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女子三年会わざれば  作者: 渦滝まとん
2/7

ストーキングトーキング

明朝。何となく人が居る様な気配を感じ、うっすら目を明けると、淡い日差しの反射に照らされた天井、そして、……人の顔が見えた。

「うおあぁっ!?」

「きゃっ!?」

「はぁ、はぁ……。あ、梓か!?」

 すわ幽霊かと思い体を跳ね起こし、体と一緒に跳ねた心臓を一息入れて落ち着かせ、良く見てみれば、梓だった。

「おま、何してんだ……」

「びっくりしたぁ。ちょっと通りがかったから、何となく寝顔を見てただけだよ?」

「びっくりしたのはこっちだ。って待てっ!! 通りがかった!?」 

 僕の部屋、二階なんだが。

「うん、あれ? 言わなかったっけ、窓から来てるって」

 聞いた、聞いたが……。

「アレ、僕の部屋の窓からだったのか!?」

「昨日は普通に一階の窓だよ。今日は正ちゃんが居るから、梯子使って来て見た」

 窓へ視線をやると、梯子の先端が見えた。――かわいい顔して割とやるな、こいつ。

「……というか僕はちゃんと、窓の鍵かけたぞ?」

「壊れてるよ?」

「何で知ってんだ!?」

「開いたから」

 ……それはそうだな。開いたら、分かるな。

「そうか……。でも金輪際、窓から僕の部屋へ侵入するの禁止。危ないから。オッケ?」

「あはは、分かってるよ。今日はたまたま」

「ならいいけどさ、そういや今、何時だ?」

「五時ぐらい」

「早っ!?」

「お姉さんに、料理とか教えてもらってるの」

 教えてるんじゃなくて、教えてもらってるのか……。何も言うまい。

「じゃあ僕はもう一眠りさせてもらうよ」

「はぁい。驚かしてごめんね」

「料理、頑張ってくれ」

「うん! 頑張るね!」

 小さく拳を握り締め、返事をすると、梓は去っていった。念のために窓の鍵を確認すると、フックが少しずれてるだけだった。

 直そうかと思ったが、眠気が無くなりそうだったので、もう一度寝てからにしようと決め、再び布団へ。


 二度目の起床は目覚ましよりも早かった。

 腰に何かが巻きつくような感覚があったのだ。とても嫌な予感がした。けれど、覚悟を決めてゆっくりと、布団を捲った。

 ……しかし、甘かったと言わざるを得ない。

 この時、僕は『あぁ、どうせまた姉さんか』程度にしか思っていなかったのだ。

 まず朝日に輝く銀の髪が目に入った。

 次に、綺麗な銀髪の間から静かに吐息を漏らし、天使の寝顔を晒している沙紗を見て、言葉を発する、――前に。ドアの外から近づいてくる、可愛い鼻歌と足音に、死を覚悟した。

「おっはよーまーく……、ん?」

 ――瞬間、姉さんは飛び掛ってくると、僕の頭を華奢な手からは考えられない力でホールドした。

「ぁぁあああああぁぁぁぁぁぁぁ」

 そしていっそ殺せとばかりに続く苦しみを、頭蓋へ送り込んでくれた。

 死の方が楽なの事もあるのだと、今知った。大げさでなく、リアルに死を感じた。

「っあぁぁぁぁぁぁっ……。へこむ、へこむぅぅぅぅ……」

 僕がもう一度、強制的な眠りへ誘われそうになっている横で、銀髪のストーカーは相変わらずすぅすぅと寝息をたてていた。


 沙紗が目を覚まし、隣でアイアンクローを食らっている僕に発した最初の一言は「おはようございます、先輩方」だった。

 その後、沙紗が勝手に布団に忍び込んだのだと、すぐに自白したので僕は開放された。

 問答無用の攻撃について姉さんは謝ってくれたので、気にしてないと答えて、そのまま寝ぼけ眼でやり取りを見ていた沙紗に、出来うる限りの全霊をとしてデコピンを放った。

沙紗は暫く涙目で蹲っていた。

「う、うぅ……。痛かったですよぉ……」

「黙れ。僕はもっと痛かった……! いっそ死ぬ方が楽かと思ったんだからな!?」

 言う間に、あの辛さが思い浮かび、思わずヒートアップ。

「ごめんね、お姉ちゃん、何だかついかっとなってやったわ。今は学生をやっています」

「何か最後ただの自己紹介になってたぞ!? 反省はしてくれよ!!」

 ため息一つ。

「……ご飯は出来てるんだろ? 姉さん」

「えぇ、出来てるわよ。早く着替えてね?」

「そのつもりだから早く行ってくれ」

 二人は同時に首をかしげた。

「いや、二人が居ると着替えれないだろ?」

「どうして? 手伝ってあげるわよ?」

「先輩、お手伝いします!」

「出てけ」

 以上の問答から昨日の目標を思い出し、最初はあのストーカーをどうにかしよう、と着替えながら決めた。毎朝が危険すぎる。

 そういえば、あいつどこから入ったんだろ?

