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第三章 ナダの章  軍神の誕生

カピラ国軍が誇る、第一団隊ナダ隊長。彼のものとに現れたのは。


 いつもと同じ朝を迎えた。じりじりと肌を焦がす太陽が、もう東の空に陣取っている。そのうえ何もしなくてもじっとりとわきの下や額に汗をかく湿気。何もかもがこの北インドのいまいましい風土だ。


 最も天の山に近いカピラは、北インドの中でも湿気が少なく過ごしやすいところだが、コーサラ国国境付近まで降りてくると、もうこの蒸し暑さに閉口する。俺は所在なさげに駐屯地のテントをぶらぶらする。まあこれも仕事の内、見回りだ。


「ナダ一隊長殿! おはようございます!」


 朝餉(あさげ)の準備をする当番兵が声をかけてきた。


「ああ、元気そうだな」


 俺の名は、ナダ。一隊長と呼ばれたが、正確には、ナダ第一団隊長だ。長いのと舌を噛みそうになるので、一隊長と呼ばせている。たまに先鋒隊長と言われることもある。そう、俺の仕事は一番に戦場に出てって、敵を蹴散らし、本隊を迎え入れることだ。


「カピラ軍には高い士気と若さがあるが、残念ながら経験が少ない。戦いにこなれてはいない。だから、大国のような戦慣れしている国に勝つには、先鋒隊の力が最も重要になる」


 総大将シッダールタ王子の言葉だ。速さと度胸。そして戦略。それがあれば大国に勝てると。つまりは勢いが大事ってことだな。


「ナダ。カピラで疾風迅雷(しっぷうじんらい)と呼ばれた武将だ。おまえに打って付けと思うが、どうだ?」


 そう言われて断る武士はおるまい。俺は喜んでその地位を受けた。もちろん危険は承知だ。だが、王子はこの隊、第一団隊こそ最強にすべきとカピラ軍や選抜兵のなかでも優秀な兵士を配属させてくれた。こうなったら、勝ってみせないとな。


 今までの戦い、小競り合い程度のものだが、全てに勝利してきた。こちらに損害がなかったわけではないが、概ね問題はないだろう。


「ナダ一隊長! おはようございます。今日もまた新兵の選抜があるんですか?」


「ああ、リュージュか。そうだな。多分集まってると思うぞ。これから向かうが。おまえも行くか?」


 リュージュは精鋭が集う第一団隊(うち)のなかでも、最強の戦士だ。長身だが、俺のような恰幅のよい大男ではない。腕や胸には綺麗な筋肉がついていて、すらっと縦に長い。加えて目鼻立ちがはっきりとした、これまた第一団隊イチのいい男である。長い黒髪を後ろで束ね、まるで狐のしっぽのように揺らして俺の隣を歩いている。


「あ、いえ。今日は先週入った新兵をしごかなきゃいけなくて。残念です」


 別に残念でもないだろう。俺は内心でそう思ったが、右手を軽く挙げてリュージュと別れた。


 しかし、本当のところ、同行した方がよかったかもしれないな。衝撃の瞬間を見ることができたのだから。





「おい! まさかおまえが兵士になるってんじゃないだろうな!」


 俺が新兵の選抜所に向かうと、そんな誰かを馬鹿にした声が聞こえた。俺は正義の味方じゃないが、なんの根拠もなく人を(さげす)むのは好きじゃない。この軍はシッダールタ王子の考えで、奴隷だろうが武士だろうが、異国の者だろうが、忠誠と能力があれば兵士になれる。だから時々あんな差別的な言葉が発せられる。しかしそれを許していたら、生死をともに出来ないというものだ。俺は気になって、声の先を見る。


「え?」


 驚いたね。いや、ちょっと目を奪われた。新兵の選抜に訪れていたそいつを見た時。そいつは、同じく選抜試験を受けに来ていたチンピラ共に囲まれていた。


 少年、いや、少女のようにも見える、華奢で手足の長いお人形のようだ。眉目秀麗という言葉がしっくりする西国の彫像のような顔立ち、ここでは珍しい白い肌が太陽の光で陶器のように輝いていた。つむじ辺りで束ねられた流れるような黒髪の下、背中に背負われた剣がいかにも不釣り合いに見えた。身軽そうな獣の皮で作った戦闘服を纏っていたが、およそ防具にはなりそうにない。一体どこから来たのだろう。



