テンダーファイター
祈願 迩奈華と出会ったのは小学校の時だ。
偶々同じクラスになり、最初の自己紹介にて、
『わたくし祈願迩奈華、前世では名の在る貴族、さらに過去は亡国の姫を、また、別世界では救国の魔法使いという在り方を持っている者です。今生では大企業の社長令嬢というつまらない名ですが、けれど侮らないで下さいまし。さもなければ、この身に宿した龍の血の力を、御見せする事になってしまいますので……』
などと、おかしな日本語で、ぶっ飛んだ自己紹介をしてくれた為、当時の僕の意識を引いてくれた。
因みに、その当時の髪型は今の様な、お嬢様アピール激しい縦ロール、所謂ドリルテールではなく、ツインテールやポニーテールだったりと、同じテールを名に持つものの普通の髪型で、まぶしい金髪には良く似合っていた。
そんな祈願は、小学校の高学年の段階で周りからひかれ始め、中学に上がると、他校上がりの子達から気味悪がられてしまった。
巻き込まれたくない、と元の友人達も次々と離れていき、やがて孤独を得始め、群れる事のできる者の格好の得物になってしまった。
虐めの始まりだ。ただ、虐め側の彼らにとって計算違いがあった。
僕というある意味、祈願よりも厄介な夢を見ていた少年の存在だ。
結果、虐めは終わりを迎えた。
この話で一番重要な点は、助けた時、虐められた原因の妄言は控えろと、厳しめに忠告したのに、その後も祈願が辞めなかったことだ。
それどころか、むしろ僕に助けられた事でその妄想をより色濃くし、僕の事を前世の恋人などと呼び、懐いてしまった。
思いっきり虎穴へ飛び込び、厄介な虎子を得たという話だ。
「……どうかいたしましたの? 貴方」
それほど綺麗な道路でもないのに、全く揺れを感じさせない車内で、祈願が高そうなドリンクを入れてくれながら聞いてきた。
「だから貴方って呼ぶな。ちょうど、お前のその問題について考えてたところだよ」
「前世の記憶が戻りましたのっ!?」
何で僕の周りの奴らは、こうもポジティブにご都合主義なんだ……。
帰国してから三週間ほどが経とうとしていた、そんなある日の事。
祈願から家に来ないかと誘われた僕は、豪邸という物を一度見てみたかったので、それを受ける事にした。
「で、では次の日曜日に迎えに行きますわっ」
そう言った祈願は妙に浮ついた様子だったが……。
当日、車から降りて、僕の後ろで至極当然の如く控える四人の女子を見ると、思いっきり肩を落としていた。
「すごいおっきな車ですねー。沙紗こんな車、始めてみました」
「てーか、どうやってこの狭い道、曲がってきたんだ? すげぇな」
「すごいねー。リムジンなんて、始めてみた」
「あ、僕の席は正道の隣だからね?」
各々感想を、――一人だけただの主張だったが。述べると乗り出し、女子四人が乗ったところで、僕も乗り込もうとした、が、横から祈願に引っ張られた。
「え? 僕は乗っちゃ駄目なのか。なんの嫌がらせ?」
「ち、違いますわよ。ほら、四人も座ったらもう窮屈でしょう? ですから前の席に一緒に座りましょう? 少し手狭ですけれど」
「そう、か? ……分かったよ」
移動し始める僕達を見て、先に車へ乗った女子一同が何事か叫んでいるが、防音効果のおかげで聞こえないので知的にスルー。
祈願に連れられ車の前方部に行くと、補助席側のドアから黒服の男性が二人出てきた。
祈願が何事か告げると、二人は驚いた様にしながらも、ドアを開けてくれた。
「何かすげぇ困った顔してるけど、良いのか?」
「普通はSpが座る為の席だからですわ。こんな席で申し訳ありませんけれど、でもそれほど悪くない席のはずですから、お許しを」
「あぁ、うん。それは全然いいんだけどさ。この人達はどうすんの?」
「助手席があるので、なんとかなりますわ」
「……そうか。ならいいんだけど」
もしかして、一人の席に二人座らせるとか……、まぁいいか。
開かれたドアから車に乗り込んだ、のはいいが。
「何か近くね? お前の髪がふっわふわすんだけど」
むちゃくちゃ髪の質が良いからか、全く不快ではない。どころか良い匂いまでしてきて、別の意味で困る。
「前の席は狭いですわね、やっぱり」
「いや、僕は側面のぎりぎりだけど、お前の方、もう一人乗れそうなぐらい空いてんぞ」
「飲み物がこぼれてましたの」
……そういう事にしておこう。豪邸行く前から、疲れたくない。
三十分ほどかけて、車は祈願家へ到着した。
本当ならもっと早くつけたはずだが、リムジンのせいで道を選んだため時間が余分にかかっている。物凄い不合理を感じた。
「この家も、見てる分には楽しいけど、色々不便そうだな……」
伶ちゃんの家も大きいが、そういう世界を超えた大きさの家だった。
ここら辺の山が丸々全て家の敷地だとか。改めて、お嬢様なのだと思い知らされる。
「ようこそ我が家へ。今日はゆっくりして行ってください」
こいつ本当に、まともにしてればちゃんとお嬢様らしいのに。妄想癖がなぁ……。
