赤(クヌイ)【第一部】
ウーテ王国領は国土の東側が大きな海に面した恵まれた立地で、漁業や海洋資源の開発及び利用が盛んな君主制を敷く国家である。
特に体内の『而力』を顕現化する貴重な海洋鉱物『斐綾鉱』に恵まれ、産出国としてウーテ王国領のあるシンタイ大陸全土にわたり大きな影響を及ぼしている。
そのため国の財政は常に潤っており、国民一人当たりの税負担が低く、また福祉や教育の面においては、ほぼ全て無償で国民に提供されている。
……聞きなじみのない単語が出ているが、要はこの世界の人間には多寡はあれど魔法のような力を使えるエネルギーである而力を持っており、斐綾鉱とかいう貴重な鉱物を触媒に、不思議な力を顕現化することができるわけだ。
そして一人の女性アイドルに熱をあげていたアイドルオタク……転生前はサイというヲタネームで呼ばれていた男は、王国領内における斐綾鉱の取扱のほぼすべてを仕切る大豪商ダマスカス家の嫡男として生まれ変わった。
ざっくりいうと国はおろか大尉陸随一の金持ちのお坊ちゃまである。
コンコンと、部屋の扉をたたく音がして振り返ると、侍女が頭を垂れていた、
「……サイ様、間もなく剣戟のお稽古の時間です」
「はい、わかりました。すぐに準備していきます」
サイは筆を置き、いつか出版しようと考えている自叙伝の原稿を机にしまった。
まさかオタクとして使っていた名前がそのまま本名になるとは自分でも思っていなかった。
稽古場に着くと、すでに赤の軽甲冑を装着した赤毛の大男がいた。
「いよぉサイ! 相変わらずしけたツラしてんなガキのくせに、まだ五歳になったばっかだろ!」
口が悪く妙になれなれしい男の名はゴウマ=ロシエルという。
四〇年ほど前におきたカンダール戦争にて両親を失い、戦争孤児として国の保護を受けていたが、恵まれた体格と脅威的な而力を武器に、齢一六にして王国騎士団長かつ最強の戦士の称号『王の剣』を得た。
以降三四年、その称号をゴウマから奪えるものは出ておらず、「六〇歳で兵役引退するまでは誰にも奪わせん。称号ごと俺の墓場に持っていく」と日頃から騎士団の部下達に煽っているという。
そんなレジェンドクラスの戦士が、剣戟の指南役なのだから、つくづくダマスカス家の財力は桁違いだ。
「別にいつもどおりですよ。それよりさっさとはじめましょう」
「はははは、そうだな、他にも『お稽古』たくさんあるしな!」
確かにお稽古はたくさんある。剣戟はもちろん、馬術や弓術といった身体を育むものから、数学や国語といった一般教養、さらには経済学や史学、帝王学など五歳児が手を出すにはあまりにも早い学問も含まれていた。
幸い転生前の記憶があるというアドバンテージがあるからなんとかこなせているが、普通に生まれていたと考えると恐怖を感じる。
だが、つい先日なくなった『お稽古』があった。
「而力が全然無いんだってなサイ。別にそのぐらいいいじゃねぇか! それ以外はむしろ全部持ってるんだから、いい加減機嫌を直せよなぁ」
ペラペラと私語をはさみながらも、ゴウマは竹刀を振る腕をとめることはない。
サイもまたそれを竹刀で受け流し、会話を続ける。
「別に気にしてないですよ。別に僕は騎士になるわけじゃなく、いずれ父の跡を継ぐんですから。剣だって最低限自分を守れる程度身に着けておけばいいし、そもそも強い護衛を雇えばそれすら不要ですっ!」
この国では五歳の誕生日に、斐綾鉱を用いて自身の而力を測る風習がある。
特殊な加工をした斐綾鉱に触れると、而力の系統により九種類の色にわかれ、その明るさの多寡で而力の量と適正を調べている。
サイが触れた斐綾鉱は若干赤みがかった白色、そして部屋の照明を消さなければわからない程度の淡い光しか放たなかった。
もちろん加工に不備があったり、劣化をしていたりと石がうまく光らないという例も少なからずある。
だが斐綾鉱の取扱いを主な生業としているダマスカス家が、待望の第一子の為に用意した最高品質の物で加工を施した而力測定用の斐綾鉱。
不備などありようがなかった。
『而術については、もう学ばなくていい』
サイの父親でありダマスカス開発の社長であるシオ=ダマスカスがサイにそう告げた。
決して而力が少ない我が子を見限ったのではなく、愛がある故に口にしたということはサイ自身もわかっていた。
だからこそ、それに応えられない自分が悔しかった。
「そのことはもういいでしょう! 無いものは無いだけです。僕は何も気にしてないですよ」
大きく振りかぶった竹刀をゴウマはやすやすと手で受け止める。
「気にしてないってか……嘘つけよっ」
「――あっ!?」
突然足元をすくわれ、サイは宙を一回りした後、受け身も取れずに床に落ちた。
ゴウマは剣のみでなく、体術について、特に足技においては王国で右に出る者はいない。サイも普段はその可能性も含めて間合いをとっているが、今回は無意識に踏み込みすぎたようだ。
ゴウマは倒れたサイを起こすと、真剣な眼差しでサイの目を見つめた。
「サイ……お前に教えたい而術がある。ラッキーなことに、おめぇには俺と同じ赤而術の適性がある」
ゴウマはゆっくりと竹刀の柄を右手で握り、左手を刀身に添えた。
「赤而第壱號ノ壱……赤」
刀身が赤く染まっていき、次第に刀身に炎が纏わりついた。
まるで生き物のように竹刀に絡みつく炎、しかし竹刀は決して朽ちることなく形を保っている。
次第に炎は大きくなり、稽古場全体を包み込むように炎となった。
その熱量と圧倒的な存在感に気圧され、サイは全身から汗を拭きだしていた。
「第壱號ノ壱……而術においては初歩中の初歩だ。だが、俺はこれで今の地位までのしあがった」
圧倒されるサイに向かって、ゴウマは続けて声を出した。
「サイ……親父の跡なんか継ぐな。おめぇが次の『王の剣』になれ」