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第二十二章 阿修羅の章6 私が愛したシッダールタ


「なに!? そんなはずはない! あの男だけはしっかりと顔を見た!」


 私はシッダールタから体を離して叫んだ。冗談ではない。確かに手応えはあった。あいつの断末魔の声を聞いたのだ。砂に邪魔される記憶の視覚を呼び起こして私は訴える。


「竜巻がいくつも起こっていた。飛ばされたのかもしれん。とにかく探んだ!」


 ナダの声に私たちは散り散りになって探す。足元は所どころ弱いところがある。それを避けながら岩の周りや奴らの馬のあたりまで探した。だが、やつの死体は見つけられなかった。


「大丈夫だよ。きっと飛ばされたのさ。それか、沼に落ちたのかもしれん」


 リュージュが慰めるように言う。本当にそうだろうか。そうであって欲しい。四人ともが同じように願った。

 私はシッダールタ達三人が、少し離れたところで話しているのをぼんやりと眺めていた。その時だった。


「あ……」


 私は一つの(むくろ)がぴくりと動くのを見た。いや、それよりも、こんなところに躯があっただろうか? その躯は不死人のように体を起こし始めた。私は恐怖でその様を身じろぎもせず見入ってしまった。しかし、その泥まみれの顔を見て私は戦慄し、叫んだ。


「シ、シッダールタ!」


 ダイバダだ! 奴は今のいままで砂の穴にいたのか? そしてそこから這い出てきた? 確かに一度飲み込まれた穴から這い出ることは稀だがなくはない。しかし、即死ほどの深手を負っていてそれが出来るのか?


 私の悲鳴にも似た声に、皆一様、振り向いた。その視線の先、砂と血にまみれた体をよろよろと揺らすダイバダに一同は息を飲む。奴は墓場から甦った死体そのもので、ふらつきながら、しかし一歩一歩、確実にシッダールタに向かっていた。私に斬られた傷から血が噴き出しているにも関わらず。


「おま……えの……こえ……きこえ……や……と、おま……おいつ……い……た」


 ぶつぶつと念仏のような言葉を唱えながら、ダイバダが脚を引きずるように進んでいく。誰もが硬直して動けない。武器も何も持たないこの男。すでにもう死んでいるのも同然だ。  

 だが、嫌な予感がする。早く、早くこいつを止めなくては。私は剣を持っていないことに気付く。


「もう、眠れ。ダイバダ。おまえはもう助からない」


 シッダールタが落ち着いた声で諭すように言った。その顔に戦意はなく、哀れんだ瞳でダイバダを見ている。ダイバダの砂と泥にまみれた衣服から何かが落ちるのが見えた。


 ――――あ! いけない!


 私が駆け出すと同時にダイバダの体が揺れた。足が(もつ)れて倒れそうになる。思わずシッダールタが手を貸そうと差し出している! だめだ! よせ! シッダールタ!


「やめろ! シッダールタ! そいつは……!」


 間に合わない。私は思い切りシッダールタを突き飛ばした。


 ――――つっ!


 私の脚に奴の爪が食い込んでいる。奴と目が合った。血走った目は満足そうににやりと笑った。まるで地獄の使者のように。


「うぎゃあ!」


 直後、うめき声とともにダイバダは私の脚元にうつ伏した。リュージュが一刀両断した。しかし、もう、遅い……。私はその場に膝から崩れ落ちる。奴は、爪にたっぷりと塗っていたのだ。青い花の毒液を……。





「阿修羅! しっかりしろ!」


 シッダールタの声が聞こえる。まだ私は生きているのか。太腿がきつく縛られている。そうだ、私はシッダールタに伝えたいことがある。血の巡りを遅く、心の臓をゆっくりと動かそう。わずかでいいのだ。どうか私に時間を……くれ。


「シッダールタ……、しくじってしまった」


「阿修羅、阿修羅! しっかりするんだ。何故私を(かば)った。おまえが死ぬのは許さないと言っただろう」


 私を見つめるその瞳には既に涙が溢れている。それでもおまえの深い藍色の双眸を見ることができて良かったと思う。


「シッダールタ……。ダイバダは?」


「死んだよ。もう大丈夫だ。何も心配いらない」


「そうか……」


「さあ、解毒剤だ。ヤーセナの処方だから効くぞ」


 解毒剤……。持ってきたのも忘れていた。私は促されるままに口にするが、効かないことは知っていた。


「シッダールタ、もういいのだ……。今度ばかりは、助からん」

「何を言うか! おまえは死なない! 死なせない!」


 シッダールタの声が震えている。すまない。でも、この結末を私はとうに受け入れていたのだ。


「そうだな……。私は死なない」

「ああ、そうだとも」


 奴の暖かい手のひらが私の頬を撫ぜる。もう顔がぼやけてきた。


「おまえが生きている限り、死なない。たとえ……この身が朽ちようと……おまえが生きている限り死なない」

「阿修羅……、何を言ってる?」


 苦しいな……。だが、おまえに伝えなければ。


「おまえは私を見つけると言った……。どこにいても、何になっても見つけると言った」


 息が、途切れる。まだ、まだ逝けない……。もう少しここに留まらせてと私は祈る。


「砂嵐のあと、私を見て……、おまえ達は……恐れたのだろう? 私も……自分が、何者か……脅えた」

「あれは! 砂が目に入って、赤くなっていたのに驚いただけだ! 誰もおまえを恐れてなぞいない!」


 嘘をつけ、シッダールタ……。私を見たおまえ達の目。私はもう戻れないと思った……。


「私は、地獄に行くようだ。あいつが……言ってたよ。私は……人を、殺し過ぎたと」

「阿修羅! 何を言うんだ。おまえはずっと私を助けてくれた。地獄ならば私が行く」


「いや、シッダールタ。……そこは、私の場所だ。……おまえは、おまえの……すべきことを、しろ」


 シッダールタが息を飲んでいる。どうした……? わかるのか? 私が言いたいこと。生きていて欲しいのだ。私がいなくなっても、生きていてくれ。だから……。


「私を……私の魂を……救えるのはおまえ、だけ、生きて、その道を……探して。私は戦うしかできない……から」


 生きて……おのれの道を行け。それが、私を救う唯一のこと。

 もう、おまえの顔が見えない……。


「おまえの、おまえのためなら何でもする! 地獄だろうとどこだろうとおまえを助けに行く。だからしっかりしろ!」

「ああ、そうか……。待ってるから……。ずっと……待ってるからな」


 心に安堵が満ちていく……。私はおまえを信じて待っている。リュージュやナダの気配もする。泣くな、いつかどこかで、また会えるだろう。


「阿修羅……、逝くな。私を残して逝くな」


   ――――おまえの声が、遠くなって。


「ああ……、思い出すな……。おまえに初めて……会った、あの日のこと……」


   ――――時が、満ちていく


「私のために……、私のためだけに、道を進め……」


「阿修羅!?」


「愛して……い」


   ――――る






第二十二章 阿修羅の章6  了  次章に続く。 

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