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女子三年会わざれば  作者: 渦滝まとん
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プロローグ

「まー君おかえりー! お姉ちゃん、待ってたんだよー!」

 三年ぶりに我が家へ帰ると、エプロンを付けた女性が迎えてくれた。

 肩甲骨辺りまでのウェーブがかかった大人っぽい髪型に、まんまるな瞳と三日月にゆるんだ口元が優しげな雰囲気をかもし出す、優しくて美人な姉、そんな男子の妄想が具現化したかのような人だった。

「いえ、あの、うちに姉はいませんが」

 問題は、僕は兄と二人兄弟なので、父がおいたをしていない限り姉など居ないのである。

「ここにいるよ?」

「そう、ですか。……じゃあ、うちの兄を知りませんか?」

「ここにいるよ?」

 なんだか哲学めいた会話だった。

 いや、……待て、もしや。

「ついてる……?」

「??」

 何言ってるの? といった表情で、兄と名乗る女性は可愛く首をかしげた。

「確認、そうだ。まずは確認しよう! スカートを剥いで、中の――」

「ちょ、ちょっと!? だめだよっ! こんなところで……」

 恥らったような声が、とても女性的で可愛らしかった。

「痛い痛い痛いっ!?」

 が、同時に繰り出された、頭蓋へのアイアンクローはシャレになっていないっ!

「もぅ、帰ったら先に言う事があるでしょ?」

 少し力が弱まった。

「誰?」

「痛い痛い痛いっ!」

 威力が増した。

「そうじゃなくて、ほら挨拶挨拶」

「っ! た、ただいま!?」

「そう! まー君お帰りー!! 空港ついたら電話してよー、もぅー!!」

「おっ!?」

無事に頭蓋への攻撃が止み、同時に豊満な胸へと頭をかき抱かれた、のはいいが先程のダメージのせいか、気持ちよくない、どころか痛――おい待て、豊満な胸?

「あ、あの怒らないで聞いて欲しいんだけど」

 後遺症により、及び腰である。

「なんで胸が、あるの? 詰め物?」

「お姉ちゃんだからだってば」

 “豊満な何か”に顔を埋めながら、僕は一つの覚悟をした。

 どうせ逃げれやしないんだ。精一杯の勇気を込めて、聞いてやろうじゃないか。

「……お名前は?」

匠堂直途しょうどう なおと

「兄さぁぁぁぁぁぁぁぁん!?」

 三年ぶりになる、兄との再開だった。


 ……一度、兄の事を整理してみよう。

 匠堂直途。匠堂家の長男であり、簡単に特徴を言えば天才。

 小学校の頃からもうそのずば抜けた頭の良さを発揮しており、未だかつてテストで満点以外を取ったことがないという化け物っぷり。またそれだけでなく、運動も出来て、かつ顔も良いので昔、――少なくとも三年前は、異常な程にモテていた。

 しかしそんな人気に反して、天才とは得てしてそういう物なのか、寡黙で冷静、冷血な所があり、周りとの付き合いは良好と言いがたい状態だった。

 それは勿論身内に対してもで、昔は必要最低限の会話しかしなかった。

 今、両肘をテーブルにつき、両掌の上にあごを乗せた可愛いポーズで微笑んでいるその人が、よもや、同人物だとは誰も思わないだろう。

 僕も思いたくない。この人に何があったんだ。

 男子三日会わざれば活目して見よ、とは言うが、三年見なかったら女になってた、なんて在りえるのか?

 昔から不可能なんてないんじゃないか、という程の完璧人間だったが、こんな方向にまで完璧になってしまうとは、誰が予想できたか。

「で、兄さん」

「お姉ちゃんって呼ばないとアイアン。四番の」

 声は可愛いのに、言ってる事が怖すぎる。つーか四番のってなんだ。ゴルフクラブか?

「ね、姉さん」

「うーん……。まぁそれでもいっか。で?」

 今一瞬、足元から何か出そうとしてた様に見えたが、……気のせいだろう。

「なんでそんな格好してるの?」

「なんでって……、なんで?」

 ……そうか、兄さんの中での自分は女性だから、あの格好は当たり前で、愚問なんだ。

どうしよう、あやふやで済ませていい問題じゃないが、帰ったばっかりで疲れているし、僕一人ではどうにかなりそうな話でもない。とりあえず後回しにしよう……。あー、でも。

「三年前とあんまりに変わりすぎてるからさ、怖い事件とか多いし、本人確認だけさせてもらって、――違う! めくらない! 五感で確認しようとは思ってなぁい!」

 恥ずかしげに胸のボタン外しながら、……もう片方の手で、明らかにゴルフクラブの様な物を取り出そうとしてたぞ、この兄、いや姉。

「もう、いいです」

 怖いのでひとまず本人確認は諦めて、姉さんが持ってきてくれたお茶を一口。

「……そういえば、父さん一回戻ってきたよね? 何か言ってた?」

「あたしを抱きしめて、『か、母さん!?』とか叫ぶから、びっくりしてアイアン」

 確かに、言われてみれば母さんに似てる。

「アイアンって、四番?」

「うぅん、クロー。そのまま一本背負い」

「そう……」

 父さん、心を病んでたりしないだろうな……。

 本気で心配だった。

「そうだ! まー君ご飯まだなんでしょう? お姉ちゃん作ってあげる!」

「あ、あぁ。ありがとう、姉さん。それじゃ、できるまで荷解きしてくるよ」

「はぁーい」

 うきうきと、スキップしながらエプロンを巻きなおすと、姉さんはキッチンへ向かい、料理を始めた。

 ……どうでもいいが、その後姿が妙に似合っていて、切ない気持ちになった。

 さておきその姿を背にリビングを出て、階段を登り、三年ぶりの自分の部屋へと入った。

「掃除しといてくれたのかな?」

 久方ぶりの自室には埃もつもっておらず、綺麗なままだった。

「何かたった三年なのに――かし――き――っ!」

 ってうるせぇ! なんだこの音!

 とんでもない轟音で、独り言が遮られるという初体験だった。

「外か?」

 窓から玄関を見ると、バイクらしきものが止まっていたが、庭の木が邪魔でいまいちちゃんとみえなかった。

 なんだろう、うちに用事なのか? ……見に行ってみるか、うるさいし。

 階段を下りて、騒音の中普通に料理している姉さんを横目に玄関を開ける。と、

「こ、これは……!」

 バイクが止めてあった。だが、普通のバイクじゃない、ボディが紅白で彩られ、所々に常用外漢字で何か主張が書かれており、挙句後部座席に『大日本帝国』とか書かれた国旗が掲げられている。

 そしてそんなクールすぎる物体に、いつの時代の格好なのか、足首まであるスカートをはいた女の子が跨っていた。

 確か、こういう服装をスケバン、とか言ったっけ。

 制服の上はセーラーではなくブレザーなので、近代風スケバン、といったところか。

 しかしこの子、うちに用事なんだろうか。

 女の子がこっちに気づいてエンジンを切り、やっと騒音が止んだ。

「お、おぅ。久しぶりだな、正道!」

 やたら男前な口調で名前を呼んでくれたが、誰なのかが全くわからない。

 当たり前だ。フルフェイスのメットを被っているのだから。

「すいません、どちら、様?」

「……そ、そうか。三年も合わなかったら、忘れてるよな……」

「いえ、まずメットを取ってもらっていいですか?」

「あっ! っと……? ……? んっ!?」

 問題に気づいた女の子は、大きく肩を震わせると、勢い良くヘルメットを脱ごう……、として、けれど脱げずに、何やらもがき始めた。

「左右を強く開いて……。や、やりますね」

 じれったくなってきたので、強引にヘルメットを外した。

 すると、腰ほどまでもある、絹糸の様に柔らかな黒髪が、まるで烏が羽を広げたかのようにあふれ出した。そしてその前羽から覗く、細い吊り眉を有した切れ長な目、ともすれば敵意すら感じてしまう、綺麗で不器用な瞳。それを知っている。忘れやしない。

 しかし、彼女は良いところのお嬢様で、才色兼備だとか、深窓の令嬢だとか、そういう言葉で称される様な女の子だったはず。

 ……つまり、兄との会合と同様、僕は信じたくない現実と向き合わされているわけだ。

 当たってたらやだなぁ、でも当たってんだろなぁ……。

「……間違ってたら申し訳ないんだけれど、もしかして伶ちゃん?」

「……!!」

 ほらぁ!! 大当りとばかりに頷いてるよ! やだぁぁぁ!!