「貴方、どうしてそんな残念そうな顔されてますの……?」
「貴方と呼ぶな。人生ってのはままならないもんだと思ってさ……。なんだ、しかし本当にでかいな」
「大きいだけですわ。一応、プールや、テニスコート兼フットサルコート。屋内遊戯施設も多種ありますけど」
特に自慢げでもない。こいつにとって、コレが当たり前なんだろう。
「すごい家だね。遊ぶところなら、町よりあるんじゃないか?」
「町に行くより、こっちに来た方がいいかもしれねぇな」
「ですね! 沙紗、テニスとかやってみたいです!」
「テニスいいねー。私もやってみたいな」
各々大喜びだった。
「貴方だけでも、この家に住みませんこと? 部屋なら、いくらでもありますわよ?」
「いや――」
「でも少し場所的に不便な感じがするね」
「よく考えたら、プールぐらい学校にもあらぁな」
「テニスコートも、学校にありますね!」
「あんまり広いと、逆に大変そうだよね」
ものすごい手のひら返しだった。
「うん……。まぁ兎も角、広すぎる家は苦手だから」
「そう、残念ですわね。それでは、中に入りましょうか」
言葉と同時に門が開き、馬車が二台現れた。馬車て……。
再び僕と祈願、その他の人達に別れて乗る事になった。
さすがに家の中に入っては、従わざるを得ないようで、四人は大人しく従っていた。
そして一分と乗らない間に、象でも通れそうな玄関扉へ到着。
アラジンでも待ってんのか、この家は……。
「ってあれ? なんで皆の馬車は、別のところに……?」
「えぇ、プールやテニスなどに興味がありそうでしたので、そちらに送るよう、言っておきましたの。貴方には先に家の中を案内いたしますわ」
「気が利く、な?」
なんだろう、心のどこかが、今の言葉に注意しろ、そう言ってるような……
「貴方の妻ですもの。当然ですわ」
「ただの友達だ」
まぁいいか、今日は豪邸拝見に集中しよう。余計な気なんて使ってたらつまらない。
「それじゃ、行きましょうか」
玄関扉が、自動でゆっくりと開いて行った。
そして入った先は、部屋の真ん中奥に階段のある、大きなホールとなっていた。
立食のパーティぐらいなら容易にできそうだ。
目の前には、くるぶしまで埋まるほど柔らかい赤絨毯が、階段の踊り場まで伸びている。
そしてその踊り場からまた左右に階段が伸びる、んだが、……その踊り場に“何か”が居た。
「ようこそいらっしゃった。我が宮殿へ」
発言した“何か”は角の生えた髑髏の兜を被り、骨を模したであろう、至る所からトゲの突き出している鎧、そして中が赤く外の黒いマントを羽織っている。鎧の色は真っ黒。
いやまて、何か変なの現れたぞ。
「お父様、今帰りましたわっ」
「あぁ……」
驚くどころか、むしろしっくり来てしまった、という悲しい事案である。
まさにこの親にして、この子ありといった所。
つーか、祈願の妄想癖が直らなかったのって、この人が原因なんでは? っと固まってる場合じゃない、一応挨拶を。
「あ、始めまして匠堂――」
「分かっている。先の大戦では、一騎当千の活躍をしてくれたらしいな。して、褒美は何がほしいのだ?」
えー……。巻き込んでくるのかよ。……未だにこういう場合の対処法が分からない。
「よいよい、言わずとも分かっている。我が娘が欲しいのだろう?」
黙っていると、自分に都合の良い方向へ理解するのもそっくりだ……。
「お、お父様っ! もう、まだ早いですわ……」
何か思いっきり恥らってるけど、いつも普通に求婚してたじゃねぇか、今更すぎるだろ。
なんだこの茶番。
「だが、我が娘を欲しければ四天王を倒す事だな!!」
「褒美くれるんじゃなかったのかっ!?」
設定が雑!
「褒美として娘が欲しいのなら、さらに試練を乗り越えろ」
こういう人達のアドリブの上手さは、素直に尊敬してしまうものがある。
「出でよっ! 第一の騎士グングニル!」
しょっぱなから、かなりレベルの高い神話から名前とった奴出てきた!
付けられた本人は、あのハードル越えられるんだろうか。
荘厳なクラシック――脇で生演奏かよ、さすが金持ち――と共に、踊り場右の階段から、簡素な槍を持った白い鎧の男が降りてきた。
フルアーマーなので、見た目では男か女かも分からないが、恐らく男だろう。
白鎧は、祈願父の隣を過ぎて、階段をゆっくりと降りてきた。
え、え? 僕はどうしたらいいんだ? 本気でやんの? ぱっと見て、彼が持ってる槍、先端は丸いあるけど、本物っぽいよ?
「貴方っ! コレを使って!」
「え?」
どこから取り出したのか、祈願が剣を投げ渡してきたのでキャッチ、――っておい、普通に重いぞこれ。刃は潰してあるけど……。
全体は鍔のある木刀といった感じで、刃渡りも七十センチ程、か。
「第一の騎士、グングニル。行かせて貰う」
考えている間に階段を降りきった白鎧は、槍を構えると威風堂々、名前を恥じる事なく(皮肉)自己紹介をした後、一気にステップを入れ、……突いて来た!?