 その少年は、はやし立てられても意に介せず、ぼんやりとあさっての方向を見ている。俺はこの茶番を止めるため、足を速めた。


「女みてぇな面して! その背中の剣が持てんのか?」

「可愛いねえ。兵士じゃなく、別のことなら雇ってもらえるんじゃねえか?」


 そう言うと、一人の男が少年の腕を取ったのが見えた。俺はちょっと焦った。だが、その必要はないと、すぐに理解した。


「痛! 何しやがる!」


 チンピラは地元では悪さばかりしていたのだろう。一応腕に覚えがあったようだ。だが、いとも簡単にその少年に掴んだ手を弾かれた。


「くくっ……。ははは……!」

 少年の笑い声が響いた。


「何がおかしいんだ! いい気になんな、綺麗な顔に傷がつくぜ!」

「相手になれと言うのなら、してやってもいい。だが、恥をかくのはお前の方だ」

「なん……!」


 チンピラは最後まで言うことができなかった。少年の抜いた剣の切っ先がチンピラの喉元でぴたりと止まった。


「ひっ!」

「動くと死ぬぞ」


 手の動きが全く見えなかった。背中の鞘に収まっていたはずの剣。いつの間に奴の喉元を制したのか。俺は思わず唾を飲み込んだ。これは、只者ではない……。


「野郎! ふざけやがって!」


 だが、それが単なる偶然か何かと思ったのか。はたまた大勢でやれば倒せるとでも思ったか。いずれにしても愚かだからこそのチンピラ、周りにいた仲間たちが一斉に少年を襲った。


「やっちまえ!」「俺も混ぜろ!」


 少年はまたいつの間にか剣を鞘に納めている。こんな連中に獲物を振るう必要もないと思ったのか。ここから見ると、実に綺麗に連中の攻撃を(かわ)していく。おそらく連中の動きなど、止まって見えるのだろう。躱した反動で、蹴りや手刀を効率的に繰り出して、集ってきた男共を次々砂塵にまみれさせた。


 周囲のやじ馬たちはボロボロにされた少年の姿を期待したようだったが、砂ぼこりが落ち着いた時、立っていたのは紛れもなくその少年だった。


「ふん。口ほどにもない」


 少年はぱたぱたと手についた砂埃を払いながらそう言うと、茫然と立ち尽くす野次馬共を見渡した。


「お前達も私に相手してほしいのか?」


 綺麗な顔を少し傾けて、歌うように言った。


「め、めっそうもない。遠慮しとくよ」


 少年を取り囲んでいた連中がたじろぐその背後に、俺はゆっくりと近づいた。


「なかなかの腕前だな。体にも似合わず」


「ナダ一隊長!」


 野次馬の中に、カピラ軍の兵士がいたようだ。後でお灸をすえないといかんな。俺はそいつらに瞳子(どうし)だけで厳しい視線を投げる。その端が奴らの硬直した姿を映した。

 

「一隊長?」


 少年は俺を仰ぎ見た。近くで見て、俺は再度息を飲んだ。人を射る様な鋭い目を持ちながら、完璧な造形美。くっきりとした形のよい眉、切れ長で涼やかな瞳に長い睫毛。筋の通った鼻に桃色に透き通る唇。そして何よりも小さな体から発するとんでもない(エネルギー)。見る者全てを圧倒する。


 俺はこんな気を発するものをこの世の中で一人しか知らない。唯一無二と思っていたが、こんな名も知らぬ者に、同じような力を感じるとは。


「おまえ、名はなんという?」


 俺は気圧されているのを悟られないよう、わざとゆっくり息を吐きながら尋ねた。なのに奴は気おくれすることなく、俺の身なりを見ている。失礼な視線も意に介さない。


 俺も見られて困るわけではない。ここらにいる者とは格段の差があるはずだ。一応カピラ軍将校なんだから、戦闘時ではないとしても一端の武具は付けている。


「阿修羅」


 少年は一言そう言った。あしゅら? 阿修羅か? 


「阿修羅……。変わった名だな。通り名か? まあ、よい」


 俺の気持ちはもう決まっていた。


「よし、決めた。俺についてこい」

「どこへだ?」


「俺の隊だ。今日からお前は私の隊へ入ることを命ずる。わかったな」

「貴様の?」


 さすがに戸惑ったのか、微妙な顔をしている。そしてもう一度俺の顔を見上げる。俺を算段するのか。いいだろう、好きなだけするがいい。


「ふん、条件によっては考えてやってもいい。貴様の隊の仕事は?」


「おまえ!何様のつもりだ。調子に乗るんじゃないぞ。ナダ一隊長はっ…!」


 俺の部下が外野で騒いでいる。だが、そんな小者に気にもとめず、口元に笑みさえ浮かべて俺を見ている。鳥肌が立った。なんて奴だ。今、誰がこいつの背後を狙おうと、指一本触れることはできないだろう。俺は、部下の声を制してこう言った。


「俺は人の後ろに付くのが嫌いでな。先鋒隊を指揮している。おまえにはその最前線の場所をやろう」


「いいだろう。願ったりだ」


 阿修羅と名乗った少年は、満足げにそう答えた。




 それから時間はかからなかった。阿修羅はその技量を戦において遺憾なく発揮し、リュージュの位置をあっという間に奪ってしまった。


 本来先鋒隊は、本隊が無傷のまま敵本陣に攻められるよう、敵陣を切り込んでいき道を開く仕事をする。時には損害が多くでることもある命がけの隊だ。それでも俺は速さと戦略を武器に出来るだけ死人を増やさないよう戦ってきた。優秀な戦士が多かったからそれも可能だったし、それだからこそ、安易に失いたくなかった。

 

 だが、桁違いの剣技を誇る阿修羅にかかると、速さも戦略も不要かと思われた。阿修羅そのものが戦略と言っても過言ではない。一人で何十人分もの仕事をした。加えて頭もよく、判断も早い。戦いながらも次々と指示を出し、確実に勝利を治めていく。