「お、覚えて、くれてたんだな」

 玲ちゃんが、こちらへ乗り出して言う。

「そりゃ、忘れて――、って危ない!」

 不意に、バイクに跨った伶ちゃんの体が揺れた。

 咄嗟に手を伸ばし、伶ちゃんを抱きしめるように引き寄せる、と同時に、バイクが倒れ、耳障りな金属音を響かせた。

「きゃぅっ!?」

「大丈夫……、みたいだね。バイクに乗ったまま、こっちに寄ったら危ないよ?」

 と、声をかけるも、……返事が無い。

「伶ちゃん……?」

 気づけば、伶ちゃんはこちらの肩に顎を乗せ、心なしか息も荒く抱きついたまま固まってしまっていた。

 しかし背、高いな。僕より上か……。そういや昔から伶ちゃんって大きかったもんな、あれからもっと伸びたんだな。ただ、胸だけは――、いや、言わずにおこう。

「伶ちゃん? 伶ちゃんってば。もしかしてどこか、打った?」

「へ!? あ、お、おぅ! だ、大丈夫だ! バイク、起こさないとな!」

 驚いたように言って、僕を押しのける様に離れると、伶ちゃんはバイクを起こし始めた。

「んっ! うぅっ? うぅぅ!」

 しかし全く動いていない。

 本当に免許を持ってるんだろうか。バイク起こす講習も受けるはずだけどな……。

 いや、待てよ? 二輪の免許取れるのって十八歳からじゃなかったか? 気のせいかな。

「手伝うよ」

 言いながら隣に行き、息を合わせて立ち上げると、やはり、車体の側面とハンドルに傷が走り、ミラーは根元から折れてしまっていた。

「あ、ありがとな。三年も合ってないうちに、けっこうその……、か、変わったな!」

「いやいやいや、変わったのは伶ちゃんだって。どうしたのその格好、それにバイクも」

「似合わない……、か?」

「似合いすぎるぐらい似合ってるけど……。昔とイメージが違いすぎて、驚いた」

 伶ちゃんは、自分の体を見回した後、首をかしげた。

「そうか?」

「ぜんぜん違うって……。まぁいいか。ともかく、久しぶり。というか、たった三年で伶ちゃんの事、忘れるはずないって」

 いくら何でも、たかだか三年で、何年も一緒だった人の事を忘れる訳ない。

 性別が変わっていたなら、まだしも、な……。

「よ、良かった。あ、……ぁたしも……」

「え? ごめん、あたしも、の後なん――」

「な、なんでもねぇよっ!!」

なぜ怒鳴られた……?

「う、うん? あ、家の前ってのもなんだし、用事が無いんだったら上がっていく?」

「ナ、ナイ! アガル!」

 どうしてカタコト?

「じゃあ、どうぞ。バイクはどうする? 修理……」

「悪い、バイク頼む」

「うっす!」

 どこから現れたのか、遠まわしに言ってヤンチャっぽい女の人が、バイクを押し運んでいった。

「……今の、誰?」

「うん? ダチだよ」

 ダチて。突っ込んでるときりがなさそうだ。

「……行こうか。僕の部屋はまだ片付いて無いから、リビングだけど、いいよね」

「へ、部屋!? 当たり前だバカ!」

「え? あ、ごめん?」

 どうして怒られた……?

 よく分からないが、顔を真っ赤にしている玲ちゃんを引きつれ、玄関を開く。

「正ちゃん、おかえりー!!」

 すると、膝立ちの女性が迎えてくれて、――咄嗟に視線を下へ逸らした。

 ……おい、待て。また知らない子だぞ。

 姉さんじゃない。声と呼び方が違う。そういえば、今更だけれど姉さんはあの声をどうやって出してるんだろう。声帯模写とかだろうか? あの人なら、出来てもおかしくはない。そういえば似たような声の奴が居たよう、な……。あ、そういえば。

 そこでふと、今の呼び方に思い当たる人物が居るのを思い出した。

「梓か!」

「正解。乃闇さん家の梓だよ。久しぶりだね、正ちゃん」

 顔を上げると、少しサイズの大きなパーカーの袖を振りながら言う、女の子が居た。

 肩までのびた少々跳ねている癖っ毛の髪、半分優しさで出来てそうなタレ目がちの瞳、三年前と変わらない、梓だ。

 一目で誰だか分かる幸せを、さりげなく噛み締めた。

「そうだよー。変な正ちゃん。あのね、帰ってきたって聞いたから、来ちゃった」

 土間の段差が大きいため、短いキュロットスカートの梓が立ち上がると、揺れるすそから覗く白い足が目に入って仕方が無い。でも露骨に目を逸らすのは、失礼だしな。うん。

「って、来ちゃったってどこからだよ?」

 玄関には僕らがいたから……、裏口かな?

「窓からだよ?」

「窓!?」

「お隣さんだもん」

「え……?」

 まて。出迎えてくれたこの乃闇 梓は幼馴染で、確かに家は近かった。

 けれど、窓から侵入なんて、ましてや隣の家に住んでなんか無かった。――そういえば隣の家は、僕が向こうへ行く少し前に引越しを……。

「半年ぐらい前に、引っ越してきたんだよ?」

 梓は何も変わってない、って安心したらこの仕打ちだよ!

「そう、か。梓は、……家の事以外は何も変わってないみたいで、よかったよ」

「あはは、確かにおに……、お姉さんと、伶ちゃん、変わったもんね……」

「そうだよな!? 二人とも、すっごい変わっちゃってるよな!? これいつから!?」

 たったそれだけの台詞に、漸く仲間を見つけられたと、思わず上がるテンション。

「んな変わったか?」

 少なくとも、そんな似非ヤンキーみたいな喋り方はしていなかったよ伶ちゃん……。

 などと突っ込もうか考えていた矢先、姉さんがリビングからひょっこり顔を出した。

「あれ、まだ玄関でお話してるの? ご飯できたから、食べながらにしたら?」

「ですよ! ご飯食べながらゆっくりお話しましょう!」

 続いてもう一人出てきた。――いや二人目は誰だよ。

「ちょっと待って、姉さん。後ろの子は誰?」

「へ? あら、本当ね。どちら様?」

 姉さんも気づいてなかったのか……。というかなんでそんな冷静?

