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第四章 リュージュの章1 憧憬

ナダ率いる第一団隊のエース、リュージュが語る。


 そうだな。俺の第一印象を言うとさ、あまりに細っこくて、こいつのどこをナダ一隊長は気に入ったんだろうと思ったよ。いや、わかってたよ。あいつが男と呼ぶにはもったいないほどの容姿端麗っていうのは。でも、ナダ一隊長殿は色事を仕事場に持ってくるようなことはなかった。そういうことは苦手そうだったな。だからこそ、女みたいな面と肢体を持った奴の腕を買ったことに、俺は違和感ありありだった。


 もちろんそれは、第一印象だけの話だ。ナダ一隊長のお情けかわからないが、俺はあいつと組むことがしばらくなかった。でも、噂に聞くあいつの戦い方と挙げてくる戦果に俺は背筋が寒くなるくらいだった。


 第一団隊イチの戦士。その俺の称号を根こそぎ持って行った。力も見た目も。


 見た目について少し言及しておくと、こっちの方は第一団隊だけでなく、都の綺麗どころで俺のことを知らない女はいなかった。お陰でそちら(どっちって想像してくれ)の方では全く不自由しなかったな。

 ところが、今都でもっぱら噂になっているのは、まだ見たこともないあいつのことらしい。今度カピラヴァストゥに帰ったら、俺なんか相手にもされなかったりして。


 だが不思議と妬みや怒りは感じなかった。話だけにしても桁違いだったから。


 カピラの国境を侵してくるコーサラ国は後から後から雨季の作物なみに湧いて出る。王子がかの国に反旗を翻してからというもの、列挙に(いとま)がない。だが、俺たちは確実にそれを押し返し、今は逆にコーサラ国に迫っている。


 あいつは手練れの百騎のコーサラ軍に対して、わずか十騎ほどで破ったとか、一人で敵の駐屯地に乗り込んで全滅させたとか、まあ話半分としても凄まじい。


 時たま駐留地で会っても、あいつは眉一つ動かさず、大抵は独りでいた。俺はその姿を時々盗み見てた。話しかける気はなかったが、正直あいつは完全に壁を作っていた。話しかけることを許さないような空気を(まと)っていた。ナダ一隊長だけが、時折声をかけていた。


 疲れるだろうに。何となく俺はそんな風にあいつのことを思っていた。ああ、あいつって誰かって? 阿修羅という名の新兵さ。新兵でありながら、今はもう第一団隊(ここ)のトップ戦士だけどな。



 そんなある日。ついにあいつと組む日が来た。俺たちカピラ軍は、国境を侵してくるコーサラ軍を蹴散らしていくうちに、ついに逆にコーサラ国境に迫った。王子は迷うことなくここを侵すと決断した。


 全くこの王子も只者じゃないな。ま、昔からその名を轟かせてたけど。救世主? とか聖王とか? お姿を見たことはないけど、ナダ一隊長に言わせたら、一緒にいると膝ががくがくするほど緊張すると言ってたな。会ってみたいもんだ。

 おっと、話が逸れた。で、その王子からコーサラ国境最前線の城攻めを言い渡されたらしい。俺はちょっと信じられなかった。今までの野戦ならともかく、城攻めを先鋒隊だけでやるなんざあり得ない。大した兵法を習ったわけでない俺だって驚いたよ。


 おれは元々クシャトリア(武士)階級じゃない。小さいながら自分の土地を持つ地主の三男坊だった。俺はガキのころからすばしっこくて、村じゃちょっとした有名人だった。どこから聞いてきたのか、子供のいないクシャトリアが俺をご所望だったってわけ。で、俺の親は三男坊なんて後々始末に困るってんでさっさと養子に出した。


 俺はもちろん感謝してる。クシャトリアなんて逆立ちしたってなれないカーストだ。養い親を喜ばせるため、俺は武芸に励んだ。その甲斐あってカピラ軍に入隊し、恩人のディーパ将軍にお会いできた。あの人は俺を買ってくれて、カピラ軍一の戦士に育ててくれた。今はもう隠居しちまったがな。


 あ、また脱線した。そう、その城を落とすのに、ナダ第一団隊長はこう言った。


「リュージュ、阿修羅と共に行け!」




 まだ夜空に星々が饗宴真っ只中な時刻、俺と阿修羅、あと俺も見知った優秀な戦士が十名ほど夜陰に紛れて国境を越えていた。国境を超えるには、大河を渡る必要があったが、最も浅瀬のところまで南下すれば、難しいことではない。


