第78部隊の対抗戦
夕陽色の瞳を持つ少女は自身のクラスにて書物を紐解いていた。
その内容とは基礎戦闘について。
今日行われる部隊対抗戦に備えての事だが、その努力も水泡に帰すのは揺るぎない事実だった。
ヨムカは奥歯を噛み締めると本を持つ手に力がこもり、本に皺を作る。
「どうせ、また馬鹿にして見下すんでしょ……」
自分しかいない教室に並べられた席を見渡す。壁に掛けられた時計がふと視界に入り、そろそろ学院生が登校してくる時間だったので、本を机の中に仕舞う。しばらくして、賑やかな声と共に数人の生徒が教室に入るなり、ヨムカの周囲に集まりだす。
「部隊対抗戦、今日の午前だったよなぁ。どうせ、また棄権するんだろ? お前等みたいな臆病者が有能な魔術師になれるわけないじゃん……つか、お前がいるとクラスの士気が下がるの気付いてる?」
数人の男子に罵声を浴びせられながらも、視線は彼等に向けることなく、ただ窓の外に向けていると、悪態を吐きながらヨムカの席から離れていった。これが、今までの人生で学んだ自己防衛だった。もちろん、それが全員に通じるわけでは無い。
教室の扉を開けて一人の若い男性が教壇に立ち、連絡事項を告げてはヨムカに視線を向ける。
「ヨムカ、知ってると思うが今日の午前に部隊対抗戦があるからな。朝礼後に自部隊の部屋に行って打ち合わせをしてきなさい」
「打ち合わせ……? どうやって敵に降参するかの話し合いですか?」
「ヨムカ、不貞腐れるなよ。ちゃんと隊長に戦いたいって意思を告げて説得してみろ」
この担任の教師は七八部隊以外でヨムカを非難せず、他のクラスメイトと平等に扱ってくれる唯一の存在だった。
こんな態度のヨムカにも担任はあまり参考にならないアドバイスをくれたり、悩みを時々聞いたりしてくれる。もちろん、そんな彼の人柄をヨムカは好意的にとらえていた。だが、迫害の対象であるヨムカに親身になる彼を快く思わない生徒や教員も数少なくない。
「すいません。今の態度は少々子供っぽかったです」
「気にすんな。つか、まだ子供だろ?」
朝礼も早々に切り上げ、ヨムカは第七八部隊に割り当てられた部屋に急ぎ足で向かう。今日行われる対抗戦は十試合で、ヨムカの他にも参加する生徒の姿を視界に入れつつ、ようやく自部隊の部屋にたどり着き、ノックを二度鳴らし扉を押し開く。
「おっす、ヨムカ。後は隊長とフリシアだけだな」
室内にはいかにも体育会系といったようなヨムカと同年齢くらいの男子と、隊長席の周りに散らばった書物や資料を片付ける柔和な男性。
「おはようございます。ロノウェ副隊長」
ヨムカが挨拶をすると、片付けをしていた男性の手が止まり、優しげな瞳を細め会釈で返す。
「おはようございます。ヨムカさん」
ロノウェと呼ばれた男性はヴラドと同じように身長が高く、腰まで伸びた藍色の髪はよく手入れがされていて艶かな色気を纏っている。
「また、先輩の机の片付けですか?」
「えぇ、私が片付けなければ永遠に汚いままですから。全く……もう子供ではないのですから、自分で片付けてほしいものですね」
世話のかかる子を持つ親のように困った表情を浮かべるが、ヴラドに世話を焼く彼はどことなく楽しげに見える。
「おはよー、ヨムカ」
投げ掛けられた挨拶を聞こえなかった事にする。
「そういえば、ロノウェ副隊長は先輩と昔から仲が良かったと聞いてますが、先輩は昔から……その、あんな感じだったんですか?」
「気になりますか?」
「はい」
「ヴラドは昔からあんな感じでしたよ。貴族だという自覚を持たず、ただ本に囲まれ自分の世界に没頭する毎日で、私は自由に生きる彼に内心憧れを覚えたくらいですよ」
