盗まれた禁術の書
地平線から朝日が昇り、一日の始まりを告げる。
ヨムカは眠り眼を擦りながら洗面台で顔を洗う。
昨日一日でヨムカを取り巻く環境が大きく変わってしまった。
黒死蝶のボスに就任し、膨大な知識の魔術師との邂逅。そして、魔術師から語られる夕日色の意味。ヨムカの頭は色んな事がごちゃ混ぜになりショート寸前だった。ボス就任スピーチの後は運ばれてくる数々の料理に舌を包み、カロトワを筆頭にメンバーは酒を飲み、酔いに任せては馬鹿騒ぎをして、バロックはそんな姿を眺めながら笑っていた。結局帰宅出来たのは日付が変わってからだった。
「ふぁ~、眠いなぁ。休んじゃおうかな」
睡魔が誘惑的なベッドに意識を向かせる。
「うぅ……やっぱ行こ」
冷水で何度も顔を洗い、強制的に意識を覚醒させる。
相変わらずのツナパンに齧りつきながら、家を出るまでの時間をテキトウに過ごす。
学院の校門を抜け、自クラスにたどり着く。まだ誰も登校しておらず、今日もヨムカが一番だった。
淡々と行われる授業と未だ残る睡魔によって、ヨムカは心地の良い夢の世界へと誘わる。気付けば放課後になっていた。午後の授業は起きていたのだが、何一つ頭に入っておらず、本当に起きていたのか自信がなくなる。
七八部隊の部屋は、相変わらずに隊長席の周囲は書物の城塞と化していて、ロノウェがなにやらヴラドに小言を垂れていた。
「おはようございます」
声を掛けると二人はヨムカの存在に気付き挨拶を返す。
「よぉ」
「おはようございます、ヨムカさん」
ヨムカは自席に着き、自身が研究している因果創神器についての参考書を開く。
視線は書物に向け、耳にはヴラドとロノウェの会話が入る。それでも気にすることなく、ページを捲り文を追っていく。
「おはようございまーす!!」
勢いよく開け放たれた扉から、クラッドが満面の笑みを浮かべながら現れる。
部屋に入るときくらいは静かになれないのかと内心で毒づくが、本人に言っても意味がないと分かりきっているので諦める。
「お、おはようございます」
クラッド背後から顔を覗かせる可愛らしい少女の姿にヴラド、ロノウェ、ヨムカは挨拶を交わす。
「なんでッ!? どうして俺の時は無視なんすかッ!!」
痛切なクラッドの訴えをみな、さも当然というように聞き流すと、クラッドはその場に崩れ落ち四つん這いの形をとる。
「クラッド君、扉の前で蹲ってると邪魔……だよ?」
フリシアにまで邪魔者扱いされ、クラッドはげっそりとした表情のまま自席に着き、何やらブツブツと呟いていた。
「……」
「俺は……邪……なん……俺……魔な……はは……」
参考書を読んでいるヨムカの耳に不快な呪詛が流れ込む。
彼を苛めたのはヨムカ達だが、流石に間近で死にそうな顔をしながら呪詛を呟くのは止めて欲しかった。
「クラッド、呪詛を呟くのは別に良いけど、もう少し静かにしてくれる? 調べものの邪魔なんだけど」
「……」
生気の無い顔をガバッと上げ、魚が死んだような焦点の定まらぬ瞳はヨムカを映していた。そのホラー的絵面に悪寒が背筋を走り抜ける。
「ちょっと、こわッ!? 出来ればこっち見ないでくれると嬉しいんだけど」
「俺ってそんなに嫌われてるのかな?」
「いや、別に嫌ってないよ。ただ、からかうと面白いなってだけで、皆もそんな感じだと思うよ?」
クラッドは機械仕掛け人形のように、かくかくした動きで全員を見渡す。ヴラドとロノウェは力強く頷き、フリシアは何故か首を小さく傾げる。
「フリシアもクラッドをからかってただけ……なんだよね?」
ヨムカが不安げにフリシアに問う。
「えっ……? あっ、うん。ただ反応が可笑しくて……」
最初の驚きとその後の一瞬の間が気になったが、それでも単純なクラッドには十分だったらしく、その顔色は太陽のように輝いていた。
「いやぁ~流石の俺もちょっとだけ焦ったっすよ、ちょっとだけね。ははは」
ちょっとの部分を強調させる辺り彼の必死さが伝わってくる。
ここにいる全員は彼のあのホラー的な顔からして、かなり落ち込んでいたんだと察してはいるが、そこは誰も口にはしなかった。
そして、七八部隊の面々はロノウェの机に召集が掛けられ、ヨムカも読んでいた書物を閉じ一同は集まる。
「皆さんは禁術というのをご存じですよね?」
ロノウェの言葉に一人を除いて頷く。
「あ~、めんどくさいが、クラッドの為に説明すると、禁術ってのは読んで字の如く、他国との条約で使用を禁じられた術式。もしくは、かなり古い時代に使用されていたが、長い歴史によって風化し、失われた術式の事を言うんだ。後者の術式は今の魔術師程度じゃ扱えない事から禁術と呼ばれている。分かったか?」