 あの子の正体、パターン的に考えて、昔の知り合いなんだろう……。

 何かもう、嫌なサプライズの連続で、諦めの心が溢れてる。

「そこの不法侵入者。知り合いなんだろ。名前を言うんだ」

「え? 沙紗ですよ、彗沙紗! 大事な後輩を忘れてしまいましたか!?」

「自ら『大事な』なんて、修飾する後輩を僕は知らないけれど。覚えてるよ、沙紗……」

「なんで最後、残念そうに言うんですか!」

 う、うぅ……、誰だよこの子。沙紗は、僕の大事な後輩は、こんなテンションの高い不法侵入者じゃなかった! もっとこう、読書の似合う大人しい子だったのに!

 ……そもそも、本当は一目で誰だか分かっていたんだ。

 腰まである、体を包み込む程のボリュームの輝くような銀髪に、切りそろえられた前髪から覗く淡い蒼の瞳なんて、そんな現実離れした外見の少女は、僕の周りで沙紗以外にありえない。けど、信じたくなかった……。

「なんで居る、どこから上がった」

「最初からです。ずっと居ましたよ?」

「最初からっていつだ」

「最初は最初です。先輩が、帰って来た時からです」

「いや、明らかに居なかっただろ。会話にも参加してなかったし……」

「いやいや、先輩。会話に参加しないから居ない、なんて言ったら全国の無口さんはどうなってしまうんですか。そんな差別的発言、許されませんよ? 死にたいんですか? 社会的に」

 沢山の語弊が見受けられたが、これだけ続くとお腹一杯だ。

「おっけー。そこは訂正して、謝罪も入れておこう。でも姿すら見てないぞ?」

「だって隠れていましたし。いつサプライズで姿現そうかと企んでいたら、出るタイミングを見失ってしまったので、今になりました」

 どこに居たのか知らないが、黒いワンピースのフリルが埃だらけで、ソレに気づいた姉さんが、はらってやっていた。

「サプライズは嬉しいが、姉さんも知らないとなると、完全に不法侵入じゃねぇかよ」

「サプライズ嬉しいですか!? 先輩に喜んでもらえて、沙紗は満足です!」

「前半だけ切り取って喜ぶのはやめろ!」

 どれだけ都合の良い脳みそしてんだ。

「ねぇ。ご飯、冷めちゃうわよ?」 

 半分ぐらい忘れていた。


「早く早く!」

 食後、ソファに座っている沙紗がここに座れ、とばかりに自分の隣をぱふぱふ叩きながら言った。続いて梓も真似した。控え目だが、伶ちゃんまで同じ事をしていた。

 そして洗い物を終えた姉さんもソファへ座ると、こちらを見て、自分の膝上を叩いた。そっと視線を外した。

 無難に、と思っていた誰も居ない位置は姉さんが座ってしまい、膝上を主張している。 

 黙って後ろの椅子に座るべきか、梓と伶ちゃんの間に座るべきか。

 沙紗の隣は寄り添って座る形になってしまうので、選択肢に無い。

「は――わっ――?」

 姉さんが、急かすように何かを言ったが、全く聞こえなかった。

 原因は、アマゾンに降るスコールのような騒音だった。庭を見るが、もちろん雨なんて降っていない、……と、不意に庭へ、空から縄梯子が降りてきた。

「……?」

 そしてその梯子を伝い、縦ロール四本を搭載したありえない量の金髪に、赤いワンピース型のドレスという格好の、余りにもお嬢様然とした子が、降りて来た。

 その女の子?(兄の事があったせいで性別不振に陥っている)は危なげなく庭へ着地すると、空に向かい手を振って合図を送った。同時に轟音が遠ざかる。どうやら騒音の原因は、ヘリコプターだったらしい。

「――!」

 彼女は視線を戻すと、こっちを見て何事か叫んだ。が未だヘリの音がするのと、窓越しなので何を言っているか分からない。

 とりあえず、首を傾げてみせた。

 すると彼女は窓に近づいて、手に持っていたカバンを、――振りかぶった。

「ってうおぃ!?」

 自分でも驚く程のスピードで窓へ近づき、開く、と同時にカバンがヒットした。僕の腹に。

「こふっ……」

 痛い、痛すぎる。いや、もう痛いを通りこして、何だか気持ち悪い。ただ気持ち悪い。

「ご、ごめんなさい! 大丈夫!? 我が君!」

 今日何度目かしらないけど、待て、この子は今なんて言った? 我が君? 思い当たる人物が一人居る。

 自分の事を前世では名のある国の女王だったとか、自分は由緒ある家の生まれだとか、そういう類の妄言ばかり主張するせいで、クラスから浮いてしまっていた女の子。

 ちょっとした事がきっかけで懐かれてしまい、結果、僕の事を前世で愛し合っていた王子だとか騎士だとか、……そう、我が君だとか呼んでいた。

「お、おい、痛い系の人……」

「お腹が痛むの? まさか窓を開けるだ何て思わなくて……」

「いや、違う。痛いのは痛いが、痛いのはお前だ」

 そもそも、窓を割ろうとした事についてコメントしろ。

「??」

「いやもう、まどろっこしいのはやめて聞くが、祈願か、お前」

「えぇ、そう。わたくし、現世では祈願 迩奈華という名前を、使っていますわ」

「いますわじゃねぇよ。ていうか今の何だ。ヘリで来たな? 縄梯子で下りてきたな? その格好と、髪型は何の冗談だ」

「何って、……我が君が帰って来たと聞いたのでヘリを出させて、急いできたのだけれど……。おかしかったかしら?」

「へ? 祈願って本当にお嬢様だったの、か」

「だから、昔からそう言ってましたのに」

「いつもの妄言だと思ってた……。つーかあの頃はそんな服装も髪型も、ましてやヘリに乗ってやってくる何て無かっただろうが」

「学園に上がるまで家の力は借りてはいけない。というのが家の仕来りでしたから」

 でしたからって。……なんだ、三年前と変わってない奴は、居ないのか。

「まー君大丈夫? 立ち話もなんだから座ったら? 後、祈願さん? 靴脱いでね?」

 当然の指摘だった。

 結局、ソファには座りきれないので、全員でテーブルを囲う。

「え、でこの状況。皆は僕に会いにきてくれたんだよ、な?」

 全員が頷いた。

「来てくれたのはすごくありがたいんだよ? ありがたいんだけど、帰ってきたばっかりで少し疲れてるからさ、今日はゆっくりさせてほしいんだ。なので、悪いんだけど……、今日のところは帰ってもらっていいかな?」

