シックネスウィークネス
乃闇 梓は幼馴染にして、平凡という言葉の良く似合う人物である。
幼稚園の頃から一緒で、家が近所だった事もあり、何をするにも傍に居た。
髪型は癖っ毛だとかで、昔から余り伸ばさずに、肩程までの短めな髪型を維持している。稀に遅刻しかけた時などは、髪の毛が跳ねていて、そこにギャップ萌え。
梓は僕が理想を追求し始めたばかりで、まだ加減が分からず暴走気味だった頃の、一番の理解者であって、同時にブレーキ役にもなってくれていた。
梓が居なければ、僕はただの痛い人になって居ただろう。
それ程までに、大事な存在だ。
だから帰国した時の目標でもあって、またそういう平凡を目指した理由がそもそも、梓の平凡で平穏で平和な生き方に、憧れたからかもしれない。
まぁ最近は隣に引っ越して来て、さらに窓越しに家へ来たりするが、……別段、突飛な行動という事はない。……ないよな?
ともあれ、何故こうして僕がもう終わったはずの計画。間違った目標について話が続いてるかといえば、……目も当てられない事態が起こったからに、他ならない。
それは突然だった。荒れる暴風の様に、落ちる轟雷の様に、吹き上がる炎の様に、――叫ばれた。
「もうやめてっ!! どうして皆、私と正ちゃんの邪魔するの!? 離れて! 出て行って! 消えて!! 正ちゃんは貴方達の為に傷ついて、助けになって……、なのに! 貴方達は邪魔ばかりしてっ!! 私だけが、正ちゃんを癒して上げられの! 正ちゃんは普通に生きるの! だからもう皆はいらないっ! 私の正ちゃんをとらないでよっ! 私の居場所を、……なくさないでよっ!!」
――とある朝、まとわりつく沙紗と、それを止めるふりして絡もうとする弥生、そんな二人に対して祈願が、僕の所有権を勝手に主張して、言い争う。
そうしてる間に隣へ伶ちゃんがさり気無く来るが、漁夫の利を狙ってるのか、と他三人から責められ、うろたえる。
もしかして世界がループしてる? なんて考えてを持ってしまう程、幾度も繰り返している展開に呆れていると、……窓が震えるほどの音が、響いた。
梓が両拳をテーブルに叩きつけ、椅子を蹴って立ち上がった音だった。
そして、皆の視線が集まる中、梓は、叫んだ。
秘めていた想い、ずっと堪えていたであろう気持ちを、叫んだ――
梓の叫びに場は凍りつき、誰も口を開けない。それは、姉さんですらそうだった。
痛い言葉だった。皆にとって、勿論、僕にとっても。
だからと言って、黙り込むわけにはいかなかった。
叫びの主軸は僕と梓で、そして何より、全ての原因はやっぱり、僕だろうから。
「……どうしたんだ? 梓の居場所は、無くなったりしない」
「嘘」
「嘘じゃない。どうしてそう思う?」
「私はね、距離感ってすっごく大事だと思うの。ピッタリくっついてたら邪魔だし、離れすぎるのは寂しい。そう思って、少しだけ、離れてた。……なのに、そんな事一切気にせず、皆が正ちゃんにぴったりくっついて……、私と正ちゃんの間を埋めちゃった」
うってかわって静かに言う梓は、けれどむしろ不気味で、叫んでいた時よりも、ぞっとする冷たい目をしていた。
「そんなの駄目だよ……。そんな事になるぐらいなら、皆いらない。正ちゃん以外、いらない。……そうだ、ごめんなさい。ちょっと強く言いすぎたよね。今度はちゃんとお願いするね。……皆、ここから居なくなって下さい」
ぺこりと、梓は頭を下げた。僕以外の、皆に向かって。
「ねぇ、梓ちゃん。それは、お姉ちゃんも居ちゃいけないって事?」
「お姉さんが一番、居てはいけない人だと思ってます。一番、間違ってる人です」
梓は、臆する事無く言う。どんよりと、仄暗い火を瞳に灯して。
「それはどうしてかしら?」
「どうして? 聞きたいのはこっちですよ。ずっとずっと、誰より身近に居られたのに、正ちゃんと一緒に居たのに、何もしてあげなかった。それでどうして今更、罪滅ぼしの様な事を始めたんですか? 正ちゃんが一番苦しんでいる時は、何もしなかった癖に」
梓は淡々と、けれど反論を許さない威圧感を持って責めて、しかしそれでも、姉さんは目を逸らさなかった。ただ、悲しそうに、瞳を細めた。
「……私は分からなかったのよ。どうしていいのか。でも、分からないからって、何もしないで居るのは駄目だと思って、私なりに出来る事をした。……しているの」
「それは言い訳です」
