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第十章 阿修羅の章2 偵察


 それから三日後、私達は再び戦場にいた。マガダ国に時間を与えるのは得策ではない。確実に息の根を止めるために、象軍が壊滅し、城も奪われた連中に回復の猶予を与えてはならない。

 

 私は熱が下がってから、いつもと変わらないほど元気になった。発熱の原因はわからないが、シッダールタとの夜が関わっていることは私にもわかった。紛れもなく、あの夜が私にとって初めてだったのから。


 マガダの都はラージャグリハ。北印度で最も大きく栄えている都だ。延々と続く城下町の向こうに端然と輝く城が(そび)え立っている。その城がはるかに見える草原に私たちは陣を張った。


「ビンビサーラは出てくるかな」


 シッダールタの天幕(テント)で、奴が私に問いかける。軍議と言えば聞こえはいいが、戦闘準備を整えながら二人で話をしているだけだ。ラージャグリハ城下町の中で戦うことは避けたい。コーサラ国のシュラバーステのようにはいかないだろう。


「あの王の性格から籠城はしないと思うが。こちらから何かを仕掛ける必要はあるかもしれないな。それと、もし出てくるのであれば、策があるということだ。さすがにこの間のように策無しではこないだろう」


 私はそう答えた。マガダ国には軍師がいないのだろう。ビンビサーラ王が全てを担っているようだ。優秀な男だとは思うが、一人で何もかもやっていては客観性に乏しくなる。しかも王であれば、周りは何も言えない。強大国であったがための過信が、前回の敗北につながった。だが、次もそれが通用するとは思えない。


「仕掛けるとは? おい、おまえまさか何かよからぬことを考えているのではないだろうな!?」


 さすがに鋭いな。まあ、当たらずも遠からずか。私は横目でシッダールタを見て口角を上げる。


「さてな」


「おまえは病み上がりだ。なにか作戦があるのなら、他の者に行かせよう。おまえはこの天幕から出るな!」


 シッダールタは私に手を伸ばす。それをするりと(かわ)すと立ち上がった。戦前(いくさまえ)に遊びはもうしない。


「何を言っている。私は自分の天幕に帰るさ。明日はラージャグリハまで軍を進める。ゆっくり休ませてもらう」


 私はシッダールタに背を向け、歩を進ませた。その背中にヤツの声が追いかけてくる。


「阿修羅! 城には絶対行くなよ!」


 私は肩を小さく(すぼ)めた。そして右手をあげて軽く振ると、振り向きもせず天幕を後にした。




 夜も深まったころ、私は自分の天幕を出た。昼間のうだるような暑さは影を潜め、心地よい風が肌をこすっていく。まとめきれない髪が頬の横でゆるやかに(なび)いている。私はそれを指に絡めて遊ばせる。星が綺麗だ。まさに満天。明日も空は晴れ渡ることだろう。


「おい、起きろ。私だ」


 私は一つの天幕を目指した。そこには四、五人の兵士が雑魚寝していた。その中の、長い髪を後ろでに縛った男の肩を揺する。そう言えば前は逆のことがあったな。なんて思いながら。


「誰だよ! あれ、阿修羅、どうした? 夜這いなら歓迎するぞ」


 そいつは眠そうに目をこすり、上半身を起こすとそう言った。相変わらずな男だ。


「馬鹿、何を言っている。ちょっと出ろ」

 

 私はこいつ、いやリュージュを天幕の外に誘い出した。辺りを見回し、不服そうに言う。


「どうしたんだ。まだ夜中じゃないか。明日は早いというのに」


「ここのところ暇だったから、体が鈍っているだろう? 私と月夜の散歩でもしないか?」

「色気のある散歩ならいいが」

「残念だな。血の気ならありすぎて困るぐらいなのだが」


 私はにやりと笑って、リュージュの顔を見る。それで全てが通じるだろう。


「城か?」


 呆れたような顔つきで私を見返す。


「ああ。ちょっと見物にな。やつらに、ビンビサーラに出陣の意志があるかどうか」

「偵察か。危ない奴だな。そんなもん、斥候(せっこう)に任せておけばいいだろうが」


「いや、私の目で確かめておきたい。それに、もし籠城の準備でもしているようなら、脅しをかけてやりたいしな」

「脅し? 何をするつもりだ?」

「ん……。いやでも出てくる気にさせてやるだけだ」


 私は片目をつぶり、唇だけで笑ってみせた。リュージュは一瞬固まったように私を見ている。もう四の五の言っている時間もない。固まっている暇はないぞ。どうして男共は時々こうなるのだろう。

 

「何だ。固まるな」

「いや、月が照らして……。綺麗だなと……」


 月が綺麗? 何を言っているのだ、こいつは。まあ、今日は確かに十三夜。忍ぶには相応(ふさわ)しくないが、夜空に白く輝いて美しい。


「行くぞ。馬を引け!」


 そんな戯言に構っては入られない。夜明け前にはここに戻って来なくてはならない。私はさっさと白龍に跨った。


「仕方無い。付き合うか」


 リュージュの声が背後でする。小さなため息とともに。


 闇に紛れ、ラ-ジャグリハを目指す。途中で馬を繋ぎ、森の木々を渡るように城下町を囲む城壁までやってきた。


 松明が城のあちこちに炊かれているのだろう。不夜城のようにラージャグリハは明るく夜に浮かび上がっている。城壁の周りには、等間隔で兵士が見張りに立っていた。


「どうやって忍び込むんだよ」


 ここまで来て、リュージュがまだ不満げにそう言った。あれぐらいの見張りで怯ん(ひる)でどうする。


「さすがに厳重だな。だが、何処かに穴があるさ。心配するな。私に任せろ」


 リュージュはまだ何か言いたそうだったが、私は背中を向けてそれを拒絶し城壁へ向かった。こんな楽しい散歩を止める道理はどこにもない。





「なんて広い街だ。カピラの三倍はある」


 それからそれほど時間はかからなかった。私は最も手薄だった門を見張る兵士を倒し、まんまと城壁を越えた。リュージュは城下町に入り、改めてその広大さに驚嘆の声を漏らしている。


