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第十一章 ダイバダの章1 殺意


 私はそれから数日、いつになくワクワクしておった。あのシッダールタがまさかの男色かもしれない。これが公になれば、さすがの『救世主』の看板も危うくなるというものだ。私はキンダラにも探ってくるように命令した。うまくやってくれればいいが。


 しかし戦況の方は、その後も威勢のいい戦勝報告ばかりが続いた。マガダが増設した砦を奪い取ったという。次はいよいよ象軍と相まみえるらしい。象に踏まれてしまえば良いに。なんて考えておった折、アナンが城に帰ってきた。キンダラはまだなので、私は再び王の間へ忍び込む。今回は予想していたことなので、事前に見張りには言い含めておる。難なく王の間に続く部屋に入り、出窓を伝って中を覗いた。


 神妙な顔つきの異母兄アナンとさらに頬が削げた王が向かい合って話しておった。


「なに? 阿修羅が女だと申すのか?」


 いきなり王が叫んだ。私は思わず声が出そうになる。阿修羅が女だと? そんな馬鹿な! それでは衝撃がないではないか! いやいや、あれほどの強さを誇る者が女とは俄かには信じられない。しかし、ということは、アレは普通なのか!? 面白くない!


「王子は阿修羅殿を愛しておられるようです」


 アナンが寝ぼけた報告をしておる。そんなこと、戦地から遠く離れたカピラにおってもわかるわ! 阿修羅もシッダールタに好意を持っておるのかな。そこはちょっと気になるな。


「ううむ。阿修羅は素性の知れない者だと聞いておるが。それについては何かわかっているのか?」


 彼、いや、彼女が下賤な出だということは、誰もが承知の話だ。奴隷の身分であれば、さすがに妃にするわけにはいかんであろう。棚上げにされている私の嫁話にも大いに関係してくる。私はなお一層聞き耳を立てる。


「はあ、実は定かではないのですが……」

「なんだ。申してみよ」


 さっさと言え、相変わらず愚図な奴だ。


「阿修羅は実はカピラ国の出という話がございまして」

「え? 砂漠の盗賊じゃなかったのか?」


 叔父上(スッドーダナ)(いぶか)し気に聞き返している。私もそう聞いておったが?


「阿修羅は元々カピラの身分の低い生まれ。幼い頃砂漠に出て盗賊に拾われ、育てられたという話です。なぜ砂漠に出たかまではわかりませんでしたが」

「カピラ? 砂漠?」


 スッドーダナ王の言葉が途切れ途切れになっておる。なんだかひどく動揺しているようだが、一体どうしたというのだろう? 


「まさか……」

「王?」


 私は警戒しながら中を覗き込んだ。スッドーダナ王は既に顔面蒼白だ。椅子から立ち上がり、狼狽えているのがはっきりを見える。


「アナン、阿修羅が盗賊に拾われたのはいつ頃のことだ?」

「は、はい。『流沙の阿修羅』という名は商人たちにとって大変有名でして。関わった者たちの話なのですが」

「いつなんだ!」


 焦れた王が叫ぶと同時に、私も同じ言葉を心の中で叫んでおった。


「はい! 阿修羅は王子と同じ歳と聞いておりますので、恐らく七、八歳の頃かと思います」


 アナンの答えに、王は目をめい一杯広げた。まるで目玉が飛び出しそうなくらいに。そして、何も言わず椅子に崩れ落ちた。


「王、どうされましたか? 誰かお呼びします!」


 アナンが慌てて部屋を飛び出そうとしたのを王が制した。


「構わん。アナン、大丈夫だ」

「ですが……」


「アナン、もうよい。もう阿修羅のことは調べるな。それからこの事は誰にも言うな、絶対に。いいな? わかったら下がってよい」

「王?」

「下がれ! 今すぐに」


 王はわなわなと唇を震わせておる。いつも穏やかな王が凄い剣幕でアナンを追い出した。私はこの急変が不思議でならなかった。だが、これは何かある。叔父上、あんたは一体何をしたんだ。




 それから遅れる事数日。キンダラが戻って来た。同時にカピラ軍が象軍をも退けたことが伝えられた。私の野望はまたも覆された。


 だが、キンダラからは面白い話が聞けた。阿修羅の素性はアナンの調べてきたことと大体同じ。あの馬鹿者もちゃんと仕事をしてきたようだ。


 阿修羅に隠すつもりがあったとしたら、ヤツの誤算は盗賊として有名過ぎたのと、何故か襲撃されても命を取り留めた商人が多くいたことだろう。キンダラはそいつらから熱心に話を聞いたようだ。

