黒蝕(ヴィクシィ)【第一部完】
かつて大陸全土にわたって戦火の広がったカンダール戦争において、特に被害が大きく、今では空虚の平原と呼ばれる草木も生えることのない、見捨てられた大地。
その一角に而術によって形成された亜空間が存在する……という噂を聞いたことがある。
通常であれば入ることはできないのは当然であるが、視認することも知覚することもできないこの空間の中で、戦争に巻き込まれた亡者たちが、復讐のために刃を研いでいるなんていうお伽話も小さい頃に聞かされていた。
だがそれが噂でもお伽話でもないことをその日、一人の調査員が目の当たりにする。
何もない空間に黒い穴ようなものが発生し、その中に二人の男が中に入っていったのだ。
「…‥やっぱりカンダールの亡霊はいたんだ。急いで報告しなけれれれれ」
突如として調査員の口は回らなくなった。
いや、正確には口から下の体だけ、忽然と消えたのだった。
その奇怪な出来事は、サイ達が飛空艇に乗ってナハト賢王修学院に向かっているのと同時刻のことだった。
「ククク……奴は四天王の中でも最弱。人間ごときにやられるとは……黒蝕の面汚しだ」
目深に被った黒帽を触りながらヒエロはにやにやと口を動かした。
その様子を見ていた一人の女性がおもむろに立ち上がり、ヒエロの思い切り頭をはたいた。
「訂正は二点。我々には四天王なる格付けはありません。そしてビンソロウ氏は黒蝕の傑出戦力の一人。この損失は計り知れません」
「ははは、冗談よ冗談。僕だってまさかビンちゃんが負けるなんて思わなかったしさ」
「それについては私も同感です。しかし組織の代表としてあまりに不謹慎な発言ではありませんか?」
「それを言うなら、その代表の頭を思いきり殴る君もなかなかだと思うよ……スバルちゃん、自分の手みてみなよ」
スバルと呼ばれた長身の女性は、はたいた自分の手に視線を落とす。
人差し指と中指があらぬ方向に曲がっており、全体が赤黒く変色している。
「これはすみません。怒りに任せて力を入れすぎてしまいました」
「本当だよ。スバルちゃんは見た目と話し方はクールだけど、ちょっと感情的すぎるよ」
「そうかもしれませんね、そこは反省します。ちなみにこれは労務災害として保険はおりますか?」
「いやいや、僕たちは闇に蠢く秘密結社的な立ち位置でやってるからそういうのないよ。福利厚生とかそういうの期待されても困るよ」
「…………私にはまだ無傷の左手が残っているのですが?」
「あぁ分かったわかった! お金は後でちゃんと用意するし、いい病院も紹介してあげるから待やめて!」
振り上げた左腕をゆっくりとおろし「わかりました」とスバルは自席に戻る。
「えっと話はそれちゃったけど、先日ビンちゃんがやられました。王国騎士団のニニエロという男で、黒の而力持ちで、ビンちゃんがスカウトに行って返り討ちにあったみたいな状況です」
「……だから俺が行くといっただろう。ニニエロはゴウマに匹敵する危険分子であると」
部屋の片隅で大太刀を抱えながら座り込んでいた男が、顔を上げることなく会話に入り込んだ。
「あれ……ネムロさんがしゃべるなんて珍しい。でもまぁ全くもってご指摘のとおり。これは完全に僕の失策だ。申し訳ない」
「……ニニエロは、俺が殺す」
「え~とできれば仲間に入れたいんだけどな~。黒は貴重だしね」
「俺がいる限りそれは無理だ。どうしてもニニエロを入れたいのなら俺を殺してからにしろ」
「いやネムロさん殺すとか無理すぎるでしょ」
「……奴は必ず俺の目の前に現れる。その時に俺が処分する。お前らは何もしなくていい」
「ん……じゃあニニエロについては、ネムロさんに一任しますね」
「それでいい……絶対に俺の邪魔をするなよ」
そう言い残すと、まるで体が闇の中に溶けるようにネムロは姿を消した。
「ネムロ氏はなにやらニニエロ氏と因縁があるようですね」
「そうみたいね。でもまぁニニエロについては一旦無視して他の懸案に対処しよう。まず我々の最優先課題である黒の而力持ちの確保ですが……難易度が低くて一番やりやすいはずのカガチの確保を~……ドヌルっちが失敗してのこのこ帰ってきましたぁ! みんな拍手!」
まばらに起こる拍手の中「おいちょっと待ってくれ!」とドヌルは声を荒げた。
「確かに失敗したけどよぉ。俺は俺でちゃんと有益な情報を手に入れたんだよ!」
「…………え?」
「……いやだから俺は最低限の仕事は!」
「いや、そうじゃなくて誰このイケメン? うちにこんな子いたっけ?」
ヒエロの頭の上にハテナが浮かんでいる所にスバルは、
「このイケメンが、ドヌル氏です。カガチ氏の確保は失敗に終わりましたが代わりにクロム氏なる騎士の体を奪い取っているとのことです」