 部屋を見回すと、窓に掛かる梯子が目に入り、答えを理解した。

 窓の鍵を直し、早々に着替えた後、部屋を出て、そのままリビングへ行き、朝食の並べられたテーブルを挟んで、沙紗と対話。

「第一に。人の家に梯子で進入してはいけない」

「だって、使えとばかりに梯子が置いてあって、窓も開いてたんですもん」

「モンいうな。そもそも僕は昨日、今日は来るなといったな?」

「昨日、今日は来るなといったのなら、昨日来るなという意味では」

「……昨日、明日は来るなといったな?」

「どっちなんですかもー」

 畜生、日本語のばかやろうっ。

「祈願ですら来ていないと言うのに……」

「へ? 来てますわよ?」

 ソファから、ひょっこりと顔を出した祈願が答えた。

「うおっ!? か、髪の毛しか見えてなかったから、子供110番の家の目印が置いてあるんだとばかり……」

「三角コーンですわ!? ……旦那様に会いたいと思ったら居ても立ってもいられず、早く来すぎまして。私としたことが、少しソファでうとうとしてましたわ」

「旦那様言うな。……うとうとじゃなくてさ、来るなって言ったろうが」

「前世では毎日来いと……」

「もし、僕が前世でそう言っていたとしても、言葉の優先順位は現世を上にもって来い」

「我侭ですのね……。でも、そういう強引な所も素敵ですわ」

 ポジティブすぎる……。

「そんな事より、早くご飯食べないと時間ないよ、正ちゃん」

「そうだな……?」

 びっくりするぐらい馴染んでる梓にも、何か違和感を覚えた。というか、遅くなった根本の原因は梓にあるんだが……。


「あれ? れいちゃ……、じゃなくて焼堂さん。どうしたの、こんなところで」

 四人揃って家を出ると、何故か玄関門の前に伶ちゃんが立っていた。

「……な、なんで皆一緒? ……うん? 焼堂さん? 何で苗字……? え? え?」

 まずい。伶ちゃんが沢山の疑問に対応できず、混乱している。

「皆は昨日みたいに、勝手に来ちゃったんだよ。それにしても伶ちゃん、外で待っててくれなくても、中に入ってくれて良かったのに」

「それは、起こしてって昨日、言ってたから、し、仕方なく来て見たんだけどよ、鍵がかかってっし、……寝てたら、悪いと思って……」

「先輩。起こす為に来たというのに、寝てたら悪いって、何かおかしくないですか?」

 最もな疑問を持って沙紗が首をかしげ、制服の袖を引いてきたが、無視した。

「姉さんは起きてるだろうし、気にせずインターホン鳴らしてくれていいんだよ?」

「お、おぅ……、でも、そ、そんな事より、苗字なのは、……な、なんで?」

 ……素直に弥生に言われたから、何て言えないな。

「ほら、いつまでも子供の時の呼び方なんて、おかしいかなって。僕らももう高校生だし、先輩に対してちゃんづけっていうのもさ」

「え……。で、でも、だからこそ、今更変える必要なんか、ないだろ、な? 焼堂さんなんて、他人行儀はや、辞めろよ。……それとも、あ、あたし何かした?」

 どんどん涙目になっていく伶ちゃんを可愛いと思った僕は、サド寄りかもしれない。

「うーん。ほら、時間も無いし、まずは学園に行こう?」

 歩き出せば、忘れるかも、なんて犬を相手にするかのような希望的観測だったが……。

「馬鹿やろうっ。そんな事で話を進めようとするな! 重大な問題なんだっ!! あたしの事は名前で呼べ! ちゃんと伶ちゃんと呼べ!! 他人行儀は嫌だぁ!!」

 ひ、必死だこの人!? 

