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女子三年会わざれば  作者: 渦滝まとん
3/7

トランストランスフォーム (上)

焼堂伶羅(しょうどう れいら)という一つ年上の女の子は良家の娘さんで、幼い頃から物腰や言葉遣いに、それは現れていた。

 小学校からの知り合いで、家が近所だった事もあり、昔は姉が居なかった(過去形)僕は、姉の様に思い慕っていた。

 当時は少女らしいワンピースに、髪型も前をヘアバンドで止め、後ろは三つ網にまとめた、委員長ライクな格好をしていた。

 そんな伶ちゃんが中学校の頃突然、空手などを習い始めた。理由を聞いたが、教えてはもらえなかった。

 ともあれ、真面目な性格と合致したのか、すぐに段位を取り、あっと言う間に色んな武道を極めていった。

 図書室の窓際で本を読んでいる伶ちゃんを見て、クラスメイトが「『深窓の令嬢』って感じだよな」と言っていたのを、よく覚えている。――それが格闘技の本だとも知らずに。

 閑話休題。そんな伶ちゃんの家には、何度も遊びに行った事がある。

 お邪魔するに至った初めての理由は、お呼ばれした。……なんて事ではなく、伶ちゃんの父親に文句を言う為、というのだから本当に昔の僕はろくな事をしない。

 きっかけは、習い事が毎日あるからあまり遊べない、と伶ちゃんが漏らした不満。

 毎日は酷い! っとすぐさま勢い込んで焼堂家へ言った僕だが、その頃から大企業のお偉いさんであった伶ちゃん父に、丁寧かつ正確に論破され、悔しい思いをしながら帰る事となった。

