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『平場の月』(朝倉かすみ)を読んで

直木賞候補作になっていますね。だからといって手に取ったわけでもないんですが。ずっと前に『田村はまだか』を読みましたが、その時はピンとくる作家でもありませんでしたし。もしかしたら、わざわざオーソドックスな純愛・悲恋を扱った点に興味を持ったのかもしれません。自分でもなんで読もうと思ったのかよくわかりません。けど、読んでよかったです。直感で選んだ本って、大抵おもしろいですね。


互いに結婚歴があって、現在はシングルの五十歳の男女が主人公。二人は中学の同級生で、偶然再会するんですね。舞台は埼玉。結構みんな地元に残っていて、パート先で再会したり、スーパーでよく会ったりする環境なので、二人が再会するのも特に運命的なものではなく。まあそういうこともあるよね、って感じで扱われます。

男は青砥、女は須藤。やがて付き合うようになるのですが、彼らは最後まで互いを苗字呼び捨てです。


物語は回想形式ってわけではないのですが、冒頭ではすでに須藤が亡くなっています。で、青砥が須藤との再会を思い出しつつ、これまでの二人のことが描かれるんですね。

五十歳とはいえ、フリーの男女で、仲を反対する身内がいるでもなく、その関係に障害はないはずなのですが。たぶん須藤の方が確固たる自分を持っていて、青砥に頼ろうとしないんですね。そこが須藤の良さでもあるのですが、まあ青砥はちょっとかわいそうですよね。もちろんがっつり依存するのはどうかと思いますが、恋人でも友達でも大事な人を大事にしたいのって自然なことだと思うんですよね。あまりにも手を出させてもらえないのって心を開かれてない感じがして寂しかったりしますしね。青砥もそんな気持ちになったりするんですよ。


けど、ここがやはり大人の恋愛というか、どれだけ親しくなっても相手を尊重する距離感が保たれているのが、読者としては安心でもありもどかしくもあり。私なんか、もうこの関係なら入籍した方がいろいろ便利じゃん!とか思っちゃいましたから。

青砥ももどかしさを感じているシーンがあって、まったく同感だったのですが、相手になにかあった時って、身内しか許されないことが多すぎるんですよね。それこそ下手したら、連絡さえ受けられない。冒頭で開示されているから言ってしまいますが、実際、恋人であるはずの青砥は須藤が亡くなっていたことを後から知るんですよ。それは須藤の意志でもあったのですが、須藤は身内には知らせることを許可していたので、やはりなんとも言えない気分になります。


小説とは話が逸れますが、結婚なんて紙切れ一枚と言って不必要とする考えがありますが、もちろんそう思うのもわかるし、そうしたい人のことをどう思うわけでもないのですが、私自身は紙切れ一枚だからこそもっと気軽に結婚すればいいのにと思うんですよね。愛とかそういうのは置いておいても、合理的だと思うんですよ。公的な関係ってやっぱり手続きがスムーズです。少なくとも、現在では。

ただ須藤は妹からのちょっとした助けさえ嫌がる人なので、私や青砥のような感覚はないんですね。青砥も須藤を尊重しちゃうんですね。

須藤は迷惑をかけたくないって気持ちなんでしょうけど、もうその姿勢が迷惑だよ!と言いたくなります。妹や青砥の気持ちを考えてないじゃん、て。

まあ、そういう読み方をする話ではないと思うんですが。どうにも気になってしまって。


そんな私の結婚観(?)から掛け離れた須藤ですが、魅力的なキャラではあります。変人なわけでもなく、それなりの社交性を持っている、たぶん特に嫌われるような人でもありません。


読んでいて印象的だったのは、須藤の言葉遣い。リアルなんですよ。小説とか漫画って役割語で書かれるじゃないですか。女性だったら「〜だわ」とか、おじいちゃんだったら「〜じゃよ」とか。役割語って賛否あるようですが、私は気にならないんですね。だってリアリティってリアルのことじゃないし。要は醸し出す空気がリアルならいいわけで。だから逆に、須藤の言葉遣いが現実の女性が普段使う言葉であることに違和感があったくらいで。ほら、現実では男女で語尾が違うなんてことはあまりないじゃないですか。そういう喋り方なんですよ。で、それが須藤ってキャラに合ってる。


普通の場という意味の平場。平場の月とは地上の星みたいなことらしいです。インタビューで答えていました。その感じがとても伝わってきました。なにをもって「普通」とか「よくある」とかいうのかわかりませんが、こういうことはあちこちであるんだろうなと思いました。エンタメ小説ですからドラマチックではあるんですけども、それってすごくリアルじゃないですか? うまく言えないんですけど、「普通」ってドラマチックですよね。この小説はラブストーリーなんですけど、たとえば友達や知り合いから聞くそれぞれの馴れ初めってかなりドラマチックに感じます。切り取るから特別に感じるのであって、その集合体は普通なんですよね。……って、やっぱりうまく言えません。


純愛・悲恋物語であり、闘病記であり。それでも激しさが抑えられているのは、やはり二人が五十歳だから。そして、その歳だからこそ感じるものが尊くて。

作者はインタビューで言っていました。四十歳だと若すぎるし、六十歳だと周囲が死ぬことも増えるので悲劇度が下がる気がする、と。だから五十歳にしたと。

その歳だからこそのしがらみや感情が胸を締め付けます。たぶんですけど、読む年齢によって感じ方がかなり違うのではないでしょうか。私が思うに、四十から六十くらいまでの人は相当刺さるのではないかと。


また文体がほどよく淡々としているんですよね。これ、どっぷり感情の渦に巻き込むような文章だと、逆に冷めると思うんです。青砥の三人称一視点だと思うのですが、ふと俯瞰した文章に感じられたりして。

今までに読んだり観たりした大人の恋愛ものは、失われたものを美化したり正当化したりっていう印象を持ってしまったんだけど、これはそんなこともなかったのは、そういった文体のためかもしれません。


なんだか言いたかったことが他にもいろいろあったはずなのですが、この辺にしておきましょう。

泣かせにこない文章のせいで、かなり泣かされました。せつない。

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