『人間』(又吉直樹)を読んで
『火花』『劇場』とは違い、今回は長編です。毎日新聞での連載200回が本になったそうです。
38歳の誕生日を迎えた永山のもとにかつての知人からメールが届く。そこには青春時代に「ハウス」という場所で共同生活をしていた仲間の近況について書かれていた。そんなオープニングからまずはハウスでの回想へと入ります。
永山は大阪から東京に出てきて美術の専門学校に通います。その時に暮らしていたのがハウスです。そこには同じように個性的な若者たちが暮らしており、みんな夢に向かってなにかをしています。ここの雰囲気がとてもいいです。
「いい」というのは、いい感じに鬱屈しているという意味です。『劇場』でも感じたような、不快感の表層を撫でる、爽やかでない青春を描いています。3作の小説を読んできて、この空気感は又吉さんならではのものだなと感じます。
私自身、自らの青春時代を思い起こす時、濃密で充実していた記憶とともにどこか罪悪感にも似た湿り気と粘り気を感じずにはいられません。具体的に罪悪感があるわけではないのです。なのに浮かぶ景色は日差したっぷりの芝生ではなく、苔生しシダが生い茂り朽ちた落ち葉が積もる薄暗い山道なのです。『人間』の青春時代の部分を読んで、その感覚に引き摺り込まれました。
全体としては大きく三部に分かれた内容となっていました。青春時代、当時の友人との再会、家族との関係。後ろに行くほどに主人公の人間性というかルーツが煮詰められていくような印象を受けました。
友人との再会は久しく交流を絶っていた後にもかかわらず、同じ時間を共有したことがあるもの同士の独特の関係が伝わってきます。
この部分は大部分がある一夜のバーでの会話に費やされています。主人公とこの友人は、どことなく一人の人間の中に存在する二人であるようにも感じられました。ここでは作者の言いたいことをダイレクトに語らせているようにも取れる会話なのですが、意外にも抵抗なく読み進められました。
終盤では現在父が住む沖縄の名護が舞台となります。久しぶりに会う父や母。なかなか破天荒な父親のようなのですが、母親や親戚が語る人物像は少し違って見えます。
これは『人間』全体にあるものでした。人や立場によって見え方が違うのは当然のことなのですが、この小説ではそれが際立っています。前半部分ではあまりにも主人公と他の人物との認識が違いすぎて、実は永山は狂っていて、静かな狂気を描いた小説なのかな?とさえ思いました。この描き方はとても興味深かったです。引き込まれたといってもいいかもしれません。
この小説のおもしろいところは、物語のピークに主眼を置いていない点だと思います。なんていうか、登った山を下るところから話が始まるような感じなのです。たぶん、物語として切り取るなら青春時代の部分で成立するんですよね。言うなれば、これはエピローグ。「その後」がメインになっているんです。
当然のことながら、現実世界ならば「その後」は必ずあるわけで。お伽話みたいに「めでたしめでたし」「幸せに暮らしましたとさ」では終わらないわけです。そんな当たり前のこともこうして描かれるととても考えさせられました。
見え方の違う人間がいて、それぞれの見せ場の時代があって、それを過ぎても人生は続いている。
おもしろいとも楽しいとも言えそうで言えない、だけど自分の中にたしかに巣食ったことだけは感じられる、そんな一冊でした。
3作読んで感じたのは、この人の書く小説がかなり好きだ、ということでした。




