12 これじゃあ、献立表じゃない
県警の合同捜査本部では、小太りの刑事課長補佐の桜庭が、禿げた頭を真っ赤にして口角の泡を飛ばしていた。
――また血圧が上がり過ぎて、倒れなきゃいいが。
大野はそれを眺めながら会議室の一番後ろで、亞里亞と二人でポツンとパイプ椅子を並べて座っている。
本来なら入れないはずの『殺人事件合同会議』だが……
これを前進と呼ぶべきかどうかは微妙だった。
村井を含め、他の捜査官たちの視線は厳しい。
しかも風当たりは、亞里亞に向かっている。
その亞里亞は余裕の表情で手鏡を持ち、化粧を直していたが。
大野は針の筵に座っている心境だ。
まったく何を食ったら、ここまで神経が太くなる?
目線だけを動かして隣を確認すると、亞里亞は器用に鏡を動かして周囲を見回している。その動きはまるで、容疑者を探す刑事のようだ。
――疑われてるのはこっちだが。
大野は、キリキリと胃が痛んできた。
どこで情報が漏れたのか、県警にフェイカーが忍び込んで挑戦状を張り出したこと。そして昨日、現場の家が襲撃されたことをニュースで公表された。
警察としては赤っ恥もいいところだ。
今も捜査員に檄を飛ばす、桜庭課長補佐の気持ちは分からなくもないが。
昨日犯人を取り逃がし、証拠らしい証拠も手に入れられなかったのは痛いが……それを全面的に亞里亞の責任にして、ましてや容疑者扱いするのは納得いかない。
発表では証拠隠滅のための放火と公言し。
殺人事件は、フェイカーの押し込み強盗として捜査することに決定。
何かがズレた気がしてならない。
大野が、亞里亞に顔を向けると。
「動いたわね……もうひとりの偽善者が。ねえ、あたしたちはどっちを追えばいいのかしら」
そう小声で呟いて、ウインクしてくる。
大野はまた痛み出した腹をそっと抱えて……
とりあえず胃薬を買おうと、決意した。
¬ ¬ ¬
「警察に内通者がいるって言うのか?」
亞里亞の希望で八剱総合病院に向かう途中、大野がそう聞くと。
「まだそうと決まったわけじゃないけど……このヤマは最初から変なの。それがいよいよ表に出てきたってことね」
亞里亞が言うのは、昨日盗まれた絵画の挑戦状の裏書や、今日の不可解な合同会議のことだろう。
「それで、これからどうする? 策があるなら初めに言ってくれ」
昨日みたいなのは御免だと、大野がため息をつくと。
「まずあの副院長を吊し上げて、優先順位を決めましょう」
「優先順位?」
「犯人は二組。フェイカーと、もうひとりの偽善者よ。どちらも捕まえないといけなくなったから」
「二兎追わば?」
「そうね、それにこのままじゃあ、犯人はあたしになっちゃうしね」
「良くその状況で、冷静でいられるな」
心配する意味合いも含めて、そう言うと。
「心強い味方ができたからね、気にならないわ」
亞里亞はニヤリと微笑んだ。
大野が少し慌てると、ルームミラーの中の女は更に楽しそうに笑う。
咳払いをして心を落ち着けてから。
「それがどうしてあの副院長と」
もう一度質問を続ける。
「間違いなく何かを隠してたから……そこから事件の全貌を予想して。危険な方から潰そうかしら」
「はいはい、了解です」
病院の駐車場に覆面パトカーを止めると……
亞里亞は車から降りて、楽しそうに髪をかき上げる。
その自信に満ちた笑顔と、淡いブルーのフレアスカートが風に舞う姿に、大野が目を奪われると。
「見たいの?」
悪戯っぽく、スカートの裾をつかんだ。
「あほ」
大野がそっぽを向くと。
「じゃあ、戦いに行きましょう」
亞里亞はそう言って、颯爽と肩で風を切って歩いて行った。
総合受付の女性に事情を話すと。
「少々お待ちください」
しばらく内線でやり取りした後、忙しいからと面会を拒否した。
「これを渡して」
亞里亞はメモを書き。
「急がないと怒られるのはあなたよ」
ヒラヒラとそれを振りながら、プレッシャーをかける。
二十歳ぐらいの気の強そうな女性は、それをつかみ取ると亞里亞をにらんでから席を立った。
「何書いた?」
大野があきれていると。
「お嬢さんの依存は、今どのレベルですか」
亞里亞が大野の耳元に顔を寄せ、そっと呟く。