 祈願とか完全に今来たばっかりだから申し訳ないんだが、勘弁してもらいたい。

 僕の言葉に、姉さんを除く全員がこっちを見て、そして互いを見合う。

「そう、だな。正道も疲れてっだろうし……。今日は、帰るか。騒がせて悪かったな」

 やがて、最初に声をあげてくれたのは伶ちゃんだった。

「いや、久しぶりに会えて嬉しかったよ。来てくれてありがとう、伶ちゃん」

「お、おぅ。なら、なんだ、……よかった」

そう言ってはにかんだ様子は、三年前と変わっておらず、何だかやっと懐かしい気持ちになれた。

「先輩がそう言うなら、仕方ないですね」

 そして次に沙紗が理解を示し――

「言いながら帰ろうとしてるが、そっちは出口じゃない!」

「ちっ」

 おい、舌打ちしたぞこの後輩。

「仕方ありませんわね……。大丈夫、ラフィネスブルグの丘でずっと待っていたあの頃に比べれば、これぐらい待てますわ」

 らふぃねすぶるぐ、なんて初耳だが、帰ってくれるならなんでもいいや。

「うん、ヘリなんかで来てくれたのに悪いが、そうしてくれ。……後、もうヘリは無しな。ご近所に迷惑だし」

「分かりましたわ。……もしもし? 迎えに来て。もう帰るから」

 皆、理解があって良かったと、当たり前の事に感謝する気持ちを、僕は段々と知っていくのだった。

「じゃ、私は荷解きとか手伝うよ」

「あぁ、悪い。じゃあ頼むよ」

 頷くと、帰ろうと玄関へ向かっていた人達が突然、振り返った。

「え、どうして、乃闇さんだけセーフですの……?」

「いや、なんというか、梓には失礼かもしれないけど、全然変わってないし。安心感? あるから、居られても問題ない感じが……」

 絶望的な表情を三人がしたが、ここで情を見せると収拾が付かなくなる為、黙って見送った。

 申し訳ないが、平穏の為には仕方が無い。


 それから、梓と姉さんと三人で、二階の僕の部屋に届いている、荷物の整理を始めた。

「夏服はここでいいの?」

「うん、三段目にお願い」

「先輩、下着は一番下でいいんでしょうか?」

「いや、そんなに無いから上の……、っておい!? なんでいる!?」

「なんでって、……ドラマの予約がし終わったので」

「そういう過程を聞いてるんじゃない!! 僕は、日を改めて来い、って言ったよな?」

「言ってませんよ?」

「言ったわ! 今のは確認だよ! ご注文は以上でよろしかったでしょうか? 的な!」

「いえ、何も頼んでませんけど……?」

「だから、都合の良い言葉だけ抜きとって会話しようとするのをやめろ! 僕が寄り道した言葉を吐くのが悪いのか!?」

「先輩、そう自分を責めないで……。大丈夫です。先輩は名前の通り、まっすぐな人だって皆は知ってますから」

 なんかもう、勝てる気がしなかった。

「もういい分かった。下着は恥ずかしいから自分でやる。その隣のダンボールを整理してくれ……」

「はーい」

 そんな様子を、姉さんと梓は苦笑しながら見ていたが、何も言わず作業を再開して……、その矢先、インターホンが鳴った。

 皆して窓から外を見ると、宅急便の車が止まっていた。

「あら、もう荷物届いたの? まー君、今あるの以外は明日って言ってたわよね?」

「そのはずなんだけどな? ちょっと見てくるよ」

 本などの娯楽品は明日に届く予定だったはずなんだけど、早く来たんだろうか? 姉さんは何も心当たりがない様子だし。

 部屋を出て階段を降り玄関を開けると、緑の服を着たお姉さんが居た。

 猫マークの帽子と、それに全く収まっていない縦ロールが余りにも特徴的だった。 

 ……特徴的だった。

「お前、隠す気ないだろ」

「何の事かしら? お届け物ですわよ?」

「……いや、いい。そういう事ならそれで行こう。ほら、サインだ。帰れ」

「いえ、せっかくですし家の中まで運びますわ。ついでに時間が余っていますので、荷解きも手伝ってあげますわよ?」

「荷物の中身を見たかのような発言してんじゃないよ。帰れ」

 言いながら、荷物を受け取って引き返した。

 このお嬢様は一体何を企んでいるのか。つーかそもそも、どうやって僕の荷物を運ぶに至ったんだ? 買収したんだろうか。まさかな。

「ちょ、ちょっと、お待ちになって我が君!」

 我が君とか言うてんぞ。天然なのか、隠す気ないのか。どちらにしろ悲しくなるな。

 やたら焦った様に言うので仕方なく振り返ると、祈願は引き止めた物のどうしていいやら、と胸前で組んだ手をもにょもにょ動かしていた。

「はぁ……。お前が祈願だって素直に認めれば、家に入れなくも――」

「さすが我が君、隠していても、私が誰だかわかるんですわねっ!」

「即答すんな。髪がはみ出してるから分かっただけだ。少しは隠す気を持て」

「あら、そうでしたかしら? それよりも、後三つ程ある重いのも運んで下さる?」

「早く言えや!」

「Yeah?」

「何で僕そんな陽気そうなんだよ!」

「いえ、了解みたいな返事なのかな、っと思いまして……」

「だとしても早くYeah! って文法的におかしいだろうがよ!」

「英語は日本語に訳す時、後ろから読むと理解しやすいんですわよ?」

「了解、早く! って事な! ……もういい、家に上がって茶でも飲んでろ」

 帰ってきてから、やたら馬鹿にされているような……。考えすぎだろうか。

 肩を落としながら、祈願を強引に家に入れ、残った荷物を運び出す。

 本などを詰め込んでいたので、さすがに重い。かといって、誰かに手伝ってもらうのも男として恥ずかしいので、なんとか三つの荷物を抱え家に戻り、気合で階段も上がる。

 問題は、自室の丸いドアノブだ。これは両手がふさがっていると、開けれない。

「ごめん、ドアあけてもらえるかな」

「へ!? ちょ、ちょっと待ってね!? 皆、急いで!!」

 なんで、自室のドア開けて貰おうとしただけで驚かれるんだ? しかもやたら慌てたような物音までするし……。

 荷物を降ろし、ドアをゆっくり開けると、――下着が散らかっていた。僕のだ。

 それを梓と姉さんは何故か胸に抱きかかえ、祈願はしげしげと眺めて、そして沙紗はそれを履こうと……

「何してんだ!? 何で僕のボクサーパンツがそんな散らかってんだよ!?」

 声に肩を震わせた姉さんはこちらを見ると、下着をゆっくりと両手でかざし、何故かさらにじっくりと眺めた後、僕の方を見た。

「暫く見ないうちに、こんなの履く様になったのね。……履いてる姿を想像すると、なんだか、セクシー」

「下着を勝手にまき散らかした上に、本人へ向けて言うのそれ!?」

「ご、ごめんね。気づいた時には祈願さんが開けちゃってて、直そうとしたんだけど、その……、すごく刺激が強かったから、思わず……」

 梓は思わずで、自分の幼馴染である男子の下着を、胸に抱えてしまうのだろうか。

 しかも言葉とは裏腹に、梓が一番多く持っている様にも見える。

 いや、片付けようとしてくれたんだ。そうに違いない。そうであってくれ。

「で、祈願と沙紗は止まれ!! 何故、未だに誤魔化そうとすらしない!! 普通辞めるなり、何かしらリアクションするだろ!?」

「あれ……? 先輩、いつの間に」

「あら、我が君。いつからいらしたの? ドアを開ける時は、ノックするのが常識。親しき仲にも礼儀ありですわよ?」

「いいから、もう片方にも足を通そうとするのはやめろ!! そしてここは僕の部屋だ!! そもそも人の下着を勝手にしげしげ眺めてる奴に、礼儀や常識を語られたくない!!」

「余りにも、刺激的な下着だったもので」

「えぇ、思わず」

「何で全員、そんなただのボクサーパンツを、やたらセクシーだとか刺激的だとか言うんだ? 全然そんな事ないから。普通だからっ! 僕が妙にやらしい下着を履いてる、みたいなイメージつけるのは止めてくれ!!」

