『マチネの終わりに』(平野啓一郎)を読んで
初めて読む作家さんです。
単行本が発売された三年前からこの小説の存在は知っていたのですが、恋愛小説というのはなかなか手が出ませんで。(もしかしたら意外に思われる方もおられるかもしれませんが、恋愛小説や恋愛映画にはあまり興味がないのです)
それがなぜ文庫本になった途端に読んだのかというと、映画です。しかも映画本編ではありません。ほかの映画を観にいった時の予告に惹かれたのです。なにがどうというわけではないのですが、雰囲気がよかったのです。しかし、恋愛映画を観るのってなんか胸の奥がムズムズしちゃうんですよね。誰かと観ても、ひとりで観ても。というわけで、小説を。映画の主演は福山雅治さんと石田ゆり子さんでした。予告を観てしまったので、小説を読んでいても脳内キャストがこのお二人でした……。
天才クラシックギタリストの蒔野聡史と、国際ジャーナリストの小峰洋子の物語。あらすじには四十代とあるけれど、たしか出会いのシーンは蒔野38、洋子40だったかな? 一度だけチラッと蒔野が二歳下って地の文があるんですよね。ストーリー上はこの年齢差はまったく必要ないんですが、私的にポイント加算です。年下男性/年上女性の設定が好きなので。
出会った瞬間にお互い感じるんですよね、魂が触れたような感覚を。
これがねえ、年齢設定の妙ですね。この感性の一致みたいなのはこの年齢でないと成り立たない気がします。もっと若いとなんていうか、思考が似ているとか、道徳的価値観が似ているとか、そういう感じになってしまうと思うんです。蒔野と洋子の場合も、そういうのも含めてなのですが、もっと感覚的な部分が重なるんですよね。うまく言えませんが。もちろん小説だとそれがきちんと伝わります。その感覚を知っている読者なら、この出会いのシーンで心が震えると思います。
前半の展開は早いです。二人の間に障害はあるものの、心に素直に従って急接近します。もうクライマックス?と思ったら、半分以上ページが残っていて。そこからが苦しいですね。わかる。けど、苦しい。
二人の恋に沿って話は進んでいきますが、背景が重厚です。音楽家としての苦悩とか、イラク情勢とかが深く絡んできます。恋愛って当事者の内に向かっていくものでありながら、それを取り巻く世界があることを意識せざるを得ない、ちょっと不思議な感覚でした。世界の一部なんだな、と当たり前のことを改めて感じたりしました。
この話の中の重要な考え方のひとつに「過去は変えられる」というのがあります。その「過去のできごと」がその後によって意味が変わることがあるという解釈です。怪我の功名と似ているかもしれません。印象的なできごとが別の印象的なできごとに変わるということもありますし、記憶に残らなかった小さなことが後に大きな意味を持ったりする伏線のようなケースもあります。私たちが日々感じているそれらのことを発見し注目したことが素晴らしいのではなくて、それらを「過去は変えられる」と表現したことに感銘を受けました。とても能動的ではありませんか。
そういった興味深い解釈というか表現がここかしこに出てくるのも楽しかったです。
「地球のどこかで、洋子さんが死んだって聞いたら、俺も死ぬよ」というセリフがあります。映画の予告でもありました。甘くもあり、気障でもあるセリフですが、この意味というのがちょっといいなと思いました。洋子が死のうとすることは蒔野を殺そうとすることだから、そんなこと洋子にはできないはずだ、自分を大切にしてほしい、ってことなんですね。まあそうだよね、と思う反面、明文化されないと意識しないよなあ、とも思います。こういう感覚がいくつも書かれているんです。
このように、まあ今さら珍しくない甘いし気障な、読んでいて照れちゃうような感じではあるのですが、先ほども言ったように背景の重さがあるのでふわふわとどこかに飛んで行ってしまう感じはなく、非常にバランスがとれています。
それに、この話というのが、「作者」が見聞きした話という体裁をとっているので、視点が遠いんですね。ドキュメンタリー番組を観ているような感じ。感情移入というよりは傍観者として読んでいるみたいでした。それが甘すぎず良かったです。
あ、そうだ、これ重要。
こんなに深いところで結ばれている二人ですが、会ったのは三度。そしてプラトニック。
ライバルがいたり、邪魔されたりするベタな展開がありながらも素直にいい話だなと感じました。
いやあ、よかった。