 しかし当時の僕が一度で諦めるはずが無く、それから何度も文句を言い行く事になる。

 結局、最後まで言い負かされっぱなしだったが、向こうの方が大人の対応というのか、折れてくれたため、伶ちゃんの習い事は少し減った。

 何だか勝ち逃げされた気分になりつつも、僕の主張は概ね通ったのでそれ以後、僕が文句を言いに行く事は無かった。

 その代わり何を気に入られたのか、逆に伶ちゃん父から度々呼び出され、遊びに行く頻度はむしろ増えた。

 子供相手とまともに話し合ってくれたという意味で、僕が尊敬している数少ない大人の一人である。

 ……とある部分を除けば、だが。


 休みのある日、久しぶりに焼堂家へお呼ばれした。

 焼堂家は古き良き木造家屋だ。門は車一台余裕で通れる程の幅で、普段使いのドアが横に付いている。

 インターホンを押して暫く待っていると、そのドアが開いた。

「らっしゃいま、――正道!? なんで!?」

 迎えてくれたのは、木刀を肩に担いだ制服の伶ちゃんだった。……普通に怖かった。

「いや、おじさんに呼ばれたから」

「あの父親……。珍しく迎え行かせたと思ったら、そういう事か」

「知らなかったんだ?」

「そりゃ知ってたらこんな服……。い、いや、その、なんでもねぇ!」

 格好を気にしてるのか……? その場合、僕だからこそいいんであって、父親の客人を迎え入れるのにむしろその格好は……。

「ま、まぁ兎に角上がれよ、一人だろ?」

「多分」

「多分ってどういう意味だ?」

「沙紗が来てなければって意味だよ」

「あぁ……。彗なら、大丈夫だろ」

 そう言って、伶ちゃんは親指で塀の方を挿した。視線を動かすと、見慣れた銀髪が塀を登ろうとして、黒いスーツの人達に捕まってるところだった。見なかった事にした。

「……じゃあ、お邪魔します」

「おぅ」

 伶ちゃんの後ろに続いて玄関の戸を潜り、これまた広い大理石造りの土間で靴を脱ぐ。そのまま真っ直ぐ行って、通路の突き当たり左にあるのが、伶ちゃん父の部屋だ。

 伶ちゃんは少し離れたところで、こちらを見ていた。

「あれ、伶ちゃんは来ないの?」

「あたしは、いい」

「何で?」

「あー……。す、素振りが残ってっから」

「そう? じゃあまた後で」

 おぅっ、と気持ち上ずったような返事をして、伶ちゃんはまた外へ行ってしまった。

 そういや、伶ちゃんは父親の事が苦手なんだったっけ。からかわれるから、とか何とか。

「さて、……そぉぉいっ!」

 目の前の襖を、木がぶつかり合う音が響く程の勢いで開けた。

 その先にいるのは、荘厳な表情で読んでいたエロ雑誌を隠そうと、素早く手を動かしている、伶ちゃんの父親こと、焼堂時代(51)。

 サイドを白に染めたオールバックに、皺のさした目、顎に蓄えられた髭、恐らくうん十万するであろう灰色の着物と、ダンディズム溢れる様相をした人物だ。

 但し、その見かけとは反して、趣味はエロ雑誌の収集である。

 会社では物凄いお偉いさんのはずなんだが……。真面目な人間ほど、ストレスで変な方向に趣味を持ってしまうものなのかもしれない。

「相変わらずですね、おじさん」

「君は何故いつも、私の部屋を突然開けるのかな?」

「面白半分です」

「そうか、仕方ないな」

 納得すんのか。

「変わらず元気そうで何よりだ、どうだった? 向こうは」

「特に、何もありませんでしたね」

「……そうか。何も無かったか。だが、少しは変わらずに居られたようだな」

「と言うと?」

「先日、どこぞのお宅のために一家言残した、とか」

 なんで知ってんだこの人。ていうか、沙紗も親に話しちゃったのかよ。

「部下が家庭内で揉めてたんだ。一度相談に乗った時は、まだしばらくかかりそうだったというのに、ある日いきなり問題が片付いたというんでな、理由を聞いたら、『娘の友人のおかげです』とぶっきらぼうに言っておった」

「なるほど……」

 世間ってのは狭いな……。

「何にしろ。お前がこのまま、変わらずに居てくれると嬉しいんだがな。未来の義父さんとして、――はっ!?」

 おじさんが言い終えようとした瞬間、木刀が壁を突き破り、そのまま反対の壁へ突き刺さった。

「っ!?」

 おじさんは声も出せず、震えながら穴の開いた壁を見て、驚愕の表情で固まった。

 その反応に釣られて見ると、――獣の様な殺気を孕む瞳が、穴越しに見えた。

「こわっ!?」

 どうしていいか分からず、二人して硬直していると、足音が近づいてきて、襖が丁寧なノックと共に開けられた。

 大体想像はついていたが、入って来たのは伶ちゃんだった。

「ごめんなさいお父様、素振りをしていたら、木刀が手から抜けてしまって……」

 言葉遣いが昔に戻ってる!?

「いや、いいんだ……。き、気をつけてやりなさい」

「はい、失礼を致しました」

 言いながら引き抜かれた木刀が、勢いそのまま風切り音を立て、僕とおじさんの目前を通り過ぎた。

 それを何事も無かったかの様に肩へ担ぎ、伶ちゃんは部屋から出て行った。

 ……いやいやいやいや超怖いよっ!! つーか壁突き破って、そのまま突き刺さる勢いってどんなだよ!!