「あぶねぇっ!?」
とっさに首を捻ると、耳横を風切り音が抜けた。
お、大人しく負けようと思ってたのに、こいつ本気じゃねぇかっ! 刃が丸いからって今の当たってたら冗談じゃすまなかったぞ……。
普通、家に着た客へ槍なんか向けるか? いや、普通じゃないのかこの家は。
くっそ、勝ちたくないけどこれ……。あ、そうか。
「や、やるなっ」
「貴様こそ。私の一撃を避けるとは中々の腕前、だが、次は避けれるかなっ」
再び突いて来たのに対し、あえて右前へ、姿勢を低く踏み込む。
「馬鹿がっ!」
白鎧が突いた槍を背へ回す様に振ると、刃とは逆の先端、石突が目前に迫った。
それに対して、槍の柄へと剣を当てて、防ぐ。そのまま刃の上を奥へ滑らし、……頃合いを見計らって剣への力を抜いた。
軌道を逸らされた槍は、僕の頭上を掠り、そしてついでに、手から剣を弾き飛ばした。
「くっ……。僕の、負けだ」
完璧だ。これである程度真面目に戦い、負けてしまったというシナリオが成立する!!
「拾え。これは試合ではない。死合いだ。どちらかが死ぬまで終わらん!」
「まじか……」
つーか死合いならむしろ、容赦なく追撃しちゃってくれよ。
「負けないで貴方っ!」
「ふふ、我は戦いが好きだ……。死ぬまで戦ってもらうぞ!」
当初の目的忘れてるだろ、この父親。
「さぁ、早く拾え!」
ともあれ、この勝ち必須イベントみたいなのどうしよう。もしかしてループ? 負けても進行するタイプか? ダメだ、僕まで考え方が、あっちよりになってしまってる。
何とか、勝たずに終わらせる方法を考える。――このまま帰っちゃ駄目だろうか?
思い、振り返るも、扉は硬く閉まっていて、とても開きそうになかった。畜生。
「扉など見て逃げる算段か? やれやれ、豪傑だと聞いていたのに、がっかりだよ少年」
何とでも言ってくれ。
「実際はただのへたれか」
へたれ……?
「おい。今なんつった」
「へたれといったんだよ少年。わかるかな? 戦いもせず、正義にも、悪にもなれない、一般人以下の存在。それがへたれだ」
「へたれ主人公と呼ばれる方々に謝れ。ただ、僕には謝らなくて良い」
乗せられちゃ駄目だと理性が言うけれど。へたれと呼ばれて黙っていては男がすたる。
相手は槍で、僕は短めの剣だ。勝ち目は薄い、が、このまま負けるよりは、へたれの称号を返上するだけの戦いをした方が、余程ましだ。
「僕はへたれという類の呼ばれ方をされるのだけは、我慢が、……できないんだよっ!」
剣を拾う。不意を打って切りかかっては、へたれ呼ばわりが撤回されない可能性があるので、きちんと相手の前まで歩き、下段に、構えた。
「ほう、やる気になったかへたれ。いいぞ先手を打ってやる」
「三度目……。覚悟しろよ……」
へたれを撤回させるなんて、甘えた目標はやめだ。絶対にぶちのめしてやる。
普段僕は上段に構える。踏み込みの速さが売りだからだ。
しかし、今回は相手の得物が長いので、さすがに届かない。それにこの剣じゃ重過ぎる。
ならば、とカウンターで行く為の必勝を狙う下段構え。――だったが、僕の狙いを知ってか、先に攻撃するだと? 上等だこの野郎。
構えを居合いの様に変える。ただし右は逆手、指が上に来るよう持つ。
そして、走った。
「ほぅ、反骨心だけは一丁前だな。だがその構えで前に出るのは、愚策すぎるぞ少年っ」
侍が腰に刀をさすように構えた僕に対し、白鎧は槍の真中辺りを持ち、肩へ担いだ。
間合いに入ってくれば、後は振り下ろすだけ、という腹積もりだろう。
「愚作? それは、どうかな」
間合いへと慎重に一歩、そして二歩、槍が振られ始めたのを見て……、三歩、で、入り込んで跳ぶっ。
「なっ!?」
踏み込んだ勢いままに、懐へヘッドスライディングの要領で入り込む。
振られた槍が、頭上を過ぎ去った。が、
「まだっ!」
白鎧は槍を縦に回転させ、石突でこちらのわき腹を狙う、――予想通りっ。
地面すれすれで、右手のみ使い剣を振り抜いて槍を受け止め、開いた左手で地面を叩いき体を引っ張り前へ加速、白鎧の脚の間を抜け、コンパクトに前転、脚が着いた瞬間さらに体を捻りながら垂直に飛ぶ。――足下を槍が掠めていった。
「くおっ!?」
僕を見上げるが、手遅れだ。
「へたれ返上!!」
言いながら飛び捻りの回転と、重量を込めた剣で、槍を構える腕を打つ。
そして、槍を落とした白鎧の、首元へと剣を突きつけた。
「私の……。負け、だ」
よしっ! 勝った!
「って、いやいやいや。僕は何やってんだ!?」
「貴方っ! さすがですわっ!」
目に涙を浮かべた祈願が抱きついてきて、さらにどこから現れたのか、メイドや執事服の方々が大きな拍手をくれる。
そして流れる生のオーケストラと、空から舞い落ちる綺麗な花々……、ってこれエンディングか!?
「ふっ、よくやった。貴様を我が娘の婿として認めよう」
「おぉぃっ! 四天王だろ!? 残り三人どうしたっ!?」
抱きつく祈願を、振りほどきながら抗議。
「うん? あぁ……。先の戦争の怪我がまだ、癒えておらんのでな、第一の騎士に勝ったなら、残りの騎士たちにも勝てるだろ。問題ない」
だから、設定が雑!
