第二十三章 その1 シッダールタの章 その2 阿修羅の章
第二十三章 その1 シッダールタの章 最期の時
私の手の中で、阿修羅の右手の力がふっと抜ける。彼女の顔が横に振れると、抱いていた腕がずしんと重くなった。
「ああ!」
私は阿修羅を胸に抱きしめる。あれほど強くしなやかな肢体であったのに、物言わぬ少女の体は細く脆く、そして信じられないほど暖かい。心がざわざわする。なんだろう、一体何が起こったのだ? おまえは逝ってしまったのか? 私を置いて?
「阿修羅、目を覚ましてくれ! おまえのためなら何でもするから! 生きていてくれ!」
私は阿修羅を強く強く抱きしめながら叫び続ける。届かぬと知りながら、何故だ、何故だ、何故おまえは私を置いていくのだと、何度も何度も問い続ける。運命など信じないと言ったではないか。
――――二人で世界を征すると誓ったあの日。
――――疾走する白馬の背に立つおまえ。
――――何も恐れるものはなかった。夜も更けるのも忘れて求め合ったあの日も。
全ては夢なんかではない! おまえは私に生きろというのか。こんなにも苦しいのに?
「阿修羅ぁぁ……」
嘆きの声は砂漠を走り、幾千里も越えていく。いつ果てることもなく……。
――ヒヒーン……。
主を失った白龍が短く嘶いた。
私の体中を流れる血が、おまえの言葉を繰り返すように巡っていく。
オマエハオマエノスベキコトヲシロ。ワタシノタメニダケミチヲススメ
◇
第二十三章 その2 阿修羅の章 奈落
――阿修羅……。
声がする。私は目を開ける。
『誰だ』
――誰でもない私だ。ここがおまえの場所だ。
『ここはどこだ?』
――奈落だ。おまえが殺した何千人もの魂が肉体を求めてさまよっている場所だ。
『そうか、私に相応しいな。私は死んだのだな』
――この救えぬ魂と戦い続けろ。この奈落はシッダールタの心の闇でもある。
『シッダールタの心の闇……』
――おまえはここでどれほど痛めつけられようと、逃れることはできん。シッダールタがおまえを救いにくるまで。
『あいつは来るだろうか』
――おまえが戦っていれば、必ず来るだろう。おまえが信じてさえいれば。
『……』
私はゆっくりと奈落に足を踏み入れた。底なしの暗黒の世界へ。たった一人で。
第二十三章 了 最終章に続く。