苦笑交じりに過去を懐かしみながら語るロノウェにヨムカは相槌を打ちながら話しを聞いていると、むさ苦しい巨体が無理矢理割って入る。
「無視するなよッ!」
「おはようクラッド、挨拶はこれでいい?」
「ひでぇ……流石に泣くぞッ!?」
暑苦しいくらいに詰め寄る少年は、短めの茶髪に茶眼と何処にでもいそうな容姿だが、この魔術学院で唯一身体を鍛えあげる魔術師として有名だった。その鍛えあげられた肉体は衣服に余裕が見られず胸元を大きくはだけさせ、自慢の筋肉が顔を覗かせている。
「どうぞ、見ててあげるから思いっきり泣いていいよ」
「誰が泣くか、バーカバーカ」
ヨムカも子供っぽい所が見られるが、目の前の少年は、知性が子供のまま身体が成長してしまったような有り様だった。
「はぁ……」
「ため息付くなよ、俺までため息吐きたくなるだろ」
「ふふ、ヨムカさん。それ以上苛めると本当に泣かれてしまいそうなので、程々にしてあげてくださいね」
タイミングを見計らったようにロノウェが声をかければ、ヨムカは頷き、部隊対抗戦の準備に取りかかる。
自分の引き出しを開けると、鈍い銀色をした一丁の拳銃と曇り一つ無い一本のナイフが入っていて、その両方を手に取り腰に装着する。
魔術学院生全員に支給される代物だが、これは単純な武器ではない。
ナイフはこの国と自身の信念に対して忠誠と誇りの象徴。
そして、拳銃には常に一発の弾丸が込められている。その弾丸は決して相手に使うものではない。戦場や任務で敵に追い詰められた際に情報等を漏らさぬようにと支給された代物だ。魔術加工をされた弾丸が脳を完全に破損させ、敵の術式で情報を抜き取られぬようにする為のものであり、任務時や部隊対抗戦には常備するのが義務付けられている。
「…………」
ヨムカの準備が整った所で扉が開き、気怠そうな男性と気弱そうな少女が立っていた。
「悪い悪い、フリシアが色ボケした生徒に絡まれてて仲裁してたら遅くなった」
「もっ……申し訳ありません!」
背後に控える少女は深く頭を下げる。
「いや、別にお前が悪い訳じゃないし気にすんな」
ヴラドは未だに頭を下げ続けるフワフワとした金髪を持つ少女の頭を軽く撫でてから、ロノウェの手により片付けられた自席に着く。
「あ~、部隊対抗戦についてだが――」
「先輩、その事についてなんですが」
ヨムカがヴラドの言葉を遮り一同の視線を集める。
「うん? どうした」
「今回の部隊対抗戦は棄権したくありません」
一瞬の沈黙の後にクラッドも続く。
「俺も棄権したくないっす! クラスの連中には見下されて、馬鹿にされてるんすよ。隊長は悔しくないんすか!?」
声を大に訴えるクラッドにフリシアは驚き身をすくませ、ヨムカの背後に隠れ、恐る恐ると肩越しに顔を覗かせる。
ロノウェは口を挟む事なく静観し、ヴラドが口を開くのを待つようで、視線だけを一度ヴラドに向けた。それに対して「分かってる」というように眠たげな視線での返答。
「お前達は勝ちたいのか?」
「……はい」
「当たり前じゃないっすか! 勝たなきゃ金になる仕事も貰えないし、他の奴らに馬鹿にされるだけで、何も良いことが無いっすよ」
「そうかぁ……」
考える素振りを見せるヴラドの表情は、決して前向きなものではないというのをヨムカは読み取ると、また惨めに戦わずして敗北をするのかと、気分が重くなり、吐き出したいため息を無理矢理に飲み干す。
「まぁ……今日の相手はバカル……六八部隊だし、まぁいいか。最後まで戦うのは良いんだが、条件を付けさせてもらうぞ」