「このクロムっていうのも……黒?」
「いえ、赤の而力持ちです」
「じゃあダメじゃんっ! めっちゃ苦し紛れに関係ない奴の体奪ってんじゃん! クソダサッ!」
腹を抱えて笑うヒエロに、ドヌルは今にも向かっていきそうになっていた。
しかし隣にいるマルタがそれを止めるように代わりに前に出た。
「確かに今回はやらかしたかもしれねぇですが、兄貴はちゃんと挽回し――」
「マルちゃんだって同じだよ。僕があげた斐綾鉱のほとんど回収できずに逃げてきたんでしょ」
マルタはそれ以上何も言えなくなり、ゆっくりと肩を落とした。
しかしそこに助け舟を出したのはスバルで、
「確かにクソダサいですが、ドヌル氏が言うように有益な情報を手に入れたのも事実です。クソダサいですがっ!」
「有益な情報?」
「おぉそうだ! サイってガキが覚醒者だってことだ! 奴は而力だけを燃やし尽くす特殊な赤を使っている! 炎の性質は違えど、あの徹底的に焼き尽くす炎は以前一度食らったことがあるから間違いない!」
「……以前ってドヌルっちとマルちゃんがやられたっていう火柱のこと」
「あぁそうだ! おそらくあの時にサイは覚醒した。そうじゃなきゃ俺たちがガキに殺されるなんてことはねぇからよぉ!」
「ん~……この話を聞いて、スバルちゃんはどう思う?」
スバルに話を振ると、待ってましたとばかりにスバルは饒舌に語り始めた。
「ドヌル氏の情報はおそらく正しいでしょう。その一番の証拠が炎によって焼死したドヌル氏とマルタ氏が今ここにいること。つまりサイ氏が覚醒した時に近くにいたドヌル氏とマルタ氏は覚醒の恩恵を受け、而力が異常なほど膨れ上がったが故、マルタ氏は焼け焦げた体でも息を吹き返し、ドヌル氏は体を失ったものの而力そのものに意思が宿って何とか生き永らえたのでしょう」
「……恩寵覚醒か。確かその時は王女様もいたんだよね」
「はい、ウーテ王国第五王女であるバンビ氏もサイ氏ともに誘拐されていたと聞いています。バンビ氏の而力量が多いという話は大陸中に広がっており、大賢者バルザス氏の生まれ変わりなんて話も出ていますが、きっとサイ氏の恩寵覚醒を受けた結果、高い而力を手に入れたのでしょう。そうすればすべての辻褄は合います」
「それと、気に食わない仮面の二人組もあの中にいた。俺たちゃあいつらから誘拐の話を受けたんだ。俺らが生きてるってことはあの二人も生きているとみて間違いねぇ。なんならあの誘拐事件は、その恩寵覚醒を狙ってたかも知れないしな」
「誘拐事件の犯人は第五王女バンビ氏を恐れた第一王子一派とニニエロが起こしたと聞いていますが、ドヌル氏の言うようにその謎の仮面の二人組が何らかの形で関わっているのは間違いないかと」
「……っていうことはさ。その仮面の二人組は『覚醒の発生条件を知っている』ってことか?」
「……その可能性は十分にあると」
おいおいこりゃ参ったね、とヒエロは空を仰いだ。
黒の而力を持つ者にとって、覚醒者は天敵であるといっていい。
仮面の二人組の目的は分からないが、もし仮に敵に回った場合、ほぼ間違いなくこちらに勝ち目はない。
一刻も早く彼らの行方を知り、目的や覚醒の条件を知ること。
最悪、その二人組の動きを制限するだけでも十分だ。
「あぁ~スバルちゃん。とりあえず、黒の而力持ちのスカウトに行ってる奴らは一度ここに戻ってきてもらうことにする。そして二つの最優先事項に振り分けて活動してもらう。一つは当然、仮面の二人組の行方を捜すこと。本当であればニニエロから探りを入れたいところだが、下手に手を出すと返り討ちに合うし、最悪ネムロさんに僕らが殺されるから第一王子一派の残党から当たっていこう。これにうちの主力のほとんどをつぎ込んでいい」
「かしこまりました。すぐに手配いたします。……そしてもう一つの方は」
「覚醒者であるサイの抹殺だ。まだ子供だが成長したらゴウマ並みの実力を手に入れる可能性がある。今のうちに消すのが一番合理的だと思う」
「かしこまりました。ちなみにサイ氏はバンビ氏ともう一名でナハト賢王修学院に入学予定とのことです。ニニエロ氏とカガチ氏も教員として籍を置くとのこと。教育機関を外部から狙うのはなかなか困難かと思われますが……いかがいたしましょうか?」
「……うちにもナハト賢王修学院に行っている奴がいるだろう……彼女を呼んできてくれ」
スバルは「そう言うと思っていました」と指をパチンと鳴らした。
すると目の前にサイやバンビとほぼ同年代と思われる翠色の長い髪を腰辺りまで伸ばした少女が現れる。
「何よ急に呼び出して……こっちは色々忙しいんだけど」