「いや、でも――」

「でもも何もないっ!! 伶ちゃんと呼べっ! じゃなきゃその……、伶羅れいら、とか? よ、呼び捨てでも、いい、かも……。な、なんてな!」

「伶ちゃん、行こう」

 若干トリップし始めた伶ちゃんから、とても危険な香りがしたので、今まで通りで行く事にした。

 弥生の前で、名前を呼ばなければ良いだけだしな。

 なぜか周囲の女子達から、冷たい視線を感じるが、軽くスルーした。




 彗沙紗(ほうき さしゃ)という少女はハーフで、長い銀の髪がとても特徴的な美少女だ。

 因みに漢字表記の為サシャと読んでいるが、本来はサーシャと呼ぶんだとか。

 小学校の時にこちらへ転校して来て、そのすぐの頃は、目立つ銀髪で顔を覆い隠し、さらに余り明るい性格ではなかった為、見た目と裏腹な様子が悪目立ちしてしまい、虐められていた。

 その現場にたまたま通りがかった当時の僕は、勿論見逃さず。……結果的に、虐めは無くなり、沙紗とも友達になれた。

 沙紗は最初こそ俯きがちで話し声も小さかったけれど、虐めが無くなり友達も出来始めてからは、人見知りはするものの、明るく人並みに喋る子になったので、中学へ上がる頃には、僕も余り気にかけない様になった。

 といっても疎遠になった訳じゃなく、誘われて一緒に遊んだりはしていた。

 遊びといえば、かくれんぼ的な要素を含む物を、妙に得意としていた覚えがある。気配を消したり、人の死角を取ったり。

 今の沙紗が、ああも上手くストーキングしてくるのは、その才能を遺憾なく発揮している為なんだろう。方向性としては、かなり間違ってしまっているが。

 閑話休題。帰国した時、三年間合わない内に暗くなってしまってたり、中学などでまた虐められていたらどうしようかと、気になっていた。

 無論、僕が留学へ行く頃には、十分友達がいたので、大丈夫だとは踏んでいたけれど。

 兎も角、問題はなかった様で、そこは喜ばしかった。

 さて、そんな沙紗だが、帰って来てからストーキングとは別に一つ気になる事があった。

 沙紗は休憩時間になる度に、いつの間にか教室に来ては僕の背後に控えている。

 それはただの授業の間でもそうだし、昼休みなら弁当まで持参して来ていたりと、ありとあらゆる時間そうなのだ。

 僕を慕ってくれている、にしたって少々行き過ぎである。となれば考えてしまうのは、沙紗が教室で上手くいっていないという可能性だ。

 

 というわけで颯爽と僕はHRをさぼり、HRの終わっていない沙紗の教室まで来た。

 到着してから数分後、教師がドアを開けて出てきたので、近くの男子トイレへ身を隠し、沙紗が出てくるのを待つ。

 恐らく、僕を追いかける為に沙紗は……。

 案の定、沙紗は教室から一番に飛び出し、トカゲもかくやという無音の疾走を見せて、僕の視界から消えた。

 ……どうやったら、あんな風に音を立てず走れるのだろう。

 疑問はさておいて、沙紗の居なくなった教室へ向かった。

 中にはまだけっこうな数の生徒が残っていた、話しかけやすそうな女子は居ないかと、出入り口から顔を出し、物色を開始。

「あの、先輩? 誰かに用事ですか?」

 と、明らかに不審な物を見る目で、見知らぬ女の子が話しかけてきてくれた。好都合だ。

「さしゃ……、彗いるかな?」

「彗さん……?」

 いぶかしげな表情をされた。なんだろう。

「あの、もしかして匠堂先輩……、ですか?」

「うん? そうだけど、なんで僕の名前を?」

「なんだ、早く行ってくださいよー!」

 名前を言っただけで先程の表情はどこへやら、急に親しげな笑顔が向けられた。

 これは……、沙紗が何か言っていたのか?

