赦(ユラクヌイ)
――ギィヤアアアアァアアアアア!
ハクバの耳に前方から空間を割くかのような甲高い音が届いた。
それは歯車が軋んで漏れ出た音のようにも、はたまた断末魔のようにも聞こえ、とにもかくにも不快でしかなかった。
しかし、その音が聞こえなくなると、自身を押し潰そうとしていた水球が、形を維持することができなくなり、一気に弾けて地面へと流れ出た。
それはつまり、水球に送られている而力の供給源が絶たれたということ。
サイがあの化け物を倒したのだと、ハクバは一瞬で理解した。
想定外の状況ではあるものの、本来は卒業検定としてこの場所に転送されてきた以上、サイに活躍の場を与えてしまったことは悔しくもあるのだが、それよりもまず、何とか命だけは助かったという安堵感の方が強い。
而力がほぼゼロに近い。あと数秒倒すのに遅れていたら、自分の命はなかっただろうとハクバは感じていた。
「……ギリギリじゃないか。しかも全身水浸しだし」
軽く悪態を付きながら、一度大きく深呼吸をして前方を見る。
目に入ったのは、サイでも目から手が生えている化け物でもなく、それらを空へと焚き上げるかのような大きな火柱だった。
「おい……どうなってるんだサイ」
ハクバは一目散に火柱の方に駆け寄る。
近づけば近づくほど、その燃え盛る炎の中にサイがいるのが確認できる。
まさかあいつ……最初から相打ち狙いだったのか。
「ふざけるな! そんな格好いい死に方は許さん! まだ俺は貴様に剣で一度も勝てていないんだぞっ!」
ハクバは上衣を脱いで、それで抱きかかえるように火柱にあるサイの体を引っ張りだした。
幸い服が濡れていたことから炎は自身に燃え移ることはなかったが、伝わる熱さは炎そのものだった。
「サイッ! 起きろサイ! 今すぐ消してや――」
その瞬間。サイを包んでいた炎が消えた。
必死の形相で炎を消そうとしたたハクバと、後ろから急に抱き寄せられ驚いているサイの目と目が合った。
「あ、うん……なんか助けようとしてくれたみたいで、ありがとう」
ボゴッという音とともに、サイの顔にハクバの拳がめり込む。
「ぐぉ、いきなり何すんのさ!」
「うるさい心配して損した! やっぱり燃えて死ね!」
「なっ……ちょっとひどくない。一緒に死線をくぐり抜けた仲じゃないか!」
「なっふざけやがって! 本当に嫌な奴だな」
「そのままお返しするよ。ハクバの方がめちゃくちゃ嫌な奴じゃん。よく突っかかってきたりしてさ」
「それはサイが次期国王になられるバンビ様に対して無礼な言動をしているからだ!」
「別にバンビだって嫌がってないからいいだろ!」
「よくない! 大豪商とはいえ一般領が、王の血を引くバンビ様と気軽に口を交わすなどあってはならないことだ! 身の程を知れ」
「あぁウザッ! 典型的な委員長タイプでウザい」
「言ってる意味はよく分からんが悪口と受け取ったぞ!」
危機を脱し、緊張が解けたのか、サイとハクバは年相応のやり取りをし始めた。
元々ライバルのような関係性であったことを考えると、今回のことがなければこんな打ち解けた会話はしなかっただろう。
「あの~……盛り上がってるとこ悪いんだけど」
ぎょっとして二人は声のする方に向いた。
先ほどまで目から手を生やしていた化物が、直立不動のまま話かけてくる。
手が生えていた左目付近は真っ黒に焦げており、手の姿は見えない。
ハクバは瞬時に態勢を整え距離をとったが、サイはゆっくりと立ち上がり声をかけた。
「大丈夫ですか……痛いところとか、あと記憶がおかしくなっていたり違和感があるところありますか?」
「いや、左目が見えない以外何もない。記憶もずっと残ってるし、私に寄生していたナニかも君のおかげで倒せたようだ……」
「それならよかった。本当は体ごとも燃やしちゃおうと思ってたんですが、途中で異なる而力の反応があったのに気づいて……」
「はは、怖いこと言うね。まぁとりあえず私の腿に黒い釘のようなものが三本刺さってるだろ。それを抜いてくれないかい? そのせいで首から上は一切動かせないんだよ」
サイは目線を落とし、腿に目を向けると、言われた通り黒い釘のようなものを見つけた。
「これ抜けばいいんですね」
「あぁ頼む」
「――ちょっと待てっ!」
それを静止したのはハクバだった。
「なんか普通にしゃべってるけど、そいつはさっきまで俺たちを殺そうとしていたんだぞ! 動けないならここで殺した方がいい。また襲ってくるかもしれないぞ」
「大丈夫だよ。もうさっきの手の化物の而力の気配がない。この人は操られてただけだよ」
「而力の気配ってなんだよ。なんでそんなことがわかるんだ。というかそもそもの話になるがさっきの火柱はなんだ? そもそもなぜサイはは燃えていない。あれは完全に炎だったぞ」
サイはハクバの問いかけにどう答えるか悩んだが、この状況では話さないと納得しないだろうと判断し口を開いた。
「僕はね……他人の而力を自分の而力として使うことができるんだ。その副産物ってわけじゃないけど、ある程度近づけば而力の気配が分かるんだ……そして」
サイは左手に握っていた刀から小さな炎を生みだし、そしてハクバに触れるように伝えた。
「熱くない……なんだこれは?」
「これは赦といって、他人の而力を使って赤を出しているんだ。この炎は、自分と而力を借りている人は燃えない。今はハクバの而力を使ってるから、ハクバが触れても熱くもないし燃えない」
「……はぁ?」
「あと、さっき森を照らした赤があったでしょ? あれはシンプルに燃えない赤なんだ」
「……んん?」
「それでさっきの火柱は赦と燃えない赤を合わせたもので、さっきの化物の而力で燃えない炎を生みだした。だから僕もこの人も燃えてない」
こんがらがっている頭を整理しながらハクバは声を紡ぐ。
「……だがそれでは寄生している而生獣も燃えないのでは?」
「そうだね。でも而力を無駄遣いさせることができる。あいつは実体がなくて而力そのものの而生獣なんだよ。だから而力が無くなれば消えるだろうと思ってた」
「そんなことを……あの一瞬で判断したというのか」
「本当はこの人ごと斬るしかないと思っていたんだけど、この人の中に嫌な感じの而力を感じたからね。他にもあるけど、とりあえずこの人を介抱するのが先でしょハクバ」
あっけらかんと笑いながら語るサイに対し、ハクバは驚きを隠せなかった。
姉から昔「ゴウマ騎士団長は燃える赤と燃えない赤の二種類を駆使して若くして王の剣になった」と聞いたことがある。
サイは少なくともゴウマと同様に、燃える炎と燃えない炎を使うことができ、それを赦という他者の而力を使って二種類の炎を生み出すことができる。
その上、他にもまだ数種類ありそうな口ぶりだ。
「そんなの……反則だろ」
ハクバはその場にへたり込んで、笑うサイを見上げた。