「いや、それ――」
「問題だらけですっ!」
っと。言おうと思った台詞が、背後から聞こえてきた。
「あれ? 皆、いつの間に?」
振り向くと、不満顔の梓達が居た。
「あの後、変なモニターだらけの部屋に連れてかれて、一部始終を見てたんだよ」
「いやぁ、さすが僕の正道だね。格好良かったよ! ……でも」
「うん、すごかったね。……でも」
見られてたのか……、恥ずかしすぎる。ところで皆、何か台詞に含みが……。
「因みにどの辺から見てた?」
「祈願の親っぽいのが正道に『褒美として娘が欲しいのなら、さらに試練を乗り越えろ』とかいってたあたりからだっ!」
通りで皆の視線が冷たいはずだっ!
「先輩がまさか本当に戦うなんて……。ワザと負けると思ってたのにっ」
「ち、違う! 負けようと思ったんだよ! でもへたれとか――」
「見ての通り。彼は、我が娘を欲するが為に、必死で戦い、勝った。分かるかね? 二人はそうまでして、愛し合おうとするほど、決意を秘めた仲なのだよ……。諦めたまえ」
否定しようとした瞬間、後ろから抱きすくめられ、口にとげとげした小手を突っ込まれた。
話しながら降りて来ていた、祈願父だ。
「うぅんむぅっ!?」
何とか離れるべく暴れるが、予想以上に祈願父の力が強く、
「こら、暴れるんじゃない」
さらに白鎧までソレに加わり、解きようがなくなった。
「では、これからの用意があるので、行こうか婿殿。突然の事で混乱して、暴れるのは分かるよ。マリッジブルーという奴だね」
「大丈夫。私と貴方なら、うまくやっていけるわ」
いつの間に近づいてたのか、幸せそうに遠い目をした祈願が、耳元でささやいた。
くそっ! この人達頭の中がハッピーすぎる! けどなんだ、今回は色々ヤバいんじゃないか? この家の財力なら、本当にこのまま強制的に結婚させられかねない!
畜生、少し恥ずかしいが、今は体面を気にしてる場合じゃない。
「ふぇ、ふぇいふぁん!」
今この場で頼りになるのは、物理的な力!
「っ!! ……っざけんな!! させるかっ!!」
意味を理解してくれたのか、呆然と成り行きを見守っていた伶ちゃんが吼え、そしてどこから取り出したのか自転車? のチェーンを両手に持って飛び掛って来た!
突っ込みどころ満載だが、今はありがたいっ。
白鎧がとっさにチェーンを槍で受け止めるも、伶ちゃんは器用に槍を巻き取り奪うと、勢いそのまま振り回し、白鎧へぶつけた。
「うぐおっ!?」
衝撃に白鎧がよろけ、さらにもう片方のチェーンが祈願父の腕を巻き取る。
「ばかなっ!?」
そしてその隙に、祈願父の体を跳ね除け、何とか抜け出した。
「っ助かった! ありがとう伶ちゃんっ」
思わずハグ。
「ひゅいっ!? ……お、おう!?」
「ちょっと!? 抱き合ってる場合じゃないよ正道!」
「っと、悪い」
言葉に、何やらぼうっと、してしまっている伶ちゃんを離し、出口へ向かうと、しかし、ドアの前に黒服が二人立ちはだかった。――と同時に鈍い音がなり、二人は崩れ落ちた。背後にはいつの間にか、沙紗の姿が。
「今、何をした」
「男性としての機能は失われていない、はずですから。大丈夫です」
「そうか……。よくやった」
深くは聞かないでおこう。
「き、貴様ら! 逃げるきかっ!?」
「貴方っ! 私との結婚は!?」
背後から届く、遠い世界の住人達の声を無視して走り出す。
もうなんだ、ほんとに映画のワンシーンみたいになってんじゃねぇか。ここまで計算どおりとかじゃないだろうな。
立ちはだかろうとする執事達を掻き分け、ドアを開け放ち、何とか外へ出た。
けれどそこから先を、何も考えていない。
「で、どうする?」
「あ、馬車があるよ?」
梓が指差す方に、確かに僕らが乗ってきた馬車があり、御者も居ない。
しかし、いかんせん操縦できる人が、
「よし、正道。あれで逃げよう」
「え? 乗れんの?」
「馬術をかじってたからね。なんとかなるさ。ほら急ごう」
何か皆がやたら頼もしくて、さくさく話が進む。本当に冒険譚のようだ。
僕と弥生が御者席へ。後ろに伶ちゃんと沙紗と梓が乗り込んだ。
そして弥生が手綱を握ると、ゆっくりとだが、馬車は出入り口へ向きを変え、……見事に走り出した。
「やるなぁっ、弥生!」
「だろう? 惚れた? ハグは?」
「惚れないし、ハグもない。さっきのは、向こうに居た頃の名残でうっかりだよ」
「えー。焼堂先輩だけ、ずるいじゃないか……」
「向こうだと別に普通だけど、こっちの人を相手にやるのは、恥ずかしいんだよ」
「ちぇっ……」
「ぁ、あたしにも惚れなかったか……?」
後ろで小さく、伶ちゃんが何かを言ったが、馬車の揺れる音で上手く聞き取れない。
「え!? ごめん!! もう一回!!」
「なんでもない……」
