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第七章 シッダールタの章3 発覚


 阿修羅が主役となった歓迎の宴の後、私は父上が休む部屋へと足を運んだ。疲れておられるだろうから、ご挨拶だけと思っていたが、そうは問屋が卸さなかった。部屋へ入って座ると同時に、父上から先制攻撃をされてしまった。


「シッダールタよ。何故、父の望みをかなえてはくれぬ。次の戦に出る前に妃を決めよ。式はおまえの言うとおり、マガダ国を攻め落としてからでもよい。しかし、次の敵はビンビサ-ラ王だ。軍の士気も高く、なかなかの強敵だぞ。妃とする相手さえ決めれば、その姫をこの宮殿に残しておこう。ヤショダラ姫はもちろん、ゴーパ姫も良いと思うぞ! あの姫は……」


「おやめください!」


 放っておくと間断無話(マシンガントーク)は際限なく続きそうだった。私は父上の言葉を遮るよう柄にもなく大声を出した。西国風の椅子に腰掛けた父上は、今まで見せたことのなかった剣幕に、しばし言葉も無く私を見上げている。


「父上、今の私には戦のことしか頭にないのです。姫達の顔も私にはみな同じに見える。ただの無意味に飾りたてられた燭台みたいな物だ。興味はない。私に今必要なのは……」


 言いかけて、私は次に用意された言葉にはっとし慌てて呑み込んだ。『次に用意していた言葉』を私は無意識のうちに選んでいた。自分で何を言い出すかわからない。嫁だ妃だとか言うから、理想の相手を脳内で作成していしまっている。しかし、理想の相手? あいつが?


「必要なのは、戦いに勝つための策です。それは断じて妃を(めと)ることではない」


 私は心落ちつけるようにトーンダウンして言った。


「しかし……」


 父上はそれでも食い下がってきた。


「実はダイバダが、おまえの従弟のダイバダもそろそろ嫁取りの時期でな。美人揃いの従妹たちを狙っているのだよ。おまえに早く決めてもらわないと、あやつに先を越されそうで。いや、もちろん、おまえの方が先と思っているが、あまり遅れると……」


 ああ、なるほど。そういうことか。私は合点がいった。なぜ父上が戦途上の私にこれほどせっつくのかが理解できた。ダイバダというのは父上の弟の長男、私の従弟だ。叔父上は既に故人なので、ダイバダは私の弟のようなもの。

 だが、こいつはずっと私をライバル視して面倒くさい奴だった。幼少の頃から、王子であり、預言者からあらぬ未来を言い渡された私に事あるごとに競って来た。まあ、負けたことはなかったが。それで今度は嫁で勝とうということか。


 母方の従妹には美しい姫が多い。恐らく一番はヤショダラだろう。ダイバダは彼女と婚姻したいのか。なら、まあそれもいいけれど。父上としては面白くないかもしれない。


 奴は戦には帯同させていない。私が苦手なこともあるが、父上が手元に置いて監視したがったからだ。父上や私の政権も盤石なばかりではない。少なからず優秀なダイバダを、担ぎだしたい貴族もいると聞く。そういうことで、奴はカピラ城の警護職を担い、城に貼りついている。


「はあ。ダイバダですか。まあ、奴が早く身を固めたいというのなら、順番はどうでもいいですよ」


「え? いや、それはいかん。やはりおまえがいつまでもフラフラしているのは国政の安定のためにも良くない! 大体……」


 もう無理だ。聞いていられない。ダイバダのことは父上の不安もわからないでもない。だが、私は国盗りの真っ最中だ。城でのうのうとしている奴と争うつもりはさらさらない。私の我慢も限界だ。父君の言葉を遮り、


「とにかく姫達はみな連れ帰り下さい。目障りです。もしこれ以上言われるのなら、さっさと出家してしまいますよ」


 私はずるいとは思ったが『最後の切り札』を出した。これでそれ以上何も言うことはできまい。悲しそうな顔をするので、こう付け加えて置くのは忘れなかった。


「大丈夫ですよ、父上。マガダ国を落とし北印度の全てを支配できたら、父上の言うとおり、妃をもらいましょう。ただし、どの姫を選ぶかは私に決めさせて下さい」


「そうか……。そこまで言うなら、おまえを信じよう」


 父上は諦めたように息をついたが、その瞳は笑っていた。一応の納得はしていただいた様だ。だが、私にしてみれば問題を先送りにしたに過ぎない。『自分で決める』そうは言ったが、では何をどう決めるというのだ。

 

