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第八章 リュージュの章2 駆け引き


 久しぶりに阿修羅が第一団隊に戻ってくることになった。本格的な合流はあいつがシッダールタ王子と会見して、そのまま本隊に配属されて以来だ。俺は心なしか浮足立っていた。その日が来るのが楽しみとは、村祭りを指折り数えるガキみたいだな。


 コーサラの王城を攻めるとき、俺らの隊は阿修羅にご指名を受けた。シュラヴァースティの花の城。だが、あまりにもあっけない戦だったので、俺はあいつと作戦以外で話すことはできなかった。

 俺は、どうしてもあいつと話がしたかった。確かめたいことがあった。


「久しいな、リュージュ。元気そうで何よりだ」

「副官殿。ご無沙汰しております」


 翌日は出立という午後、阿修羅が第一団隊の駐留している場所にやってきた。今や阿修羅はカピラ軍の副官(ナンバーツー)だ。俺は上官に対しての礼を取った。


「おい、やめないか。今まで通りでいい」


 阿修羅は目を丸くして俺にそう言った。それは俺だって(かしこ)まるのは嫌だが、ここは上下関係の厳しい軍隊だ。


「いや、ですが」

「それ以上続けるなら、除隊させる! 命令だ」

「ええ! おい、マジかよ!」


 思わずそう口走ってしまった。慌てて口を塞ぐと、阿修羅が笑い出す。


「ははは! それでいい。全く、おまえに敬語なんか使われたら虫唾(むしず)が走る」


 相変わらずに見えた。以前のあいつと同じに。俺はその様子になぜか安心していた。だが翌日、その印象はあっさり塗り替えられた。


 戦場へと向かうためルンピニーを発つ時、あいつの様子はおかしかった。見送る王子に一瞥(いちべつ)もくれず、無表情で白龍とともに出立した。俺たちはゆっくりとその後ろにつき従った。


 雨季の間中、王子と二人でルンピニーの宮殿にいた阿修羅。変な噂も耳にした。俺にしてみれば、さもありなんと言った噂ではあったが。あの出立の日の様子では、何かあったと勘ぐられても仕方ない。まあ、それに気が付いたのは俺だけかもしれないが。



 興味ないだろうが一応俺の話。俺は雨季の間、カピラヴァストゥに帰っていた。家にも帰ったが、馴染みの女のところにほとんどいたな。その女から、『阿修羅』の名前を何度も聞く羽目になったけどね。あいつの人気は凄まじかった。まだ誰もあいつの姿を見たことがないというのに、『類まれな美つくしさだが、一度剣を持つと何人も寄せ付けない最強の戦士』と、誰もが頬を紅潮させて語った。これが噂でも何でもなく本当のことだから始末が悪い。正直妬けた。



 ルンピニーから三日の道程で、俺たちは砦近くまで辿り着いた。阿修羅は俺たちにてきぱきと作戦を授ける。砦を守るマガダ兵たちは、カピラの旗印を見つけると途端に物々しくなっていた。いよいよ始まる。そんな予感に空気がピリピリする。


 マガダは高低織り交ぜた山々に囲まれた大きな盆地だ。ゆえに攻めにくい。盆地と言っても領土は広大。優にカピラの五倍はある。

 砦はその大きな盆地の入り口である二つの丘の間に、水をせき止めるような形で建造された巨大なものだ。これを破れば、マガダの豊かな国土が臨める。まさに敵国への玄関口だった。

 

 元々ここには古い砦があったのだが、脆弱ですぐにも破れそうなものだった。マガダのビンビサーラ国王は、カピラがコーサラと戦い始めたころ、急いで改築させた。今では高く聳える城のようにカピラとの国境を隔てている。


 しかし、この砦を俺たち第一団隊が手中に収めるのに、わずか半日しか要しなかった。正確に言うと、今回は第二団隊にも出陣願ったが、彼らは砦前に遠巻きに立っていただけである。俺たち有能な第一団隊が体を張ってマガダ兵と戦った。


「私に続け、一挙に行くぞ! この作戦は速さが命だ! 奴らが第二団隊に気を取られているうちに攻め落とせ!」


 突如、阿修羅の(げき)が飛ぶ。もちろん俺たちカピラ軍にとっては突如でもなんでもない。みなこの一瞬、息を止めて待っていたのだから。


 阿修羅は第一団隊を三つに分けていた。一つは砦の東側の丘。一つは反対側、西の丘。そして阿修羅が率いる少人数の隊は、夜のうちに歩いて砦のすぐ下まで進み、身を隠していた。

 中央に陣取る第二団隊は、今から攻めるとばかりに、進んだり止まったり、はたまた少し引いたりと、敵の目を集めさせた。

 マガダ軍が焦れ、目の前の敵を殲滅(せんめつ)せんと門を開けた時、全軍一斉に攻めに出る。阿修羅達は敵により開けられた門を抜け砦の中に突入した。


「よし! 俺たちも続くぞ!」


 俺が率いていたのは東の部隊。東の丘を守るマガダの兵も中央に気を取られている。横側(サイド)を突くのは前からよりもずっと楽だ。一気に崩して砦に向かう。馬が良ければ丘を駆け下りて内側に入れる。俺は愛馬を操り、柵を乗り越えた。