「会話中に失礼、ちょっと、僕の体支えてもらえないかな、少しスピード出しすぎてるから緩めたいんだけど、踏ん張る物が無くて落ちそうだ」
「あぁ、了解。こうでいいか?」
僕自身も片手で席を掴みながら、弥生の腹部辺りへ、後ろから手を回した。
「いや、もう少し前を」
言われた通り掴む為、体を近づけ、手をさらに少し前へ。
「ひゃんっ」
「うわっ!? あぶねっ!?」
弥生の驚いた声と同時に馬車が揺れ、弥生の体が前へ落ちそうになった為、かなり力を入れて、ほぼ密着するぐらいまで引き寄せる事になった。
気恥ずかしいが、非常時なので仕方ない。
「あ、あぶねぇ……。すまん、変なところ触ったか」
「い、いや大丈夫だよ。わ、わき腹弱くてね。あ、いや、今のままでいいよ。それぐらい強く抱きしめてくれてる方が、安全だ」
「そう、か……?」
思う所もあるが、弥生は真面目にやってるのに、僕が不真面目な事を考えてはいけない。
ただちょっと、気になる事。
「……弥生、大丈夫か? 何か馬車の揺れとは別に、震えてる気がするけど」
「ば、馬車を操縦するの、初めてだから。緊張してるだけだよ。いいから支えてて」
まぁそうか。馬に乗るのと、馬車運転するのじゃ、全然違うだろうしな。
「追っては来てないみたいだ。安心して走らせろ。信頼してるぞ」
「う、うん……。面倒な事になったと思ったけど、案外悪くないもんだね……」
「確かにこうやって上手く逃げれると、何か楽しいな。めったにできない体験だ」
もう一度したい、とは思わないが。
「そ、そういうのとはちょっと、違うんだけどね、うん。役得かな」
「うん? ところでもう少し、速く走らせられないか?」
速度が遅すぎて、眠たくなるようなリズムを馬蹄が刻んでいた。
「もう少しゆっくり、堪能したかったんだけどね……」
「……なぁ。体を支えさせた事に、他意はないよな?」
「な、ないとも! スピード上げるから、ちゃんと支えていてくれよっ」
……確実にこいつの思惑にはまってしまっているが、助けられている手前、これぐらい許容するか……。
山を下り終えた辺りで、馬車を降りた。
もう少し乗って行きたがったが、置き場所もないので、降りてすぐの開けた場所に、繋ぎとめておくしかなかったためだ。
そうして、仕方なく一時間近く歩いて、帰宅した。
各々疲れきっていたので、そのままその日は解散の運びとなった。
家に帰ってから、リビングにて、姉さんに何があったのか聞かれたので、簡単に説明をすると、
「なんでそんな楽しそうな事、お姉ちゃんも誘ってくれなかったの? もうーっ」
なんて、理不尽な怒りを向けられた。
あんなカオスな現場に、姉さんまでいたらどうなっていた事やら。
夕飯ができたと呼ばれた頃、馬車を引き取るよう連絡するのを忘れていた事に気づき、しばし悩んで、梓に頼む事にした。
僕から祈願へ連絡して、馬車を回収しろ、何て言うと怒っていると気付いてもらえないからだ。
今回の件は、いくらなんでも冗談が過ぎているので、お灸をすえてやる。
カレーを頬張りながら。心に誓った。
そして翌朝、リビングへ降りると、いつも通り全員居たので、黙って祈願だけを立たせ、外へ追い出した。
「お、王子! どうして追い出しますのっ!? 中へ入れてくださいましっ!」
「王子言うな。お前な、昨日、自分が何したか分かってるのか?」
「求婚……?」
「正解だ!! けど、やり方が不正解なんだよ」
「で、でも……。勝ってくれたじゃありませんの……」
「不可抗力だよ。僕は怒ってんだ。梓達まで巻き込んだのは、悪質すぎる。反省しなさい」
「そ、そんな……」
「暫くは、家に立ち入り禁止。一緒に登校すんのも無しな」
「わ、私はただ、……一緒に居たかっただけですのに」
「……気持ちは嬉しいが、もっと方法を考えてくれ、頼むから。それじゃあ、学園でな」
その後も何か言っていたが、ドアを閉め、リビングへ戻った。
「また学園で、とか言う辺り、優しいわねぇ」
「しょうがないだろ、やりすぎると、何するか分らないし」
テーブルに着くと、梓がお茶を持ってきてくれた。
「面白かったけど……。ちょっとやりすぎだったね」
「美味しい思いさせてもらったから、僕はもう一回ぐらいならいいなぁ」
「何度もやられてたまるか。それに、あいつの妄想癖も治してやらないと、友達ができないだろ?」
「うん? 祈願さん、正ちゃんが居ない時は、救世主がどうとか言わないよ? お友達も普通にいたし。最近はずっと、正ちゃんに構いっきりなだけで」
え? 今、梓はなんて言った?
「ちょ、ちょっと待て。どういう事だ?」
「どうもこうもないですよ、先輩。先輩の居ない時に、何度かお話しましたけど。その時は、普通の方でしたよ? 喋り方はお嬢様でしたけど」
「あたしん時も普通だったな。喋り方はお嬢だったけど」
……つまり、僕に対してだけ、あいつは妄想全開だって事か?
