第二十二章 阿修羅の章6 嵐の中で
私はゆっくりと体を起こす。巻き込んでくる暴風は砂の矢となって私を刺す。だが、不思議と痛みは感じなかった。
――ピュウ!
私は口笛を吹いた。蹄の音がはっきりと伝わってくる。下の連中も気が付いたようだ。私は岩を蹴って飛ぶ。体は風に煽られるが確実に下へ降りていく。眼下に白い塊が滑りこむように現れた。
「白龍! 行け! 翔け抜けていけ!」
私は白馬の手綱をギュッと掴む。猛威を振るう砂嵐をつんざくように嘶きが響き渡った。
「阿修羅! やめろおぉぉぉぉぉぉぉ!」
背後で私を止める叫び声が上がる。だが、白龍の四脚はこの砂の沼に埋もれることはない。まさに飛ぶように駆け抜けていくのだ。
私は待ち切れず抜刀した。嵐は渦を巻いてはいるが、奇しくも風上と言える。激しい追い風に押されるように白龍はダイバダ達が潜む場所へと私を運ぶ。たとえそこが地獄への入り口であったとしても私は止まらない。
唸り声のような音とともに凄まじい風が私の束ねた髪を巻き上げる。唇にしっかりと布を噛み、私は白龍から飛び降りた。そこには暴風に右往左往している奴らがいた。
「うわあ! 阿修羅だぁ!」 「敵だ! 敵が来たぞ!」
目を開ければ大量の砂が押し寄せてくる。だが、閉じることは許されない。兵士たちは一斉に獲物を抜く。長い槍が私に向かってくる。見えてないのか闇雲に突いてくるそれを私は剣で叩き落す。視界が悪い。だが、ここには敵しかいない。そのまま人影に迫ると体の真ん中に剣を突き刺した。一人目。
背後に気配がする。私は咄嗟にかがむと、頭の上を剣が走った。そのままバク転をし当の本人の目の前に立つ。至近距離にいる私にヤツは真っ赤な目を見開いた。だが、それは最後の瞬間。私は間髪入れずそいつの首を払う。二人目。
ダイバダはどこにいる。雑魚をいくら屠っても、奴が生きていては何にもならない。
雷が轟音とともに天から地へと這った。その瞬間、奴らの姿が露わになる。六つ。
私は黒い人影を追う。ふいに右側から大きな影が片刃の大剣とともに現れた。それを剣で受ける。左脚が沈んだ。足場が弱い。私は力を流して体をすり抜ける。大男はバランスを崩す。私は右足を軸に跳びあがると男の首の背から剣を振り落とす。男は叫び声も上げずに地に伏した。三人目。
おまえは人を殺め過ぎた。
四人目を上段から両断したとき、ふいに脳裏に浮かぶ。そうだ、だからどうした。もう今更十人やそこら増えたところで何だと言うんだ。シッダールタを脅かすものは許さない。ともに戦う仲間も失いたくはない。だが、それだけだろうか。私はこの砂嵐と稲光のなかで、剣を振るう度に血が滾るのを感じている。私は今、どんな顔をして剣を突き立てているのだろう。
竜巻が向かってきた。油断すると体ごと持って行かれそうなほどの強風が、渦を巻いて上空へと昇っていく。砂も石も巻き上げて。
「うっ!」
私はそばにあった岩につかまって竜巻が去るまで耐える。束ねた髪が逆立つのを感じる。すぐ前に、同じように岩にしがみつく敵がこちらを見ている。竜巻になのか、私になのか、戦慄の表情でガタガタと震えている。
上昇気流が横殴りの強風に変わると同時に、私は逃げようとする奴の肩を掴む。振り向いた男の顔は恐怖に引き攣っている。手に持った剣を振り回すが私はそれを奴の腕ごと斬り落とし、返す刃で心臓を貫いた。男は叫び声と共に血反吐を吐き、膝を折って崩れ落ちた。五人目。
足場が不安になる。どこにいるのかわからなくなってきた。私は躯を踏みつけて次の獲物へと跳ぶ。悲鳴が聞こえた。ような気がした。同時に空を轟かした稲妻にその声はかき消される。私はそいつを一刀のもとに斬り捨てた。六人目。
あと二つ。
遠くで私を呼ぶ声がする。それともあれは雷の叫びなのか。私はもうあそこには戻れないかもしれない。もうどこにも行けない。私はいったい何者なのだろう。
