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『二千七百の夏と冬』(荻原浩)を読んで

現代パートと古代パートで話が進む構成。上下巻です。


2011年夏、ダム建設現場で人骨が見つかります。程なくしてそれは縄文人男性と弥生人女性のものだと判明します。二人は向かい合い、指と指を絡めるようにして埋もれていました。新聞記者の佐藤香椰は記事ネタ欲しさに准教授松野に説明を求めていきます。

そして、二千七百年前。15歳のウルクは少年から青年へと成長する過渡期にあります。この少年が現代で発見された縄文人男性の骨の人物です。時代は違えど、青春小説のようなもどかしくて痛くて瑞々しい感覚が描かれるかと思えば、とあることから出会う異文化の女性や未知の猛獣との攻防など、恋愛小説や冒険小説の要素もふんだんにあり、読み応えは充分です。


古代パートは三人称ではありますがウルク視点で描かれるため、固有名詞について説明があるわけではありません。当然現代とは物や動物の呼び名が違うわけで。でも改めて説明があるわけではないのにどの動物かわかるんですね。視点者には周知の事実であることをなんとも違和感なくこちらに伝えてくれるんです。ミミナガがウサギというのはわかりやすいですが、人々がヌーを飼っていて狩りの相棒だとの描写があれば、ああこれは犬なんだな、とわかるといった具合に。


この固有名詞に馴染むまでがなかなか読書ペースを掴めませんでした。だって発音が難しいんですよ。人名だとアゥオスラとかカンジェ・ツチィとか。動物はカゥワウソとかクムゥとか。文字で見ると現代の動物の見当がつきますが、音に変換するとわかりにくいことこの上ない。


そうそう、話は逸れますが、古代ってこういう発音だったらしいですね。ずっと以前に言語学の授業で聞いて「そうだったのか!」と思ったことがありまして。私と同世代の方はご存知だと思うのですが、某使い捨てカイロのCMでいわゆる原始人が「ちゃっぷい、ちゃっぷい、ド◯トぽっちぃ」(寒い、寒い、ド◯ト(商品名)欲しい)と言っていました。あれって、言語学的にだいたい合っているそうです。

時代を下って平安時代でもまだ現代とは大きく異なる発声で、「いづれの御ときにか〜」って源氏物語の冒頭がありますよね、あれを再現した音をカセットテープ(!)で聞いたのですが、私の耳には「いつぅれのぉおふぉんとぉきにくわぁ〜」と聞こえました。狂言や歌舞伎などの台詞回しを更に鼻で話したような印象でした。

……うん、話、逸れすぎましたね。


さてさて、小説ですが。

現代で骨が見つかっているから、その縄文人の少年と弥生人の少女がひとところで死ぬということはわかっているわけです。その上で過去パートを読むことになるので、二人の出会いのシーンでは既に向かうところが見えていることになります。来るはずだった未来が失われたことを読者はもう知っているのですね。それだけに懸命に生きる姿が煌めいて見えます。


私の苦手な生々しいシーンもあるものの、読み終えてみると、なくてはならない描写だったなと感じました。縄文時代という、いまやファンタジーみたいな世界の人間が、たしかに「人間」として生きていたことを強く印象づける効果があったように思います。私はもとより、作者も専門家も本当の縄文時代を知る人なんているわけはないのですが、ウルクを追っていると、間違いなくこういうことがあったんだと思ってしまう説得力があります。リアルではないかもしれないリアリティってこういうことなんだなと感じます。


ここまででお分かりかと思いますが、古代がメインの話です。現代はその補助的な立場。ウルク視点では説明できない部分を解説する役割にもなっています。ただ、それだけではなく、新聞記者 香椰は骨の二人の背景を通じて自分自身と向き合っていきます。小説ではよくある手法かもしれませんが、古代パートが壮絶で壮大なために、そのウルクたちとと香椰のリンクがもっと大きな繋がりを感じさせます。それこそ人類の歴史は繋がっているんだなと感じるというか。誰もが誰かから繋がっているのは当たり前のことだけど、なかなか実感としてピンとこないんですよね。命は繋いでいるんだなと感じました。まあウルクたちは繋がずに死んでいるんですけど。


人種の違い、文化の違い、それらをわかり合おうとする人、受け入れない人、戦を知らない人、まだ見ぬ敵を想定する人、独裁的な権力。古代と現代が重なり、なんとも奥に行くほど広い鍾乳洞に入っていくような気分でした。


そして、少年少女のたったひとつの、ささやかで一途な思いさえ叶えられない集団の愚かさ。


最後には二人が死ぬことがわかっているからこそ読み進めるのが苦しくて。

終盤は嗚咽を漏らしながらながら読みました。

本当は何が大切か誰もがわかっているのに、個人の力は小さくて。もどかしくて。やるせなくて。

泣きすぎて鼻の奥が腫れて息ができませんでした。苦しい。


はじめの方こそ縄文人の単語が頭に入ってこなくて読みにくかったけれど、上巻の半ばからはラストまで感情も読むスピードも加速しっぱなし。


生きていることに感謝。争いが起こるのに正しい理由なんてない。分かり合えなくてもいい、尊重していければ。いろんな思いの渦巻く小説でした。


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