「沙紗ちゃんならついさっき、いつもみたいに先輩の教室行くから、って急いで走っていきましたよ。多分、教室か下駄箱で、待ってるんじゃないですか?」

 体ごと首を傾げて、彼女はそう教えてくれた。

「あぁ、そっか。ありがとう」

「いえいえ、それでは、沙紗ちゃんの事お願いしますねー」

「……頑張るよ」

 色々な物を含んだ笑みで、見送られた。

 皆すぐ恋愛方面に持って行くので、話し安くはあるが、少し面倒だ。海外の学校ほどではないけれど……。

 ともあれ、疑問の一つは解決。クラスでも問題なくやっているようだ。

 後はまぁ、一応僕を待っているであろう沙紗に、直接悩みがないか聞いてみるか。

 何もないのなら、それでいいしな。

 

 先ほどの女の子の言うとおり、沙紗は下駄箱で待ってくれていた。

 下駄箱に背を預け、片足のつま先で地面をこんこんと叩いて待つ、その様子はあたかも、彼氏を待つ彼女のようで、何だか青春ぽかった。

「あ、先輩! 遅かったですね? 祈願さんとかが、探してましたよ」

「ちょっとヤボ用だったんだ。わざわざ待っててくれたのか?」

「当たり前じゃないですか!」

 ビシッと僕を指差して、沙紗はそう言った。

「うむ。じゃあ今日はこっそり二人で帰るか」

「あ、はいっ!」

 ご機嫌に返事をする沙紗をつれて、校舎を出る。

「そういえば、沙紗と二人なんて帰ってきてから初めてだな」

「そうですねー。いつも邪魔な女……、いえ皆さんが居ますからね」

 今この子からすごい不のオーラを感じたんだけど、気のせいだよね?

「……う、うん。じゃあせっかくだし、軽く散歩してから帰るか」

「おぉー! いいですね! いきましょういきましょう!」

「散歩ぐらいでテンション上げるとは、犬みたいだなお前」

「わんわん!」

 わざわざ握った両手を口前にやって言う沙紗。

「……首輪つけるか?」

 シュッとベルトを外して、沙紗に手渡した。

「セクハラです!?」

 我ながら最低なジョークだとは思った。

「いや、あまりにもあざといからさ、ついかっとなって」

「それにしたって、もう少しましなやり方ありましたよね!?」

 うーむ。沙紗からどうやって悩みを聞きだすか考えていたら、少々思考が雑になっていたようだ。

 そんなバカな会話をしつつ、周辺の住宅街から少し外れた並木道を歩く。

 暫くすると、雑木に囲まれた公園が見え始めた。

「沙紗、何か飲むか? おごるよ」

 公園の入り口に着いたところで、自販機を見つけたので、先輩としての甲斐性を見せる。

「ありがとうございます! 沙紗はー……、紅茶で!」

「お前は見た目がお嬢っぽいし、紅茶が似合うな」

「いえ、祈願先輩には負けます」

「ありゃただのとんがりこーんのお化けだ。気にするな」

「先輩って、祈願先輩には妙に辛らつですよね……」

 そうかな?

