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霧の先の過去

 包まれた濃霧の世界は不思議と心地が良かった。


 早朝に城下の朝を知らせるパンを焼く匂い。散歩に興じる老人たちの会話。眠気を撫で攫う朝風。そのどれも今、この場には存在しない。


 恐怖はない。このままこの世界に溶けてしまっても構わないのではないかと思わせる。


「いつまで、続くのかな」


 魔道書の探索は既にヨムカの脳内から徐々に霧散していく。


 コツコツと鳴る自分の足音は次第に軽くなっていく。この濃霧の先には何があるのだろう。見てみたい……その先を。ヨムカは意を決して地を蹴り走り出す。


「行かなきゃ……この先に」


 この意思はヨムカ自身のものなのだろうか。それとも、何者かの意思が強く働いているのか、使命めいた強迫観念が突き動かす。


「あっ……」


 濃霧が晴れれば城下の街並みではなく、木々に囲まれた一軒の民家。


「ここって……」


 知っていた。ここが何処なのか。


 幼い頃の記憶が嫌というほど掘り返され、一種の拒絶反応の様に頭痛が激しく脳を揺さぶる。どうしてこんな所に、こんな場所に来たくは無かった。夢なら今すぐに覚めてくれと何度も願う。だが、その願いは聞き届けられることはない。


「うぅ……どうして」


 痛む頭に顔をしかめながら、こじんまりとした家に恐る恐る近づいていく。


 懐かしさは心の隅に感じてはいるものの、ヨムカにとっては忘れたい思い出が多い場所だった。木製の扉を押し開くと、甘い匂いが鼻腔を抜ける。それはとても好きだった匂い。


「……クッキーの匂いだ」


 母親がおやつに焼いてくれたクッキー。ヨムカは中心部にイチゴジャムを埋め込んだものが好きで、よくせがんでは作ってもらった事を思い出す。


「いらっしゃい、ヨムカ」

「えっ……」


 台所にいた懐かしい人物は、玄関でボーっと突っ立っていたヨムカに微笑み手招きをしていた。


「おかあ……」

「ふふ、そんな驚いた顔しなくてもいいでしょ? さっ、おいで。一緒にクッキーでも食べながらお話しをしましょ」


 言われるがままに足は母を求め行く。


 あまり大きくはないテーブルと椅子が三つある。子供用の椅子を見た母は「これじゃ座れないわね」と苦笑し、空いているもう一つの椅子をヨムカに勧める。


「お父さんの椅子……だよね」

「そうよ。まだ、お父さんは帰ってこないから座っちゃっいなさい」


 ヨムカが素直に席に着くと母は焼き上がったクッキーをヨムカの目の前に置き、対面に座る。


「えっと……お母さん?」

「ん、なに?」

「あ……えっと、なんでもない」


 何を話せばいいのか。優しく美しい母の表情を見ていると、言葉を上手く作り上げることができない。その様子を可笑しそうに眺めていた母は仕方のない子ね、とでも言いたそうにクスリと笑う。


「私とお父さんに何を聞きたいのかな? 遠慮なく聞いていいのよ」


 母の後押しもあってヨムカが抱え込んでいた不満を口にする。


「私は産まれて来るべきじゃなかったのかな? 赤い色はこの南大陸では禁忌だし……私のせいでいっぱい迷惑をかけたよね。最期、私を殺そうとした理由もわかるよ。でも、一番聞きたいのは、あの時どうして包丁を私に振り下ろさなかったのかなって」

「そうね……。貴女が生まれた時は正直、気味が悪かった。でも、少しずつ育っていく貴女はやっぱり普通の女の子なんだって。でも、お母さんは弱かったの……心の何処かで貴女は災厄を運んでくるんじゃないかって。ホント……馬鹿馬鹿しいわよね。自分の子供をくだらない言い伝えを信じて、ひどい仕打ちをしてきたんだから。でも、私はヨムカ、貴女が好きよ。こんな立派に育ってくれて、お母さんは嬉しい」


 母の言葉に偽りはないとヨムカは判断した。

 

「もう一つだけいい? お母さんが死ぬ間際に何か言おうとしてたけど、何て言おうとしてたの?」

「信じてくれるかはわからないけど。包丁を振り上げた時にやっぱりできない。この子には笑って生きて欲しいって思ったの。最期に貴方に伝えたかった言葉はね、貴女に幸せな人生が訪れますように……そう、言いたかったの。死んで後悔したわ。ちゃんと伝えられなかったのだから。でも、いまようやく伝えられた。ヨムカが私をどう思っているかは分からないわ。でも、おかあ……私は貴女を愛しているわ」

「そっか、お母さん。それと、なんで自分の事をお母さんって言わないの?」

「ヨムカに酷いことをしてきたから、私が一人の母として許せないの……」

「気にしなくていいよ。お母さんはお母さんだから。私だってお母さんが……好きだし。被害者が許すからお母さんも自分を許してあげて」


 ヨムカは真摯に母と向き合う。


 過去の過ちを、全てを、許すと。


「ありがとう、ヨムカ。お母さんとお父さんはいつでも貴女を見守っているわ」


 母は、一度そこで会話を区切り、焼きたてのクッキーを勧める。

明けましておめでとうございます。(*'▽')ノ


新年初の投稿です。


次回はヨムカの父親も参加し、失われた家族の時間を少しだけ過ごします。

次話は明日の投稿となります!




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