 そしてもう一つ面白い話が聞けた。シッダールタと阿修羅は既に一線を越えた仲らしい。相変わらず迂闊な奴だな、アレは。王位継承者ともあろうものが、盛りの付いたオス猫か。


 しかし、これだけではないだろう。スッドーダナ王のあの驚きよう。まだ何かあるはずだ。私は様子をさぐるために、嫁問題について面談を申し込んだ。だが、王は体調不良を理由に断りおった。アナンからの伝言によれば、二人の姫の名を出せということだった。そのうちの一人を指名する権利を与えると。ふむ、なるほどな。名前が王子と被らなかった方が俺の嫁というわけだ。断られるはずはないだろうから。


 私は一旦はそれを受諾したが、もう少し様子を見ることにした。大変な醜聞がアレに起こるなら、何も急ぐ必要はないであろう。


 シッダールタ達がいよいよマガダ軍との最終決戦を迎えようとしているころ、スッドーダナ王は少ない供とともに城外へ出ていった。近頃の王の具合から見て、外出は異例のことであろう。私はキンダラに後をつけさせた。


「それで、王はどこに行かれたのだ?」


 戻って来たキンダラに私は早速聞いた。


「は、それが、前カピラ軍将軍のディーパ殿のところでした」

「え? ディーパ将軍?」


 ディーパ将軍のことは、私ももちろん覚えておる。私らがまだ子供のころから、ディーパはカピラ軍を率いる大将軍だった。あ、いや言い過ぎか。平和を尊んでいたかつてのカピラにおいて、戦の場面などほとんどなかったからな。それでも、ディーパ将軍は自らを律し、忠臣の鏡のような兵士だったから、王から絶大な信頼を得ておった。

 それが、シッダールタが急に軍をいじりだしたから、自分から退いたのよな。王はそれをどう思っておったのか知らんが。


 そのディーパに何の用があったというのだ? これは益々面白くなってきたな。





 それから数日後、カピラは待ちに待った吉報に沸き上がった。マガダに勝利したのだ。これで北印度はまさかのカピラ国に統一された。シッダールタが挙兵してから一年。だれがこんなことを予想できたであろう。ああ、そうか、十六年前にすでに預言されておったわ。馬鹿馬鹿しい。けれど、あやつらはアレに仏陀の方になって欲しかったのだろうにな。ご愁傷様だ。


 そんな馬鹿げた悪態を突いている場合ではない。今度こそ大凱旋がカピラヴァストゥで開催される。それに大宴会。おまけに調印式まであるという。私は眩暈がした。宴会係の出番だ。


 しかし、カピラでの王の様子はあれから悪くなるばかりだった。食事も進まないようで元々肉のついてないお身体が、さらにげっそりとしてきておった。ディーパの家で何が話されたかはわからんが、その後、ディーパは旅に出たらしい。一体どこにいったのか。本当のところ後を追わせたかったが、知らぬ間にいなくなってしまったのでそれは叶わなかった。


 ただ、私も心待ちにしておることがあった。もちろんそれは『阿修羅』だ。私の中で想像は果てしなく膨らんだが、やはりこの目で拝みたい。アレはマガダに勝利したとき、破廉恥にも阿修羅と抱き合っていたそうだ。戦勝で舞い上がっていたとは言え、我を忘れるほど入れ込んでおるらしい。益々興味深い。ぜひともどんな女か見てみたい。

 私は準備に(しかも絶対やりたくなかった祭りの準備に)忙殺されながらも自然に膨らむ妄想を抑えきれなくなっておった。





 派手な凱旋と凱旋式。カピラヴァストゥの街は喜びの人々で溢れかえった。市井の民共もどこで仕入れたのか、みな阿修羅に注目していた。あいつの騎馬は染み一つない真っ白な白馬らしい。どこまでも見かけ重視の奴だ。その白馬の行くところ、国中の人間が集まったのかというくらい大渋滞しておった。先を行く王子を素通りしていく民達。これはちょっとざまあみろだな。


 真っ青な空の下、花々が舞う。人々が歓喜の声をあげる。その中をゆっくりと歩くカピラ軍の兵士達。どの顔も満足げで幸せそうだ。だが、忘れてくれるな。この華々しい行進のおぜん立てをしたのは私達、留守番組だ。