 紅茶を買って、沙紗に渡し、自分の分はコーヒーを買った。

「ひっさしぶりにこの公園に来たけど、なんか狭く感じるな」

 改めて公園に入ると、子供の姿は皆無だった。

「これでも広くなったんですよ? 地球儀とブランコ、撤去されちゃいましたから」

 そういえば、そんなの合ったな。

「壊れたのか?」

「いえ、危ないからとかで」

「ふぅん。理由は分かるけど、滑り台しかない公園ってのも、寂しいな」

 まだ明るいのに、誰も居ないのはそれが原因かもしれない。

「ですねー」

 話しながら、なんとなくベンチへ腰を下ろした。沙紗も倣って横に座る。

「……」

「……先輩、心ここにあらずって感じですね?」

「じゃあ、どこにあるんだろう」

「え……、皆の、心の、中?」

「分散してしまっているのか……」

 ドラゴン○ールじゃあるまいし。

「……お悩み事ですか?」

「沙紗に、聞きたい事があってな」

「はい?」

 何をどう聞くべきか、ずっと考えていたのだが、結局答えは出ず。ぽんこつな頭が出したのは、

「お前、何かあるんじゃないか? 何かってその、辛い事、見たいなのがさ」

 ストレートに聞く事だった。

「どうして、です?」

 沙紗は、手の中の紅茶の缶を見つめたまま、言った。

「うーん。沙紗、この三日間、僕の家でご飯食べて帰ったよな? それがな、何かひっかかったんだよ。一日なら兎も角、そんなに毎日は変だなぁって」

「ご迷惑、でした?」

「んな事ねぇよ? 姉さんも喜んでたしな。でもさ、そういうのとか、毎日うちに来るのとか、今日だってわざわざ待っててくれたろ? そういうのがまるで」

 そう、そうだ。話しながら考えて、やっともやもやの正体が分かった。

「まるで、家に帰るのを嫌がってるみたいだなって」

 クラスに居るのがイヤだ、からの派生だ。

「……ふふ。先輩、覚えてます? 初めて会った時の事」

 沙紗は僕の言葉に答えず、笑いながら僕の目を覗いた。

「忘れるわけ、ないだろ」

「何だか、あの頃を思い出しました。沙紗が困ってると、先輩はさっと現れて助けてくれるんです」

「……今日は、沙紗が僕を待ってたんだけどな」

「そうでしたね」

 沙紗は僕から視線を外すと、まっすぐ、何にも無い、遠くを見つめる。

「……おじいちゃんが、亡くなったそうなんです」

 やがて、沙紗はぽつぽつと、話し始めた。

「沙紗は一度も会ったことがないので、ショックじゃないんです。でも、お父さんが長男だから、戻らなきゃ行けないって」

 なるほど……、どこの家も長男は面倒なんだな。うちの長男、……いや、今は忘れよう。

「でも、お母さんも沙紗もこの国しか知りませんから。そんな突然、海外で暮らそうなんて言われても……、困っちゃいますよね」

 沙紗は眉を下げ、唇を軽く噛んで笑った。

「それ以来、お父さんとお母さんは話しません。口を開いたら、喧嘩になるから」

「でも、それじゃあ……」

「はい。お話も進展しないんです。だからずっと暗いままです」

「いつからだ」

「一週間前、ですね」

 ……僕が帰る前は、静かな家で一人、か。

 その姿を想像すると、ひどく胸が痛んだ。

「ふむ……」

 沙紗は、一人っ子だからな。

「……一つ昔の話をしよう。なぁ沙紗。初めて会った時、お前は僕になんて言ったか、覚えてるか?」

 銀色の長い髪で、顔を覆い隠し、周りを悪意に囲まれて。

「お願いしました」

 悪意を蹴散らし表れた、初対面の、ハサミを持ってるイカれた上級生に。

「助けて……、って」

 そして沙紗は、引き換えに、長い長い前髪を、切り裂かれた。

「あれからずっと、前髪、切ってんだな」

「はい。そっちの方が可愛いって、先輩が言ってくれましたから」

 その時の事を思い出したのか、沙紗が微笑んだ。

「そう、お前は明るくにこにこ笑ってるのが可愛いんだ。暗い顔すんな、また助けてやるからさ」

「……本当、ですか?」

「うん、また今度な」

「え? 今回の件は……」

「知らん」

「え」

 沙紗さん、絶句。

「そんなお前、この歳になって、他人の家庭事情にほいほいと顔を突っ込めないだろ」

「えぇぇ……」

 顎をガクーンと落とし、眉間にしわを寄せ、女の子にあるまじき表情をみせる沙紗。百年の恋も冷める、とはまさにこの瞬間だろう。お互い様かもしれないが。

 じゃなくて、真面目に話さないと。

「いやだってさ」

「……なんですか」

「助けを求める相手が違うだろ」

「どういう、ことです?」

「お前の両親はきっと、どう動けばいいか分からなくて悩んでる。でも助けて、なんて言えないないんだ。大人だからさ」

 きっと大変なのだ、大人も。

「だからな、お前が頼んでやれ。助けてって。そしたら、子供の為だ、なんて言い訳で動けるようになるさ。結果がどうなるかまでは分からんが、少なくとも、停滞した今よりはましになるはずだ」