 私はもう否定できない。自分で決めると口にした時、私の心にあいつの姿が浮かんだことを。見事なまでの剣さばきで舞う黒髪の戦士、阿修羅の姿を。


「どうした? シッダールタ」

「え、ああ、いえ。父上、それよりコ-サラを攻め落とした時の話をしましょう。是非この話をさせていただきたい!」

「おお! そうだ、そうだ。聞かせてくれ!」


 私は話始めると、父上が疲れていることも忘れ、身振り手振りを加え熱く語ってしまった。途絶えることなく夜を徹して……。




 スッドーダナ王が宮殿を後にした日は珍しく雨が上がり、空に太陽が戻ってきていた。それを合図とするように、雨季が終わりを告げた。


 ルンピニーにカピラ軍の兵士たちが続々と集まってきていた。今年は心配していた大きな洪水もなく、予定通りマカダ国を攻められそうだ。屋敷には将校たちが入り、外には数えきれない天幕(テント)が張られる。ゆったりした時間が流れていたここも一挙に慌ただしくなってきた。


 マガダ国。北印度において、最強、最大を誇る国だ。その配下には強力な軍隊も控えており、我が国のような弱小国が歯向かう時がこようとは、誰も想像しなかったろう。私とて、あのマガダを攻めると思うと、全身が熱くなり武者震いもする。


「相手はビンビサーラ王だ。若いが人望も厚く有能な王だ。手ごわい相手だからな」


 模擬試合が行われた、宮殿で最も広い部屋は、今は将校たちが集う軍議室となっている。戦を前に緊張した面持ちで机上に広げられた地図を前に議論を重ねている。


 ビンビサーラ王、こいつは実は私と同世代の若い王だ。早くして先代が崩御し、十七歳で王位に付いた。私はこの王が少し苦手だった。この男もダイバダと同じように色んな飾りをつけた私に敵意剥き出しだった。全く預言なんてどこに行っても迷惑な話だ。


 今回挙兵した時も、シャカ族風情が何を血迷ったかという文が届いた。『よもや聖王になるとかいう、世迷言を信じてのことではないだろうな』という一文も忘れずに。


 マガダは我らがコーサラに深く進攻している間に、カピラに侵入してきていた。私は別部隊を送って何とか持ちこたえ雨季に入ったのだが、ここから先は本隊が相手だ。血迷ったかどうかは知らないが、きっちり落とし前つけさせてもらおう。


「どうだ、阿修羅。何か意見はあるか」


 地図を見つめていつも通り平然と構える軍神に、私は声をかける。どのみちどいつもこいつも彼の一言を待っているのだ。雨季の間もあいつはこの地図をじっと見ていた。これから始まるマガダ侵攻への道のりを描いていたのだろう。


「この砦は、我々がコーサラへ入ったころ、建立されたものだ」


 阿修羅は地図の一点を長い指で指し示すと、とんとんと叩いた。皆一様にその指先を見つめる。


「マガダはこの砦で我らの侵攻を阻むつもりだろう。確かに国境の地形を利用して建てられた頑強な砦だ。だが……」


 誰もが彼の一挙手一投足に注目している。次の言葉を息を止めるように待っていた。


「逆に言えば、この砦を取ると、後の戦いが楽になる。王子、まずはここを落とそう」


 それは阿修羅が言うように、つい最近マガダが造営した国境(くにざかい)の砦だ。マガダはカピラやコーサラの南に位置し、その境は大河と幾つもの丘で守られている。この砦はそのなかで最も脆弱な場所に、二つの丘を繋ぐように作られていた。


「いいだろう。ナダ、斥候(せっこう)を使って攻めの準備に入れ」


 私は第一団隊長のナダに命じる。じっと地図を見入っていたナダは「承知いたしました!」と興奮気味に答える。この男も、早く戦場に出たいのだろう。ウズウズしているのが明らかだ。


「ナダ一隊長」


 阿修羅がナダに声をかけた。私はちらりと阿修羅を見たが、やつは一瞥(いちべつ)もなくこう言った。


「私も第一団隊に加わろう。この砦の攻略はかなり困難だ。リュージュ一人では荷が重い。王子、許可を」


 あ、そういうことか。しかし、まさかまた一団隊だけで落とするもりじゃないだろうな。私は(いぶか)し気に阿修羅を見るが、奴は相変わらず私の方を向かない。


「そう……だな。仕方あるまい。抑えには第二団隊を向かわせよう。作戦終了後には、必ず本陣に戻って来いよ」

「仰せのままに」


 阿修羅はにこりともせず、抑揚のない声で返答した。一体何があったのか、私には皆目見当がつかない。思えばカピラの兵士がルンピニーに集まりだしてから、ずっとこの調子だった。