「お、おじさん……、大丈夫ですか?」

「大丈夫ではない……」

「え?」

 おじさんは椅子からゆっくり立ち上がると、ふらふらした足どりで木刀の突き刺さっていた壁へ歩み寄り、何かをした。

 すると、機械音と共に壁が一部反転……、現れたのは、壁一面に飾られたエロ雑誌だった。その一部に、穴が開いている。

「無駄にハイテクだな!?」

 こんだけ凝るんだったら、間に鉄板を挟むとかすればいいのに……。流石に想定外か。

「う、うぅ……。私の大事なコレクションに……、穴が……」

 ストレスとか以前に、もっと別の病気かもしれない、この人。

「仕方ない。布教用を保存用に置いておくか、君に渡す分はなくなってしまったが……。許してくれ」

「いらねぇよ」

 思わずため口。

「すまない、少し気持ちを落ち着ける時間が欲しい。今日はこの辺にしておこう……」

「はい……」

 僕もこれ以上関わりたくないので、さっさと出る事にした。

「では」

「うむ。またいつでも来なさい、伶羅も喜ぶ」

「えぇ、是非」

 それだけ言って、襖を閉めた。

「よっ」

 声に顔を上げると、素振りを終えたのか、伶ちゃんが玄関から僕を見ていた。

 そのまま靴を脱ぐとこちらへやってくる。

「話は終わったのか?」

「うん、終わったよ」

 正確には謎の木刀が飛来した事により、話が断ち切られた訳だが。黙っておこう。

「そういえば伶ちゃん、これから時間ある?」

「へ? お、おぅ。けど汗かいたからな、先ちょっと風呂いってきてもいいか?」

「僕は全然いいんだけど、でもそれだと時間かかっちゃうでしょ? 急がせるのも悪いし、またにするよ」

「え、い、いや! すぐ、すぐだからっ! なっ! なんだ、あれだっ! 美味しい茶菓子あるから! 後なんかその、お勧めの本とかあるからさっ! それでも読んだり食べたり飲んだりして待ってろよ、な!?」

 必死だ。後なんか混ぜこぜになってないか。

「落ち着いて、伶ちゃん。分かったから。待ってるから」

「よ、よし。じゃあ、あたしの部屋で待っててくれ。階段上がって奥から二つ目の部屋だ。あ、何も触んなよ?」

「了解」

「じゃ、じゃあな! ちゃんと待ってろよ!?」

「大丈夫だって。ゆっくり入って来て」

 風呂場へ向かう伶ちゃんの背を押して、強引に風呂へと行かせる。

 そして、言われたとおり階段を登り、部屋を数えて、

「二つ目。ここが伶ちゃんの部屋か、どんな感じかな? ……っ!」

 ――ピンク色だった。何がって、何もかもが。

 そういえば何だかんだで、伶ちゃんの部屋に入るのは初めてだ。

 三年前の伶ちゃんなら兎も角、今の伶ちゃんと比べると、物凄いギャップが……。

「そういや結局、お勧めの本とやらは渡されなかったな」

 ふと、机の上に目をやると、分厚い本のような物が置かれていた。

 お勧めの本ってのは、もしかしてこれかな?

 やや重たいソレを手に取り、なんとなく真ん中辺りを開いた。

『今日三年ぶりに、せい君が帰ってきた。久しぶりにあったせい君は、三年前と変わらない。むしろもっと格好良くなってた。それに、ちゃんとあたしを覚えていてくれて、すごく嬉しかった! ……昔の私がだいす』

「あ、あぁぁぁぁぁ!?」

 伶ちゃんの叫び声と共に、目の前から読んでいた本が消えた。

「なっ、よ、読んだのか!?」

「少しだけ……」

「なんで!?」

「いや、お勧めの本ってコレかなと思って」

「確かにある意味、あたしん中の、ベストオブセレクション的なもんだけどちげぇよ!! これあたしの日記!!」

「一行読んだ辺りで、分かってたんだけどね。つい」

「ついじゃねぇよ! 分かったなら辞めろよ!」

「人の秘密は蜜の味っていうだろ?」

「おしいよっ! 大体あってぇけど! そんな風にボケても流されないからなっ!?」

 ちっ、昔の伶ちゃんなら、そのまま話をそらせたんだが。

「悪かったよ。というか伶ちゃん、その日記の事を思い出してすっとんできた?」

「あぁ、そうだけど?」

「なるほど。何ていうか、普段は絶対見れないであろう物が、見えそうで見えない状況っていうのは、やたらと目が引かれてしまうと思わない?」

 本能という獣と戦いながら言った。恐ろしい敵である。

「へ? 何、……がっ!? わ、悪いっ!!」

 自分の状況、――制服からスカートのみをパージした状態――に気づいた伶ちゃんは、来た時のようなスピードでまた戻っていく。

 視線を机に戻すと、本は無くなっていた。持って行ってしまったのだろう。

 仕方なく、難しそうな小説ばかり並んでいる本棚から適当に何冊か抜き取り、ピンク色のクッションに腰を下ろした。


「わ、悪い、待たせたな」

 暫く立って戻ってきた伶ちゃんは制服のままだった。ちゃんと長いスカートも履いている。こだわりがあるんだろうか?