 全員が黙って下着に目を向けて、そして再び僕を見て頬を染めた。

「わかったよ!! 見ればいいだろ!? 履いてるところを見れば、普通のってわかるさ!!」


 何が何やら、自分でももう恥ずかしさで分からなくなり、勢いに任せてズボンを脱ごうとした、所までは覚えている。が、その後どうなったのか、記憶に無い。

 目を覚ますと、僕はソファで寝ていて、姉さんが晩御飯の支度をしているところだった。

 あれからどうなったのか聞くと、姉さんは頬を赤く染め「今夜は赤飯ね」などと言ったので、僕はもう、この事を二度と口にしないと、心に誓った。

 予断だが、後で確認したところ、何故か下着が数枚無くなっていた。

 どこに消えたのかは分からないし、知りたくも無い。

 ……帰国初日はこうして慌しく、僕の心に軽いトラウマを植えつけて、過ぎさった。




 夢を見ていた、明晰夢とかいう物だ。

 それは中学時代の嫌な記憶だった。

 自分を第三者の視点で見ている。電車の中、中学生の僕は俯いてしまっている同い歳ぐらいの女の子を相手に、偉そうに説教をしていた。

 自己弁護になるが当時の僕は、説教をする自分に酔っていた訳では無い。ただ……、その行為は純粋に正しいのだと思っていた。

 或いは、それこそ恥じるべき事なのかもしれない。

 駅について、ドアが開いたところで、……目が覚めた。

「朝から落ち込むなぁ……」

 思いつつ目を開き、一瞬ここがどこかわからなくなって、すぐに気づく。向こうに行った時の初日も、こんな風だったような覚えがある。まぁ、この朝の臭いにもすぐに慣れるだろう。

「おっはよう、まー君! 起こしに来ちゃったっ」

「……おはよう」

 姉さんだった。しかもなぜか僕のへそ下辺りにまたがっている。

「……ぐっ」

 少し顔を上げた時、短いスカートから伸びる綺麗な太ももに目を惹かれてしまい、激しい後悔と悲しみ、何かに負けたような酷い敗北感を味わった。

 それともう一つ。予想はしていたが、姉さんはやっぱり女子の制服を着ている。

 どこで手に入れたのだろう……。

「……姉さん、どいてくれないと起きれない」

「はーい。じゃあ早く着替えて降りてきてね。もうご飯できちゃうから」

 脅威は過ぎ去った。なぜ脅威足りえたかは、考えずに置こう。

 すばやく着替えを済ませ、顔を洗いリビングへ向かう。

「おはようー」

「あら、おはようございます。モナムー」

「……おはよう。後、モナムー言うな」

 ドアを開けると、さも当然の様に、梓と祈願がソファに座っていた。

 周囲を見渡し、最後にテーブルの下をみると、案の定、沙紗まで居た。

「あ、おはようございますっ! 先輩」

「わっ、沙紗ちゃん居たの? 言ってくれたら、ご飯用意したのに」

「あ、いえお気遣い無く」

 テーブルから這い出した沙紗は、ソファへ座る。

 どうやら、自分だけ朝食が無いと、気を使われるという事は理解しているらしい。もっと他のところに気を回すべきではないだろうか。

 姉さんも当たり前みたいに、現状を受け止めないでほしい。

「梓は兎も角、何で二人まで居る……」

「まー君を迎えに来てくれたんだって」

「……それは、嬉しいね」

 変な理由つけて待たれてたり、いつの間にか、後ろに居られたりするよりはましか。

 早くも、妥協点を見出している自分に、また少し悲しくなった。

 

 何か問題が起こる前にちゃっちゃと準備を済ませ、家の前で待っていた祈願家の高級車による送迎タクシーを無理やり帰らせ、やたら目立つ四人の女子に囲まれたまま、学園に到着した。

 言葉にするととても簡単だが、既に僕の疲労の色は濃い。

 さておき、……何やら校門に入る人の流れがおかしい。何故か皆、門の左隅を通って入っていく。片側は何か工事でもしているんだろうか?

 すぐに、理由が判明した。

 スケバンと呼ばれる生き物が一匹、門の右方にもたれかかっているせいだ。

 恐らく誰かを待っているだけなのだろうが、その心配したような表情が、一見すると睨みつけているようにしか見えない。そのせいで皆、前を通れないのだ。

 髪やスカートをしきりに気にしている様子は、可愛らしいんだが、マイナスが強すぎる。

「伶ちゃん? おはよう」

「へ!? お、おぅ。偶然だな!」

 あえて、突っ込まないで置こう。

 他の四人も空気を読んだのか、生暖かい目で伶ちゃんを見つめていた。

「う、うん。どうしたの?」

「いや、その、って。何で、……皆、……いっしょ?」

「朝起きたら、いつの間にかいたんだよ」

「朝……、ご飯……、いっしょ……?」

「いや、ご飯は一人で食べたけど」

「あ、そ、そう、……か。家に、行けば、良かったのか……。そうか、……あたし一人、ここで、なんで、……あたし、なんで……、いっつもこう、なんだろう……」

 徐々に声は小さくなり、やがてそのまましゃがみ込んでしまった。僕が悪いのか……?

「おいおい、あいつ焼堂さんを泣かせてるぞ……」

「知らない奴だな? 転校生か?」

「下克上? こえー」

 しゃがみ込み頭を抱え、ぶつぶつ何かを呟く物体と化してしまった伶ちゃんと、その前に立ちつくす僕を見て、通る人々が口々に不穏な台詞を零していく。

 非常にまずい。

「……そうだ! 目覚ましが壊れてさ、よかったら伶ちゃん、明日迎えに、――うおぉ!?」

 いきなり、飛び出しそうな勢いで、伶ちゃんが立ち上がった。

「しかたねぇな。三年も向こうに言ってる間に、少しだらしなくなったか? やれやれ」

 ……うん。何はともあれ、提案は言い切るまでも無く、理解してもらえたようだ。

「え、別にお姉ちゃんが、起こして――」

「姉さんはもういいから。じゃあ伶ちゃん、お願いね」

「モナムーったら、仕方ありませんわね」 

「お前はまず家に来るな」


 そうして畏怖とか、興味とか、疑惑とか、色んな感情の篭ってそうな視線を受けながら、下駄箱で皆と別れ、職員室へと向かう。

 昨日、家に帰る最中に立ち寄って、教科書の受け取りついでに挨拶も済ませたので、後は担任の元へ向かい、教室まで案内してもらうだけだ。

「よう、きたな裏番」

 新たに通う学園での担任、主に歴史担当の和泉 平伊佐である。

 いや、それより何か今、不審な呼び方をされたような。

「先生? 裏番って、どう言う事ですか」

「校門での騒ぎがこっからよく見えててな。いやー古き良き文化……、かどうかは微妙だが、スケバンの焼堂を目線だけで倒したのを見て職員室中の意見が一致し、お前が裏番であると確定された。これから、お前のあだ名は裏番だ」

 確定されたって、おい。

「間違ってます。ただ、昔からの知り合いってだけで、校門での出来事は、色々すれ違いが重なった結果なんです」

「そんなことより、時間だ。行こう裏番」

 この教師……!

