『月と太陽』(瀬名秀明)を読んで
だめだ! 私には難しい!
この本に限らず、瀬名秀明の小説は私には理解が追いつかなくて、でも、理解できない部分があっても、理解できる部分だけで充分におもしろくて、好んで読んできました。
難しいとか理解できないというのは、該当部分を何度読み直しても理解できないという意味ではなくて、もはや文字が記号にしか見えないというレベル。読みたい、理解したい、という気持ちがあるにもかかわらず脳が停止しているような。
たしかに理系に苦手意識はあるし、それ自体が自己暗示をかけているんじゃないかとも思うのですが、一方で、苦手分野だって小説である以上は得意な国語なんだから問題ないと妙な自信を持っていたりもするんですけど。でもだめだ……。
なんなんでしょうね、この現象。あ、いや、ただ私の学力の問題だとは思うのですが。
でもですね、この小説内で面白い記述があります。主人公は理系の研究者なのですが、こんな地の文が。
理系の研究者は何か話そうとするたび、決まって「あなたの話は難しい」と、最初から身構えられてしまう苦い経験を何度もしてきた。だから理系の人々は聞き手のことを思い、なんとかわかってもらおうと、よけいに丁寧に話しては疎んじられる。ぼくらはそういう悲しい生き物なのだ。(瀬名秀明,「瞬きよりも速く」,『月と太陽』講談社文庫,p331)
べつに笑わせようとしている部分ではないのは承知の上で、思わずフッと笑ってしまいました。もしかして、作者の本心なのかなぁとか思ったり。だとしたら、失礼ながらなんとも愛らしい生き物ではありませんか。
しかし、頭に入らないものは入らない。私の方こそ悲しい生き物です。
この本は、5作からなる短編集で、どれも空とか天文科学に関するお話です。そして、近未来が舞台。5作に関連性はありません。たぶん。
うち3作は私でもすらすら読める短編で、2作が少し長めの(私にとって)難解な短編と中編の間みたいな長さ。
でもですね、理解できないどころか、ストーリーさえまともにわかっていない自覚のある中編(?)の「絆」が結構おもしろい。文学的だなぁと思ったのですが、そもそも文学とはなんぞやと問われても答えられませんので、悪しからず。普段から感覚で読んで、感覚でしゃべっています。
でね、「絆」。
どんなストーリーかというと、それが説明できないんですよ。なんか不甲斐ないですが、そういう印象も含めて文学的だと感じるんですよね。簡潔に語れないから小説になっているというか。え? いや、逃げや誤魔化しじゃないですよ? いや、ほんとうに。
キーワードをあげるなら、結合双生児と単生者、皆既日食、といった感じでしょうか。すごくSFなんだけど、ロマンチックで文学的。
なんかすみません……。たぶん、私の感想(ですらない)を読めば読むほど、どんな小説なのかわからなくなりますよね……。
先ほどの引用部分じゃないですが、小説はニュアンスが伝われば御の字くらいに思っている私からすれば、この本は正確なパーツまで提示してくれる印象で、結局それを見る私は全体像のニュアンスしか拾えなかった、ってことなんだと思います。意図的に詳細を知ることを避けているつもりはなく、焦点の合わせる位置がちがうのでしょうねぇ。
理解できないと言っておきながら変かもしれませんが、この本の雰囲気は結構好きでした。こんな読者がいてもいいよね。