僕の知らなかった、姉さんの思いやりを――例えそれが遅きに失したとしても――梓はにべもなく、切り捨ててしまった。
「私がこうなろうとした理由を、話しただけよ」
「それが言い訳だって、言うんです。何もかも、手遅れになってからじゃないですか」
「手遅れかどうかは、まだわからないでしょう?」
「分かります。正ちゃんがどうして海外に行ったか、お姉さんだって分かっているでしょう? 傷ついて、疲れきって、悩む正ちゃんに、答えをあげなかったから。帰って来た時、正ちゃんは何か変わっていましたか?」
「変わってなかったわね。でもおかげで、安心したわ。まー君には悪いけれど『理解し合うチャンスは、まだあるんだ』って」
「そんなの自分勝手すぎるっ!」
再び梓が吼えて、机が揺れる。
「じゃあ、何もせずに居ろっていうの? 昔の私のまま、分からないからって、近づかないままで居ろって?」
「違います……。いえ、そうですね。そうです。私が言いたいのは、お姉さんが何をしようと、何もかもが今更なんです。もう、昔みたいに放って置いて下さい。正ちゃんには、私が居ればそれで大丈夫なんです」
「そう……。言いたい事は、それでお終い?」
最初と、全く変わらない態度で、姉さんが尋ねた。
「そもそも最初で終わってました。今の、会話は、全て! ……蛇足です」
一言一言を区切り、強調して、梓は断言した。
「そ、じゃあ。私の行動に意味があるかないか、もろもろ含めて、お話の主人公に聞きましょうか。どうなの?」
……なるほど。お膳立てだったのだ。遠回り無く、傷つくのが姉さんだけですむようにした上で、梓に想いを吐き出せた。
相変わらず完璧だなぁ、この人は。
「……どうも何もないよ、姉さん。何で、皆思い込みが激しいんだろうね。僕の言い方が間違ってたのかな」
「そうなんじゃないかな。失敗だったんだよ」
姉さんに代わって、梓が、答えた。
「違う。聞いてないんだ。今のは修辞疑問文だ。……帰ってきてから、皆と呆れるほど話し合って、分かったんだ。間違い続けてたって。でも、間違いだけじゃないってのも教えてもらった」
「そうだよ。正ちゃんはいつも正しくて、でも道を間違えてた。一人で、皆と違う茨道を行っちゃってたんだよ。だからそんなの、辞めにしてさ、私と一緒に平坦な道を行こう、ね?」
今の梓を見ていると、昔の自分を思い出す。自分が正しいと、間違って無いと信じきって、強固な意志を持ってしまっていた、自分を。
やっぱり僕達は、似たもの同士だったんだ。
「僕はね、自分が嫌になるよ」
本当に、どれだけ鈍感なのか、この自称正義の味方は。
「梓がそんなに想ってくれてたのに、誰も助けてくれない何て思い込んで、ヒロイズムかまして、格好つけて、そして心が折れた、とか言っちゃってさ。恥ずかしくてたまらないよ」
“痛い昔話”だったはずが、現在進行形だったなんて。病気をこじらせすぎだ。
「梓は昔から唯一、最初から最後まで徹頭徹尾、味方で、理解者で居てくれた。それは、自然にじゃなくて、努力して、自らそう在ろうとしてくれてたんだな? 今の話を聞いて、漸く気づけたよ」
「本当に、鈍感だよね。……遅いよ。でもいいんだ。私がばれない様にしてたのも、あるから。今更でも気づいてくれたなら、それでいいんだよ」
良くなんてない。誰よりも、最初に話し合うべき相手を、僕は間違えていたのだ。
三年前どころか、十年以上前から、僕のために変わってくれた、幼馴染が居たのに。
「なぁ梓。僕はな? 誰かを助ける為に、とか言いながら、助けられてばっかりだった」
「そんな事、ない。正ちゃんは、皆を助けてた。誰よりも傍に居た私が保証するよ」
何よりも、嬉しい言葉だ。
「ありがとな。でも、そうじゃないんだ。僕は誰かを助ける事で、自分の姿を確かめてた。指針にしていたんだ。利用してんだよ」
僕は、測っていた。自分の道が歪んで無いか、他人をコンパス代わりにして。
「もし、そうだとしても! それを確かめる為だけに、どれだけ傷ついてきたの!? 犠牲にしてきた分以上の見返りなんて、無かった!!」
梓の言うとおり、犠牲以上の見返りなんて、無かったかもしれない。
でも、見返りを求めた時点で、道は歪み始めてた。当たり前な話、得るもの何て、求めちゃいけなかった。それは自然と、手に入る物なのだから。