 騒がしい廊下を、とぼとぼと、この世の理不尽について考えながらついて歩く。

 そうしている間に、教室の前まで着いていた。

「それじゃ、呼んだら入ってくるようにな」

「はい」

 担任は教室に入ると、気安げに座るよう生徒達へ促していた。どうやら印象どおり、軽いノリでやっているらしい。

「おい、入って来い裏番」

 あの教師。クラスでもそう呼ぶつもりか。

 そもそも裏番って、隠れてるから裏番なんであって、ばらしちゃ駄目だろ……。

 考えても仕方ない、さっさと教室へ入ろう。

 横開きのドアを開くと、奥の席で、手を振っている梓の姿が見えた。どうやら、同じクラスになれたらしい。

 そして、それ以外の人達からは、怪訝な目で見られていた。

 既に校門での事が話題になっているんだろう。もしくは、担任の呼び方が問題か。

 兎も角、僕が求めていた平凡な学園生活という夢が、消え去った事は理解できた。

「よしよし、じゃあまず自己紹介をしてもらおうか」

「始めまして匠堂正道といいます。三年程、外国で生活していて、つい一昨日帰ったばかりです。なので若干流行に疎かったりしますから、また色々と教えてください。よろしくお願いします」

「おい、ショウドウだって、もしかして焼堂先輩の……」

「あ、いや。よく間違われるけれど、読みが一緒なだけで、特に関係はありません」

 敬語での挨拶が上手くいったのか、少し皆の視線から緊張が取れたような……。

「はいっ! 好きな前世のタイプは?」

「質問が限定的すぎる! つーか、同じクラスかよ……」

 嫌なタイミングで、まさかの人物からの質問だった。皆の視線に緊張が戻った。

「金と権力ですわ」

 ドヤ顔に決めポーズだった。ていうか金って、大丈夫かこの学園。

「座れ、祈願」

「はい」

 担任には、ちゃんと従ってるんだな。いや、それが当たり前なんだけどさ。

「ま、正道の好きな女性のタイプは、どういう人ですか?」

「おぉ、積極的だな! 先生そういうの好きだぞ! でも誰だ今、質問したの」

 僕を名前で呼び捨てにする女子は、この世でただ一人、伶ちゃんだけである。

 視線を教室の奥にやると、窓際、隅の席に物凄い興味津々といった表情で、こちらを見ている伶ちゃんがいた。――目が合うと、顔を伏せてしまった。

 僕の好みなんて、知ってどうするつもりなのやら。いや、待て。何で居るんだ? 伶ちゃん、僕より一つ年上だぞ。すごい問題な気がする。

「僕の事を好いてくれていて、一緒にいて楽しいと思える人なら、特にこれといったタイプというのは無いですけれど、……しいていうなら平凡な人が、いいです」

「え!? そ、それではやっぱり、髪が銀色とかは駄目なんでしょうか、先輩!!」

「いえ、見た目とかじゃなくて性格が大事、……おい。今の声どこから聞こえた?」

 どうやら僕以外には聞こえていなかったらしく、いきなり、見た目だけではなく性格も大事だよ、何て、善人アピール始めた僕に、皆が『こいつ、ヤバイ』みたいな視線を送り始めた。

「ちょ、ちょっと靴紐が」

 言った後に気づいたが、上履きに靴紐なんてない。

 しゃがみ込み教壇の下を覗くと、案の定、銀髪が綺麗な後輩様が居た。

「あ、どうも」

「どうもじゃねぇよ!! なんでここにいるんだよ!?」

「こっそり忍び込んでたら、出るタイミングを逃してしまいまして。HRが終わるまで隠れてようと思います」

「徹頭徹尾、突っ込みどころ満載だからいくつかは流そう。何で質問したっ」

「つい。てへっ」

 可愛い子ぶりやがって、……可愛いけれど。

「どうかしたか裏番?」

「いえ、もう大丈夫です」

 最後に軽く、沙紗に注意の意味で視線を送って立ち上がった。

「さて、もう時間だ。挨拶はこの辺にして、まだ質問がある奴は休憩時間にでも聞いてくれ。チャイムがなったら朝礼だ、全員グラウンドにでて適当に並ぶように。んでは、HR終了。あ、そうそう、裏番の席は奥の方の空いてるところ、適当に動かしてくれたら良い。乃闇とは知り合いなんだったな? その隣とかでも構わん」

 雑だなぁ……。まぁ、この歳になると、席でもめたりしないしな。

「さぁモナムー! 私の隣の席へ、早くおいでになって!」

「お、おいこの学園の事なら、あたしのほうが詳しいって!」

「え、でも先生は、私の隣って言ってたよね?」

 この歳になると、席でもめるなんて……。

「先輩、私の隣――」

「黙れ、お前は今のうちにクラスへ戻れ」

 教壇の下から聞こえた声だけは、シャットアウトした。


 校長の長話を聞き終え、教室に戻ってくると、一足早く戻っていた梓達が、教室の隅に集まっていた。

「モナムーの前は、嫌ですわ」

 どうやら、席の話をまだしているらしい。

 みると、僕のカバンが、置いていた場所から移動されていた。

 僕の席は、決まっているって事か……。

「あたし、う、後ろからさ……、えーと……、見られんの気になるから、ヤなんだよ」

「うーん、私も教科書とか、見せてあげないといけないし、横は嫌かな」

 教科書なんて皆持っているのだから、誰でも問題ないし、そもそも僕は既に教科書がちゃんとあるので、見せてもらう必要も無い。

「仕方ないですね、では先輩方。クジを作ったので、これで決めましょう。因みに、私は先輩の後ろに居られれば、それで満足です」

「良い案が出たと思ったら、沙紗かよ。なんでいるんだ……」

 何故沙紗がいるのかすごく気になるが、あいつの案が一番すぐ決まって、かつ公正な方法だ。

 見てるだけの僕よりは、健全な意見を出してくれたと、感謝しよう。心の中で。

 そして三人は沙紗の提案を了承し、いつの間に用意したのか、沙紗が差し出した三つのクジを、引いた。

「前は嫌よ前は嫌よ前は嫌よ、……右だわぁっ!!」

 祈願が嬉しそうに声を上げ、物珍しげに見ていたクラスメイト達が驚き、目を逸らした。

 気のせいか、近くから舌打ちまで聞こえたような……?

