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第十一章 ダイバダの章1 従兄弟

シッダールタの従弟、ダイバダの登場。


 カピラがマガダ国を蹂躙(じゅうりん)したという報は、(いかづち)のようにこのカピラヴァストゥに届いた。蹂躙は言い過ぎか。大物食い(ジャイアントキリング)だからな。そう、私もこんなことが現実になるなど思ってもみなかった。だがあの男、シッダールタはやり遂げやがった。


 私、アレの従弟(いとこ)であり、スッドーダナ王直属の首都守護隊長ダイバダは、人生をかけてあの男を憎んでおる。


 幼少期に私は立て続けに両親を亡くした。いずれもはやり病だった。父はスッドーダナ王の弟。私の家臣の話では、王よりも賢く、人徳があったとのことだ。本当かどうかは知らないが、そのためにスッドーダナ王の一派に毒殺された疑いもあると言う。私も命が惜しいので話半分には聞いておるがな。

 母は美しい人だった。肖像画でほほ笑む母は女神パールバティのようだ。私はこのような美しい人と結ばれたい。ずっとそう願っておる。


 ヤショダラ姫は、シッダールタの母、マーヤ妃の血筋の姫。私とは血のつながりはないが、聞けば母の遠縁らしい。どうりで母上に似ている! 私達は王族、貴族として同じ学び舎で育った。他にも可愛らしい姫がたくさんおったが、ダントツで私はヤショダラ姫推しだ。彼女に振り向いてもらうため、何もかもを努力した。


 だが! その私をあざ笑うように先を行く奴がいた。そうだ、それがシッダールタ。アレは特に努力した様子もないのに、学業も競技もなんでも一番だった。走っても、跳んでも、泳いでも! 語学も地理学も兵法も! 

 私が地団太踏んで悔しがる横で、ヤショダラ姫はアレにうっとりとした目を向けていた。しかも、アレはその姫たちの視線をしれっとした冷めた目で見てやがった。私の怒りは頂点に達し、同時に本気で傷ついた。絶対許さん。


 第一あの、『聖王』とか『救世主』とか、あれはなんだ。それはシッダールタじゃなければならなかったのか? あんな預言は誰でもいい、私でも良かったはずだ。もし私がその預言を受けておれば、私はアレより優れていたはずだ。誰からも一目置かれ、ヤショダラ姫だって、私を見てくれたはずだ。


 預言のことがもうどうにもできないのであれば、私はアレがさっさと出家して救世主でも何でもいいからなれば良いと思っておった。そうすれば、兄弟のいないアレに代わって、私がこの国もヤショダラ姫も手に入れることができる。そうだ、それを待っておればいい。そう思っていたのに。アレは驚いたことに挙兵しコーサラに歯向かって行きおった。

 正直に言えば、これで私の勝ちだと思った。アレは何を血迷ったのか大国に喧嘩を売りおった。井の中の蛙が、付けられた冠に踊らされた。直にアレは殺される。そうでなくても敗戦の責任を取らされる。そう思ったのだ。


 だが、それは大きな間違いだった。アレは見事な勝利を治め、勝ち続けていきよった。夢かと思われたコーサラを倒し、自らの国としてしまった! 

 私はその間、老いぼれた王とこの小さな城を守っておっただけだ。守っているというと聞こえがいいが、私はここに軟禁されておるようなものだ。


 スッドーダナ王は私を恐れておる。数は多くないが、私の周りには父上に仕えていた家臣が今もおって、私を支えていてくれる。彼らが私を担いで政権を取ることをスッドーダナ王は恐れ、私を監視しておるのだ。私は戦に行って武勲の一つも上げたいのに。戦のさなかでアレを暗殺するのも悪くない。

 しかし、手足をもがれて私はここでお留守番だ。アレの華々しい噂ばかりを耳にしなくてはならん。大変屈辱な日々であった。


 そして今日、まさかと思っておったマガダ国まで食ってしまった。ここまでくると『聖王』というのも伊達じゃないのかと思えてくる。いやいや、そんなことあるわけない。アレは運が良かっただけだ。