「助けて救って感謝されて、その時は正しさを得れても、すぐに誰かがソレを否定する。重たい現実が、百の成功を一つの失敗でゼロにする。だから僕は、逃げ出した。茨道どころか、抜け道を行こうとしてたんだ」
どんどんと間違った方向へ、間違いに間違いを重ねて。
「けどそうは問屋がおろさない。昔のツケはちゃんと払えとばかりに、逃げようとした僕を昔の罪が追いかけて来た」
沙紗に、伶ちゃんに、弥生に、祈願。……そして、梓。
「そんなっ――」
「うん、でもな? 言ったろ? そうして昔の罪滅ぼしをしてる内に、皆から教えてもらえたんだ」
間違ってなかったよって。
「だからこそ、救われてばっかりだった僕は、今度こそ、純粋に救いたい。見返りなんて求めない。何の裏表も無く、利害も無く、……梓の助けになりたい」
「……だったら、私も、もう一度言うよ。お願い、もう何もしないで」
そうして漸く、梓は助けを求めてくれた。けれどそれは、叶えられない。
「矛盾だよ。助けたいのに、助けるな、って言う」
「矛盾なんてしてない。正ちゃんが何もせずに居てくれるのが、私の助けなの」
でも答えはかみ合わなくて、
「ソレはもう無理だ。僕はただ生きてるだけで、皆に助けてもらってるんだ」
だから、このままじゃ、梓の救いになれない、
「じゃあ分かった。お願い、皆から離れて。救われないで。私の助けで居て。正ちゃんが、正ちゃんだけが、私の傍に居てくれる。それが私の助けなの」
なら、三年間で変わった皆の様に、――僕達の関係も変えよう。
「なぁ、梓。僕と一緒に住まないか? ちょうど僕の隣の部屋、空いてるし」
「え?」
「あらまぁ」
梓が首をかしげ、姉さんが手を頬に納得し、他の四人は硬直していた。
「梓の場所があるって事、そんなに信じられないなら、いっそ一緒に住んでみよう。それなら他の皆よりはるかに近くなると思わないか? それこそ家族みたいにさ」
かなり強引な理論だが、しかしまぁ、あながち間違いでもないだろう。
「でも……、でもそんなの」
「嫌か?」
「嫌じゃない、すごく嬉しいよ! でも、それじゃ結局、私が一方的に正ちゃん頼って生きてるのと、変わらない。そんな中途半端な事になるなら……」
「嫌、か。でもさ、結局のところ、離れていようと隣にいようと、僕は梓を助ける。なら、近い方がすぐに助けれるだろ? 僕にとってもそっちの方が楽だ」
「で、でも……、そんなの……。私、どうすれば良いの? 分かんない……」
よし、そう聞いてくれた事がまず第一の変化だ。
「僕は、僕の言葉でこんなに変わってくれた皆へ、出て行けなんて言えねぇんだよ」
「……うん」
涙声で、梓が頷く。
「だから今度は僕が変わる番だ。でも、一人じゃ怖いからさ。梓、僕と一緒に、変わってくれないか?」
「正ちゃんの、為に?」
「そうだよ。僕が助ける為に、僕を助けると思って。梓が居なきゃ、僕は駄目なんだよ」
「何だか……、プロポーズみたいだね」
何やらものすごい爆弾をパスされたきがするが、ちゃんと受け取るぞ。……後でどうなるかは知らないが。
「確かに、な。同棲を求めて、その上で梓が居なきゃ駄目、ってのはそれっぽいな」
「うん……」
赤くなった顔を俯かせながら、梓は頷いた。
「兎も角さ、それで一回試してみよう。それでも気になるんだったら、僕にだけ、伝えてくれりゃいいさ。溜め込んで爆発させる前に。僕も定期的に聞くからさ」
そして、差し伸べた手を、
「……分かったよ、譲歩する。でも、今回だけね?」
梓は両手で強く、握り締めてくれた。
「よし。いつも僕の我侭、理想に付き合ってくれて、ありがとな」
「いいよ。私がそうしたくて、してるんだから」
そして梓は、しょうがないなぁ、といつもの柔らかい笑顔を向けてくれた。
――そうして、梓の激白と共に始まった対話は、終わりを迎えた。
気づけば、とっくに授業が始まってる時間で、今から行っても三時間目に間に合うかどうか。
何か疲れたし、今日はサボりでいいかな……。
「正道。君、これで終了だと思ってるなら、何一つ間違いなく間違ってるよ」
「だな。まだ残ってんぞ、話はよ」
「毎回毎回、結婚フラグ立てますよね先輩。やっぱりハーレム作るつもりですか?」
「ダーリン、同棲とかプロポーズとか。私を差し置いて、何を勝手に仰られてるの?」
「お姉ちゃん、弟がモテモテで嬉しいなー。でもちょっと嫉妬!」
よしほら、さっきの爆弾が破裂したぞー?