 第二、第三隊が到着したころは、もう倒す敵がどこにもないといった状態が続いた。奴の噂はあっという間にカピラ軍に広がった。


 『軍神、阿修羅。三面六臂の戦士』


 ある日、シッダールタ王子の基でコーサラ国を攻める軍議が執り行われた。俺が知る他を圧倒する力を持つ者。もう一人はこのお方だ。


 まだ若いが、豊富な知識に裏付けされた戦略は盤石に見えて斬新だった。そして何人も越えられないカリスマ性。王子に仕えることを喜びと感じられた。


「コーサラの砦ともいえるこの城。ナダ、攻められるか?」


 王子の問いに、俺は即答した。


「お任せください。すぐにも落としてみせます」


 俺は自信満々だった。今の第一団隊に不可能はない。それくらいの自信があった。

 そんな俺に、王子は怪訝そうな顔した。そりゃそうだ。王子は攻められるかと尋ねたのに、俺は『落とす』と明言したのだ。


 根拠のない自信を王子は嫌う。そんな虚言に振り回されたら、味方の軍を巻き添えにして大きな損害を受ける。そうだ。その通りだ。だが、俺には根拠がある。


「恐れながらはったりではありません。明朝には出陣します。吉報をお待ちください」


 俺の自信たっぷりの言葉に王子も承諾した。俺は意気揚々と退室した。





 その日のうちに第一団隊、自分の軍に帰ると、上位連中を集めて改めて軍議に入った。


「城攻めは初めてだな。どうだ、やれるか?」


 俺の投げた問いに広げた地図をざっと見、阿修羅は眉一つ動かさず答えた。


「そうだな。私が夜陰に紛れて行こう。隊長たちは夜明けとともに攻め込むといい」

「できるのか?」


 コーサラの城は小城だが、カピラ国や他国との国境を守る城。強固な城壁と頑強な兵士たちが、コーサラを今まで守って来た。そうやすやすと落ちるものでもない。俺はこいつならとは思っていたが、これほど簡単に受けられると返って不安になる。


 だが、阿修羅は俺の疑念を受け流すようにこう応じた。 


「難しい話ではない。だが十人ほど兵をくれ。腕のたつ、なるべく身軽なやつがいい」

「わかった。そういうのにうって付けの奴がいる。リュージュ!」


「はっ!」


 俺の背後で、長い黒髪を後ろ手に束ねた男前の戦士が声を上げた。


 実は今の今まで、二人は同時に戦いの場に出たことがなかった。俺がわざとそうしていた。お互いのことを見知ってはいただろうが、一緒にいるところは見たことがなかった。リュージュは賢い男だ。阿修羅の力量はすぐにわかっただろうが、奴にもプライドがある。


 俺は二人にそれぞれの小隊を持たせ、交互に攻めさせていた。今までの戦いなら、それで十分だった。戦勝の八割は阿修羅の隊が持っていったが、リュージュも己の仕事を淡々とこなしていた。


 だが、これからはコーサラ本国に乗り込むのだ。そろそろ合同(デュエット)でやってもらわなくてはならない。これは良い機会だと俺は考えていた。


 奴らは夜の帳が降りる頃、十人という小隊で我らの陣を後にした。





 夜明け前、予告通り俺は第一団隊を率いて、コーサラ国境をまたいで小城へと歩を進めた。第一団隊は総勢五千。身軽さが取りえなので、他の隊に比べると数はない。少数精鋭だ。だが、この小城を攻めるのに全軍あげる必要はない。城の規模から言っても、敵の兵は三千に満たないだろう。阿修羅からの進言もあって、一千騎の騎馬隊と五百の歩兵で向かった。


 陽が東の空を彩りだしたころ、俺たちはコーサラの小城の正面に到着した。さあ、果たして門は開けられるのか?

 俺は柄にもなく、心臓が胸の中で跳ねていた。心配よりも興味の方が大きい。


 するとどうだ。どっしりと重い正門は、ぎしぎしと不協和音をたてながら、ゆっくりと開け放たれていく。まるで俺たち千五百のカピラ兵を『ようこそ』と招くように。

 そしてその正門には、不敵な笑みを浮かべる二人の姿があった。


「阿修羅! 白龍だ!」


 俺は繋いできた白龍を走らせる。白馬は迷うことなく主のもとへ飛ぶように駆けていく。

 その白馬に軽々と乗り上げる、あいつの姿が見えた。長い手足が曲芸師のように見事に舞っている。何をやっても絵になるやつだ。すぐ後ろにリュージュがいた。誰かが連れてきた奴の馬にあいつも跨ると、二人は目で合図して城に入っていった。いいぞ、第一団隊(うち)二頭(ツートップ)はどうやら相性が良かったようだ。


「さあ、行くぞー! 城獲りだああー!」


 俺は背後の部下たちの士気を煽る。正直、もう負ける気はしなかった。怒号のような叫びが地表を揺らす。俺たちは雪崩のようにコーサラの城へと飛び込んでいった。

 









第三章 ナダの章 了   次章に続く

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