――ギリギリだが、薬物とか中毒と書かないところがさすがだ。
「やつは知っていたのか」
「そう考えた方が自然よ」
亞里亞と話していると、受付嬢が血相を変えて走ってくる。
「さて、第一関門突破ね」
それを見た亞里亞はニヤリと笑うと。
「Come on It's Showtime!!」
まるでショーが開幕した手品師のように、ゆっくりと両手を広げた。
¬ ¬ ¬
――3月17日 晴れ
朝食、ほうれん草のおひたし、玉子焼き、味噌汁。
昼食、食堂のランチ 生姜焼き
夕飯、ビーフシチュー やや肉が堅かった。
「これじゃあ、献立表じゃない」
かすみは叔父の日記帳を読みながら、大きなため息をついた。
どのページをめくっても、書いてあるのはそんなことばかりだ。
「謎は解けそうですか?」
フェイカーはパソコンにプログラムのようなものを打ち込みながら、かすみに声をかけてくる。
「叔父がなぜこんなものをあたしに託したのかが、最大の謎よ」
もう、1時間以上にらめっこしているが……さっぱり意味が分からない。
斜め読みしても横読みしても、暗号やメッセージの類は見つからない。
フェイカーはキーボードに乗せていた手を止めると。
「少し休息しますか」
置いてあった叔父の絵を壁にかけ、部屋を出て言った。
モニターには『ジグザグ』の情報が羅列されている。
静香の履歴をもとに、スパイウエアとかフィッシング何とかを仕掛けたとか。
そんなのが得意な仲間がいると言っていたが……
「ハッカーとかそう言うのだろうか」
かすみは聞いても、いまひとつ理解できなかった。
それは中高生をターゲットにした脱法ハーブのバイヤーらしく。
編集局でも話題になったSNSの密売組織のようだった。
「編集長が知ったら喜びそうなネタね」
フェイカーが注目していたファイルには、「適合」「不適合」「済み」「未」等の文字が書き込まれている名簿のようなものまである。
――なんだか理科の実験ノートみたいだな。
そんなことを思いながら開いた日記帳を頭に乗せ、机に顔を伏せると。
「お待たせしました」
コーヒーカップを二つ手にしたフェイカーが戻ってきた。
かすみが振り返ると、日記帳からはらりと何かが落ちる。
「これは?」
フェイカーが拾い上げたのは、植物の葉だ。
「そ、それが謎を解くカギかも! 例えば脱法ハーブの証拠になる葉とか」
かすみは急いで挟んであったページを探す。
葉の後がくっきりと残っていたページには。
――12月22日 雪
今日は冬至 ゆず湯に入った。
そう書かれている。
フェイカーもそれを覗き込み、葉の匂いを嗅ぐと。
「形はミカン科の植物の葉ですし、匂いもゆずっぽいので……脱法ハーブとは関係なさそうですね」
引き出しから小さなジップ付きのビニール袋を出し、その中にしまう。
「念の為、知り合いに調べてもらいますね」
そう言ってニコリと笑った。
「ねえ、叔父さん……あたしそろそろ限界だわ」
もう一度かすみが机に顔を伏せると。
「まだ始めたばかりですから」
フェイカーはかすみの横に温かいコーヒーを置いた。
「それより……もう少しお互いに情報交換しない?」
フェイカーが自分の汚名を晴らしたいのは分かるが……
かすみにとって、都合の良すぎる対応にも謎があるし。
何よりフェイカーが謎過ぎて、今ひとつ信用できない。
この別荘の維持費や先ほど乗った高級車。それに診断書などの偽造書類。
ハッカーのような知り合いもいるようだし、今も植物の葉を知り合いに調べてもらうと言う。
フェイカーの犯罪で、それらを賄うような巨額のお金が入ってくるとは思えない。話しぶりや行動から、仲間がいることは間違いないし。
「情報交換ですか」
「そうよ、あたしあなたの仲間になったから。言いにくいこともあると思うけど……お互いに知っておいた方が良いこともあると思うの」
「なる程、それはそうですね」
いつものようにカップに大量の砂糖を投入すると、優雅に足を組みながらかすみを見て。
「では、なぜ私がこのようなことをしているのか……そこからお話ししましょう」
フェイカーはとても美味しそうに、コーヒー風味の砂糖を味わうと……
例のつくられたような笑みをかすみに向けた。