「うぉりゃああ!」


 中では既に西側から攻め込んでいたナダ一隊長の隊がマガダの兵を追っていた。もうこれで勝負あった。砦の最深部に到達するだろう阿修羅が、ここの将を押さえたら終わりだ。俺はすぐさま阿修羅の元へと急いだ。


 入り組んだ砦内部は意外に広かった。二つの高くて分厚い壁の間は小さな街のようだ。敵味方入り乱れるなか馬を走らせると、馬上のマガダの将校に迫る阿修羅の姿を見つけた。なんとか間に合ったようだ。


「卑怯な手を使いやがって!」


 ふいに現れた敵に将が罵声を浴びせている。阿修羅は剣を下段に構えると、口角を上げて笑った。戦場であいつが見せるいつもの表情だ。


「戦術もなく戦うことを愚かと認めるなら、卑怯という称号も敢えて受け取ろう。どのみち、おまえはここで死ぬ。なんとでも言えばいい」


 追い詰められた敵将は、決死の覚悟で阿修羅に迫る。歩兵の阿修羅に騎馬の敵将、普通なら騎馬の方が圧倒的に有利だろう。敵将の長い(げき)が阿修羅の細い体に振り落とされる。俺は馬を走らせる。


「小賢しいガキが!」


 阿修羅の姿が揺れる。俺はその影を捉まえられない。


「死ね」

「え?」


 次に姿を現したのは敵将の馬上だった。敵将の背に立ち、一瞬で首を刎ねた。髪の毛を掴んで高々と首を掲げる。カピラ軍兵士の歓声が上がった。


 俺はゆっくり阿修羅の側に馬を寄せた。


「お見事」

「ふふん。ご苦労」


 阿修羅は俺の背後に飛び乗ってきた。ふわりと花のようないい匂いがする。敵将の戟に首を括りつけ、手に持っているが、清廉な顔は返り血を許さない、綺麗なままだ。その二つの様相はあまりにも不釣り合いだった。





 砦を難なく落としたその日のうちに、本隊、王子の基に伝令を送った。阿修羅はその際、自分は砦に留まると伝えていた。ナダ一隊長からは、この砦を落としたら本隊に戻ることになっていると聞いていたが……。


 マガダの砦は快適だった。砦と言っても内部は細長い城のようになっている。大小の部屋が長い回廊の横にいくつも並んでいる。砦はマガダ側とカピラ側に一つずつあり、その中庭には兵舎に修練場、馬小屋や馬場もある。マガダ側の部屋には窓もあり、上階の部屋では眺める景色も美しい。


 俺たちは当然マガダ側の砦に入る。最上階の窓から臨むその国は、山のすそ野に位置するカピラに比べ圧倒的に平野が開けている。大河による恵みも豊か、国土も緑と作物で輝いている。やはり富める国という印象だ。


 マガダの攻撃に備えるため兵を配備し、順番に食事をとる。街までは遠いとしても、敵国に入ったのだから余裕はない。それら雑事を済ませ、俺は夜も深くなってから阿修羅の元へ足を運んだ。ようやくあいつと話す時がきた。


「いいのか、阿修羅。王子の命にそむいて」


 国境の砦を落とし、次なる目標、ヴァイシャーリー小城攻略の策に阿修羅は明け暮れていた。夜が砦を包み込む時が来ても、僅かな火の光を借りて一人自室で地図を広げている。


「この状態でどうやって帰れと言うんだ。戦いは始まったばかりだ。砦など、前菜にもならん。次はマガダの誇る象軍との戦いが控えている。王子のお守りなどしていられるか」

「それはそうだが。しかし、本来お前は本陣で王子とともに戦う者だ。そりゃ、その性分から先鋒が合ってるってのはわかるけれど」

「なら黙ってろ」


 取りつく島もない。俺は短く息をつくと、仕方なく阿修羅の手伝いを始めた。こいつの才は戦士としてだけではない。軍師の才も兼ね備えていた。コーサラ攻略もマガダ攻略も阿修羅の策で連戦連勝だ。尤も、どの策にも阿修羅という戦術なしでは勝利はなかったが。


 火の光にあてられて、阿修羅の頬が光っている。輪郭をぼんやりと映すそれは、どこか妖艶に見えた。俺は話を切り出した。


「ところで、阿修羅」

「この忙しいのにまだ話があるのか?」

「いや、オレ前々から気になってたんだが」

「何だ、早く言え」


 阿修羅は陣隊形を地図に書き込みながら鬱陶しそうに言う。俺は何から始めるか言葉を選んだ。


「お前、どんな暑い時でも、人に肌を見せたことないな」


 手に持たれた筆が瞬時止まった。少し動揺したか?