 当然見張りがいるので、そいつらに気取られぬように進む。気付かれたら殺すまでだが、夜明け前にナダ一隊長率いる部隊がここを通ることになっている。それまではあまり事を荒立てたくない。ここの突破はナダ一隊長に任せている。俺たちの仕事は城の正門を開けることだ。


 今から数刻前、駐留地を出発するとき、俺はあいつと初めて話をした。


「リュージュだ。よろしく頼む」


 阿修羅は初めて俺を見るような目つきで、さっと黒目がちの大きな瞳を動かした。スキャンされたような気分だったが、それは俺も同じだったかもしれない。今まで盗み見るような見方しかできなかったが、初めて正面で捉えた。


 俺は心の中で、大きなため息をついた。心が苦しくなって、息をしたかったからだ。


 ああ、そうだ。わかってた。第一印象がどうとか言ったけど、俺はこいつの、阿修羅の全てに魅了されていたんだ。あの日、ナダ第一隊長の隣を歩く姿を見た時から。


 足音もさせずに歩くその姿は手足が長く、華奢な腰が人間離れして見えた。最初は女だと思った。なぜナダ一隊長が女連れ、しかも絶世の美少女を連れているのか混乱した。それが新兵だと分かった時の驚きと恥ずかしさと言ったら。俺は男に見惚れたのか……。


 それを認めたくなかったから、その後声もかけなかったし、ちゃんと顔を見ることもしなかった。


「阿修羅だ。ナダから『やる』と聞いている。失望はさせないで欲しいな」


 こいつ、ナダ一隊長のことを呼び捨てにした。しかも俺に失望させるな。だと! 


 阿修羅は女かと見紛う桃色の唇の右端をくいっと上げて笑っている。切れ長の瞳に睫毛が束になって影を作り、どこか西の国で見た彫像のように白い肌と、これ以上はないのでは思えるほどの完璧な配置。


 情けないことに、言われた言葉に腹が立つどころか、俺は魂ごと持ってかれそうになっている。


 俺もこの国特有の浅黒い肌はしているが、彫が深いといつも言われている。だが、目の前の阿修羅に比べたら、雑に彫った石板のようだ。


「失望させるつもりはない」


 声が震えたかもしれない。だが、俺は精一杯虚勢を張った。今夜の作戦において、こいつは俺の指揮官だ。指揮官を失望させるつもりはない。本気でそう思った。気圧されながらも、俺は地に足をしっかりと付けてそう返した。


「期待している」


 口元を今度は引き締め、真顔でそう言うと俺の横を通り過ぎた。つむじ辺りで束ねられた髪がふわっと揺れる。なぜかそこから果物のような甘い香りがした。

 



 夜陰に紛れて、城壁に辿り着く。阿修羅は細い腰に縄を巻き付けるとサクサクと城壁を登った。俺も負けじと後に続く。ほぼ取っ掛かりのない平坦な城壁だ。それなのに僅かな隙間や石の凸凹に指をかけ、阿修羅は難なく登っていく。しかも息一つ上がっていないときた。


 やっとのことで頂上に手をかけると、阿修羅が俺に手を差し出す。これまた指が長く細い。俺は一瞬躊躇したがぐっとその手を掴んだ。冷たい手にすこしドキリとしたが、掌は思いのほか固かった。やはり剣を握る手だ。何故か俺はほっとした。


「音をたてるな。一人一人片づけていく。見張りの数はそう多くもない。この時間は最もやつらにとって辛い時間帯だ。夜明けまでに見張りは全員片づける」


 阿修羅の指示に全員が静かに頷いた。あいつの指示は余計な飾りがない分、わかりやすく的確だ。


「うっ! だれ……!」


 城壁の上で見張りをしていた者は、俺らの奇襲になす術なかったな。しかもカピラ軍精鋭中の精鋭だ。息をするように敵を葬っていく。


 コーサラ軍は何が起こっているのか知らない間にあの世に送られていた。と言っても、そのほとんどは阿修羅の手によるものだったことは間違いない。

 

 俺もやつの取りこぼしを掃除させてもらったが、初めて間近で見る阿修羅の殺傷能力は心胆寒からしめるものがあった。敵の背後に迫ったかと思うと、口を抑え、一気に短剣で首に赤い横筋を付けた。しかも血が噴き出さない。そんな方法があるのかと目を見張った。元は砂漠の盗賊と聞いていたが、盗賊にそんな手腕がいるのだろうか?