「城下町の灯りがあんなに。大きな街なんだな」

「印度国一の大国、マガダの首都だ。当たり前だろう。それよりも見ろ、リュージュ」


 城下町は眠りについているものの、一つ一つの建物に灯りが灯され、敵の侵入を警戒している。私達は城壁近くに植えられている大木の枝の上にいた。


「城内の道という道、邪魔になる物全てを取り払い、きれいなものだ」

「ああ。それはオレも気がついた」

「どうやら、やるつもりらしいな」


 ここを明日はマガダ軍が列をなして通るのだろう。城ではその準備が粛々とされているはずだ。だが、綺麗すぎるな。まるで一本の大河が城壁から城まで流れているようだ。それともそれほどに統制された街ということか。


「おい」

「ん?」

「そう、幸せそうな顔するな」

「ふふっ。籠城なんかされたら、欲求不満で死んじまう。が……」

「どうした?」


 私より下方の枝に腰掛けていたリュージュは、下から見上げるように首を捩じって私を見ている。


「相手はビンビサーラだ。まさか今度も無策ではないだろう。充分勝算あってのこと。それが何か、今の私にはわからない。何か手掛かりでもあればと思ったのだが」


 綺麗すぎる。それだけでは何もわからない。このまま明日の激戦に突入か。


「確かに気になるが……。阿修羅、これでもう夜明けとともに戦闘開始されるのは明白だ。帰ろうぜ。俺たちも陣に戻って準備しないと」

「あ……ああ、そうだな」


 これ以上奥に行くのはさすがに危ないだろう。夜明け前の出陣に遅れることも許されない。私は(くわ)えていた小枝をポキリと折った。リュージュが下で腰を上げるのが見えた


「待てっ」


 私は指先でそれを留めた。前方に見知った男が歩いている。


「アジャンタだ」


 私達がいる大木に向かって、簡素な鎧をつけたアジャンタが歩いてくる。どうしてこんなところを? そうか、私達の侵入を聞いたな。


「よせ。阿修羅、行くぞ」

「挨拶なしでか? ごめんだね」


 私はリュージュを無視して跳んだ。丁度真下を奴が通っている。


「あのばか!」


 リュージュの舌打ちが聞こえた。それに構わず、私はわざと殺気を放ってやつの背後に下りた。アジャンタの肩がピクリと跳ねる。気が付いたようだ。


「動くな」


 顎の下に短剣をつきつける。奴の左肩からかすかに血の匂いがする。


「やはりお前か。驚いたな。なんて命知らずだ」

「ふん。で、傷は治ったのか」

「お蔭さまで。丈夫が取り柄なんでな」


 嘘をつけ。奴は全く動じずに軽口をたたいているが、それは嘘だ。わずかだが、まだ出血している。それでは、マガダの切り札はいったいなんだ。


「ふうん。まあそういうことにしておこうか。一つ教えてくれ。ビンビサーラは何を企んでいる? 奴が勝算ありとここを出てくる拠り所はなんだ?」

「教えるとでも思うのか?」


 言い終わると同時に、アジャンタの体が素早く動いた。身長差から、どうしても拘束に無理がある。にしても、怪我を負いながら見事な体捌きだ。


「つっ!」


 手に持った短剣を右足で蹴り飛ばされた。私は空転すると飛ばされた短剣を再度掴み、やつ目掛けて投げつける。アジャンタはそれを間一髪、剣の柄で防いだ。これまでか!


「夜明けに!」


 私は背中で叫ぶとリュージュを伴い外へと向かった。マガダの兵士たちが侵入者ありとざわついているのが聞こえる。月はまだ私たちの頭上で全てを照らしている。追うものも去る者も平等に。綺麗だな、本当に。





 陣に戻ったころ、既に東の空は目覚めかけていた。リュージュは何かぶつくさ言いながら、ナダ第一隊長のところに向かっていった。何を怒っているのだろう。偵察は収穫がそれなりにあったし、このテンションのまま戦いの場に行けるのは最高だろう?


「あれほど行くなと言っただろう!」


 ここにも怒っている男がいた。私が天幕に戻るとシッダールタが待っていた。無断で私の天幕にいるのもどうかと思うが、寝床に座って顔を見るなり説教を始めた。


「しかもリュージュを連れていくなど!」


「何だ、うるさい奴だな。リュージュは身軽な奴だからこういう時には役に立つ。お前だってわかっているだろ。さ、行くぞ。出陣だ!」

 

 私は何故か不機嫌なシッダールタを無視して戦の準備をした。暑いし動きにくいのであまり好きではないが、鎧を着ける。前掛けのような鎧と肩当ては鉄製だが、明らかにアジャンタが着けていたものとは違う。まあ、あんな重そうなものは私はいらないが。

 振り返るとシッダールタはいなくなっていた。奴も準備に行ったのだろう。さあ、今日で印度を平らげてやる。






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