 行進の中ほどに周囲に群衆を連れた一団が見えた。それがアレ、王子と副官阿修羅だ。目印の白馬も今日はマスクを着けてお洒落をしているようだ。私は乗り手を懸命に見る。持ち場であるここからは遠すぎて良く見えない。だが、遠目でも整った顔立ちはわかる。なるほど、美しいな。あれだけ騒がれているというのに、にこりともしない。それが返って神秘的に見えた。時々周囲に目をやっているが、だれか探しておるのだろうか。


 にしても、アレの間抜け面はどうだ! 阿修羅が人民にこうも熱烈歓迎されているのが嬉しいのかしらんが、これ以上ないくらいの腑抜けた顔! 総大将、または将軍としてどうかと思うぞ。群衆は阿修羅と共に動いていく。追っかけか! 他の兵士も祝ってやれよ。


 だが、そこに驚きの光景があった。ばらばらと残る民達のなかに、一際目立つ体格のいい男に私は釘付けとなった。なんと、それはディーパだった。凱旋式を見に来たのだろうか? わざわざ? あんな混んでるところで? ディーパ殿なら、特等席に座れるだろうに。しかも兵士を見ておらぬ。きょろきょろと二つの目は宙を泳いでおる。私のいる場所は、城門の前、階段の上からだから、その様子は良く見えた。


「ダイバダ様! 行進の先頭が来ます!」


 気が付いたら、先頭のナダ第一隊長と部下の誰か、なんか無駄に男前の兵士の姿が見えた。彼らにもたくさんの観衆がついて来ていて何かに(たか)るハエのようだ。


「おまえ達はここまでだ! もうここからは入れんから!」


 ついて来ようとする群衆を押しとどめる。みんな興奮しきっているので言うことを聞かない。いつものことだが、腹立たしい。守護隊全員で事にあたる。熱狂の群衆を時にはどついたりして、来た道へ押し戻す。


 物凄い絶叫が湧き起こった。目の前の群衆が色めき立つ。恐らく私の背後を王子と阿修羅が通っているのだろう。私たちに対する圧が数倍に膨れ上がる。それを必死に盾で押し返えす。

 背中に優越感の塊が通っていくのを感じる。多分、この世の春を満喫した顔はさっきよりもっと腑抜けていることだろう。背を向けて汗をかいてる私のことなど、気付きもしない。おまえのために仕事をしているのだ。私は! 


 私の中にまた新たな殺意が生まれた。





 マガダ国のビンビサーラ王はシッダールタの槍に深手を負い、そのまま亡くなったらしい。スッドーダナ王とシッダールタは、マガダ国の国民が七日間喪に服すことを許した。もちろん監視のカピラ軍は駐屯している。

 

 そして喪明けの三日後、ここでカピラ国とマガダの調印式が執り行われる。それによるとマガダにはカピラから執政官を送るようだ。自治はある程度認めるつもりらしいが、それで統治できるのであろうか。相変わらず甘い奴らだ。にしても執政官は誰かな? 立候補してみてもいいだろうか。


 まあ、そんなことはどうせ奴らが決める。私がいくことはないであろう。それより宴会だ! もう部下に任せて私も飲むぞ!


 城を上げて、というか街を上げての大宴会が始まった。城の中も外も酔っ払いが溢れておる。私が酒瓶を片手に歩いておると、大きな声で盛大に笑っているアレがおった。さすがに主役だ。いつになくド派手だな。首周りにこれでもかという宝石を付けた首飾りをして、金糸銀糸の刺繍が入った袖なしの上着を着ている。腹筋をこれ見よがしに見せて、何のつもりだ。まあよい。どれ、挨拶でもするか。


「シッダールタ王子。この度のご活躍、おめでとうございます。さすが末は聖王と呼ばれたお方。私もお供しとうございました」


 深々と頭を下げてから、顔を見る。随分日に焼けたな。しかし、出征したころよりもずっと精悍(せいかん)な顔つきなり、大人びて見える。十七か、今。(しゃく)に障るが圧倒された。