流石は書物を常に齧り続けているだけあって、ヴラドの知識は豊富ではあるのだが、クラッドの頭の中は整理できず、困惑したような笑いでその場を誤魔化そうとしていた。
「理解したっす……多分」
自信の無さから瞳を逸らす。
ヴラドもこれ以上追及する事なく、ロノウェに進めてくれと目配せをする。
「その禁術……ヴラドの言った後者の方です。その資料はこの国が厳重に保管していたのですが、昨日何者かの手によって盗まれたみたいで……。この資料が他国に渡ればこのリンドバルデン国は同盟国の信頼を失い最悪は同盟破棄、物資等の援助を完全に絶たれ、民は飢えに苦しみ、国家崩壊なんてことも……そうならない為に、学院長が騎士養成学院と共同で捜索隊を率いて町中を探し回っているみたいです」
国家の崩壊。
それは、欲望に飲まれた者によって引き起こされると、魔術師が語った事を思い出す。
「そんでロノウェ、俺達は何かするのか?」
「第一~二三部隊までは捜索隊として動き、それ以下の部隊は東西南北にある外部に通じる門にて検問所を設けて、一人一人の荷物を確認するよう言われています」
「めんどくさいな。いつからだ?」
「日替わりですので安心してください。七八部隊は明日の午前から南門を六八部隊、八三部隊と騎士学院から三部隊の計六部隊で行います」
「えぇ~六八部隊って、あのガリガリ眼鏡の部隊じゃないっすか! 俺、あの人苦手なんすよね」
「わ……私も少し苦手です」
「私は嫌いです」
ヨムカだけはきっぱりと意思を率直に伝え、ヴラドとロノウェは苦笑する。
「まぁ、そう言ってやるな。アイツは結構良い所もあるんだぞ」
ヴラドのフォローにロノウェも続く。
「カルロさんは筆記試験は常に上位を維持していて、勉強を教えるのもとても上手なんですよ。部隊指揮能力と術式の技量も高いので、将来は有望な魔術師となると思いますよ」
この間の部隊対抗戦を思い出していたが、指揮能力が高かったかと聞かれれば素直に頷けない。
「言っておくが、この間のアレはアイツが油断していたから勝てたんだ。最初から俺達を潰す気でいたら、ロノウェを除いたメンバーは全員地に伏せていただろうな」
ロノウェがいる以上敗北はありえないが、それでも七八部隊としての実力ではない。つまりロノウェが生き残っていても部隊としての実力は負けていたことになる。
「確かに俺とヨムカがあのまま竜巻の中にいたら、多分身体中切り刻まれてぶっ倒れてたっすね……」
「わ、私は攻撃系統の術式は使えないですし、ヴラド隊長は……その」
「まぁ、俺は術式得意じゃないしな。フリシア、別に遠慮することはないぞ。言いたい事はちゃんと言った方がいい」
「ハイ、頑張ってみます」
話しが逸れたので本題に戻ろうとしていたら、扉が勢いよく開かれた。
「やぁ! 七八部隊の諸君。いやはや実に汚い部屋だねぇ。特にヴラド、キミの机はあれかい? 物置きなのかなぁ」
七八部隊の部屋にズカズカと我が物顔で踏み入って来たのは、つい先程まで話題にあがっていたその人物である、第六八部隊隊長カルロ・シュタンベルクだった。
「カルロかよ、何しに来たんだ?」
「部隊対抗戦では不本意ではあったけど、キミに助けられたからねぇ、あ~、思い出すだけで鳥肌が立つし、失神してしまいそうな汚点だよ、まったく……」
カルロは手に持っていた紙袋を皆が集まるロノウェの机に置き、一同の視線はその甘い匂いを放つ紙袋に注がれる。
「んで、これはなんの真似だ?」
「んぐぐ……おいおい、なんの真似だはないんじゃないかなぁ、助けてもらった礼として僕が高級菓子を二つも買ってきたんだよぉ?」
「……は? 何で二つも買ってんだ?」
「き……み……はァッ! ヴラド、キミが二つも要求したんじゃないか!! 高かったんだから、ありがたく感謝して食してくれよ。さて、僕の用は済んだから帰るけど、見送りなんていらないからね」
中指で眼鏡の位置を調整し鼻を鳴らす。
背を向け帰ろうとした所でヴラドがカルロの襟首に手を掛け、カルロの首が締まりカエルのような声をあげる。
「ゴホッゴホッ! なんなんだいッ!? 今凄く痛くて苦しかったんだけどぉ? ヴラド、キミは僕に何か恨みでもあるのかいッ!?」
鬼気迫る表情でヴラドに詰めよる。
「いや、別に恨みとかじゃない……つか、顔が近いから離れろ」
ヴラドとカルロの顔の距離が、十五センチと魔法の距離間を生み出し、ヴラドがカルロの胸元に手を当て突き放す。
「なんなんだよキミは、僕にはキミの行動が全く理解できないんだけどねぇ」
「お前の顔が近すぎたのが原因だ。それに呼び止めたのは明日の事だ」