ヨムカとクラッドは呆けた顔を一変させ、真剣な面持ちで頷く。
二人の様子を確認した後、ヴラドの蒼色の瞳はロノウェとフリシアに向けられ、二人も頷く。
「あ~俺がお前達に課す条件は二つだ。まず一に無理はするな。一人が無理をすれば結果として全員に迷惑がかかる可能性がある。次に二つ目だが、やるなら実戦を意識してやってくれ。お前達は勝ちたい、勝って金になる仕事がしたいと言ったな。金になる仕事には少なからず危険が伴う。想定外な戦闘を行う事だってある。その時に座学での知識なんてまず役に立たない。最終的に頼りになるのは自分や仲間だ。それを踏まえて今回の部隊対抗戦に挑んでくれ、いいな?」
珍しくヴラドが隊長らしい全うな事を述べたので、それが可笑しかったのかフリシア以外は口元を綻ばせるのを耐えていた。
「おいおい、珍しく隊長らしい事言ってるんだから真面目に聞けよ」
ヴラドは後頭部を軽く掻き、一同から条件をのむ返答を確認してから、隊長席に掛けられた部隊長専用の黒生地に金糸で模様が袖口に刺繍された丈の長いコートを羽織り、背後にヨムカ達を率いて第七八部隊の部屋から歩みだす。
部隊対抗戦のある日は午前の授業は無くなり、全学院生は闘場と呼ばれる広大なホールに集められ、観戦する院生は二階から試合場を見下ろすように配置された席に着く。
本日対抗戦に参加する部隊は一階の試合場に並び、教職員に禁止事項等の説明を受けて、一試合目の準備に取り掛かる。
「始まりましたね」
「そうだな」
ヨムカの言葉にヴラドは生返事を返し、視線は手元に開かれた小説に落とし字を追っている。
試合に興味は無いといったようで、術式による破裂音や怒号を意に返さず読書に励んでいる。そんな隊長の姿を隊員であるヨムカは心底不安になった。
「そんな余裕な態度でいいんですか? 今日は棄権しないんですよ?」
「別に試合を観戦したからって、俺達が有利になるわけでもないし、何より小説の続きの方が気になるだろ?」
視線を本から外さずに、ヨムカに答える。
確かに今戦っている部隊と戦うわけではないから観戦していても有利にはならないだろう。それでも戦い方や戦場での動きは参考になると思ったから観ていたのだが、視線をヴラドから反対側に座る他の隊員に向けてみるとクラッドは爆睡し、フリシアは緊張で身体を強張らせていた。副隊長であるロノウェまでも本に視線を落としていて、一人真面目に試合をまじまじと観ていた自分が馬鹿らしく思えたので、フリシアの隣に席を移動する。
「緊張してるの?」
「あわっ……ヨムカちゃん!?」
「え……あ、うん。大丈夫?」
声を掛けただけでここまで驚かれるとは思っていなかったので、少々呆気にとられてしまった。
「はっ……はい、大丈夫です」
どうみても大丈夫では無さそうな少女の手を優しく包み込む。
その行為に少し驚きの表情を見せはしたが、しばらくして多少は落ち着きを取り戻しヨムカの手を握り返す。
「ヨムカちゃん、ありがとう」
未だ少しだけ強張りは残るが、先程よりかは柔らかくなった笑顔を向ける。小さく柔らかい少女の手の温もりを感じヨムカも自然と優しい瞳を宿していた。
その様子をヴラドとロノウェは横目で一瞥し、薄く笑い再び本に視線を戻す。
それから何試合か続いた後にようやく第七八部隊の番が回ってきた。周囲からはまた棄権するんだろうという諦めの視線を背に感じながらも、観客席を立ち一階の試合場に向かう。
1話投稿からだいぶ時間が経ち、ようやく2話めの投稿です。
次回も多分一週間後くらいになるとは思いますがよろしくお願いします。