 その夜、私は阿修羅の部屋を訪ねた。奴はナダ隊に合流すべく、バタバタと準備に忙しくしていた。


「もう行くのか?」

「ああ、明朝、夜明け前にここを発つ。雨季は終わりだ」


 相変わらず私に視線を送りもせずに、黙々と準備に勤しんでいる。私は阿修羅の寝床に腰掛け、彼が荷物をまとめる様子を眺めていた。


「用がないなら出て行ってくれ、邪魔だ」

「おいおい、それが王子に言う言葉か? 全く、兵達がここに集ってから、あからさまに無視するな」


 私が不貞腐れたようにそう言うと、ふいに振り向き手を止めた。目を丸くして、呆れた、と一言呟くと首を二、三回振った。


「では、王子。兵達が私達のことをどう噂しているか、御存知でしょうか?」


 阿修羅が突然改まった言い方をするので私は慌ててしまった。


「え? いや、さあ?」

「全く能天気な野郎だ」


 短く舌打ちする阿修羅。


「いったい何て言っているのだ? わ、なんだよ!」


 阿修羅は私が尻に引いていた帯をぐいっと引っ張った。勢いあまって私は寝床にひっくり返ってしまった。起き上がるのも面倒なので、そのまま肘をついて寝転がり、彼の言葉を待った。


「口では恥ずかしくてとても言えないことだ!」

「なんだ? それ……」

「雨季の間中、ここで使用人以外は殆ど二人だけだったからな。そんな噂も立つのかもしないが。だが、私はおもしろくない」


 既にひとり言のようにぶつぶつ言い出した。なんだかカリカリ怒っている阿修羅を見ていると不思議な気分になってくる。


「阿修羅」

「なんだ!」

「怒った顔も魅力的だ」

「あほか! おまえは!」


 手に持っていた丸めた帯が飛んできた。私はそれを右手で掴む。なんだか楽しくなってきてしまった。私は素早く起き上がると、阿修羅の右腕を取る。


「や、やめんか!」


 烈火のごとく怒ると、私を突き飛ばそうとする。負けるか!


「相変わらずだな」


 私は阿修羅を引き戻そうと足を踏み出した。だが、そこに何か丸いものが落ちていて、私はバランスを崩した。さっき私が掴んで丸めた帯だ。起き上がった時に手から落ちていた。


「わ! す、すまん!」


 言うより早く、私は阿修羅の背後に覆いかぶさってしまった。そして二人ともそのまま床にうつ伏した。阿修羅がうめき声を上げた。どこか強く打ったのか? 私は慌てて体を起こそうとした。だが……。

 阿修羅の流れるような髪からいい匂いがする。桃の花かな? あれ? 私の右手にある、この柔らかいものは何だろう。私は思わずギュッと力を入れて掴んだ。


「わあ! や、やめろ!」


 私の胸の下にあった体をするりと回転させると、力いっぱい蹴り上げてきた。


「ぐえ! い、いて!」


 私は壁まで弾き飛ばされた。しかし、痛みは一瞬で消えた。それよりも大事なことで頭はいっぱいだったからだ。私は阿修羅の顔と右手を交互に見た。


「阿修羅、おまえ、まさか」


 阿修羅は胸を押さえ、真っ赤になって床にへたりこんでいる。就寝前だったから阿修羅は薄着だった。もちろん薄いといっても上着は着ている。その上からだったけど、あの感触……。


「出ていけ……」

「阿修羅、あの、」

「出ていけ! それがいやなら、今すぐ私を殺せ!」


 阿修羅は胸を押さえたまま、声を出さずに泣いていた。体を震わせ、涙がぼたぼたと床に落ちる。その怒りの激しさに私はなす術もなく茫然とする。右手の淡い感触が、熱を帯びたように熱かった。そのまま何も告げず、逃げるように私は阿修羅の部屋を退出した。





 出発の朝が来た。阿修羅は何事もなかったように、一際目立つ白い豪気な鎧を付け、愛馬白龍に跨がっていた。東の空、目覚めたばかりの陽の光がその姿を覆う。それは神々しいほどだった。


「王子、それでは行ってまいります。必ず北の砦を奪ってみせます」


 阿修羅は私の目を見ず、何の抑揚もなくそう言った。


「ああ、阿修羅。無事を祈っている」


 私の声に一瞬ぴくりと反応したように見えたが、何も言わず背を向け出発していった。


 明らかに今までとは違う明確な思いが、私の心に生まれていた。それはずっと拒み続け、否定し続けていた感情だった。だが、もう、何も恐れることはない。私はこの気持ちに嘘をつく必要がなくなったことを知った。


 一個師団が列をなして南へと進んでいく。私は光あふれる阿修羅の後ろ姿をいつまでも見つめていた。類まれな美しさと強さを併せ持つ、彼女のうしろ姿を。




第七章 シッダールタの章 3  了  次章に続く。

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― 新着の感想 ―
[良い点] シッダールタも色々な人物から敵視されていて、大変ですね。 父王もシッダールタの治世を盤石にしたいがため、早く嫁取りをしてもらいたいとおもっているのでしょうが、シッダールタはどんな選択をする…
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