「いや、……そうか」
色々質問があるけど、どの道、今回の事について詳しく、あいつから放課後聞くつもりだったから、直接聞く事にしよう。
そう自分に言い聞かせ、さっさと朝飯を片付けに掛かった。
いつものことだが、皆は準備を終わらせているので、何となく急かされている気分になるな……。
考えつつ、食事を終えて、食器を片し、かばんを持った。
「おまたせ、行こうか」
皆が頷き、僕の後に続く。
「王子っ! やっと出てきてくださいましたのねっ!」
「……」
外に出ると、さも当然の如く、祈願が待ち受けていた。全力で無視した。
……いくらなんでも反省の色がなさ過ぎる。
驚く程の空気の読めてなさに、さすがに女子二名と、スケバンと、男装の女子と、女子っぽい人も苦笑していたという。――どうでもいいが、女子に多様性がありすぎないか、僕の周り。
それから。
祈願は毎時間、諦めずに、僕の机へわざわざ寄りかかっては上目遣いで何度も、王子王子と呼び続けた。
「王子!?」
「王子!」
「王子?」
「王子……」
といった風に。
毎回、何かしら意味付けしていたのだが、昼休みになるとついにネタも尽きたのか、
「おうじぃ……」
どこぞの牛肉ブランドがごとき発音で、名前しか呼ばなくなった。しかし無視。
すると這う様にして自分の席へ戻り、腕を枕にして机に伏せて、物凄いボリュームの髪の間から、時たま、ちらりとこちらへ視線をよこす。遊んでほしがる小動物の様に。
あぁくっそ……。構ってやりたい……!
しかし、放課後が目前の今、反応してしまって今日一日を台無しにする訳にもいかず、
「放課後になったら放課後になったら」
と自分に言い聞かせるのだった。
はてさて、なんて言っている内に、無事最後のHRが終わった。
祈願は半ば死に体であり、机にうつ伏せになって動かなくなってしまっている。
無視されるのが、精神的にきついんだろう、特にあいつは構ってちゃんだからな。
僕がカバンを持つと、すかさず椅子を蹴り飛ばように祈願が立ち上がり、こちらを見た。
仲間にする気はまだないので、心の中で『いいえ』と答えた。
「帰るか」
よし、帰り始めれば、祈願もついてくるだろうから、下駄箱あたりで用事を思い出した、といって呼び出せば良い。そこまでは、無視だ。
「こ、この門を通りたくば、姫を倒してから行きなさいっ!」
そう思っていたら、祈願がいきなり飛び出してきて、ドアの前で通せんぼをし始めた。
「……」
「させませんわっ!」
無視して反対の出入り口へ向かうも、驚きの俊敏さで祈願が先回りし、行き先を塞いだ。
こいつ、そういえば運動もできるんだったな。……などと益体のない事を考えている場合ではない。はてさて、どうしたものか――
「うっ、うぐっ……、ひっ……と、とおり、たかっ、たら……、私をたお、ひて……」
「……えぇ!?」
おい、泣き出したぞ!?
思わぬ行動へ戸惑っている間にも、事態は悪化していく。
「う、ぇ……どうひて……? どうひて、構ってくれ、ないんです、……の? あたくし、あやまる……、あやまります、からぁ……。むしは、いやぁぁ……。ぅ、う……」
ガチ泣きじゃねぇか!?
やばい、何がヤバイって泣かせてしまった事が最低だ。その上、クラスメイト達からの視線が痛い。さらに周囲の女子一同からも、批難の視線を向けられている。
つまり、八面六臂に四面楚歌。自分で言ってて意味が分からない。落ち着け。
「ああもぅっ! お前はっ!」
両手で顔を覆い、止まらない涙を拭う、そんなボロ泣き状態の祈願の手を取って、走り出した。目的地は、屋上だ。――ラブコメの主人公でもこんな使わないだろ、とは思うが、何かと便利なので仕方ない。
最終的に半ば抱えるようにして走り、人目を避けて到着した屋上は、残念ながら無人とはいかず、そこそこ人が居た。しかもカップルがメインだった。
放課後いちゃつきタイムをぶち壊して申し訳ない、なんて気持ちでいっぱいだ。
と、……出来る限り僕らから視線をそらし、横を通り過ぎて、皆、屋上から出て行ってしまった。
……違う、僕が番町だからとかじゃなくて、気を使ってくれたんだ。そうだよ、な?