 ふと前を行く奴を見ると、二人の敵兵を同時に相手しようとしている。流石にそれは厳しかろうと俺は加勢に入った。さっとあいつの背後に背を乗せる。


「リュージュか」


 囁くような声が聞こえる。この時も全く息が上がってない。一体どんな心肺機能を持っているのか。


「余計なことを。まあよい」


 そう言うと、一人の敵兵の足を払い背中(バック)取ると、口を塞いで短剣を貫いた。同時に俺はもう一人を殺める。男が断末魔の声を上げようとしたので慌てると、阿修羅がうなじに肘鉄を喰らわせた。ゲッと蛙の潰れたような声を出して倒れていった。


「すまん」


 俺は素直に謝る。


「気にするな。ナダの目は確かだな」


 そう言うと、阿修羅は俺に向かって片目をつぶってみせた。癖になりそうな、そんな一瞬。敵陣の中にいて、おれは数秒固まってしまった。


 城壁の上にいた敵兵を(ことご)く倒したころ、東の空が朝を(にじ)ませてきた。遠くカピラの方角を見ると、土ぼこりが見える。ナダ一隊長の隊が出発したのだ。

 俺たちは内側に降り、ここでも見張りを(むくろ)に変えた。やがて時が来た。ゆっくりと正門を開ける。


 俺は阿修羅の顔を見る。するとあいつも俺を見た。なんだか胸がざわざわする。胸騒ぎの正体に、その時の俺は全くわからなかった。だが、半日を一緒に過ごして俺はあいつの信頼を勝ち得たようだ。それは素直に嬉しかった。もちろん俺も阿修羅に感服したのは言うまでもない。


「さあ、行くぞ! 城獲りだあー!」


 ナダ一隊長の怒声が響いた。続いて起こった地響きとともに、約千騎の騎馬隊が一斉に正門へとなだれ込んで来た。


「阿修羅! 白龍だ!」


「よし!」


 俺の目の前で、まるで軽業師のように奴の愛馬、真っ白な美しい馬に翔け乗った。


「リュージュ、遅れるな!」


 そう俺を見て奴は叫んだ。遅れるか! 俺も自分の馬に乗ると、昨夜は用無しだった背中の剣を抜く。大河の氾濫のような流れに乗って、敵陣に踏み込んでいった。


 コーサラ国境の小城は鉄砲水が来たような大騒ぎだ。大河の遥か向こうに陣取っていたカピラ軍が、まさか奇襲に打って出るなど予想もしていなかったとみえる。ふ、甘い奴らだ。


 堅固と思っていた城壁はいとも簡単に破られ、起床と共に千騎を越える敵兵がなだれ込んで来た。みな武具をつける暇もなく逃げ惑っている。哀れにさえ感じたよ。


 阿修羅はその先頭に立って、慌てふためく敵兵を容赦なく斬って捨てている。時には勇敢に立ち向かう勇者もいたが、悉く返り討ちにあった。水晶のような輝きを持つ両刃の剣が朝日に煌めく。さっと振り上げると同時に鮮血と首が舞った。


 俺はそれをただ見ていた。もちろん時々流れてくるコーサラ兵を叩き切ってはいたが。阿修羅が演じる凄惨なシーンは、どんな余興よりも、どんな美女たちの饗宴よりも、それは美しく、俺の心は高揚した。ずっと見ていたい。そんな倒錯な感情に襲われていた。


「私はこの城をコ-サラ国王より預かるダイカ。貴様は何者だ! このような抜き打ちの戦をしおって、恥ずかしくはないのか!」


 どうやらこの城の総大将が出てきたようだ。大きな黒い馬に乗り、阿修羅の行く手を阻んだ。手には立派な矛を握りしめている。もう逃げられないと、覚悟して出てきたのか? それなら褒めてやろう。


