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第二章 我楽の章  流沙の阿修羅2


 遠く陽炎(かげろう)のように揺れながらキャラバンが行く。数十頭のらくだとたくさんの商人。そして山のように積まれた荷。その重さのため足を砂に取られながら、ゆっくりと、しかし着実に前へと東へと進んでいた。


 乾いた風の中、砂に煽られながらオレたちはそれを見ていた。オレの目の前には、岩に片足を乗せ、その膝に右手を置いた少年がいた。長い黒髪をつむじの辺りで束ね、その房は風にしなを作って流れている。獣の皮でできた鎧と腰に帯びた刀剣が不釣り合い(アンバランス)に見えるくらいその少年は華奢で、くびれた腰はオレのような大男でなくても両手で抱えられそうだ。


「王、あれは西の国のものでしょうか?」


 オレは少年に話しかける。奴は背筋を立て、オレの方に顔半分だけ向けた。


「そうだな。荷が重そうだ。軽くしてやるか」


 桃色の唇の片側を少し上げそう応じる。耳飾りがカラカラと風に音をたて、透き通った肌に太陽光が反射している。


 もう何年になるだろう。あの日のガキがこの盗賊団の頭になってから。この盗賊団で、オレの他に彼女を女と知る者はない。今は砂漠で伝わる通り名が彼女の名前だ。


 パチン! 振り向きもせず、指で合図すると、背後に潜んでいた盗賊たちが一斉に立ち上がる。さあ、オレたちの仕事の時間だ! 


「行け!」


 オレは馬に乗り上がると、先頭を切り、キャラバンに向かって走り出す。仲間たちが一団となってその後に続く。その後ろで『ぴゅう!』という聞きなれた口笛が響いた。


「白龍!」


 少女(かしら)の声が続く。そして怒涛のように砂を蹴る馬の蹄の音。風が一瞬、自分の頬を触ったと思ったら、見事なまでの白馬とそれと一体化したような乗り手が盗賊団の一群を追い抜いていく。いつもの光景だ。


 瞬く間にオレ達の先頭に立った白馬は、揺らめく影へと突き進んで行った。


「盗賊だ! 逃げろ!」


 突然舞い上がった砂煙に、隊商の商人達は慌てて逃げ惑っている。が、草の一本も生えぬ砂漠では、隠れる所も無い。荷を捨てて逃げるも、その命は盗賊の手の内にあり、もはやどうする事もできない。


「白い馬の盗賊! “流沙の阿修羅” だ! 阿修羅王だ!」


 商人の一人が恐怖に満ちた叫び声を上げた。


『流沙の阿修羅』


 商人達はみな、その名を砂漠の砂嵐よりも恐れていた。隊商の傭兵達も、彼らの前に次々と血に塗れ、砂に埋もれていく。


「おう! 私は阿修羅王だ。命以外はここに置いて行け。それを拒む者に容赦はしない!」


 白馬の上で阿修羅王は言い放つ。オレたちはすでに隊を取り囲み、もはや蟻の這い出る隙も無い。


 


 

 『阿修羅』。それはオレが名付けた名前だ。少女が十歳になったころ、オレが授けた。『あしゅら』は、バラモンよりももっと古代の神々の書で、魔の者を意味する。天に逆らった賊だ。


 いつだったかオレがまだ若い頃、オレらが捕らえた商人に随分博識な奴がいて、そいつに教えてもらった。


 『あしゅら』は世界を司る天界の王に戦をしかけ、長い年月を戦った。そいつによると、今でも戦っているらしい。


「天界の神と戦って、勝てるのか?」


 オレはそいつの話が好きだった。色んな事に物知りで役に立ったため、生かされていたその商人に、オレは何度も話を聞きにいった。


「その魔の者は誰よりも強い。勝つことは難しくても負けることはない。いや、何度か勝利して、この世の王となったこともあるのだ。その時は『修羅の王』と名乗っていた」

「そいつはすげえ!」


 まだガキだったオレは、その『あしゅら』に好奇と憧れの気持ちを抱いていた。天に歯向かう魔の者。最強の戦士。


 オレはあいつが長じ、誰もかなわないほどの強さに成長した時、迷わずその名を送った。まさにその名に相応しいと思ったからだ。


 頭として盗賊団に認められたのは、わずか十三歳の時だ。オレはあいつに対して敬語で話すことにした。『阿修羅王』として、他の連中に示すために。

 

 以後、阿修羅王はオレの期待以上の働きで頭を務めた。砂漠を根城としている盗賊の中で、最も稼ぎ、最も恐れられる団となった。彼女が持っていたのは強さだけでない。今まで何も考えず、ただ旅団を襲っていたオレたちと違い、あいつは緻密な計画を立て、いかに血を流さず多くの収穫を得るかを考えていた。