何故か僕まで泣きそうになった。
気を取り直して。
「つーかっ! なんでお前、そんな泣いてんだよ……。そんなキャラじゃないだろ?」
「だ、だっへ、だってぇぇぇっ」
駄目だ、話にならん。
「はぁー……。もう」
子供か、こいつは。
「ひぅっ」
まずは泣き止んでもらうため、胸に抱きすくめ、頭をなで、背中を優しく叩いてやる。
完全に子ども扱いだが、怒りはしないだろう。
「とりあえず泣き止んでくれ、な?」
胸に収まった祈願は、一旦泣き声を収めた、が。
「う、うぅぅ……、あぁぁぁぁっ」
今度こそ本降り、といった感じで再び泣き始めてしまった。
撫で続けるしかないので、そうするが、しかしなんだろう、父性という奴に目覚めてしまいそうだ。同級生相手に感じる物としては、何か間違っている気がする。
そのまま三十分程が経過した。
「う、うぅ……。うぐっ……、ひうぅ……」
まだ泣いている。そろそろ本気で勘弁して欲しい、腕が限界だ。
「あ、あぅ。うぐ、ぅ……はぁ、はぁ、……う、うぐ」
「おい、お前もう泣き止んでね? 無理に声出そうとして、はぁはぁ言ってるよな?」
「そ、そんな事、……ありません、……わよ?」
「……そうだな」
喋れてんじゃねぇか、と突っ込むべきか考えて、でも依然、涙声だったので辞めた。
しかし、何でこんなに必死なんだろうな。こいつは。
「なぁ……。祈願はさ、僕以外の奴らの前だと普通にしてる、ってのは本当なのか?」
「へっ!? だ、誰がそんな事を言いましたの!?」
「誰って……、僕がそんなに話す相手いると思うか?」
おっと、自分で言って泣きそうになっちゃったぞ? 危ない危ない。
「か、勘違いしないで下さい! 私は常に妄想全開ですのよ!?」
「ツンデレか。っつーか妄想全開って言っちゃってるぞ」
「っ!?」
口に手を当てるその大げさな仕草は、もし漫画的な表現をするなら、劇画調になりそうな感じだった。お嬢様っぽい。
というか、ふざけてないかな、この子。
「帰る」
「ま、まって!」
背から手を離し階段へ戻ろうとすると、逆に祈願が背中に抱きついてきた。
「……で、連れ出した用件なんだが。無視して悪かったよ。すまん」
祈願の腕の中で、振り返りつつ言う。
「あ、いえ、そんな謝られなくても……。私こそみっともない姿で……」
「いいから謝らせてくれ。ただ、昨日のはやりすぎだと思うからさ。教えてほしいんだよ、一体なんのつもりであんな事をしたんだ?」
「はい……。その……」
「うん」
「最近、いきなり沢山の方と、仲良くなっていかれてますわよね……」
うん? そうか?
「いや、少ない方だろ。お前を含めて五人だけだぞ? しかも全員女子だし」
「だから、ですわよ……」
……もしかして、弥生みたいな展開? いやいや、まさかな。……もしまさかじゃなければ、全員凡人化計画なのに、ハーレム化計画みたいになってしまうじゃないか。
いや、そんなはずがないさ。やれやれ、どんな勘違いさんだよ。ははっ。
「どうか、なさいました?」
「いや、大丈夫だ。言い難くなければ、続けて、くれ……」
おい、今気づいたけど、抱き合ったままだぞ僕ら。
……放課後、誰も居ない屋上で抱き合う男女二人。逃れられない運命を見た気がした。
「だから、その……。相談を、お父様にしたら、……もっと積極的にって」
あの親父から提案してきたのかよ……。
「それで、父も、私の様なその……。空想が好きでしたから、それっぽい状況を皆に見せ付けて、既成事実を作ってしまえ。……と」
僕の胸へ額を当て、恥ずかしそうな口調で言う祈願。
そこで、今朝に聞いた話と、今の話の違和感が合致した。
「なぁ、ちょっと話が戻るけど、真面目な話。その、ダーリンだとか王子だとか前世だとか、僕の前でだけ、作ってるん、だよな?」
「……はい」
祈願が今、素直に頷いた事は、個人的に人類史に残る驚きだった。けれどそれよりも、
「それは、どうして?」
理由を聞いた。半ば答えは見えていたのに。
「だって……、私がこういう前世だとか、誇大妄想を持ち出さなかったら、……構ってもらえないんじゃないかと、思いまして……」
やっぱりか……。
「どうして、そう思った?」
「昔、浮いてた私を助けてくれた時、そんな私を、貴方は面白いと言って下さったから」
確かにちょっと面白いと思ってしまったのだ。僕も子供だった。
「貴方のおかげで救われて、友達も戻ってきて、でも気づいたら貴方とは疎遠になっていってしまって。……もしかしたら、私が面白くなくなったからなんじゃない、かと。……それで、貴方の前だけでは、面白い私で居ようと、思いましたの」
なるほど、な……。結局また、昔の失敗が悪いわけだ。
じゃあ、何とかしないと。
「よし、勘違いすんな」
「え?」
「あの頃は、あえて距離を取ってたんだ。僕が間に入って友達増やしても、一時的な物にしかならないだろ? 祈願が自分で友達取り戻して初めて、意味があるんだしな。そんで、それが成功したら、また祈願と遊ぶつもりでいたんだ。祈願の友達を、紹介してもらってな」
そう、沙紗にしたの様に。
「でも、きっかけの僕が距離を突然とったら、心配にもなるよな。それは、僕の失敗だ。……不安にさせて悪かった」
やはり幼い頃の自分というのは、詰めが甘い。
「……でしたら、謝らないで欲しいですわ」
と思っていたら、祈願がフォローの言葉を、くれた。
「私は少なくとも、過去の貴方に救われて、……なのに貴方を信じ切れなくて、勝手に不安を覚え、自分の我侭を通そうとしていた。間違ってたのはそんな私ですわ」
自分を貶めて、僕を上げる、か。
「……了解。撤回するよ。代わりに、感謝しろ、って言おう」
祈願の、在る意味身を挺した励ましに、自戒の言葉はもう、吐けなかった。
「えぇ。ありがとうございました。ですから、これからもよろしくお願いいたしますわ」
「あぁ、任せろ。いつまででも、お前の助けになってやるさ」
微笑む祈願に今度こそ不安を与えないよう、胸を張って答えた。
「なぁ、一つだけ聞きたいんだ。弱音を吐くようで嫌なんだけどさ、いいか?」
そして、自分からも尋ねようと思った。伶ちゃんと話した時の教訓だ。
「えぇ、勿論ですわ」
「僕は、……間違ってなかったんだよな?」
「今まで彗や弥生さん、焼堂先輩と、何かお話をされていたんですのよね? その中で、皆さんと過去の話をしましたわよね?」
本当によく気がつくんだな、こいつは……。
「その中で誰か一人でも、過去の貴方の行動を責めた方は、居ましたの?」
「……いいや。誰も、責めてはくれなかった」
沢山の弱音をこめて、答えた。
「なら、間違ってませんわ。もし間違っていたとしても、十分合格点でしたのよ。満点を目指そうとするから、間違いが目に付いてしまう、そういう物なんじゃありません?」
……それこそ、満点をあげたくなるような、優しい返事だった。
「お前は本当に、普通にしてたら、よく気が利いて台詞回しも上手くて、完璧なのにな」
「英才教育というものを、ちゃんと受けていますから」
「そういうもんか……。ありがとな」
見つめあう二人の雰囲気は最高潮であり、もしかしてこのままキス……
「それでは、ダーリンにも、英才教育を受けていただきませんとね」
「ダーリン言うな。って、え? 何で?」
あれ? 待って、これでもう良い感じに終わりじゃないの?
