――」
「あぁ急に動いちゃ駄目だよハクバ君。今日はゆっくり休まないと」
コルトが間に入ってハクバの動きを止めるが、女はコルトの頭を思いきり叩く。
「今からウジムシに話がある。ゴミクズは私が言いというまで部屋の隅でスクワットだッ!」
「――ハイッ!」
コルトはそのまま隅まで走り、声も上げずにスクワットをはじめた。
(なんなんだこいつらは……他の連中もそうだが同級生だろ。なんでこんな歪な関係に)
「今から我らが主上であるシナーク皇子からの言葉をそのまま伝える。一度しか言わないし疑問についても答えるつもりはない。最後にイエスかノーで答えろ」
「お前は何様の――」
「――まずは君が俺を推薦してくれたことに感謝する。だがあくまでそれはスタートラインに立っただけである、この後、英雄と呼ばれるヨノスケ率いる九名の敵と我々で戦い、勝たなければならない。その為には全員の協力が必要だ――」
「――おい勝手に始めるな」
「しかし俺は君の実力を知らない。強いのか弱いのかも分からない。君が強いのなら問題はないが、もし弱いのであれば、最初から不要。虚空交鋒が始まった瞬間に君には死亡してもらおうと考えている」
「――なっ!」
衝撃の発言にハクバは息をのむ。
それでも女は何事もないように口を動かす。
「だがそれではあまりにかわいそうなので、選択肢をあげようと思っている。虚空交鋒までの数日間、我がハァト帝国軍に代々伝わる帝国式格闘術の基礎を叩きこもうと思う。厳しい訓練になると思うが、乗り越えた場合、君は比べ物にならないくらいの強さを得ることができるだろう。その時俺は対等な立場で喜んで君を迎え入れよう。さぁどうする? ここが君の人生のターニングポイントだ。イエスかノーで答えてくれ」
女はそこでしゃべるのをやめてハクバを見た。
瞬きもせず、ただ回答を待っている。
「……一つだけ答えて欲しい」
ハクバはか細い声で呟いた。
女はこれまた微動だにせず「一つだけだ」と呟いた。
「お前の主観的な意見でいい。俺は……『弱い』か?」
女の眉が一瞬ピクリと動いたが、それを悟られないように口を開いた。
「身体的、精神的、技術的、戦術的……それ以外にも唯一性など様々な強さがあるが、主観で言わせてもらえれば、貴様はそのすべてが中途半端。つまり……『弱い』ということだ」
ハクバは一度大きくため息をついた。
……俺は弱い。
分かってる。
……でもそのままじゃ嫌だ。
分かってる。
なら俺がすべきことは強くなること。
その術をこの女が知っているというのであれば、俺はただひたすらついていけばいい。
くだらない自尊心は捨てて、ただ確固たる自身の『強さ』を誇れるようになればいい。
(決まりだな)
パァンと弾ける音が部屋中に広がるくらいの強さで頬を両手でたたいた。
「イエス……ご指導のほどよろしくお願いします」
ハクバが頭を下げると、女はハクバの頭に手を置いてワシャワシャと強めに撫でる。
「いいだろうッ! では貴様はたった今から私の言うことに口出しする権利はない。私の言うことはすべて『はい』か『イエス』か『よろこんで』で返事をし、即実行することだッ! さすれば私が着様をウジムシから空を舞う蝶へと導いてやろッ! わかったなッ!!」
「――はい!」
「よし……では明日朝6時に今日と同じ場所に集合だッ!」
「はい。わかり……明日?」
明日も当然講義はある。
なのに朝から……?
「どうせ見学なのだから行く必要がない! それとも何か、さっそく口答えか?」
「……いえ、滅相もありません。よろこんで!」
うむ、と満足げに女は微笑む。
「では貴様にも上官である私の名を教えてやろう。私の名前はアグニミリア=ハァトマン! ハァト帝国軍で代々新官の教育を一任されてきた由緒正しき一族の末裔であるッ! これより私のことは上官と呼ぶがいいッ! わかったかッ!!」
アグニの張り上げた声につられて、ハクバもまた「サーイエッサァ!!」と大声をあげた。