ヨムカやクラッドは出来ればそのままカルロを帰らせて欲しかったが、明日の検問の事の打ち合わせとなれば致し方ないと内心で溜め息を吐く。クラッドが紙袋を破りクッキーの詰め合わせを取りだし、一人パクついているので、ヨムカとフリシアもクラッドと共にクッキーの甘さを堪能し始める。
「あぁ、そうだったね。確か禁術の資料が盗まれたそうじゃないか。全く管理が甘いんじゃないのかなぁ? そうは思わないかい、ロノウェ君」
「えぇ……そうですね。今回盗まれた禁術の資料は、今の魔術師が扱えるものではないにしろ、外部に漏れれば同盟国からの信頼は大きく傾きますから、早いところ見つけなくてはなりませんね」
「では、もう一つ、ロノウェ君に聞きたいんだけどぉ、盗んだ犯人ってどんな奴だと思う?」
カルロは眼鏡のフレームを指で押し上げ、レンズの奥から覗く鋭い視線がロノウェの視線と交わる。
「まず第一に単独での犯行であった場合、厳重な警備を潜り抜けられるほどの技量を持っているはずです。それも、身体に証拠となる怪我を負わせる剣術等ではなく、一瞬にして複数人を昏睡させる術式の技量を」
「流石はロノウェ君だねぇ、そもそもだよ、魔術師以外が禁術の資料何て盗む理由はないしね。第二に犯行の動機だけどこれは、その犯人は何かの儀式を行う為に、その禁術の力が必要なんじゃないかって思っているんだけど、優秀なロノウェ君はどう考えているんだい?」
「その前に一ついいですか? カルロさんは何故、犯人が儀式を行うと思ったのですか? もしかしたら、好奇心か国家転覆が目的というのも考えられませんか?」
カルロのロノウェを見る瞳が変わる。
「好奇心でそんな危険な行いをするかなぁ? 見つかったら確実に死刑だよ、シ・ケ・イ。確かに魔術師なら研究をしてみたい題材ではあるけど、今回盗まれたのは古代に使われていたとされる失われた術式だよ? 今の魔術師では扱えない代物なんだよ。そんな物を盗んだ所で徒労に終わるよね。禁術を研究したいのなら、もう一つの条約で禁止されている方が手っ取り早いし確実だよねぇ。わざわざ命を賭ける危険を犯すほどでもないと思わない? だったら、考えられるのは資料そのものに宿る力を利用して、何かしらの計画を成就させるのではと、至ったわけなんだけど理解できたかなぁ? それに、国家転覆が目的なら、別に禁術の資料じゃなくてもいいわけだし。そもそも、素人からしたら単なる紙切れだよ紙切れ。見つける方が困難だよ」
ロノウェ相手に挑発するような言い方をしてくるが、ロノウェは涼しい表情で頷く。
「もしかしたら、禁術でもたんに失われた古代の術式に興味があっただけかもしれないだろ? 後は高値で他国に売り捌くとか……な」
先程から二人の会話に耳を傾けながらクッキーの甘さに浸っていたヴラドが口を挟めば、やはりカルロは眉間に皺を寄せる。
「ヴラドッ!? キミは何で僕の推測に水を差すのかなぁ? キミはクッキー食べて小説読んでれば満足だろッ! それともあれかい、僕の顔に泥を塗らなきゃ生きていけない難病でも患っているのかなぁ!? ホラホラ、甘いクキーでも食べてろよ」
ヒステリック気味に早口で捲し立てるカルロに、ヴラドはめんどくさそうにそっぽを向き、無理矢理小説の世界に没頭しようとするが、カルロの手により阻まれる。
「なんで、そっぽを向くんだいッ!? 僕が話してる最中だよね? ねぇ、そうだよね。だったら話してる人の眼を見るべきじゃないのかい。子供の頃、先生に教わらなかったのかい?」
「お前が話しに水を差さないで、小説でも読んでろって言ったんだろ」
「うるっさいよ!? キミの行動一つ一つが僕を苛立たせるんだ」
「意味が分からないぞ……」
ヴラドは本気で呆れ、逃げ出すかのようにカルロをロノウェに押し付け、トイレに行くと言い部屋を出ていった。
「ふん! 逃げたか」
それは逃げたくもなるだろうと、クッキーをパクつきながらヨムカ達は思った。
「まぁ、いいさ。ロノウェ君、明日の午前八時に南門に集合だから遅刻しないでくれよ。脳が筋肉で出来てる騎士に馬鹿にされるのは癪だからねぇ」
「八時ですね。後でヴラドにも伝えときます」
カルロは用は済んだとばかりに背を向け立ち去ろうと扉に向かう途中で、ヨムカを一瞥する。何かを言いたげであったが、結局何も告げずに出ていった。
一週間もあっという間に過ぎ、また新しく最深話を投稿できます。
このペースで投稿していくといつ完結するのでしょうね(^_^;)
次回は奪われた禁術の資料探しとなりますので温かく見守ってくださいませ
次の投稿も来週になりますのでよろしくお願いします!