「いや、この少女マンガ読んでたから。大丈夫だよ?」

「なっなっなんでなんでっ!?」

 猫科の動物を思わせる早業で、伶ちゃんに再び本を奪われた。

「か、隠してたのに!?」

「何でって言われると……、本棚の本が奥行きと比べて、やたら手前に置かれてて不自然だったから何冊か抜いたら、みつかったので」

 中学生男子が、エロ本を隠すかのような隠し方だった。少女マンガぐらいで、そこまでしなくても良いと思うんだけど。

「隠したい、って意思を感じなかったのか!」

「人の秘密は――」

「やかましいっ!」

 本で叩かれた。

「痛い……。ってか大丈夫だよ。少女マンガその奥の、男同士が絡み合ってたっぽい本は読んでないから」

「見てんじゃねぇかぁっ!? もうやだぁぁぁっ!」

 伶ちゃんは本を僕に投げつけるとベッドに飛び込み、うつ伏せで布団を被ってしまった。やりすぎた。制服が皺になってしまう。そういう問題じゃないか。

「ごめんごめん。初めて伶ちゃんに部屋へ入れてもらったから、ついはしゃいじゃって」

「う、うぅぅ……」

 伶ちゃんは布団から少しだけ顔を出し唸ると、こちらを非難の目で見てくる。可愛い。

「本当に悪かったよ。反省してる、もうしない。真面目に」

「……絶対だかんな。あたしが、ダメっていった物には、触らない。いい?」

「誓います。では、伶ちゃんよ。汝は病める時も健やかなる……」

「なる? なんだ、続けろよ」

布団から出てきた伶ちゃんは、いつのまにか木刀を構えていた。刃物でも突きつけられたような恐怖だった。冗談の度が過ぎたようだ。

「ま、まぁまぁ、座ろうよ。ね?」

 慎重に木刀を取り上げ、伶ちゃんの背を押しクッションへ案内した。そのうなじが真っ赤になっていたが、指摘せずにおいた。自分の為に。

「で、話って何なんだ?」

 さて、ピンチを逃れたのはいいが。実は何から聞くべきかまとめきれていなかった。   

 どれもこれもデリケートな話すぎるせいだ。しかし、まごついてても仕方ない。

「うん。結構大事な話だから、もし答えたくないなら、それでいいんだけど」

 対面に腰を下ろし、話を切り出した。

「お、おぅ」

「まず、弥生由仁って子は、どういう知り合いなの?」

 最初は軽いジャブで。

「あぁ、あいつか。あいつは、学園へ上がる前に知り合ってな」

 という事は、僕が向こうへ行った後か。

「あたしを自分の憧れの存在だ、とかって言ってくれてな、何にもしてねぇんだけど慕われてる。……もしかして、弥生が何かしてきたか?」

「うん? 何で?」

「いや、あいつ、あたしに関わろうとする男子に何かしてる、って噂を聞いてな」

 常習犯だったのか……。

「いや、何もされてないよ。ただどういう知り合いなのかなと思って」

 今は誤魔化して置こう。後で弥生と話す時に嫌われてると面倒だ。

「ならいいけど……。そういえば弥生に、あたしとの関係を聞かれたんだろ?」

「え?」

「正道の家に来てた時、弥生そう言ってたぞ?」

「う、うん! そうそう、そうなんだよ」

 あの後、なんでわざわざ弥生が家まで来てたのかと思ったら、屋上へ呼び出した理由を説明してたのか。抜け目のない奴だ。

「た、ただの昔の友達だ、って答えたのは、……本当、か?」

「あー、うん。何かやたら、伶ちゃんとの関係を気にしてるみたいだったから。何でもないって、そんな風に答えといたけど……」

「そう、か……」

 ……なんか、物凄い肩落としてるけど、大丈夫だろうか。

 ともあれ、これ以上話を続けてボロを出したくないので、何か悪いけれど、さっさと話を終わらせよう。

「じゃあ、次の質問いいかな?」

「おう……。なんでも聞いてくれ。……ただの友達のあたしに、どれだけ答えられるか分からねぇけどさ……」

 な、なんかやさぐれてない? 聞き辛い雰囲気になってるんだけど……。

「え、えーと。……何でスケバンなんて、やってるの?」

「あー……。あたしが空手とか、始めたのは知ってるよな?」

 質問の内容が込み入った物だったからか、伶ちゃんのテンションが復活。

「中学の頃から、いきなり始めたよね」

「それでまぁ段位とかとってたんだけど、道場の先輩達に、帰り道で囲まれてな。何か気にくわねぇとかでさ。殴ってきたから、その度に返り討ちにしてたら、いつの間にか舎弟になってて、そんな事を繰り返してるうちに、気づいたら番長って呼ばれてた」