 今や『流沙の阿修羅』の名は商人によって轟き渡り、遠く他国まで鳴り響いている。


 ちなみに(くだん)の商人は、ある日突然いなくなった。脱走したらしいが、その後、行き倒れて死んでるところをオレの仲間が見つけた。ずっと砂漠(ここ)にいることは、あの男には無理だったんだろう。いつも書物というのを読みたいと言っていたな……。





「わ……わかりました。どうか、命だけはお助け下さい」


 眼下で隊商の年長者が、懇願するようにそう言い、商人達は砂にうつ伏して震えている。今日の狩りも何事もなく成功に終わったようだ。

 ふと阿修羅の方を見ると、平伏する商人達の姿をいつもの冷めた目で見下ろしていた。



 襲撃が成功に終われば、その後はいつものお楽しみだ。盗賊なんて、このお楽しみのために生きているようなもんだ。酒、女、お宝。それがあれば何もいらない。隠れ家では夜を徹して大騒ぎだ。


 だが、阿修羅王は決まって不機嫌。さもあろう。女の舞を見てたって楽しいはずもない。酒は嗜む程度に飲んでいたが、飲まれるようなことは決してなかった。


 今夜もバカ騒ぎする仲間の姿をしらけた面で眺めている。隣にいる美女たちも手持無沙汰だ。そのうちに、女たちは場所を変える。本当はこの美少年の(かしら)に見初められたいのだが、無理と言うものだ。


「王、今日の収穫はなかなかのもんでしたな。あれなら市でも高値で売れます」


 オレは仕方なくご機嫌をうかがう。この宴会も盗賊団にとって大事な行事だ。仏頂面のうえに早々と退席されても困るというものだ。


「ああ」


 だからどうした。と言わんばかりの応対だ。これは困ったな。そして、最近耳にした、とっておきの話題を思い出した。オレたちが盗むのは、何も物と命だけじゃない。情報も大きな収穫なのだ。砂漠を渡るキャラバンの行くところ、帰るところ、全ての情報を得ることも大事な仕事だ。


「そうだ、王。この話をご存じですか? 小国乱立の北印度を治めんと、戦を仕掛けている王子のことを」


 上の空だった阿修羅がオレの方を向いた。どうやら興味を持ったようだ。


「王子? 北印度での強国ならば、マガダ国かコーサラ国だろう? だが、あの国の王子はまだ幼かったはずだが……」


「さすがです。そう、その二国ではない。どこだと思いますか?」


 食いついてきた。オレは少し焦らしてみた。


「なんだ! もったいぶるな、早く言え!」


 やはり、印度のことは気になるとみえる。オレはしてやったりの気分になった。


「それが驚いたことに、あのカピラ国なのです」

「カピラ?! シャカ族の?」


 驚いた様子の阿修羅王は飲みかけの杯を膝に置く。まあ、驚くのも無理はない。


「シャカ族は昔から穏健で、国は領土的にも軍事的にも小国だ。それが何故? カピラの王子と言えば……」


 そう、おっしゃる通り。カピラ国は並み居る強国が揃う北インドの中でも下から数えたほうが早い弱国なのだ。


「シッダールタ王子です」


 それが何故? その答えはこの王子にあった。少なくとも流れてきた情報ではそうだ。


 『シッダールタ』その名はオレたちのような遠く砂漠に住むものですら知っていた。


 十六年前、生まれし時。高名な仙人、アシタより、剣を取れば現世の聖王となり、法を取れば人々の救世主になると言われた王子。広く印度国ばかりではなく宇宙を救うと。


「ふん。馬鹿な、本当に聖王にでもなるつもりか」


 阿修羅王は鼻で笑う。だが、その瞳は先ほどの気だるい雰囲気とは打って変わってキラキラと輝いている。オレは少し嫌な予感がした。


「さあ、おまえ達! もっと歌え! もっと騒げ!」


 持っていた酒を一気に開けると、珍しく大声をあげて仲間を煽った。


「おおー!」


 上機嫌な王の様子に連中も調子づく。オレたちの酒盛りは夜明け近くまで続いた。





「あ、あっついな」


 いつの間にか広間で眠ってしまったらしい。窓から差し込む朝日にオレは瞼を焼かれて目を覚ました。周りには酔いつぶれた仲間たちが、酒盛りのままの恰好で酔いつぶれている。なんとも酒臭くて二日酔いの上に気分が悪くなった。


 おれはふらふらと立ち上がり、窓を開ける。広間の奥には、この隠れ家で最も大きい部屋がある。阿修羅王の部屋だ。オレはちらりと部屋を見る。


「開いてる?」


 夜はいつも閉じられているその部屋の扉が開いていた。不審に思ったオレは部屋へと足を向かわせる。


 ああ……。オレの嫌な予感は的中した。そこに、阿修羅の姿はなかった。そればかりか、身の回りのものが無くなって、いつも以上にすっきりしている。


 それは今日だったのか? オレは慌てて馬小屋に走る。まだいるだろうか? 馬小屋は屋敷から歩いて二分も掛からない場所にある。なのに二日酔いで足が縺れるのか、走っているのになかなかたどり着けない。焦るオレの目に飛び込んで来たのは、真っ白な馬に荷物を括りつけ、今にもこの場を立ち去ろうとしている阿修羅の姿だった。