「何を恥じる? 寝込みを襲われるなど、城を守る者として最大の恥辱と思うが」


 阿修羅は鼻で笑っている。そして白龍を操りながら言葉を続けた。


「私の名は阿修羅だ。ああ、覚えなくていい。貴様はすぐにあの世に行くからな」


「このガキが! 言わせておけば!」


 歯ぎしりが聞こえそうなくらい悔しさに満ちた声が終わると、敵大将ダイカと阿修羅の一騎討ちが始まった。剣と矛のぶつかり合う音が大気を震わせる。みな各々の敵と対峙しながら、二人の闘いから目が離せない。おのずと敵も味方も棒立ちになって中央を見る。当然俺も釘付けだ。


「阿修羅!」


 やめておけばいいのに、ナダ一隊長が馬を操り阿修羅に近寄ろうとしている。二人の間合いに入ることができるはずもない。阿修羅は目の端で一隊長を捉えると、


「ナダ、邪魔するな。こいつの首は私が獲る!」


 よく通る声で阿修羅が叫ぶ。その声に反応したのは相対しているダイカの方だ。


「貴様、まだ愚弄するか!」


 顔を真っ赤にしたダイカは体ごと阿修羅に向かって、矛を突き刺した。俺は見逃さなかった。その勢いだけの攻撃に、阿修羅は口元で笑った。次の瞬間、ダイカの、そして俺も含めて見物人の視界からあいつは消えた。


「何!?」


 次に阿修羅を見たのは、敵大将(ダイカ)の首を狩る姿だった。阿修羅はダイカの矛先を難なく避けて飛び、そのまま奴の首を背後から刎ね飛ばした。


 冷たい物が首の背を触れた。おそらくそれが哀れな敵将の最後の思考だったろう。夜中の奇襲とは違って、盛大に血飛沫をまき散らし、首が空中を踊った。


「やった! 阿修羅!」


 ナダ一隊長を始め俺らの仲間は一斉に叫ぶ。阿修羅はダイカの馬の背に立ち、首のない死体を蹴り落とした。


「さあ! コ-サラの兵どもよ、直ちに武器を捨てよ! 我が旗に下れ! 勝負は既に決した!」


 阿修羅は馬上で剣を高く突き振るい、大声で言い放った。背中に陽を浴びたその姿はあまりに恐ろしく、だが逆に神々しくさえあった。俺は息を飲む。


 コ-サラの兵士達はその姿に(おのの)き、次から次へと武器を放り投げるとひざを折って地にうち伏した。

 


 夜中の奇襲から、わずか半日足らずで、ナダ第一団隊はコーサラ国、国境の城を落とした。その事実はすぐにも王子の耳に入るだろう。カピラ国が開国以来初めて、他国の地に踏み入れた。歴史が動く。俺は確かに新しい時が動く瞬間に立ち会った。歓喜の輪の中心にいる輝く阿修羅の姿を飽きることなく見上げていた。





 俺はそれからしばらく、阿修羅と行動を共にした。勝ち取った小城で敵襲に備えながら、次の行動に出た。第一団隊のほぼ全員がこの城に入り、カピラ軍の最前基地となるよう準備をすることだ。

 同時にコーサラ国討伐への次なる作戦も立てる。あいつの凄さは剣技だけじゃない。軍師としても相当な切れ者だった。コーサラ国の首都、シュラヴァースティを目指す道筋を論理立てて示した。


 俺は、ずっと胸がざわざわしていた。その『ざわざわ』の原因が阿修羅にあることはわかっていた。だが、努めて表に出ないよう、考えないようにしていた。あの日が来るまでは。



「え! 本当ですか!」


 この城に入って三日目、ナダ一隊長が俺に驚きの事実を伝えた。


「本当だ。もう半時もすれば到着される。おまえ、すぐに阿修羅を起こしてこい。どうせ今はお昼寝の時間だろ」


 朝の軍議と鍛錬が終わると、阿修羅はたいてい惰眠を貪る。夜の方が目も頭も冴えると言って、あいつは昼夜逆転しているのだ。ただ、この国の気候から考えると、普通のことだった。俺たち兵士も、戦は陽が昇る前に開始して、それが頭上に位置を移す前には終わらせる。そうしないと体がもたない。


 俺は個室を与えられている阿修羅の元へ走った。驚きの事実。それは……。

 部屋には無防備に寝床で横たわる阿修羅がいた。短い上衣から伸びる長くて白い脚が眩しい。固い筋肉がついているのだろうが、それを感じさせないしなやかな美脚だ。顔を覗くと長い睫毛が閉じられた瞼をかたどり、薄い桃色の唇から幸せそうな寝息が聞こえてきた。