「おお、ダイバダか。そう言うな。お前がここを離れてしまっては、都を守るものがいなくなる。私が外で戦に専念できるのもお前のおかげだ」


 心にもないことを言いやがる。私は曖昧な笑みを向けて、肝心なことを聞いた。


「ところで、彼女の姿がどこにも見えませんな。王の御前での軍功章受章式ではおられましたのに」


 この戦の勝利をもたらしたのは、阿修羅だ。それは誰もが認めること。幾つもの賞をもらっておったわ。

 私はわざと阿修羅のことを『彼女』と呼んだ。阿修羅が女であることは、秘密ではないが、敢えて公にはされていない。まだ、その事実を知らない者も多くおった。私は知っておるぞと、アレに伝えたかったのだ。


 そうとわかったのか、シッダールタの顔つきが変わった。


「阿修羅はこういう場は好かんからな」


 むっとしたような声と態度で応えてきた。大人びて見えたが、まだまだガキだな。私は口の端で笑うと、


「それは残念な。まあ、調印式まではまだありますゆえ、話をする機会もございましょう」


 そう言って、その場を去った。機会をのんびり待つつもりはない。彼女の部屋はわかっている。ご挨拶に参ろう。




 私は部屋の前まで行って深呼吸をする。酒臭くないかな? 誤魔化すために花を持参した。城の飾りつけに使った花だ。阿修羅も女なのだから、花をもらったら喜ぶだろう。多分。


「誰だ。誰かそこにいるのか?」


 部屋の前で逡巡(しゅんじゅん)しておったら、中から声がした。彼女だ。私は首ねっこを掴まれたようにびくりと全身が飛びはねた。声は低いな。いや、男のフリをしていたというから、低い声が習慣になっていたのだろう。


「失礼いたしました。わたくしはダイバダと申すものです。王子の従弟で、カピラヴァストゥの守護隊長を仰せつかっております。以後、お見知りおき……」


 私は言いながら部屋に入ると、頭を上げて阿修羅を見た。

 金縛りにあった。途中で言葉を失ってしまった。これは……。本当に人なのか? 


 華奢な肢体に小さな顔。形の良い眉と高過ぎず低くない筋の通った鼻、その下にある柔らかそうな桃色の唇は男心を誘う。そして何よりも切れ長で涼やかな瞳には、人を射る視線と惑わせる妖しさが同居しておった。

 私は一瞬口を開けたまま、何も言葉を発せずに阿保のように突っ立ってしまった。気が付くと足元に持っていた花束が落ちておる。これはもう差し上げられない。


「で? おみしりおき、どうするのだ」


「ああ、これは失礼いたしました。以後、お見知りおきください」


 もう一度深々と(こうべ)を垂れた。このようなことを比べるのはどうかと思うが、ヤショダラやゴーパといった姫よりも阿修羅は美しくしかも気品があった。

 身に着けている衣服は姫たちの豪奢なものとは比べ物にはならない簡素なもの。麻の単衣を腰の位置で詰め、帯で締めている。長い手足は剥き出し、開けられた胸元は何やら布が巻かれて隠されている。

 なんの飾りもない衣装なのに、強調される腰回りの細さや白い肌がより一層彼女の美しさを映えさせていた。


「で? そのダイバダが何の用だ。私は客人をもてなす器量は持ち合わさない」


 阿修羅はぷいと顔を背けると、席を立って窓の方を向いてしまった。ついさっきまでは椅子に座って書物を読んでいたようだ。私はちらりとそちらに目をやり、こう返した。


「いえいえ、いえ、そのようなこと考えてもおりませぬ。ただ宴はお嫌いとのことでしたので、失礼と思いながらもご挨拶に。それに……、ご器量は十分と思います」


「なんだと?」


 ゆっくりと振り向く阿修羅。小さな体から発する圧を改めて感じる。全身を貫かれるような輝き、まるで光と見紛(みまご)う。これは、シッダールタが夢中になるはずだ。


「どうした」

「ああ、いえ、おやすみのところ大変失礼いたしました。私は宴に戻りますゆえ、阿修羅様は、ごゆっくり……」


 私は逃げ出すようにその部屋を退出した。並大抵のものでは、彼女の相手は務まらない。彼女はシッダールタをどう思っておるのだろう。


 まだまだ暑さが残る昼下がり。そう言えば阿修羅は鼻の頭にうっすらと汗をかいていた。それが彼女の針を刺すような印象と落差があり可愛いと思う。私は渡せなかった花束をそこらの屑籠(くずかご)に捨て、宴の場へと戻っていった。



 


第十一章 ダイバダの章1 了   次章に続く。

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