ニニエロ
生まれた時からかどうかは覚えていないが、物心がつく頃には、他人には感じることのできない感覚を持っていることを認めていた。
相手の負の感情が突き刺さると、ピリピリと鈍痛が走る。
羨望や妬み嫉み……負の感情に種類はあれ、誰かが自身を害そうとする感情の全てを、感覚的に受信してしまうのだ。
故に私は不必要な人間関係をなるべく避け、生まれてから今まで心を許せる友人ができたことはなかった。
それどころか一般的に而力の低い一般領民である親から、一万を超える而力を持って生を受けたため、実親からも羨望に似た憎しみの感情を受け取ってしまうことになる。
家族からの感情は特に反応が大きく、共に生活するという些細な営みさえ、気が狂いそうになった。
家族から逃げたいという一心で、齢一〇にして騎士団の門戸を叩いた。
元々而力が高く、負の感情……つまり相手の殺気や害意を肌で感じることができるためか、入団試験を突破するのは容易だった。
一〇歳で騎士入団という最年少記録に加え、一般領民出身ということもあって当時は大きな話題となった。
入団式のことは今でも忘れない……。
国王から剣を受領し、その場で跪き絶対の忠誠を誓うのが王国騎士団入団式の習わしだ。
私は恭しく剣を受け取り、その場に跪くと、一気に負の感情が押し寄せた。
「王族でもないくせに」
「たまたま而力が高かっただけのくせに」
「皆、教育を終えてから入団試験に参加するのが通例なのにそれを強引に破りやがって」
「きっと何か裏があるに違いない」
周りを囲むこれから同志になるであろう王国騎士たちの負の感情が、大きな悪意の矢となって、四方八方から全身に突き刺さった。
この時に私の心は一度……完全に壊れた。
そして壊れた心の中から黒い而力が滲みだしたのを感じた。
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「……相変わらず嫌な夢だ」
王女バンビの住む別邸のとある一室。そこでニニエロはいつものように体を丸めて眠っていた。
まだ暑さで寝苦しくなる季節ではないが、大量の油汗で寝着が肌に引っ付いている。
水でも飲もうかと、部屋から出るためドアノブを掴んだ瞬間に、ザワァと黒い気配が部屋全体に覆い被さった。
ドアが開かない、というよりも自信を含め部屋全体を別次元に隔離されている。
直感的にそう感じた後、背後からが何かが現れるのを感じた。
「夜分遅くに失礼いたします。ニニエロ=バルジネス様」
「……本当に失礼ですね。ちゃんとアポをとってくれれば、わざわざ変な而術を使わずとも対応しますのに」
「ほう、さすがは元王国騎士団分団長。勘が鋭いようで」
全身に黒い外套を纏っており、顔はよく見えないが声から判断すると三〇から四〇歳くらいの成人男性。今のところ敵意は感じられないが、男を包む異様な気配に、ニニエロも寒気を感じていた。
「で、何の御用でしょうか? 生憎、嫌な夢を見てしまい機嫌が悪いので簡潔に説明して下さると助かりますが」
「怒らせると怖そうだ……では簡潔に述べましょう――我々『黒蝕』の仲間に入りませんか? 私たちは黒の而力を持つ者を募っているのです」
「黒而の而力? 残念ながら私は而力は紫系統なのですが……」
「腹の探り合いはやめましょう。我々は分かっているんですよ。現に数日前、黒の而力を持つ騎士が襲われたでしょう?」
「…………カガチのことですか」
「えぇ、残念ながら失敗に終わりましたが。まさか子ども二人にやられるなんてね。でもまぁおかげで一つの答えを導き出せたので、結果としては悪くはなかったです」
「……?」
「サイ=ダマスカス……彼は覚醒者なのですね」
ニニエロはピクリと肩を震わせた。
その反応を見て男はニヤリと口を緩める。
「やはりそうですか……あの子は覚醒者。そしてあなたは覚醒についても詳しく知っているようだ。クールなふりして意外と分かりやすいんですねニニエロ様」
「……そこまで知っているのならもう探り合いは不要ですね。おそらく私が何の目的で動いているのかも大体察しているのでしょう。となると私がやるべきことはひとつ――」
『――この場であなたを処分すること』
ニニエロは右の手のひらから紫色の鞭を生みだし、刹那に男に向かって鞭を振るった。
まるで生きているかのようにしなやかに鞭が部屋中を四方八方動き回るが、男はそれを軽々と躱しながら、確実にニニエロとの距離を詰める。
「強毒性の鞭ですか! 随分と而力が込められているが当たらなければなんてことはない」
「では……本数を増やしましょう。紫而第弐號ノ弐『滑蛇』」
ニニエロは左手からも鞭を出し、さらに速度を上げて鞭を振り回す。
「あなたの而術で隔離されたこの部屋では、もう逃げ道はありませんよ。自分の力が仇になりましたね」
「さて、それはどうでしょうか……『黒壁』」