 俺はこのまま起こすのがもったいないような気持ちに襲われたが、残念なことにそんな暇はなかった。


「阿修羅! 起きろ! おい!」


 やや横向きに寝ていた阿修羅の肩のあたりを揺さぶる。阿修羅は眠そうに寝返りを打つと、天井を向いて目を開けた。俺と目が合う。


「よお、色男。なんだ、敵でも攻めてきたのか?」

「寝言言ってんじゃない。急いでこれを着ろ!」

「これ? 何だこれは、随分仰々しい衣だな」


 あの奇襲以来、阿修羅は他人行儀が抜けて、俺に気安い言葉で話しかけるようになっていた。俺もそれに倣っている。もちろん、上官である阿修羅からの申し出だ。ただ、軍隊というのは上下が面倒な世界だ。公の場ではそんなことは通用しないので切り替えが必要だ。


 阿修羅はぶつくさ言いながら、俺の持ってきた上等な衣装を広げた。白地に金糸銀糸の刺繍が入った贅沢な上下の衣だ。熱帯地なので、上着は余裕のある五分袖、下衣は膝上だが、襟や袖口、裾には赤い帯が施されている。


「こんなもの、誰が持ってたんだ?」

「王子だよ」


 俺はぶっきらぼうに答えた。何が面白くなかったのかわからないが、何となく楽しくなかった。


「え? 何だと?」


 阿修羅は大きな黒目をさらに大きくして俺を見た。


「王子がおまえに会いにわざわざこの城まで来られる。もうそこまで来ているんだ。その衣は使いの者が先んじて持ってきた。それを着てお出迎え差し上げろということだ」

「王子? シッダールタが?」


「言葉遣いに気を付けろ! ナダ一隊長は何もおっしゃらんが、お前ときたら……」

「ああ、わかった、わかった。お前、腕はたつのにその煩わしいとこは辟易するぞ」


 阿修羅は俺の方を見ず、右手で追い払うような仕草をした。そして、着用していた薄い単衣の上着をさっと脱ぎ捨てた。


 え? 俺ははっとした。なんだろう。凄い違和感だ。阿修羅は上着の下に胸から腹の上部まで、薄いがしっかりとした皮のような布を捲きつけていた。まるで胸板を隠すようにそれは巻き付けられている。


「おい阿修羅、おまえ寝るときもそんな暑苦しいもの付けてるのか?」


 俺は疑問をそのまま口にした。その言葉に、あいつは明らかにしまったという顔をした。本人は気が付いてないかもしれないが、今まで見たことのない表情だったから、すぐにわかってしまった。


「ああ、これか」


 俺が持ってきた上衣の紐を結わえながら、阿修羅は答えた。間があったのは、答えを用意してなかったからだろう。


「いつ敵が来たって、この上に鎧をすぐ付けられる。便利だろ?」

「それはそうだが……」

「大体、この戦の最中、無防備に寝ている貴様らの方がおかしいんだ」


 その答えに俺は納得したわけじゃない。だが、次の瞬間、俺は別のことに気を取られてしまった。


 身支度を整えた阿修羅は髪を梳くと、いつものようにつむじの高さで束ねた。戦時の暗い色の鎧ではなく、明るい色を身にまとったあいつが俺の方を振り向いた。


「ほお、さすが美形の阿修羅だな。剣を交えている時とは別人のようだ」


 しかし……。これは本当に……。上滑りのような言葉がついて出たが、俺はその後に続ける言葉がなかった。

 白い上着はあいつの白い肌をより美しく輝かしていた。くっきりとした目鼻立ちは衣装に全く負けずに主張し、切れ長の目に大きな瞳が光を蓄えている。


「何を馬鹿なことを」


 軽く鼻で笑うと、流れるような髪を揺らして部屋出て行った。

 その後ろ姿を見つめながら、俺は気づいてしまった。それは今までぼんやりとしていた疑問の答えだ。妄想でしかないと敢えて気持ちの中でも形にしてこなかった。だが、この直観に間違いない。

 俺があいつを初めて目にした時の印象は正しかった。






第四章リュージュの章1 憧憬 了。次章に続く

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