「阿修羅王!」


 オレはありったけの声で叫んだつもりだった。だが、口から出たのは、酒焼けでつぶれた喉のかすれ声だった。


「ああ、我楽か」


 だが、声は阿修羅に届いたようだ。振り向いたその顔は、朝日を受けて輝いて見える。いつもに増して美しく、オレはその場で立ち止まった。


「何処に行くのですか」


 なんと間の抜けた質問だろうか。オレは自分で言いながらそう思った。


「我楽。私が盗賊としての己に満足していないのは知っているだろう」


 オレは黙って頷いた。阿修羅が砂漠一の盗賊になって、三年が経っている。無学な盗人をまるで兵隊のように動かし、どこにでもあるちっぽけな盗賊団だったここを、あっという間に商人たちから最も恐れられる組織に仕立て上げた。その才覚をこんな砂の原に埋もれさせること、誰が望んでいようか。


 オレはこの日が来ることを、心のどこかで知っていた。


「おまえには感謝している。七つの時、北印度より命からがら逃げて来た私を救ってくれた。そして、生きる術、戦う術を教えてくれた。私が “流沙の阿修羅” と呼ばれるまでになったのもおまえのお蔭だ」


 ああ、そうか。今日がその日だったんだな。オレは目がかすむのを感じた。なんだ。泣いてやがる。何をしてるんだ。こんな小娘の一人がいなくなるくらい……。めちゃくちゃ悲しい。


「私は今一度、北印度に戻り、そしてこの手で天下を取ってやる」


 阿修羅はぐっと右手の拳を握る。視線をその握られた拳に落すと、長い睫毛が朝日に影を作った。


「カピラ国へ、シッダールタの軍に行くつもりだ」


「シッダールタの?!」


 オレは少なからずぎょっとした。昨夜話したことがきっかけになったのだろうが、あんな雲をつかむような噂話で動くとは、慎重な阿修羅からは想像がつかなかった。


「まこと奴に聖王としての器があるのか、この目で見てやりたい。もしその力があるのなら手を貸してやってもいい。だが……」


「だが?」

「とんだ食わせ物なら、思い知らせてやるのもいい。いずれにせよ、全ては私の物になる」


 そう言うと、阿修羅は悪戯っ子のように片目をつぶってみせる。


「阿修羅王、オレも連れていってはもらえないか」


 オレは知っていた。こんな事を頼んでも無駄だということを。阿修羅は独りでなければ意味がない事を知っている。一人でカピラに入り、一人で事を成し遂げる。彼女に必要なのは愛馬の白龍だけだ。


 だが、オレは言わずにはおれなかった。


 阿修羅はすぐには答えず、短い掛け声をかけると白龍の背に乗った。


「我楽。私は天下を取ることに興味があっても、それを治めることに興味はない。全てが終われば、私はここに帰ってくる。私の帰る場所を守っていてはくれないか」


 オレは唐突に、盗賊団から脱走して、命を落とした商人を思い出した。あの男も砂漠で一生を終える事から逃げ出した。命がけで。結果として賭けた命を落としたが、後悔しなかったのではないか。自らの想いに嘘をつかなかったことに。


 オレはどうだ。オレはカピラに阿修羅と行って何をするというのか。オレの居場所はここにしかない。乾いた砂漠の海の中で蠢くスナネコのように、身を潜めている。


 オレは馬上の阿修羅を見上げた。彼女はまっすぐにオレの目を見ている。気負うでもなく、へりくだるでもなく、至って自然体で静かにオレの言葉を待っている。


「王よ。貴方に出来ないことなどありますまい。貴方が望めば、何事もなしえ、手に入れることができる。初めて貴方に会ったあの日から、オレはそれをわかっていた。そう思います」


 阿修羅はゆっくりと頷いた。人を惹きつけてやまないその瞳は、今となっては闇ではなく、夜に広がる宇宙のようだ。改めて思う。オレはあの日、何を砂漠で拾ったのだろう。


「我楽、元気で。皆にも伝えよ。今日からおまえがここの王だ。行け! 白龍!」


 カッと白馬の腹を蹴る。白龍は高く嘶くと主を乗せて走りだす。


「阿修羅王! どうぞご無事で!」


 だんだんと遠ざかる砂の柱を、オレは何時までも見送っていた。




挿絵(By みてみん)

西畑様より頂きました。



第二章 我楽の章  了   次章に続く。

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