 私はだが、コーサラ討伐あたりから漏れ聞こえてきたある噂に興味を持った。『阿修羅』という名の兵士だ。聞くところによると、大変な武将らしい。向かうところ敵なしの最強の戦士、加えて軍師としての才もあるという。おまけにその見かけは世にも稀なる美少年? なんだそれは。あまりにも出来過ぎ。まるで伝説の御伽噺に出てくる軍神のようではないか。

 

 その『阿修羅』をシッダールタは随分重用しておるらしい。しかも常に近くに帯同させておると。私は俄然こいつに興味を持った。


「なあ、キンダラ。おまえは王子の軍のことに詳しいのか?」


 私はある時、自分の家臣のなかで最も情報通のキンダラを呼びつけた。丁度コーサラの首都を落とした直後だ。彼なら何か知っておるだろう。


「よくお戦いですな。シュラヴァースティではほとんど無血で開城させたようです」

「ふ、ふうん、やるではないか。ちなみに『阿修羅』という兵士を知っておるか」


 無血開城だと。全くどうなっている。アレはやはり幸運な星の下に生まれたということか?


「もちろんですとも! いや、漏れ聞こえてくるところによると、今までの勝利は彼の功績がほとんどかと。彼無くしては、カピラの勝利はなかったでしょう」


 なんだか急に力を入れだしおった。こいつもその阿修羅というのに興味があるのか? 不思議な奴だな。まだ我々は噂だけでしか知らない奴なのに。




 奇妙なことはまだあった。マガダ戦の前、同じく大国のコーサラに勝利を収めた時の話だ。雨季に入ることもあって、カピラ軍は帰京することとなった。当然凱旋式を行うかと思われたが、驚いたことにシッダールタは帰城しないという。凱旋式の準備をしていた我ら首都守備隊はとんだはた迷惑だ。私はスッドーダナ王に苦言を呈しに参上した。


「スッドーダナ王様。恐れながら、王子が都に戻らないと言うのは真でしょうか。我々は随分と前からお帰りの準備をしておりましたが」


 思い切り嫌味を言うてやった。スッドーダナ王も苦虫を噛み潰したような顔をしておる。


「それは申し訳なく思っている。だが、簡単でもいいから凱旋式は執り行って欲しい。みな異国で戦い、勝利を収めてきた兵士達だ。労ってやりたい」


 本気ですか。主役のいない凱旋式とか何を言っておるのか、この御仁は。そう思ったが逆らえるわけもなく。私は笑顔で頷いた。


「ところで、お願いの件、どうなっておりますでしょうか?」


 恩を売るならここしかない。私はそう思い、(かね)てから王に願い出ていたことを念押ししてみた。


「あ、え? なんだったかな?」


 下手な芝居でしらばっくれてやがる。私は努めて笑顔でこう返した。


「私も十六になりました。そろそろ嫁を迎えたいと存じます。どなたかとご縁をいただけないかと」


 本来なら、一つ年上の王子がさっさと妃を娶って、その残り物をもらうのだが、どういうわけかアレはなかなか決めおらん。だからその前に私がヤショダラ姫を指名したいのだ。


「ああ、その話か。少し待っていろ。雨季の間に王子のところに行ってこようと思っている。その時に、候補の姫たちを連れていく。そこで決まるだろう」


 なんだと? 姫たちを連れて、アレが駐留しておるルンピニーに行くだと? この足元もおぼつかぬ雨季に! 私は無性に腹が立った。ヤショダラやゴーパも同行するのだろうか。するのだろうな。彼女たちはアレの嫁になりたがっておる。畜生、私はやはり残り物なのか!


 腹の中が煮えくり返りながら、私は王と姫たちの御一行を見送った。ヤショダラはこれ以上ないくらい美しく着飾っておる。もうおしまいだ。彼女がアレに指名されるのは火を見るよりも明らかだ。幼少の頃より育んできた思いは叶わぬのかと、改めてシッダールタを憎々しく思った。




 だが、それから四日後に帰国した一行の様子は、婚姻が決まった幸せからは程遠いものだった。スッドーダナ王はどこか心ここにあらずの体、疲れた顔をして帰ってきおった。重ねて姫たちもどれも仏頂面。王は指名された姫をルンピニーに置いてくると言いよったが、ヤショダラ始め、全員帰ってきている。


「ヤショダラ姫様。シッダールタ王子はお元気でしたか?」


 私は彼女の家まで送ると、そう声をかけてみた。大人になってから、護衛をすることもたまにあったが、話すことなどついぞなかった。私は胸ときめかせながら思い切って問うた。