「だってさっき、仰いましたわよね? 最後まで面倒を見るって」
確かに、言ったな。
「つまり婿に来ていただける、という事ですわよね? 大丈夫ですわ。お父様も、この前の大立ち回りを大層褒めていらっしゃって、とても気に入られてました。公認ですわ」
大金持ちの父親がそんな簡単に、一般人を子供の婿相手に公認していいのかよ。じゃなくて、
「毎度毎度、話がラジカル過ぎるっ! 最後までって言うのは、祈願なりの、まともな人生を送れる様に、とかそういった話で、手伝える限りなら、という意味であって」
「私が望むまともな人生。それは、ダーリンと一緒の人生ですから。違いませんわよ?」
こ、こいつまさか最初からこれを狙って!?
「お前卑怯だぞ!?」
「何の事かわかりませんわぁー。ねぇダーリン。子供は、何人くらいが――」
「もうっ! どうしていっつも先輩は、最後にお付き合いフラグ立てないと、話がまとめられないんですかっ! なんかの特殊能力ですかっ!?」
と、不意に屋上の扉が開き、沙紗達、女子一同の登場だった。今回は姉さんまで居た。何でだよ。
「た、助かった……」
――それから、盗み聞きしていた女子一同の介入により僕は助けられ、この話は何とかうやむやにもっていけた。
オチが祈願家から帰る時と似ているな。なんて、現実逃避をするのが僕の精一杯だった。
おかしいなぁ……。良い話で終わるはずだったのに。
そんなわけで、祈願はその後、妄想爆発な発言をしなくなった。
「ダーリンっ。早く起きませんと、遅刻してしまいますわよ?」
「うぅん……?」
「あら、仕方ありませんわね。こういう時は、……キス、ですわよね?」
祈願か……? こいつ今、なんていった?
「では、頂きますわ……」
「っ!?」
遅れて意味に気づき目を開けるも、祈願はタコが捕食するかの如く髪で僕を覆い、唇を目前に――
「何やってんですか、祈願先輩っ!!」
「きゃんっ!?」
突然、びっくり箱の如く、沙紗が布団を跳ね上げ飛び出し、……そのおかげでキスは未遂に終わった。
「ほ、彗!! 貴方またダーリンのベットに勝手に忍び込んでっ!」
「それより今、先輩に何しようとされてたんですかっ!!」
「え? べ、別に何もしようとしてませんわよ?」
「嘘です! キスとか言ってました! 沙紗は聞いてましたよっ!」
「沙紗。祈願を止めてくれてありがとう。でも、布団にもぐりこむな。そして祈願も、そんなに恥ずかしがるなら、最初からやろうとするな。というか、どうあろうとするな」
さて、祈願は妄想を辞めたのだが、代わりに、こんな会話を日常に挟む事となり、また僕の呼称は、ダーリンで固定された。
またある時、買い物へ行く僕に、祈願が車を出してくれるというので頼んでみると、そのまま祈願家に連れて行かれそうになって、全力で逃げ出す羽目になったり、等々。
妄想発言はなくなった。が、その結果、隠す必要の無くなったせいか、さらにアグレッシブさが増す、という難題を引き出してしまった。
まさに藪蛇な事をしてしまったのだ。そう気付いた時にはもう、手遅れだった。
ただ、キャラを作っていないおかげか、僕を慕う笑顔や、皆との会話にも、不自然な所は無くなっている気がするので、悪い事ばかりではなかった、と思いたい。
毎回、何かしら新たな問題を発生させつつ、強引に解決としてる感が否めない。けれど、満点なんて物をねだってはいけないと教えてもらった今、この成果で十分だと思うべきだろう。
こんな風に結論付けれたのは、初めてだ。
……こうして、沙紗、伶ちゃん、弥生、祈願に対しての平凡化計画は結局、成功したか失敗したかで言えば後者で。
とはいえ当初の目的がまず、間違いだったのだ。平凡化と言えばまだましだが、有体に言えば、僕は自分勝手にも、他人を矯正しようなどと、思い上がりを演じてしまって居たのだから。
一つだけ救いがあったとするなら、皆は僕のせいで、あるいは僕の為に変わってしまった人達だったから、何とか失敗だけで終わらずに済んだ。それは幸いな事だ。
もしまた、余計な影響を与えてしまっていたのなら、目も当てられない。
そう、本当に、目も当てられない。