「あぁごめんごめん。実はナハト賢王修学院に通う君にお願いしたいことがあってね」
「……だから何よ。めんどくさいことだったらお断りだからね」
「んまぁ結構面倒なんだけどさ。君にしかできないことだから……頼むよ」
「……報酬次第」
「僕にできることならなんでもしよう」
「……なんでも?」
「そう『なんでも』だ。僕の能力を知ってる君なら悪くない条件だろ?」
「……で何すればいいの?」
態度は悪いが、この子もまたネムロやビンソロウに並ぶ、黒蝕の傑出戦力の一人。
まだ子供であるが故、調子のよいときと悪いときで差はあるが、そこがかみ合った瞬間はおそらく、黒蝕最強……いや最凶であるといっても過言ではない。
「今度ナハト賢王修学院にとある生徒が入学する。その子を殺してほしい」
「子どもを殺せっていうの? さすがに抵抗あるんだけど」
「確かにね。でもその子は君を虐げた覚醒者である可能性が高い」
覚醒者の一言で少女の顔色が変わった。
この少女と出会いは最悪だった。
劣悪な環境課で奴隷のように育てられ、僕らに出会うのがあと一日でも遅れていたらきっと命はなかっただろう。
彼女の育ての親は、外では英雄と持てはやされた覚醒者であったが、その裏側は語るのもはばかられるほどの外道であった。
その恐怖による支配は彼女の心の奥底にまだはっきりと刻まれていた。
「……覚醒者は殺す。それが私の生きる意味だから」
「ありがとう……そう言ってくれると思っていた」
ヒエロは少女を手招きし、ゆっくりと抱きしめた。
少女は抵抗することなく、その旨の中に飛び込んだ。
「一緒に世界を変えよう。一つの人生を生ききった僕たちだからこそ、この世界を変えることができるんだ」
「うん、私は絶対に許さない。こんな世界に連れてきた奴を……」
そう言うと少女はさらに腕に力を込めて、ヒエロを抱きしめた。
「大丈夫かい?」
「大丈夫。それで……その殺してほしい生徒の名前は」
「あぁそうだね。その生徒の名前は……サイ。サイ=ダマスカスだ」
『サイ』
その響きをきいた少女は、その瞬間に。抱きしめられていたヒエロを突き飛ばした。
(サイ……サイ! まさかその名をこの世界で聞くなんて……それが憎き覚醒者だなんて)
「え、なに急に? なんか変なとこ触った僕? セクハラ的な奴これ?」
少女は「大丈夫」と突き飛ばされたまま固まっている男に手を差し出し、立ち上がらせた。
「昔ね……私がまだ別の私だった時にね。私にさんざんトラウマを植え付けた男がいたの」
「昔って……もしかして転生する前の世界の話?」
少女は大きく頷いて言葉を続ける。
「サイ……前の世界のオタネームがそのままこの世界の名前になるってことはないと思うけど、サイって名前の人間がいるだけで私は許せない」
「おぉ……なんか分からないけど、めちゃくちゃやる気がすごい」
やる気だけではない。実際に少女の而力も全身からあふれ出していた。
少女自身も感情の高ぶりとともに体の奥底から熱いものを感じていた。
(そうか……きっと私は、このサイという奴を殺すためにこの世界に転生してきたんだ!)
怒りに近い負の感情とともに、自らの使命を感じ取った喜びが混ざり、感情の全てが而力となって爆発している。
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い……熱いっ!
それは心からなのか脳からなのか、どこからかは分からないが、
とにかく熱くて力が溢れ出るのを止められない。
「ヒエロ氏……これってもしかして」
「間違いない……覚醒だ! スバル! 今すぐに集められるだけここに呼んできて! 恩寵覚醒を受けるぞ」
「かしこまりましたっ!」
……初めて出会った時、幼くしてこの世の悪意をすべて受け止めてきたような彼女の瞳に、僕は心を奪われた。
だから僕は周囲の反対を押し切って彼女を黒蝕に迎え入れた。
ただ彼女が好きなように生きられる世界を作ってあげたかった。
でも……違った。僕が選んだんじゃない。
僕が選ばれたんだ。彼女を神へと導く歯車として……
「……なんて美しいんだ」
ヒエロは圧倒的な而力を放つ少女を、ただただ真正面から見つめていた。
瞳からはただただ涙がこぼすばかり。
この世に生きるすべての人に知ってほしい。
この世界に、『神』がいるということを……
「僕の全てを捧げよう。あぁ……愛しているよ――――斐」
ここでひとまず第一部完走です!
おそらく小説一冊分くらいの分量にはなったかと思います。
しばらく更新は休んで、誤字脱字の修正や、物語の本筋が変わらない程度の改稿を行います。
やれたら用語集とかを上げるたいと思っています。
今後ともよろしくお願いします。R4/9/1