「えと……、あ、左だ。よかったー」

 梓の言葉と時を同じくして、伶ちゃんの目から光りが失われた。


 授業終了後の小休憩。僕はクラスメイトに囲まれていた。転校生というのはやはり質問攻めに合う運命で、けれどむしろ皆と打ち解ける為には歓迎すべき状態だ。

「正ちゃん。向こうの学校ってどこまで勉強進んでたの?」

「真面目にやってる奴はどんどん前に進めるってカリキュラムだったけど、全体で見ればそんなに変わらないんじゃないかな? 僕は暇だったから、けっこう進んでたな」

「や、やっぱり、……なんだ、美人とか、……多かったのか?」

「好みは人それぞれだから難しいけど、そうだな……。美人云々は置いといて、皆かなり大人びて見えたのが、印象的だったな」

「貴族みたいなのは居ましたの?」

「とりあえず祈願みたいに人の家へ、ヘリで来る奴は居なかった。そもそも、そういう人達はエリートな学校へ行っていたから、居たとしても会う機会はなかったよ」

「先輩先輩! さびしく無かったですか!?」

「それは、まぁやっぱり、……てーか」

 そう、質問攻めで交友が深められるのはいいんだ、けれど……。

「なんで知り合いだけなんだっ!!」

「わっ、びっくりしたぁ」

「どうされましたのモナムー?」

「い、いきなり叫ばれると驚くだろうが」

 沙紗までいつの間にかいるし……。

「いや、すまん。皆は僕の事なんて聞かなくても知ってるだろ? だから他の人……」

 言って、周りを見渡すが、目が合ってもすぐに視線をそらされてしまう。

「なぁもしかして皆、裏番とか本気で信じちゃってるのか? 僕って避けられてるよな? 関わっちゃ駄目、みたいな雰囲気でてるよな?」

「先輩、閉鎖空間での噂という物は、とてもとても浸透しやすいんですよ。しかも八月なんて珍しい時期に転校してくる人なら、尚更です!」

「そんな嬉しそうに、悲しい現実教えてくれてんじゃねぇよ後輩」

 もう少しこの話題で気を紛らわせたかったが、伶ちゃんが責任を感じているのか気まずそうに俯いてしまっているので、続けれなかった。

 くそぅ、このやるせなさはどこへ向ければいいんだ……。というか裏番とか、この時代に本気にする奴が居るのかよ……。

 ただのあだ名だと思ってたのに、ガチで裏番扱いだなんて……。

 ――その後も、休憩時間毎に僕の机は囲われた、既知の友人達に。


 半日授業なので三時間で終わり、放課後。

 帰ろうとすると当然の如く、いつもの女子一同が周りに集まってくる。

「いや、部活とか無いのか皆……」

「うん、私は何も入って無いよ」

「私もですわ。入りたい部活などありませんでしたし、そもそもモナムーといつも一緒に居る為にも、入る訳にもいきませんわ。モナムーがどこかに入るのなら別ですけれど」

 僕も別段部活に入る気は無かったけれど、今の話を聞く限り、迷惑がかかる気がするので、完全に入る余地がなくなった。

「あたしも集会とかあるから、入れないんだよな。気になるのはあるんだけどさ」

 集会という言葉はスルーしよう。

 都合の良い言葉だけ聞き取るスキルを、僕も覚え始めていた。

「気になるって何部?」

「え、その……さ、さいほ……」

「さい?」

「サ、サイボーグ」

「機械化!? そんな部活あんの!?」

「ないと思うよ?」

 あってたまるか……。

 そんな変な会話をしていると、教室のドアが開き……、けれど誰も入ってこなかった。

「今、ドア開かなかったか?」

「そうだね?」

「いや、開いたのに誰も入ってこなか――」

「先輩! 私ですよ!」

「うおっ!? 今どこから入ってきた!?」

「ドアを開けて、そっちに視線を向けさせている間に、下窓から忍び込みました!!」

「なんでそんな遠まわしな事すんだよ!!」

「サプライズです! 人生にサプライズは大事ですよ。沢山のサプライズで、人生に起伏が生まれ、幸せな一生を過ごせるのです!!」

「そうか……。ありがとうな」

 子供みたいにけらけら笑う沙紗の、体についた埃を払ってやっていると、もう一度ドアが開いた。

 今度は人が入って来て、当たり前の事に安心した。

 ってあれ? あの人。

「なぁ、梓。あの子って女子だよな?」

 教室へ入って来た背筋の綺麗なその子は、女子の外見ながら、男子の制服を着ていた。

「正ちゃん、よく分かったね。そうだよ」

 中性的な顔つきだけれど、どちらかといえば綺麗な女の子といった感じだし、ボブカット気味の髪型はあまり男子らしくない。何より歩き方が、男のそれとは、違っていた。

 何で近くにトランスフォームしちゃった人が、二人もいるの? 流行ってんのか?

「なぁ、ところであの子、こっち来てない?」

「あたしに用事があんだろ」

 その言葉通り、彼女は伶ちゃんの方へ向かってきた。

 近くで見ると、余計に女子らしくみえる、が確かに男子制服の力で、美少年にも見えた 

 女子の制服を着てれば、普通に綺麗な子だろうに、勿体無い……。

 さておき、少し身近になったけど、僕には関係ないな。良かった。

「あの、焼堂さん」

 周りの目を特に気にした風も無く、堂々と彼女は伶ちゃんに話しかけた。

「なんだ?」

「今日転校して来た、匠堂正道という人は、どちらでしょうか?」

 え、え、えぇ……?

「……僕、だけど?」

「貴方ですか。一緒に来てもらえます?」

 いやいやいや……。関係しない、関わらない、関心を持たない。3K? を僕は守ろうとしていたのに、何故向こうから来る? 類は友を呼ぶのか?

「あの?」

「あぁ、ごめん。行くのはいいんだけれど、なんの用なのか教えてもらっていいかな?」

「二人になってから話すのでは、駄目ですか? ここでは少し……」

 ここでどうこう言ってるより、さっさと済ませた方が良いか。――と、決めた時、ある物が目に付いた。 

 彼女の制服、内襟に刺繍されている文字だ。それによって、僕からも話が出来た。

「ちょっと貴方、モナムーをどこに連れて行くつもりなのかしら?」

「モナムー?」

 何故、僕が覚悟を決めたとたんに、入って来るのか……。タイミングが悪すぎる。

「ややこしくなるから、黙ってなさい、祈願。それじゃあ行こうか。で、皆は先に帰っててくれて大丈夫だよ。というか、帰ってて下さい。また明日ね」

 祈願から声をかけられて、ついでに気づいた事。ここで呼び出しに応じれば、目立つ帰り道を、避けれるのだ。

「釘を刺しておくが、家に来るなよ?」

 皆はぎこちなく、首を縦に振った。皆を信じよう、なんて気持ちはとてもじゃないが浮かばず、帰国二日目にして『家出』という文字が少し、頭をよぎった。


 屋上にはまばらながら人が居たが、僕らが来た途端、逃げるように去っていった。 

 僕のせいではないと思いたい。

「あの、もしもし?」

「あぁごめん。なんだろう」

「じゃあ……、まず名乗り遅れたけど、僕は弥生 由仁だよ。ため口でいいかな?」

「全然構わないよ。よろしく弥生さん。そう、いきなりで悪いんだが、話を聞く代わりに僕の質問に答えてもらっていいかな」

「勿論、こっちも頼んでいる立場だしね。先にどうぞ?」

 なんだろう、やはり見た目で判断するのは良くないな、予想以上にまともな人じゃないか。案外、普通の話かもしれない。いやはや、失礼な事を考えてしまった。

「弥生さんって。女の子だよね?」

「うん、そうだよ。で、それだけかな? それなら……」

「いや、違う。その上で聞きたいんだが、その制服は誰から貰ったんだろ?」

「うん? これはたまたま、女子の制服を欲しがってる先輩が居てね、その人はどうやら性癖的な意味ではなく、女子になりたいという純粋な気持ちらしかったので、利害も合っていたし交換させて貰ったんだ」

