学能
学食に生協、医務室に図書館。四号館にはコインランドリーもあるし、部室に行けばソファがあるから好きなときに好きなだけ眠れる。そうやってさようなら単位こんにちは再履修、日本の大学生の生活は往々にして怠惰に進んでいくものである。町の縮図だ、と思う。大学にいるのは生徒と教授だけではなくて、事務員も司書も清掃のおばちゃんだっているから、この大学だけで一つの経済が回っているのだろう。
文学部の私が巨大な経済に思いを馳せる傍らで、お向かいに座るきぃちゃんは書きかけの小説とにらめっこして文学に思いを馳せていた。
「先輩」私の買ってきたチー鱈を口の端から覗かせて、きぃちゃんが呼んだ。
「どうしたの」
「壁ドンってどう書けばいいですか」
「ほっぺにチー鱈ついてるけど」
「まじですか」
「壁ドンって、」私もチー鱈を一つ摘む。セブン・イレブンのチー鱈は長いからお得な気がする。その分入っている本数が少ないのだけれど。
「どうしていきなりそんな、少女漫画みたいなこと書こうって思ったの」
「きらきらした青春ものを書きたくて」
「いつも卑屈なツイート垂れ流してるのに?」
「いつも卑屈なツイート垂れ流してるからです」
「なるほど、」
残念ながら外を見れど拝めるのは無精髭の学生が気怠げに煙草をふかしている姿だけで、壁ドンなんていう浪漫チックなイベントはいくら待てど起こりそうになかった。嗚呼古き良き日本の学徒よ今何処。
「俺、思うんですけど」
「うん」
「多分、世の中にいる小説家の大体は、文才なんて無いと思うんですよ」
茶化そうと思って、やめた。経済学部生が何言ってんだよと返すには、きぃちゃんの声音はそれなりに真剣身を帯びていたからだ。
「だって、考えてみて下さいよ。文章を書くに当たって守らなきゃいけない決まりってほとんどなくて、例えば三点リーダーを二個ずつ使っていなくたって、それは編集さんが直してくれるわけでしょう?」
「この人にしかできない表現っていうのは、あるんじゃない。きぃちゃんの書くものと、私の書くものは違うでしょう」
「俺は森見登見彦かぶれで先輩は江國香織かぶれじゃないですか。ああすいません、悪く言うつもりはなかったんですけど、なんていうか、プロの作家だって少なからず誰かから影響を受けていて、それぞれの好きな作品が所謂参考書になるっていうか。レポートを書くときみたいに、三つ以上の参考文献から自分の書きたい表現をコピーアンドペーストして、そうすれば一応の形にはなるわけで」
「三つも組み合わせているとその時点でもうほぼオリジナルっぽくなるから、パクリでもないと」
「そういうことです。だから、今の作家さんたちも、案外そういう人多いんじゃないかなあって」
成る程きぃちゃんの言葉には一理あった。私もそれなりに真剣な顔をして、ふむふむと頷いてみる。それからチー鱈も一ついただく。きぃちゃんも私と同じにもぐもぐしている。
「それが壁ドンとどう関係があるの」
おつまみの残りは少なかった。食べ物がなくなってしまうとしょんぼりしている彼に今度はセブンプレミアムのおつまみサラミ(一五〇グラム)を与えて、そう問うた。
「需要と供給の才能だと思うんです。作家になれる人たちが持っているのは」
安いサラミの包装紙はかさついた音を立てて耳がざわつく。一個一個丁寧に包まれたそれを、きぃちゃんは片っ端から空けていく。
「今世の中で流行っているもの。皆が欲しがっているもの。それらを正しく分析して、参考文献を絞り込んで、」
「コピーアンドペーストして?」
「はい。そうやってできたものが、所謂売れる作品、なんでしょうね」
「自分で書きたいものを書いていたら売れたって人ばかりだと思うけど」
「いますよね。『自分の好みは世に合わないから……』って言い訳して一次選考も通過できない自分を慰める人」
「明日からお菓子持って行くのやめるね」
「堪忍して下さい堪忍して下さい。まあつまり、今のメジャーが分かったり、自分の好みがメジャーな人が評価されるんだろうなってことです。だから俺も少しあやかってみようと思いまして」
そこにきてようやく、きぃちゃんの言わんとすることが分かった。
「つまり、流行の壁ドンを描いた小説を書けば、もっと色んな人に自分の作品を見てもらえるんじゃないかってこと?」
きぃちゃんは素直に頷く。成る程腐っても経済学部、文学に思いを馳せど着眼点はそれなりにワールドワイドのようだった。
「それもあるんですけど。後もう一つあって」
「ほっぺにサラミ付いてるよ」
「俺は別に作家になろうとは思っていないんですけど。でも、作家を目指している先輩よりも先にそのことに気づけたんですよ」
「何がいいたいの」
「先輩より俺の方が才能ありますね」
私はサラミを没収する。
感想などいただけましたら卑屈なツイートがやや卑屈でなくなります。