 沙紗は、缶の紅茶のロゴを睨んで、必死に考えているようだった。

 その間、僕はのんびりと茜色に染まる空を見上げていた。

 ……しばらくしてから、沙紗が顔を挙げ、

「ありがとうございます」

 僕を見て、にっこり笑った。

「決心ついたか? 進んだら、もう止まらないぞ」

「はい。でも、先輩の言うとおり、このままよりはましだと思います。だから沙紗、頑張りますね」

「おう、頑張れ。そして前へ進め。何かあったら、僕が助けてやるから」

 沙紗の肩を抱いて引き寄せ、もう片方の手で、わしゃわしゃと沙紗の頭をなでた。

「わわっ。あへへ……」

「……あへへ、ってなんだ。えへへって可愛く笑えないのか」

「今すっごい良い雰囲気だったのにそういう事いいます!?」

 僕が悪いんだろうか。

「なんかこう、珍しく先輩からスキンシップとってくれたし、えへへって照れた笑いと、ぐへへって欲望に満ちた笑いが同時に出てしまったんですよう……」

「うーむ。しまらんなぁ」

「変に湿っぽいより、いいですよ。ありがとうございます、先輩。元気でました」

 沙紗はぴょんっと跳ねる様に立ち上がると、銀色の髪が地面に触れそうなほど深く、お辞儀した。

「沙紗、行って来ます」

「行って来い。逃げ帰ることは、許さんからな」

「了解しました、上官殿!」

 おどけて敬礼をすると、沙紗は走り出した。そして公園の入り口で振り返ると、

「また明日です!」

 そう告げて、沙紗は今度こそ戦地へと向かった。

「……そういや、結局あいつ紅茶飲まなかったな」

 やはり缶の紅茶なんて嫌いだったんだろうか。

「どうでもいいか」

 ベンチから立ち上がり、お尻を軽くはたいてから、僕も歩き出した。




 公園で話した翌日から、沙紗のストーキング行為は止んだ。

 休み時間も、背後からの視線に晒される事は無くなった。……少し寂しかった。

 学園で会った時などに軽く会話すると、問題は少しずつ解決に向かってると、元気そうに陰りも無く言っていた。

 ちょっと力強く背を押しすぎたかな、とは思っていたのだが、大丈夫な様で何よりだ。

 僕は一人、腕を組んでうんうんと、満足に頷いた。

 ……そんなある日の朝の事。

「先輩! 奇跡ですよ!! 私待ってたんです!! ここで先輩に合えないかなって!」

「黙れ。僕の家の前で学校のある朝に待ってりゃ、会えるに決まってんだろうが」

 奇跡も偶然もなければ、余りにも恣意的な必然だった。

「で?」

「先輩に、また助けてもらっちゃいました」

「そっか。ほれ、学校行こう。遅刻する」

 背後に、相変わらず控えている三人の女子達――沙紗が来なくなった翌日から伶ちゃんが来たので結局、人数は減らなかった――はきょとんとしているが、まぁプライベートな話だ。そっとしておいてもらおう。

 そしてその日の昼休み、沙紗から顛末を聞いた。

 両親は別居する事になってしまったらしい。

 すぐではないが、来月には一度、父親だけ故郷に帰るのだとか。

 結局、結末を早くする事は出来たものの、解決は出来なかった。当然といえばそうなのだが、自分にもう少し力があれば、と思ってしまう。

 そんな事を考え、暗くなった僕に、

「ありがとうございました!」

 沙紗は満面の笑みでそう言った。

 これで終わり、そう言う様に。


 そんなこんなで、沙紗の問題はひとまず終わった。……のだけれど、一つ問題が残った。

「先輩先輩っ!」

「なんだよ近いよ、近すぎるよ、おぶさるなよ、っていうか何でいるんだ……」

 放課後、帰ってきて以来初めて一人での買い物を満喫していた時だ。

「沙紗、お前今日は委員か何かの用事あったんじゃなかったのか?」

 頼んでもいないのに、突然教室に現れて、『今日は委員の仕事があるので、一緒に帰れないんです。すいません先輩』などと言っておいてなんだこの子は。

「はい。でも先輩が今何をしているのか、気になって気になって仕方が無かったので、理由を説明して抜け出してきました」

 完全にストーカー思考じゃねぇか。

「いやいや待て、そんな理由で開放されたのか」

「『頑張ってね』って、皆が送り出してくれました!」

 脳裏に、沙紗の教室に行った時、話しかけてくれた女の子の顔が浮かんだ。

「さぁ、次はどこにお買い物行くんですか? 沙紗、少しぐらいなら荷物もてますよ! 鞄も持ちましょうか!?」

「そんな事されたら、周りの目が痛くてかなわん……。いいから大人しくしててくれ」

「はいっ! では、このままで居ますね」

「おぶさる事は許して無い! 少し離れろっ」

 といった風に、結末を聞いた次の日から、沙紗がいつの間にか傍に居る、という現象が再開された。ストーキング再びである。

 というか前より一層アグレッシブになってしまい、回りの視線が非常に痛い。

 さすがに梓達には軽く説明しないとヤバそうだったので、事情を簡単に話すと、理解したが納得できない、と不思議な日本語が返ってきた。

 そんな感じで、沙紗は何も代わらないままに、今回の件は幕を閉じてしまった。

 さて、僕は何のために、問題を解決しよう、などと思い至ったんだっけ。

「先輩、これからもずぅっと沙紗の事、助けて下さいね!」

「……さてな」

 思いつつも、嬉しそうに背中へしがみついてくる銀髪の少女の前では、何も言えなくなってしまうのだった。

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