「じゃあ僕そこに正座するから、一人ずつ文句言ってもらえる?」
段々、対処に慣れてきた僕だった。
そして、皆との“お話”が終わったのは陽も暮れた頃だった。全員、学園サボった。
その間に梓は、どうやってそこまで? あらかじめ準備してたんじゃないの? と言いたくなる程の速度で、荷物を運び、……その日の内に、引越しを終えた。
そんなこんなで、怒涛の一日をほぼ終えて。自室のベッドに寝転び、漸く一息。
すると不意に、ドアがノックされた。控えめに。
「梓か? どうぞ?」
「うん、お邪魔しまーす」
梓が、遠慮がちに入ってきた。パジャマだった。
いや、パジャマではない。正確に言うと、ネグリジェだった。ついでに、シースルー系だった。思いっきり下着が透けている、……透けている? え?
「お、おまっ!? それはいくらなんでもっ!?」
「うん? どっか変かな?」
「す、透け過ぎだろっ!?」
「え? いつもこんなもんじゃないかな?」
「いつもそんな透けててたまるかっ!!」
変われとかいったけど! 格好つけていっちゃったけどっ!? 変わりすぎだよっ!! 僕の幼馴染はこんなにスケスケじゃなかった!!
「ほら、これから家族なんだし、あけすけに行こうかなって」
「上手いこと言ったつもりかっ!? ていうか家族っ!?」
「違うの?」
「いや、同棲であって、……ってそうだ。僕、梓の家に説明しに行かなくて良いのか?」
「うん、大丈夫。今日から正ちゃんの家に住むっていったら、お父さんが急いで干物とか、昆布とか買ってきて持たせてくれたぐらいだし」
「結納!? 今日の晩飯、やたら乾物多いと思ったらそういう事か!」
思ったよりも早く、っというか僕の予想しえない速さで、物事が進んでいる。
「それで、本当にいいの? 私、ここに居ても」
「僕から頼み込んだんだ、当たり前だろ。そっちこそ、本当に良いのか? 戸籍上でみると、男しか居ない家だぞ」
戸籍上はな……。いや、変わってる可能性もあるが。
「正ちゃんと一緒に居られるなら、私は何でもする。襲われたっていい。それぐらいの気持ちだよ? もし何かあったら、絶対に責任とってもらうんだから、ね?」
テンション高めなのか、いつもより饒舌な梓さんは、下をぺろりとだして、可愛くそんな宣言をしてくれた。
「……分かったよ。わざわざご忠告ありがとう。ま、今のシースルー梓を見ても、僕の理性は揺るがなかったからな、襲う事は絶対無いさ」
正直、毎日みたいに続けば、慣れるか崩壊するか、どっちが先か分かったものじゃない。
ま、もしヤバくなっても、姉さんが察知して、既成事実が作られる前に、僕を屠るだろう。――どちらにしろ駄目じゃねぇか。
「うーん。そんなにはっきり断言されちゃうと、それはそれで乙女心的に悔しい気がするね。まぁいいや。今はそれだけ。じゃあお休みなさい」
「おう、また明日」
「一緒に寝る?」
「いきなり崩しに来てんじゃねぇよ。さっさと寝なさい」
正直ドキっとした。畜生。僕は近く、死ぬかもしれない。
「あはっ。じゃあまた明日。……ごめんね」
そう言い残して、梓は去っていった。
恐らく、最後に言い残した言葉が、本当に言いたかった事なのだろう。
素直に謝ると、僕が気にしてしまうから。
全く、幼馴染ってのは厄介なもんだな。
さて、これ以上考えても仕方が無い、何にしろ今日は疲れた、寝よう。
……ふと不安がよぎったので、ドアにちょっとした細工をしてから電気を消した。
翌朝ドアを見ると、昔に意味も無くとりつけた、留め金の棒を支えに乗せるだけの、簡単な鍵が外されていた。
薄い紙か何かをドアの隙間に通すだけで簡単に外れてしまう代物なので、言外に入室拒否を示す意味合いの物なんだが……。
ただ、これを解除しても、昨日寝る前にした細工――内側のドアノブを外しておいた――により外のドアノブを回したところで、構造上開かない。
なので、この鍵を外した犯人は侵入は出来ていなかったはずだ、が、……犯人って絶対隣の部屋に居るあの子だよな?
ふと床を見ると紙が落ちていた。留め金外した時に、うっかり落としたのだろうか?
『冗談だよっ』
語尾に、ハートマークが書かれたメッセージだった。言い訳めいたこの紙に、なおさら不安になったのだけれど、完全に後の祭な訳で。
その日のうちに、本格的な鍵を購入した。