「王子は、お元気でした。阿修羅という綺麗な戦士とずっと一緒におられましたので、一言も話をしておりませんが」

「え? 阿修羅?」

「はい。女と見紛う美しい方なのですが、その剣技は凄まじく。親衛隊のバサラが一瞬で倒されて、他の姫たちもみな釘付けでございました」


 聞けば、王の座興で阿修羅とバサラが模範試合をしたらしい。そこであっさりバサラはやられてしまったという。バサラと言えば、若くはないが熟練した剣技を持つ猛者だ。やはり噂は本当だったらしい。というか、阿修羅のことを話すヤショダラは、頬を赤らめおって嬉しそうなのだがどういうことだ? 

 

 私は解せぬまま、彼女の家を後にした。そしてその足で、妃の話がどうなったか確かめるため王の間へ足を向けた。

 いくら親族と言っても向こうは王だ。会いに行って、はいそうですかと会ってくれるわけではない。私は王に最も近い、側仕えであるアナンに会いに行った。

 

 アナンは私の異母兄だ。亡き父が正妃である母を差し置いて下賤な女に産ませた。アナンはそのため、幼少のころからスッドーダナ王に仕えることになった。当然家督は私が継いでおる。私はアナンを兄と思ったことはないが、こういう時は便利に使う。


「アナン様は、ここにはいらっしゃいません。恐らく今は王様のところかと」


 アナンの控えている部屋を訪ねたらあいつはおらぬと言われた。全く役に立たない男だ。だが、収穫がなかったわけではない。私はここでも阿修羅の噂を耳にした。どうやら、姫たちに同行した侍女がいたようで、やはり阿修羅の美しさと強さが褒め称えられていた。侍女たちは、はっきり見たわけでもないが、姫たちの興奮度が凄かったと声を弾ませている。

 

 私は少しいい気分になった。シッダールタが主役になれず、阿修羅にばかり注目がいったようだ。いい気味だ。いつも自分が中心に世界が回っていると思っておるからな、アレは。だが、もう一つ気になることも耳にした。阿修羅はシッダールタの影のようにずっとそばにいたと。ふううん。これは気になるな。


 私はアナンがおると言われた王の間にこっそりと向かった。雨季の時期、扉も開け放されておるし、風が行き渡るようになっておる。話声が聞こえるだろう。渡り廊下を進むと奥にその部屋が見える。私は見張りの兵士に金を渡して外させた。


『アナン、私は胸騒ぎがしてならないのだ』


 壁に沿って身をひそめると、王の声が聞こえてきた。とても都合のよい時に来たようだ。私は耳をそばだてる。


『しかし、阿修羅殿がいなければ、コーサラを破ることなど不可能だったと存じますが』


 アナンの声だ。全く王の前でよくそんな正直なことを言うな。本当だとしても、ここで王子の功績をなかったように言うのはどうかと思うぞ。


『それはわかっておる。だが、不安なのだ。あの者は全く素性が知れぬ。突然砂漠から現れて、シッダールタの心を掴んでいる。不吉な予感がするのだ』

『スッドーダナ王。それほど心を惑わすのでありましたら、わたくしが阿修羅殿の素性をお調べしましょうか?』

『そうか!? そうだな、そうしてくれるか!』


 アナンの奴。まんまと王の策略に乗せられおって。本当に間抜けな奴だ。だが、これは良いことを聞いたぞ。あいつが調べてきたこと、私も教えてもらおう。


『それでは、すぐにも』

『アナン、くれぐれも内密に。特に、シッダールタには絶対に気付かれるな。王子は阿修羅を武将として心酔しているようだからな』

『御意』


 おっと、アナンが退出してくる。私は足早にその場を去った。隊の控室に戻って今までのことを反芻する。姫たちや侍女たちのはしゃぎようから、阿修羅とは相当人を惹きつけるものをもっているらしい。そしてスッドーダナ王のあの心配ぶり。帰城の際も浮かない顔を見せていたが、そういうことか?


 そして『武将として心酔している』か。果たしてそうなのか? いや、スッドーダナ王はそう思っておるのか? シッダールタと片時も離れない阿修羅か。これは面白くなってきたな。




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