 なんか、生きてる時代が違うな……。一つしか変わらないはずなのに。

「じゃあ、その格好とか喋り方は……?」

「いや、そいつらにさ、もっと強くなる為にどうしたらいいか聞いたら『力は十分だから、後は格好とか喋り方が大事だ』って参考書を渡されたんだよな」

 立ち上がった伶ちゃんが、本棚から抜き出したのは……、短髪の少年が、釘バットを手に、威嚇の体制をとる様子を表紙にした漫画だった。絵もかなり古めだ。

「……なるほどね。じゃあ、時間もあんまり無いから最後に」

「おうっ」

 座りなおした伶ちゃんが、ベッドの上に胡坐をかく。が、スカートが長いのでまったくどきどきしなかった。

「なんで、……同じ学年なの?」

「うん。……理由があったんだよ。病気みたいなもんだ。それで学校に行けなくなって、推薦も取り消された。高校浪人だ。何とか治して今は通えてる。それだけだ」

 え? 終わり?

「ちょ、ちょっと。はしょりすぎだよ。何で教えてくれないのさ?」

「言えねぇもんは言えねぇんだよ」

 目を背けて、伶ちゃんはそう告げる。だからこそ、

「それは、僕が関係してるから?」

 理由が分かってしまった。

「……正直、違うと言えるし、そうとも言える。あたしにも、分かんねぇよ」

 曖昧だな……、けど今はこれ以上聞き出すの、無理そうだな。方向を変えよう。

「最後って言ったけど、もう一つ。僕が関係してるとしたら、それはいつの僕?」

「悪い、それも言えねぇ」

 駄目、か。

「そっか。……分かった。僕が聞きたい事は、それだけだよ」

「いいのか?」

 まるで叱られた犬のように、伶ちゃんは顔を下げて上目遣いで言う。

「伶ちゃんは答えられる限り、答えてくれたんだろ? ならそれでいいよ」

「ごめんな」

「何で謝るのさ。謝るとしたら僕の方だ。答え難いと分かってて、聞いたんだし」

「ん、あんがとな」

「感謝される覚えもないけど。こっちこそ、ありがとう。答えてくれて」

「おう……」 

 少しの間、沈黙が続いた後、ふいに伶ちゃんが思い出したように口を開いた。

「……なぁ、あたしからも聞きたい事があんだけど、いいか?」

「うん? 勿論だよ。何?」

「向こうで、何があった?」

 ……同じ過ちを繰り返してました。なんて、とてもじゃないが、言えない。

「何も、なかったよ」

「そんな事無いだろ?」

「いや、本当に何もなかったんだ」

 一応の答え。しかし、事実だ。僕が求めた物は何も無かった。

「そうか……」

「うん、まぁどんな生活だったとかなら……、ってごめん。そろそろ帰らないと」

 いつのまにそんな時間が経っていたのか、窓の外はとっぷりと暗くなっていた。

「あ……、よかったら、夕飯食べてかねぇか? 親も喜ぶだろうし、さ」

「いや、ごめん。多分にい……、姉さんがもう、作ってくれてると思うから」

「そ、そっか。なら駄目だな……」

「うん、ごめんね。ありがとう」

 まるで、付き合いたてのカップルのような会話だ。男女が逆だが。

「じゃ、そこまで見送るな」

 そうして部屋を出ると、二人して階段を下りて、伶ちゃん父に軽く挨拶をし(まだ落ち込んでた)靴を履き替えて外に出る。

 玲ちゃんは門の前で、足を止めた。

「んじゃ、今日はあんがとな。またいつでも、気軽に来てくれよ」

「うん、ありがとう。おじさんにもよろしく行っといて、それじゃまた

 手を振り、背を向けて真っ暗な田舎道へ足を向けた。

 暫く歩き、人影も街灯も無い田んぼ道で、独り言の様に尋ねた。

「なぁ。皆が変わり始めたのって、いつからだ?」

「……沙紗は詳しく知らないですよ。でも、予想は出来ます」

 当然の如く返ってくる沙紗の声が、今はありがたい。

「先輩も分かってきてるでしょうけれど……」

「あぁ」

「先輩が居なくなってから、だと思います」

「そうか……」

 その後会話はなく、最近はちゃんと家で夕飯を食べている沙紗は、いつの間にかいなくなっていた。

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