「何が言いたい」

「いや、別に何ってわけじゃないんだが」


 横顔が灯に照らされ影をつくる。素知らぬ顔をして再び筆を走らせる阿修羅は、頬にかかる黒髪を左手でかきあげた。俺はそっと右手を伸ばして、その後れ毛に触れる。


「いて!」


 その瞬間、筆が俺の額に当たる。俺の伸ばした右手はあえなく縮こまってしまった。

 

「私が人前で肌を見せないのは、お前のように勘違いしている奴がいるからだ。断っておくが、私は男に興味はない!」


 俺は額を擦りながら、落ちた筆を拾い、阿修羅に差し出した。それを奪うように取ると、


「忘れたか。私に相手して欲しければ、腕ずくで来いと言ったはずだ」


 と言い、阿修羅はまた俯いて筆を動かし始めた。へえ。そう来たか。

 

「腕ずくで……ならいいのか」

「なに?」


 あいつは手を止め、ゆっくり体を起こすとふふんと笑った。いつもの、唇の端を少し上げている。


「お前がそういう趣味とは知らなかった。カピラヴァストゥでは、その二枚目の面を待っている姫達が何人もいるではないか」


 腕を組み、右手で左腕をポンポンと叩いている。俺も同じように鼻で笑ってみる。


「阿修羅、勘違いしているのはお前の方だ。オレはいたって普通の男だ」

「どういう意味だ」


 さあ、そろそろ種明かしだ。俺が今日まで阿修羅にどうしても確かめたかったことを言おう。俺は部屋の扉を後ろ手で閉め、阿修羅の方へ歩を進めた。


「動くな。それ以上動くと殺す」


 阿修羅は腰にある短剣を抜いた。刀身は弱い光源のもと鈍く光る。本気か? いや、ここで怯むわけにはいけない。俺は爆弾を投下する。


「阿修羅、お前、女だろ?」


 一瞬、耳を疑ったような怪訝な顔。その後、明らかに動揺したように瞳が揺れた。俺は確信を以って畳みかける。


「俺はここの攻略が始まってから、ずっとおまえを見ていた。いや、正確に言うと、コ-サラの城に忍び込んだ、あの時からずっとだ。俺はずっと違和感を持っていた。おまえはいつも完璧に男を演じていたが、ほんの僅かに見せるしぐさや表情、例えば指先や瞳に宿る妖しさ。男であるわけがない。他のやつらの目は誤魔化せても、オレは誤魔化されないぜ」


「笑わせるな」


 あいつは余裕を持って返答したつもりだったようだが、声が微かに震えていた。俺は聞き逃さなかった。やはり俺の勘は当たっていたようだ。


「格闘戦は五分だと思うが、どうだ?」


 俺はいたって真面目な顔をして言った。それに呼応するように、阿修羅も一つ息をつくと厳しい顔つきを俺に向ける。


「リュージュ……。私はお前を殺したくない。有能な戦士だからな。だが、これ以上言うのなら私は容赦しない。私が男だろうが、女だろうが、それは同じだ」


 言い終わると同時に、阿修羅は短剣を構えた。静かな湖水のような瞳は、あいつが本気であることを窺わせた。


「阿修羅……」


 俺はなんだかひどく惨めな気持ちになった。俺は彼女を追いこむつもりはなかった。俺が言いたかったことはこんなことじゃない。俺が言いたかったのは……。

 

「ああ、オレも間抜けな野郎だな」

「リュージュ?」

「阿修羅、おまえが男であっても女であっても、おまえの心を捉えられたら、と思うよ」

「何……」


 そういうことだ。阿修羅がなぜ男と偽って生きてきたのか。確かに女の身では戦士になるなど不可能だったろうが。そんなことには興味がない。俺はおまえを見ている、知っている、と言いたかったのかな。誰よりも有利になりたかったのか。……小せえな。


「それとも……。王子の方がおまえはいいかな」

「ふざけるな。ばかばかしい!」


 つい口にしてしまった最後の一言。阿修羅の反応はあまりにもわかり易かった。あまりに素直すぎて、俺は苦笑するしかなかった。


「すまなかったな。今のことは忘れてくれていい。俺も忘れよう」

「リュージュ、私は……」

「言うなよ、それ以上。俺はおまえの嘘を聞きたくないし、そんなこたどうでもいい。だが、これだけは覚えておいてくれてもいいな」

「なんだ?」


 何を言い出すのだ、俺は。戦わずして負けているのだ、あの王子に。なのに、ここまで出てきた思いを飲み込むことはできなかった。


「おまえは最高だってことさ」


 阿修羅は何を言っているのか、とでも言いたいげな顔をした。手にした短剣は既に構えを解いていた。阿修羅は俺の目を黒曜石のような瞳で見つめている。心が(きし)む。


 俺の気持ちは伝わったのか? いや、もっとマシな言い方ができただろう。天下の色男(プレイボーイ)が駆け引きもできないとは、なんて体たらくだ。俺はなんだか急におかしくなった。乾いた笑い声をあげて、部屋を出た。残された彼女の視線を背中に感じて。






第八章 リュージュの章2  駆け引き 了   次章に続く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 阿修羅の活躍により砦が陥落し、そこを前線にして新たな戦略がはじまるのですね。 ここにきて、リュージュが阿修羅に色々と働きかけ、心を伝えましたね。 シッダールタからも、リュージュからも女…
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