悪意の正体
駄目だ、今の俺たちでは勝てない。
空高く浮かぶ無数の雷を見て男はすぐに逃げるという選択肢を選んだ。
今まで地道に集めた斐綾鉱も、而力で練り上げた特製の汚泥も捨ててでも、あの場から立ち去らなければならない。
何よりも命が優先される。生きてさえいれば取り返せる。
男がその死生観に至ったのは、実際に一度死んでいるからであった。
一心不乱に逃げる最中、どうやら彼らが追ってくる気配がないのを感じると、男はひとまず呼吸を整えた。
神経を集中し、森の中に潜む最も邪悪な気配を探る。
わずかではあるが、あまり離れていない場所にそれがあるのを感じた。
その気配をたどるように進んでいくと、首から上がなくなっている遺体が転がっていた。
「おぉい生きてますかぁい」
返事はない。だが間違いなく悪意に満ちた、しかしどこか心が落ち着くようなオーラをその遺体は放っている。
「生きてますかぁ……兄貴ぃ」
「……あぁ、こっちだマルタ」
マルタと呼ばれた男は、声のする方に目を向けた。
視線の先には男性の生首が力なさげに転がっている。
「わりぃけどそこの体と繋げてくれや……そろそろ本当に死ぬわ」
「へい兄貴ぃ! 任せてくれよぉ!」
マルタはその生首を手に取って胴体に繋げると、唯一手元に残っていた斐綾鉱を接合部に当て而力をこめはじめた。
泥がゆっくりと湧き出てくると、その泥で首と体の境目を塞ぐように包み込んだ。
するtp体から離れていた頭部は、見る見るうちに生気を取り戻していく。
「どうっすかぁ兄貴ぃ!」
「あぁいいぜ最高だぁ……さすがは俺の右腕だ。知らねぇうちにこんなすげぇことができるようになってたとはなぁ」
「へへへっ……俺もまさか自分がこんな而術を使えるようになるとは思えなかったっすよぉ。にしても随分男前になりましたね兄貴ぃ!」
「はぁ? 何言ってんだマルタてめぇ」
兄貴と呼ばれた男は右手でマルタの頭を叩く。先ほどまで頭と体が分かれていたことが嘘のようなよどみのない動きだ。
「こんな優男が、俺より男前だって言いてぇのか! どう考えても元の体の方がシブくて雰囲気があっただろうがぁ!」
「ヒィィ兄貴すまねぇ……冗談だよ冗談! 兄貴は前の顔面の方がダンディっで男前だったよぉ!」
「……まぁいい。今や元の体は処分されちまっただろうしよ。この体で生きてくしかねぇからな」
「さすが兄貴ぃ! 切り替えが早いぜぇ」
「本当は、もう一人の方の体がよかったんだけどなぁ……あっちはレアな黒の而力の素養があったからなぁ」
「殺してから奪えばよかったんじゃねぇですかぃ?」
「ばーか。殺したら復活させるのに而力を持ってかれんだよ」
「あはははっ! でもそれに失敗して、結局死んだ体に而力使ってるんだから最悪のパターンっすねぃ」
再びマルタを叩こうとしたが、振り上げた右腕に違和感があったので、動きを止めた。
肘から先の右腕が真っ黒な灰に変わっている。
「兄貴ぃ……その腕」
「燃えカスになっちまってるようだな。もう感覚すらねぇ」
おそらくこの右腕の変化は、男の体を乗っ取っていた時に受けた炎の影響によるものだ。
この体は既に人間としての機能で命をつないでいるのではなく、而力を生命力に変換し、体を動かしている。
そのため、而力による攻撃で消失した部分は、仮に別の人間の体だろうが、決して回復することはない。
そしてあの炎には身に覚えがあった。
右腕だけでなく、全身であの炎を浴びた。
忘れたくても忘れられない――ドヌルとしての最後の記憶。
「……そういうことか、ふふふふふ。こりゃあ最高だぜマルタ。俺は二度も同じ奴に邪魔されたようだ。俺らが死んでるうちに随分と大きくなったようだ」
「どういうことですかぃ兄貴ぃ……」
「七年前、俺とマルタを炎で殺したダマスカス開発のお坊ちゃんが、一度では飽き足らず今度は俺の右腕を丸焦げにしたってわけだ」
「なんだってー! じゃあすぐにでもこの恨みを晴らさなくてはぁ!」
今にも飛び出しそうなマルタを制し、ドヌルは言葉を続ける。
「まぁ待てマルタ。別に俺はあいつを恨んじゃあいない。お前はあいつに殺されたけど、俺の直接の死因は別の奴に首を撥ね飛ばされたからだしな」
「でもっ……でもっ……」
「あぁ分かってる俺たちを苦しめた報いは受けてもらう。だがそれは今じゃない。まずは【アイツら】に報告して、しっかり準備してから確実に殺す。おめぇだって今、而力も斐綾鉱も泥も全然ないだろ?」
「たしかにぃ!」
「にしてもよ俺が【アイツら】から聞いてたのは『受肉にふさわしい肉体があるから奪い取れ』ってだけだったのによ。マルタの方にも邪魔が入るし、俺たちが聞かされていないクソみてぇな企てがあるんだろうな。なのでまずはきっちり説明してもらってからじゃねえとな。そうしねぇと予想外の所で転んじまう可能性もある」
「兄貴ぃ……なんか変わりましたね。前はもっと向こう見ずでイケイケだったのにぃ」
当たり前だろ、ドヌルはそう言って灰になった右腕を反対の腕で引きちぎり、マルタに投げつける。
「昔の俺はただの無鉄砲だった……何も考えず自由に生きているつもりが、結局誰かの掌で踊らされていたんだ。だが一度死んで俺たちはその掌から零れ落ち、真の自由を得た」
……だったら今度はその手に思い切り噛みついて、後悔させてやる。
ドヌルの復讐の炎は一方向だけではなく、あらゆるものに向けられている。
「……兄貴ぃ」
「ついてこいマルタ……俺たちを操ってると思ってる馬鹿どもを、地獄に叩き落してやろうぜぇ。なぜなら俺たちは最凶最悪の盗賊――ドヌルとマルタだぁ!」
「兄貴ぃぃぃぃ! 一生どころか二生もついていくぜぇ!
「よーし、ひとまず報告は後回しだ。なにより優先すべきは酒だ!」
「たしかぁ……ハナナサケの森を抜けると宿場町があったはずですぜぃ」
「うっしまずはそこだ。当然俺たちは盗賊だから……」
『――殺して奪いとるっ!』
ドヌルとマルタは大笑いしながら、ハナナサケの森を抜けていった。