男は而術を唱えると同時に、無数にうごめく鞭の雨の中に潜り込んだ。
そして両手で鞭の先端を的確に摑んで動きを止めた。
直接触れればニニエロの而力により生成された毒が一気に体内に入り込むが、男はニヤニヤしたまま、その鞭をぐるぐると手繰り寄せる。
よく見ると男の手が黒く変色していた。
「なるほど、而術の膜で覆っているのですか。多少の防御なら一瞬で突き破りますが、完全に毒を防いでいるようですね。実にしなやかで強靭な而術だ」
「ニニエロ様……あなたが感心すべきはそこじゃないでしょう? あなたの鞭の動きを完全に見切った私の目にこそ注意しなければならないのでは……この瞳をご覧ください」
外套の頭部を覆っていた部分が露になり、男の顔がはっきりと視界に入ってくる。
本来であれば顔にあるのは両眼だが、男には一つの大きな瞳だけが顔の中心部にあった。
虹彩は黒く淀んでおり、まるで生気を感じられない。一ツ目と呼ばれる単眼の而生獣である。
「一ツ目ですか……あなた而生獣だったんですね」
一ツ目はニニエロの発言にさらに目を大きく広げギョロリと睨みつけるた目が血走っており、どうやら一ツ目の逆鱗に触れてしまったようだ。
「而生獣だと……我々の方が遥かに優れた生命体であるのによく言えたものですね。ただただ数が多く、居住範囲が広いだけの下等生物が、私を獣呼ばわりとは……実に腹立たしい」
「それだけ広範囲で生きていることこそ人間の方が生物として優れている何よりの証拠でしょうに。そんなことも理解できないから獣と呼ばれるのですよ」
「ははは……まぁいいでしょう。この眼を見た以上あなたはもう動けないのですからっ――!」
一ツ目が鞭を思い切り引っ張ると、ニニエロの手から鞭が離れた。
手に力が入らない。
それどころか全身に力が入らず、動かすことができなかった。
「これが私の鈍鋲です。私の眼を通して、相手の眼球に術式を書き込み動きを止める。わざわざあんな針だの釘だの刺さなくてもこの眼あれば見るだけで動きを止められる。これこそ私が人より優れている証拠。人間には到底真似できません」
「……確かに真似はできませんね。相手と見つめ合わないと発動しない而術なんて非効率すぎて真似したくもありません」
「……聞き間違いか? もう一度言ってみなさい」
「えぇ……頭の足りない獣にはもっとはっきり言ってあげたほうがよろしいですね。いいですか? ただの先天的能力の依存しきった而術なんて、真似する価値もない醜く浅ましい獣の発想だと言っているんです!」
――――貴様ァ!
単眼の獣はニニエロに向かって大声を上げた。
……あげたはずだった。
しかし実際には口が動かいておらず、全身どこもかしこも動かせなくなっている。
いや、体だけじゃない体内もまた動いていない……肺も心臓も……。
(……呼吸が、できない)
「これが私の鈍鋲ですよ。その大きな目でよく周りをご覧ください」
一ツ目は唯一動かせる目で周囲の様子をうかがう。
すると空気中に小さな黒い粒が広がっていることに気が付く。
「鈍鋲を粒子状にして周囲にまき散らし相手の粘膜を通して体内に入り込み動きを制する。紫而第壱號ノ肆『衍蕪』との色色而術です」
系統の異なる術者が集まってそれぞれの特性を活かしながら生みだした而術が色色而術である。
例えば赤の而術である『赤』と青の而術で而力で水を生みだす『泳』を組み合わせることで、燃える水を生みだす『水燎』という色色而術がある。
だが当然発動には赤系統の術者と青系統の術者がそれぞれ一名以上は必要で、さらにお互いの発動のタイミングと込める而力量にずれがあると、途端に暴発する危険な而術である。
そのため実践に関して使われることはほぼなく、而術に関する研究の一環で使われることが主である。
だが、自身に二種の而力を持つ者であれば、話は大きく変わる。
「とはいってもまだまだ未完成でしてね。効果範囲も狭く、目を凝らしてみれば黒い粒子がはっきりと見えてしまう、それに加えて而力の反応もバレバレ……だから特定の条件下でなければ全く通用しないんですよ。そうですね……例えばこの部屋のように閉鎖的な空間である事と、視界が狭まる夜や暗闇の中である事……そして――」
『相手が自分を力を過信して、まんまと罠に引っかかってくれる馬鹿な獣である事』
ニニエロの声が届いた瞬間。一ツ目は何もできぬまま虹彩をあらぬ方向に向けたままを意識を失った。
するとニニエロにかかっていた一ツ目の鈍鋲が解け、体の自由を取り戻した。
念のため部屋の扉を開け、廊下に続いているのを確認した後、ニニエロは動かなくなった一ツ目を見下ろす。
「覚醒を知り、黒の術者を集める而術を操る而生獣の組織か……これは使えそうですね」
ニニエロは不敵に笑い、見開いたまま固まった大きな眼を素手で掴み、体から引き剥がした。