目の前にダイバダがいた。奴は怯えた顔を私に向けながら、剣を必死に振りまわしている。辺りは既に暗闇に等しい。稲光だけがあたりを照らす。ダイバダの前に立ち塞がる兵士がいた。こんな男におまえは忠誠を尽くすのか。どのみちおまえは救えない。もしも稲妻が神の裁きで、今すぐ私の振りかざす剣に落ちたなら、おまえはダイバダを救えるかもな。
七人目。いかづちは私ではなくどこかに落ちて地響きを鳴らした。
最後に残ったダイバダに私は剣を突き付けた。奴は髪を振り乱して何か言いたそうだ。だが、私にはどうでもいい。一瞥して肩口から袈裟懸に斬る。これで全てが終わりだ。断末魔の叫びを残して奴は仰向けに倒れた。
終わったのか? あっけないな。呼吸をするように人を薙ぎ倒していった。開け放たれたままの目が乾いているのがわかる。剣は血まみれ。ついでに体中も血にまみれている。返り血も気にせず斬りまくっていたからか。不思議だ。息苦しい。
私は肩で息をしていた。これくらいの戦いでこれほど息を乱すとは。膝に手を付くと流れる汗が私の腕を伝う。まだ砂嵐は止まない。いつの間にか雨も混じっている。砂や石が容赦なく私の濡れた体を撃ち続ける。初めて痛いと思った。
誰か……助けて……。
どれくらいそうしていたのか、いつの間にか砂嵐は去っていた。あれほど荒れ狂っていた風は静まり、いつもの乾いた風が髪を揺らしていた。空に再び抜けるような青空が戻り、肌を焼く太陽が砂漠を照らしている。
「阿修羅、大丈夫か!?」
私の周りに散らばる躯の山。砂にまみれて体の半分くらいしか露わになっていない。側には白龍が所在なさそうに首を振っている。そう言えば、今、誰か私を呼んだか? 私はゆっくりと後ろを振り向く。
「阿修羅……!?」
知った顔の六つの目が私を見ている。みな一様に恐ろしいモノでも見たように引き攣った表情だ。私はやはり、戻れなかったのか。声を出そうとしても、喉に何かが詰まっているように簡単には出せない。
「大丈夫だ。阿修羅、ほら、顔を拭いてやる」
震えて固まる私を抱き寄せる腕。懐かしい匂いがする。手に持った水を含んだ布で砂と血で塗れた目と顔を拭ってくれた。だんだんと気持ちが落ち着いてくる。再び顔を上げると、ほっとしたシッダールタの顔が見えた。
「またおまえに助けられたな。ありがとう、阿修羅」
そう言って、水の入った筒を差し出す。私は喉を鳴らしてそれを一気に飲み干した。妙に喉が渇いていたのだ。そしてやたら重く感じた剣を手から放す。首に巻いていたはずの布はいつの間にかどこかにいってしまっていた。
「シッダールタ」
ようやく声が喉を通っていった。周りにいたナダとリュージュも、安心したように息をついている。私は戻れたのだろうか。この世界にもう一度、戻ってこられたのだろうか。
「おまえが戦っているとき、行こうとしたんだが……。みなに止められてしまった。どのみち私の馬では辿りつけなかっただろうが。稲光でおまえの姿が現れるたび、もしものことがあったらと恐ろしくて、息もできなかった……」
私は改めて周りを見る。リュージュが躯を確認している。ナダは足元を注意深く見ながら馬をなだめていた。
「私は……。大丈夫だ。あれくらい何でもないのだ、私は……」
シッダールタ達は、砂嵐が去ってからここに来たのだろう。沼を避けながら。シッダールタが無言で私の頭を撫でている。終わったのだな。ようやく……。どこか夢でも見ているように私はシッダールタの胸に体を預ける。
「おかしい。ダイバダがいない!」
訪れた静かな時間をつんざくようにリュージュが声を上げた。私は一瞬にして現実に引き戻された。
本日(7/5)19時過ぎに、完結まで公開します。
よろしくお願いします。