 性別を変えよう、という気持ちが曲がってる可能性を、何故この人達は考えないのか。

 いや、そういう精神的なモノが存在するのは知っているのだけれど、身近で突然そういう事が起きると、そんな考えが浮かんで仕方ない。

「見間違いでなければ、襟元に『匠堂』という文字が書いてあったと思うんだが……」

「あぁ、そういえば、そうだね。もしかして」

「僕の、兄だ」

「奇遇だね。でも、今更返せと言われても困るよ?」

「いや、確認したかっただけだ。ありがとう」 

 姉さんの制服の出所が判明した。少し文句を言いたくなったが、彼女が渡さなくとも別のところから手に入れただろうし、そも彼女を責めるのは完全な筋違いだ。

 兎に角、何か犯罪的な方法で手に入れたのでない、と分かっただけよしとしよう。

 つーか、世間狭いなぁ……。

「では、僕の話をさせてもらっても、構わないかな?」

「うん、どうぞ」

 さて、話とは一体何なのだろうか。制服を交換した相手が僕の兄だと知らなかったのなら、関連した事ではないだろうし。

「今朝、焼堂さんを校門で泣かせていた、と言うのは事実か?」

 そんな風に伝わってんのかよ……。そりゃ引かれるわ。

「違う違う。全くの誤解だよ。詳しく説明するのは難しいけど、僕が何か伶ちゃんに危害を加えたとか、そういう事じゃない。何だったら直接聞いてくれても構わない」

「分かった。そこまで言うのなら、信じよう。でも焼堂さんがあんな風に人前でしゃがみ込んで俯くなんて、始めて見たんだ。それは君が関連しているんだろ?」

 伶ちゃんじゃなくても、人前でしゃがみ込んで泣く女の子、そうそうみないよなぁ……。

「そう、なるな」

「なら金輪際、焼堂さんと関わらないでくれ」

 いきなり何を言ってるんだこいつは。展開がラジカル過ぎる。

「突然どうした……」

「今回の件で、焼堂さんの株が少し下がっている。それだけじゃない。伶ちゃん、などと気安く呼んで、困るんだよ。焼堂さんに特別な人が居ると知れたら、番町といっても一人の女の子に過ぎないんだな、なんて……、思われてしまうだろ!!」

 徐々にヒートアップして行く彼女を見て、人は見た目で判断しても、おおむね問題無いと、先程とは真逆の思考が生まれつつあった。

 しかし、これだけの伶ちゃんシンパがいるとは……、待てよ? この子もしかして。

「少し、下世話な質問で申し訳ないが、……伶ちゃんの事が好きだったり――」

「そんなのじゃないっ!」

 鋭い即答だった。

「男の格好はしているけれど、別に女性が好きという訳じゃない。ただ単純に、同じ女性として、尊敬している焼堂さんが弱くなってしまうのを、危惧しているだけだ」

 ……同じ女性として、ね。こいつ面倒くさいなぁ。

「気持ちは分かったが。ただ実際問題、僕が伶ちゃんに向かって何かした事は――」

「伶ちゃんという呼び方をまずやめるんだっ。なれなれしい」

 なんか、段々上から目線になって行くな、この子。

「良し。分かった。でも、一気に距離を置くのは難しい。伶ちゃ……、焼堂とは――」

「さんはどうした」

 こいつ……。

「……焼堂さんとは、昔からの付き合いなんでな。まず、呼び方を焼堂さんとするのを第一段階として、ステップバイステップで距離を置いていく、というのはどうだろう」

 何だかもう面倒なので、この場を濁してさっさと帰りたかった。

「なるほど、それはもっともだ。よし、今はそれで手を打とうか」

 最早、完全に僕を下に見ているな……。面倒だから、突っ込まないけど。

「じゃあ、これで話はおしまいだな?」

「うん、匠堂……って苗字だと、焼堂さんと間違いやすいな。別の呼び方で良いかな?」

「構わないよ、名前でもあだ名でも何でも」

「じゃあ……、女装弟」

「お前単純に僕の事嫌いだろっ!? 名前で呼べ!!」

 確実に姉さん含めてではなく、僕個人への攻撃だった。

「冗談だよ、正道」

「そう、それでいい。じゃ、また」

「あぁ、じゃあね。正道」

 はぁ……。何かまた面倒なのが増えたな。

 落ち込みつつ、教室へひっそりと戻り、中を確認。誰も居ないのを見てから入り、カバンを取って下駄箱へ。

 途中も、誰か待ってないのを確認。靴箱まで見て、みんな帰っているのを確認。

 確認に確認を重ね、漸く一息ついた。どうやら、帰りは一人でゆっくりできそうだ。

 道すがら、これまでの事を少し頭で整理したかった。



 昔々、僕は超絶正義の人だった。理想を追い求める、愚直な子供だった。

 なので、困っている人が居れば必ず助け、助けを求める人に対してそれが正しい求めであれば、自分にできる限りの行動をした。

 そして自ら助けを求める事もせず、誰かの助けを待つ者に対しては、勝手に助けた挙句、厳しい言葉を投げかけていた。

 余りにおこがましい事だと、今は思えるが、当時はそれが僕の理想の在り方だった。

 しかし、そんな正義は、たびたび親や教師から叱責を受ける元となった。

 そんな愚直な迷惑を繰り返す内、世の中を理解し始めた僕は、徐々に大人の言う事に逆らわず、所謂、模範的な良い子を装い、その上で理想を貫く方法を模索して、……でも結局それは見つからなかった。

 何年も続けていくうち、やがて僕は本当に、反抗も抵抗もしない、“良い子”になっていった。

 家族や友人は僕のぎこちない変化に戸惑っていたけれど、黙って見守ってくれていた。

 ただの“良い子”になって、そう時間の経たない内に、父の転勤で海外へ行く機会が訪れ、海外ならば何か違う社会があるのやも、と僕は飛びついた。

 しかしやはりそんな甘い考えは、通じなかった。

 国が違おうと、若干空気の違いがあるだけで、矛盾した社会は変わらず、むしろ、より奇異の目で見られただけだった。

 ……やがて、二度目の諦めを得た。

 帰国を父から告げられた時、僕はもう何も言わず、ただ従う子供になってしまっていた。

 そして帰国した時も、変わった町並みに何も思わなかった。出来る事は何も無いのだと。

 もう、何も考えず、ただ平凡な暮らしを望もうと思っていた。

 なのに……、だ。

 三年経って帰ってきてみると、兄が何故か姉になっている。

 優しい姉代わりだった人は、今やスケバンと呼ばれていて、妄想逞しいだけだと思っていた女の子は本当にお嬢様で、かつその力を使い、より妄想を逞しく、一部を実現にしている。

 常に自分を頼り慕ってくれていた、見守るべき後輩からは、逆に常に見守られる様になり、挙句の果て、何故か男装の女子まで絡んできて、……何やら全然当初の予定と違う、破天荒な日々が始まった。

 そこまで思い返して、……ふと、疑問が浮かんだ。

 何が原因なのだろう? 兄に関してはそういう趣味だった。とするにしてもだ。してもいいのか……? いや、今は置いとこう。うん。

 で、伶ちゃんや沙紗、そして祈願、彼女達がたった三年であれ程に変わるというのは、必ず何かしら原因があるはずだ。

 そも、屋上では聞かなかったけれど、弥生とかいう子も何で男装してるんだろ? やたらと伶ちゃんを尊敬している辺り、やはり伶ちゃん絡みなのか?

「ふむ……。あ、そうだ」

 そうだ、原因だ。原因を追究すれば良いんじゃないか? そうして、皆を常人に戻す、というのはどうだろう? ……そうだよ! 何で思いつかなかったんだ!

 皆、元々は常人なのだから、問題となった原因を解決する事で、もしかしたら昔のような普通の人に戻ってくれるかもしれない。

 そうすれば、やがて僕の周りは平凡であふれ、平凡は平凡を呼び、僕の予定通り、普通の人生を歩めるんじゃないか? 

「……そうだ、そうしよう。決めた! ――僕は、皆を凡人に戻す!!」

 翳って尚日差し厳しい夏の夕暮れ、僕は新たな目標を、手に入れた。

 それが今出来る、最善だと信じて……。

 ――余談だが、家に帰ったらやはり皆が居た。途中で合流したとかで、弥生まで居た。挫けそうになった。

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